2019/03/11

戦場を超えたところ

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久しぶりのブログの書き込みになります。

ここ最近、しばらくブログを書く気になれませんでした。

というのも、ここしばらくの間ずっとこの世のものではない内なる平安の中にいて、
(いい意味で)そこではあらゆるものの無意味性がみえるといいますか、
ブログの必要性を感じなくなったどころか、
正直、もうブログをやめてもいいかなという想いでいたのでした。

その内なる平安は、これまで私が感じていた(一時的な)平安とはまるでちがいます。

その一時的にもたらされる平安とはまったく別ものだということがわかります。

その内なる平安は、
「すべて(他者)と自分とは異ならない」という視点からもたらされるものだからです。

つまりは、その視点(視座)こそがコース(ACIM/奇跡講座)でいうところの
「戦場を超えたところ」だということがわかります。


高みへと引き上げてもらい、そこから、戦場を見下ろしなさい。
そこからあなたが展望するものはきわめて違ったものとなるだろう。
ー『奇跡講座』テキスト23章「戦場を超えたところ」よりー


それは、「分離はない」という一元的思考への移行が起きてこそ立ち現れてくる視座であり、
その視座(視点)からすべてを眺めるとき、
(一つの)自我がこの世界で何をしているのか?がよくみえてきます。

その無意味さ、滑稽さ、非実在性がよくみえてきます。

その視座から聖霊と共に自我を直視していくことが、
これから自分がしていくことだと気づきます。


「平安をもつためには、平安を学べるように平安を教えなさい。」
ー『奇跡講座』テキスト第6章「聖霊のレッスン」よりー


自分は、その新たなる歩みを踏み出したのであり、
それは、はじまったばかりだと感じています。


そして、このブログはここで一つの節目を迎えたと感じています。

もう終わってもいいかなという気持ちです。

ここから先は、私のことばは(必要ならば)、
どんなかたちでかはわかりませんが、必要とする人には必ず届けられていくと感じています。

ただ、このブログを閉じるのか?続くのか? 
それすら今の時点ではこの私にもわかりません。

とりあえず、これまでご愛読いただいた方々へ感謝の想いをお伝えしたいと思います。

ありがとうございました。

2019年3月11日
もりG

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2019/03/02

「分離を信じた」とは?

ワプニック博士は言います。
「相手が間違っていると思うときは、自分も間違っているのです。
みんなが正しいか?みんなが間違っているか?そのどちらかしかないのです。」

ふつう、わたしたちは、
だれかが間違っていても自分は正しくいることができる、という考え方ができてしまいます。

それは、ようするに、
自分は「分離は可能である」という(誤った)選択をしている、ということです。

(本当は分離はあり得ないのに)分離を信じているので、
自分はみんなとは別(の考え)でいることができる、ということを信じているということです。

わかりやすい例で言えば、
だれかが不幸だとしても自分は幸せでいることができる、とか、
だれかは罪があっても自分には罪はないとすることができる、というふうに、です。

そして、それを可能にしているのがこの世界なのだということ。

「分離は可能だ」と信じて、それを知覚しているのがこの世界だということです。

しかも、神から分離したということですから、
それによって知覚されているこの世界には、もはや、はいない、ということになります。

でも、聖霊(の思考体系)からすれば、
分離なんてあり得ないんだよ、不可能なんだよ、妄想にしかすぎないんだよ、ということです。

自分で(分離を信じると)決めたことがずっとその効力を発揮しているということです。

この世界にいるということは、神から分離したと信じているわけで、
ということは、この世界のだれもが、神に裏切られたと信じていて傷ついています。

その傷こそが、罪悪感、と言うことができると思います。

わたしたちは、その罪悪感をお互いに他者に投影して、
自分には罪などなく自分は潔白だとしたいのです。

そういうことをしているのが、この世界だと言うことができるでしょう。

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2019/03/01

奇跡講座を学ぼうとする方へ

コース(ACIM/奇跡講座)を学ぼうと思っている方へ。


コースとはどういうスピリチュアリティなのか?


いきなり本編(テキストやワークブック)に取り掛かっても、かなり難解だと思います。


ゆえに、さまざまな解釈でコースが理解されているのも事実です。


私自身のことでいうなら、

さまざまなコース・ティーチャーやコース関連のもので学んできたのですが、

それらはあまり実践につながるようなものではありませんでした。


コースの学びがより実践的になっていったのは、

ケネス・ワプニック博士の解説するものでコースを学びはじめたときからでした。


コースの理論(形而上学)が明確に理解されていったことで、

赦しの実践がより実践的になったというふうに言うことができます。


そんな私がおススメするのは、

奇跡講座学習支援サイトの中のQ&Aを読まれたり、

ACIMサイトが提供している下記の教材を利用して学ばれるのがいいかと思います。


書籍:『奇跡講座入門』『赦しのカリキュラム』『奇跡の原理』

小冊子:『原因についてのコース』『奇跡の逆転』


はじめにコースの概念を理解する上では、この本もいいかもしれません。


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『この宇宙は夢なんだ ー 解き明かされる生存の秘密』

アレクサンダー・マルシャーン(著) 加藤三代子 (訳) 中央アート出版社 刊


JACIMサイトが提供するコース関連の教材を利用されると、

本編(テキスト、ワークブック、マニュアル)がより理解しやすくなると思います。


私から申しましても、JACIMサイトが提供する教材は、

コースの形而上学的な理解を深めるのにかなり役立っているのは事実です。


中でも一押しなのは、

加藤三代子さん(著)の小冊子『原因についてのコース』『思考の逆転』の二冊です。

(それでも、初心者の方にとっては難解かもしれませんが)


はじめのうちは、コースはなかなかとっつきにくいと感じるかもしれません。

それでも、コースの本編(テキスト、ワークブック、マニュアル)が

ちょっとでも理解できるようになってくるとコースの学びが楽しく感じられるようになります。


ちなみに、他のコース・ティーチャーたちのコース関連本なども出ておりますが、

それでも、JACIMサイト(『奇跡講座』学習支援サイト)のものをお薦めします。


私は、JAICMサイトと関りがあるわけではないのですが、

やっぱりJACIMサイトのものが一番コースの真意から外れていないものだと感じています。


『奇跡講座』本編を翻訳した加藤三代子さん、澤井美子さんの提供するものは、

ケネス・ワプニック博士の解説を継承しているという意味でお薦めだということです。


他のティーチャーのコース(ACIM)関連のもので学ぶのも構いませんが、

私自身のことから申しますと、

一元的思考へのシフトを追究されていくのであれば、

ケネス・ワプニック博士の解説でコースを学ぶのが一番手っ取り早いと思います。


かつて、この私もその他のコース関連の情報で学んだりしておりましたが、

実際には、まったくもってコースを理解していなかったといえますし、

なによりも、理解していないのですからコースを実践できるわけがなかったと気づくからです。


むしろ、それまではコースの真意とはちがった実践をしていたと今ではわかります。


それは、ケネス・ワプニック博士の解説でコースを学ぶようになって、

だからこそ言えることです。


コースの真意を理解せずして、コースの実践などあり得ず、

もっと言えば、赦しの実践などあり得ないと私は思います。


コースの形而上学をしっかり理解したいと思う方には、

JACIMサイトのものが一番おススメだとお伝えしたいわけです。


どうか、あなたがコースを学ぶ上で、本筋から外れていくことがありませんように。


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2019/02/28

これは結果についてのコースではない

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「奇跡」と言った場合、
それは、あくまでも心のレベルにおいてのものだということを知っておきべきだと思います。

わたしたちは、つい形態レベルのものと履き違えてしまうことがよくあるからです。

まわりが変わったとか、人間関係が良くなったとか、環境が良くなったとか、
もっといえば、以前より怒らなくなったとか、心がより穏やかになったとか、、、

赦しを実践していると、そういうことはたしかにあり得ます。

だとしても、それらはすべて形態レベルに関することであり、
もっといえば、結果のレベルに関することであるといえます。

あくまでも、コース(ACIM/奇跡講座)は、
原因についてのコース(道)であるということを忘れてはなりません。

目的は何なのか?
コースを学んで実践していく上で、そのことに注意深くいることは大事だと感じています。

この世界の夢を見続けるのか?それともこの世界から脱出するか?

それは、自我を教師とするか?聖霊を教師するか?
という決断を今この瞬間もし続けているということです。

そして、無意識的に生きているわたしたちは、
そのほとんどを自我を教師としていると言えます。

ゆえに、わたしたちは、赦しの実践を通して、
聖霊を教師としていく必要があると言うことです。

赦しとは、そのための手段であり、
真のアイデンティティーを思い出していくための手段でもあるといえます。

この赦しの実践なしに、
いくら「この世界は幻影である」と理屈で理解していたとしても、
この世界を超えていくことはあり得ないといえるでしょう。

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2019/02/27

誤った願望

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神の意志とは異なった欲求(誤った願望)を抱いたがゆえに、

わたしたちはこの世界にいるのだと言うことができます。


誤った願望とは、「神からの分離があり得る」と信じた(願望した)ということ。


それはどういうことか?というと、

愛で満たされていたのに、そうではなくなることがあり得ると、

完全であったのに、そうではなくなることがあり得ると、

幸せ、喜び、自由であったのに、そうではなくなることがあり得ると、

あえてそれを願望して信じたということ。

(しかも、自らがそうしたということすらも忘れたのです)


神、真理、愛であったものをすべて否定した、拒否した、のです。


そういうことがあり得ることを自らがあえて信じた(願望した)のだということです。


そして、さらにそれにちなんだ信じ込み(信念)も同時に自ら信じたのです。


自らの内側を深く掘り下げていくならば、

自分は誤った願望や信念を抱いていることが、心の深いレベルでわかります。


そして、その自覚(気づき)こそが、癒し、赦しをもたらすことになります。


自らの心の無意識に入っていくことを、

コース(ACIM/奇跡講座)では、「心に戻る」という言い方をします。


それは、「赦しの3つのステップ」の第2ステップのことをいいます。


いわゆる、それ(心に戻ること)なしに赦しはない、と言うことが出来ます。 


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