2017/05/26

わずかな意欲

この道を歩んでいくにはそのわずかな意欲だけでよくて、

自分でわが家に帰ろうとする必要はないし、

そもそもが自分でわが家に帰り着くことは出来ません。


なぜなら、わが家への帰り道をこの自分が知っているわけではないからです。


神への帰り道を知っているのは、

内なるホーリースピリット(聖霊)であり、

内なるイエス・キリストであり、

内なる神です。


ホーリースピリット(聖霊)と共に、

イエス・キリストと共に、

そして、神と共に、

その手に引かれて、導かれてゆくだけです。


その安らぎと歓びはこの世の何ものにも代えることができません。


彼らと共に歩むこの道こそ、私がずっと探していた道だと気づくのです。


そして、彼らと共に在るこの自分は、

もう二度と、この世界の虚しく孤独な道を歩くことはないと気づくのです。


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<大分県日田市大山にて>


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もりG 個人セッション@金沢  2017年6月23日~25日 満席

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2017/05/24

かたちのレベルの向こうにあるもの

この世界をかたち(肉眼)のレベルでみると、

人生がうまくいっているひととか、楽しそうに幸せそうに生きているひとたちが、

ときに、羨ましく、この自分もそんなふうになりたいと、

心が無意識にそういうものに憧れてしまう自分がいることに気づきます。


でも、赦しの実践をしていると、

そういう想いこそが幻想だと気づきます。


自分は、そういうもので幸せになれる、、、幸せがこの世界にはある、、、

と想っているということです。

そして、その想いは、自分の思い込み、信念であると気づきます。


この肉眼で見る世界のすべては、自分が見たいように見ているだけです。

もっと言えば、この世界は自分が見ている夢です。

自我はその夢の世界に居続けたいとのだと気づくのです。


自分のもっと奥深いところでは、

自分はそういうものでは本当の幸せにはなれない、と気づいている自分がいます。


ちなみに、

それは、この世界で幸せを求めようとするひとたちを否定するものではありません。


ただ、自分が真に求めている幸せは、この世界を超えたものであり、

かたちのレベルを超えたその向こうにあるものだとわかっているということです。


ゆえに、もう今さらながらこの世界に光(幸せ)を見出すことはできません。


そのことをわかっている以上、本当の幸せを求めずにはいられないということです。


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2017/05/23

わたしにとっては修行ではありません。修正です。

2004年からセラピスト活動を始めて、今年で丸13年になります。


その間、私自身のスピリチュアルな学びの成長に応じて、

それを反映するかのように私が施すセラピー(セッション)も変化(進化)してきました。


そして現在、そのスピリチュアルの探究の学びで行き着いたところが、

「心理セラピストとしてのアイデンティティを手放す」というものでした。

なんとも滑稽なものです。笑


現在、私が提供するセッションは、大きくその形を変えてきています。


心理セラピストとしてのアイデンティティを手放し、

そのスタンスをやめたことで、よりセッションの幅が広がったように感じています。

そして今、そのセッションのかたちは、ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)の学びへの導きと

そのサポートというかたちに移行していっています。


コースは、決して、スピリチュアルの探究者にとって誰にでも受け入れられるものではない

と思っています。むしろ、少数派だと思います。

とは言っても、コースの学びをはじめられる方は、

これから確実にもっともっと増えてくるだろうとも感じております。


ただ言えるのは、どれもこれも私が見ている夢です。

私の周りにコースを学ぶ人が増えているのは、

自分の心を外側(の世界)に投影してみているにしかすぎないと捉えています。

それでも、私が提供するものがそんな方々の役に立てていただけることはうれしいです。


ということで、

最近のセッションを受けられたRさんからその感想メールをいただきましたので、

ご本人のご了承のもとに公開させていただきます。

ありがとうございます。

 

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<Rさんからの感想メール>


こんにちは。先日は楽しいセッションをありがとうございました。

本当に楽しかったです。

レクチャーも質疑応答中もずーっとわくわくがとまりませんでした。

コースへの好奇心がとまらないのです。

一人でやっていると投げ出したくなるのに。


森川さんの口から伝えられるコースの確信部分、肝となるいくつかの言葉を聞く時には

感動と歓びで涙がでてしまいます。

わたしは知っている、と思うのです。

個のわたしではなく、わたしの中にあるひとつの心の部分。聖霊と共に在る部分。


前回のセッションでノートに書き留めたことなどを見返して過ごしています。

今迄のセッションで起きていたこと、疑問に思っていたこと等が、

少しづつですがわかってきたように思います。

この知的理解が非常に面白いのです。

なので毎回「コースって面白いですね」と、ついつい口にしてしまいます。

その割にはテキストがぜんぜん進んでいませんが…

コースが面白いというよりは森川さんが噛み砕いて教えてくださるレクチャーが

面白いのですよね。腑に落ちる瞬間。


テキストと言えば、先日夜中ひとりで座っている時に

すーっと体が歩き出しテキストを手にとりました。

初めて「考えない」ということを経験したように思いました。

これが動かされるってことなのかな?と。

その時は部屋もわたしの心のとても鎮まっていました。

だから聖霊のかすかな声が聞こえたのかもしれません。


今日のブログ記事「過去から脱却する」を読んで、

この世が幻想で夢であるということがまた違った角度から理解できました。

そんな風に見えるのは今生では無理だろうなと思っていましたが。

そして今また読み直してみると新たな気づきがありました。

やっぱり楽しい!

楽しいけど実践は相当難しいですね。

一瞬一瞬が選択。どれだけ意識的に取り組めるか。常に心にそのことを忘れずに

留めておけるか。


でも勉強すべきことがあること、訓練すべきことがあることが今のわたしには歓びです。

わたしにとっては修行ではありません。修正です。


今日の記事も何度も読み返したいと思います。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

(新潟 女性)


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2017/05/22

心理セラピストという重荷を下ろして

私が提供するセッションのスタイルは、今、大きく変わっていっています。


セッションを受ける側からしたら、さほどそのちがいはわからないかもしれません。

セッションの本質はなんら変わらないからです。

でも、私自身にとっては、心理セラピストとしての重荷を下ろして、

「心理セラピー」という枠を取っ払ったより自由なセッションになっている感じがあります。


今から想うと、私は、心理セラピストという役割をじつは重荷に感じていたと気づきます。

私の中に、セラピストとしての妙なポリシーとプライドがあったように思うのです。

心理セラピストとしての自分の能力に自信を持っていたことが、

それがかえって自分が行うセッションを、

心理セラピーというカテゴリーの中に自分で縛りつけてしまっていたと思うのです。


それは世間的に云えば当たり前のことなんですが、

私は、そこに責任感と使命感を抱えていたように思うのです。


でも、それがかえって自分自身を、セッションそのものを、制限していたと気づきます。


今、私はそれらの荷物を下ろして、

自分の内なる声(聖霊)に導かれていっているのがわかります。

これでいいのだと思います。


現在、私が提供するセッションは、心理セラピーという枠を超えて、

クライアントさんのテーマに応じて、自由にお話をしていくかたちに変わっていっています。


結局のところ、私が、コース(奇跡講座/奇跡のコース)の学びをしていることもあって、

セッションが、そのスピリチュアリティに沿ったものになっていってることは否めません。


コースでは、「教えることと学ぶことは、この世界では逆さまになっている」と述べています。


最近、私もセッションをしてて思うのですが、

自分が学ぶ必要のあるものを自分は相手に教えている、と気づくときがよくあります。

そういう意味では、クライアントさんは私にとっての教師であります。

ほんとうに感謝する次第です。


心理セラピストという役割を終えて、

これからの私の「在り方」とは、そういうものになっていくのでしょう。


ということで、これまでもご縁のあった方々、そしてこれから出会う方々へ、

私にとっての教師であられることに感謝します。


どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。


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2017/05/21

幻想と向き合う

わたしたちの内側には、たくさんの無意識の信念があります。


あなたがそれら無意識の信念を見つめられるようになって、

それらの存在に気付けるまで、無意識の信念があなたを動かすことになります。


よって、あなたがそれらの信念から解放されて(目覚めて/覚醒して)いくためには、

自ら内側の無意識の信念に触れていかなければなりません。


それらの信念は、すべて自分で決めた思い込みであり、

そもそもは実在しないもの、つまりは、幻想であるからです。


たとえば、痛み、苦しみ、苛立ち、怒り、憎しみ、罪悪感など、

そういったものを感じているのならば、

やはり、それらと向き合う必要があります。


むしろ、それらの感情が、自らの無意識の信念を見つけ出すきっかけになります。


「苦しみは幻想でしかない、実在しないもの」と言ったところで、

頭では幻想だとわかっていても、それらを知覚しているのならば、

それらをリアルにしまっているということであり、

やはり、それらと向き合って取り消して(修正)いく必要があるということです。


それらに目を向けないということは、心に蓋をすることになり、

そのようにしてまた無意識に追いやることで、修正のきっかけを先延ばしすることになります。


実際のところ、取り消す(修正する)のは聖霊がしてくれるものではありますが、

自分で見つめてそれらをリアルとしてしまっていることに気づいて、

そして、それらを聖霊に取り消してもらおうと意図しない限り、

聖霊が勝手に取り消してくれるということはありません。


つまりは、自分で実践していく、取り組んでいく必要があるということです。

そして、それが赦しの実践というものです。


リアルだと知覚していたものを幻想だと修正していくために、

赦しの実践をしていく必要があるのです。


コース(奇跡講座/奇跡のコース)でも、以下のように云っています。


幻想は、直視しない限り、誰も幻想から逃れることは出来ない。見ないでいることにより、幻想が保たれていくことになるからである。幻想が危険なはずはないのだから、幻想からしり込みする必要はない。わたしたちには、自我の思考体系をもっと詳しく見る準備が出来ている。あなた自身も自分は幻想を望まないと気づいているので、準備が出来ている。

その向こうが見えるようになるためには、まず最初にそれを見なければならない。私たちは一緒にこの誤りを静かに取り消し、その後、それを超えたところに真理を見ることになる。

あなたが(このコースで)学び始めているのは、恐れは実在しないということである。

ー『ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)』テキストよりー


自分が知覚している(感じている)痛み、苦しみ、苛立ち、怒り、憎しみ、罪悪感など、

それらはすべて幻想です。

ほんとうは実在しないものです。

眠っている心が幻想を信じているので、

それらを恐れ、避けて、そこに目を向けて来なかっただけのことだといえます。

そして、そのようにして幻想は保たれてきたということです。


そう、わたしたちが自分の罪悪感や恐れを正直に見つめることは、必要なことです。

それこそが目を向けるべきものであり、

それを信じている心に何が起きているのかをとらえて、

それをはっきり認識できるようになることが、

幻想からの脱出法、つまりは真の赦しのプロセスだと云うことが出来ます。


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<福岡 大濠公園にて>