2016/03/18

Give Yourself LOVE

与えよ。

どうぞ、与えてください。

 

だれに?というなら、

もちろん、あなた自身に、です。

他のだれでもなく、あなた自身に、です。

あなた自身を第一優先にして与えてください。

他のだれよりも与えられるべき存在は、あなた自身なのだということを知ってください。

あなたに与えることができるのは、あなた自身でしかありえず、

与えられるべき存在とは、あなた自身なのです。

 

あなたは、いったい、だれに与えるというのでしょう?

あなたは、いったい、だれに与えてもらうというのでしょう?

 

すべて、あなた自身です。

 

あなたは、これまでたくさんの人たちに与えてきたかもしれません。

自分のことはさておいて、

自分の家族やまわりの人たちのために与え続けてきたかもしれません。

自分以外のだれかに与え続けてきたあなたは、ただそれだけに奔走し、

だれも満たすことが出来ず、いつしか疲れ果て、

ついには、もう与えるものすらなくなり枯渇してきました。

そうなのです。

そうやり方では、だれも満たすことは出来ないことを知ってください。

そこには、何の救いも解決もないことを、そして、キリがないことを知ってください。

なぜならば、この世のすべてはあなた自身の姿だからです。

もっと正確に言えば、この世のすべてはあなた自身を投影した世界なのです。

そう、

他のだれよりも、枯渇していたのは、あなた自身なのです。

他のだれよりも、飢えていたのは、あなた自身です。

どうぞ、そのことに気づいてください。

 

もっとも、与えられるべきなのは、あなた自身なのです。

 

あなたが、あなた自身に与えずして、

いったい、あなたは、だれに与えられるというのでしょう?

 

どうぞ、これからは、あなた自身を一番に与えてください。

そして、愛してください。

どうぞ、これからは、あなた自身が一番に与えられてください。

そして、愛されてください。

あなたが、そうやって自らに与えていくとき、あなたは満たされることを知るでしょう。

さらにいうならば、決して尽きることのない溢れんばかりの湧き出る愛が、

自らの内にあることを知るでしょう。

そして、あなたは無限に与えることができるとわかるでしょう。

もう、あなたが枯渇することはなくなるでしょう。

もう、あなたが飢えることはなくなるでしょう。

 

そう、だれもが、自らで自分自身を満たして生きるとき、この世界は変わります。

 

この世から、飢えがなくなるでしょう。

それどころか、だれもが豊かに弥栄(いやさか)の世となっていくことでしょう。

この世から、奪い合いがなくなるでしょう。

それどころか、だれもが分け与える弥栄の世となっていくことでしょう。

この世から、争い、戦いがなくなるでしょう。

それどころか、平安と調和に満ちた弥栄の世となっていくことでしょう。

 

与えてください。

自分自身に与えてください。

あなたが与えるべき相手は、だれでもなく、あなた自身なのだということを知ってください。

そして、他のだれよりも、大事に、優先的に、一番に、自分自身に与えることをしてください。

あなたは、自分自身によって与えられ、満たされるのだということを知ってください。

あなたは、すべてを与えることができます。

あなたは、無尽蔵に与えることができます。

 

Give Yourself LOVE.

 

その愛をあなた自身に与えてください。

 

あなたがすべきことはそれだということ。

あなたはそれをするだけでいいのです。

 

それによって、この世界は、あなたが本当に望んだ世界に変わるのです。


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2016/03/16

「食べる」ことに目覚めて

不食生活を止めて、2週間が経ちました。

不食によって、「食べる」ことに目覚めたというのも滑稽なものです。
いやいや、「食べる」という行為を侮ってはいけません。
その奥深さには、神の道へ通じるものがあります。

この物質次元で生きるとはどういうことなのか?
この肉体で生きるとはどういうことなのか?

私は、「食べる」ということを通して、「生きる」ことのその本質を垣間見たのです。
わかってきた、、、みえてきた、、、
私は、こんな世界を今まで知らなかった。
それと同時に、こんな世界を垣間見ることが出来たことに本当に嬉しいとすら感じています。
こんな世界を知らずして、そのまま不食者になっていたならば、なんて、もったいない!と。
「食べること」は、生きることと直結しています。
「食べる」とは、神聖な行為です。
「食べる」とは、この世のあらゆる生命との交流(まぐわい/交わり)です。
そこには、歓びがあります。
この世のあらゆる生命と交わる、、、食べるということは、そういうことなんだと。

「食べる」という世界は、まだまだ奥が深いです。
まだまだ、いろんなことがそこに隠されている気がしています、
私は、それをこれから追究しようと思っています。
そこには、歓びがあります。
そこには、神への道が開かれています。
私には、それがわかります。

そうなのです。
この肉体(物質)次元と、「食べる」という行為との間には、大いなる秘密が隠されている、、、
味覚を超えた歓び、それは生命の交流の歓びであり、この世の純粋なる歓喜がそこに存在している、、、
私は、それを知りました。
そして、もっともっと知りたいと思っています。

そんなわけで「食べること」、「食」に目覚めてしまった私です。
食べることを楽しんでいる私がいます。
食べることは、嬉しい、楽しい、至福、感謝、、、それらの気持ちを同時に味わうことができます。
そのおかげで、私の体重も、体重計で測ったわけではありませんが、元の体重に戻ったような気がしています。
いや、むしろ、元の体重を超えているかもしれません。
とはいいましても、もともとが痩せていた私ですから、これからまだまだ太るつもりでいます。
丁度いい加減にまで太ろうと思っています。
なにせ、こういう太っていく自分を経験するのは、私の人生の中でも珍しい体験です。
20代の頃に、一度だけ「太る」という経験をしたことはあるのですが、それでも、今想えば、普通の体格になったという具合で、太ったとはいえません。そのときは、あまりにも身体の重さを不自由に感じたので、「痩せよう」と思ったら、なんの努力もなしに、すぐにもとの痩せ型の体型に戻ったといういきさつがあります。
その後、何度かもう少し太りたいと思って試みたことがあるのですが、なかなか体重が増えなかったというのが事実です。
むしろ、年を取るにつれて、食が細くなっていったせいもあって、なかば太らない体質なのだとあきらめていたのでした。

なので、不食を試みて、まさかこんな展開になろうとは意外でした。
不食は、痩せている者にとっては、ある意味、真逆の方に向かっていくのですから、それは覚悟が要りました。
すると、どうでしょう。
なにせ、骨と皮だけに痩せ細って筋肉も落ちた後というのもあって、体質がまったく変わってしまった気がしています。
と申しましょうか、身体に付いていく肉がこれまでのものとはまるでちがいます。
筋肉ではなく、主に皮下脂肪が身体を纏っていく、そんな感じで、その様は、ふくよかな身体になっているようです。
まるで肉体改造が起きたような感覚すら覚えます。

体重が増していくのを感じながら、お腹から下半身にかけてどっしりとした安定感を感じ始めているのも興味深いです。
いわゆるグラウンディングということなのでしょう。地球にしっかり足がついている、腹が据わっている、そんな感じでしょうか。
もちろん、体重の重さ、身体の重さも感じ始めていますが、それよりも、地球の重力を楽しんでいるそんな感覚すらあります。

もう、私は、別人になっていっているのでしょう。
あきらかに、これまでの私とはちがいます。
鏡に映る自分の顔を見ても、私自身もそう感じます。
力強さ、パワー、ある意味、子供から成人(大人)になったような、そんな感覚を覚えます。
それは、もちろん私自身の内面の変容が、フィジカル(肉体)面に投影されているのだと。
そして、それは、現実面にもこれから投影されていくのだと予感しています。
豊かさ、ふくよかさ、裕福さ、、、それらは、すでに私の内面では満たされています。
それがどのようにこれから現実面において顕現してくるのか、この私自身も、じつに、楽しみです。


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2016/03/11

身体のトランスフォームが起きています

約40日間にわたるプチ断食の生活によって、すっかり身体の肉(筋肉までも)が落ちてしまって、一旦はまるで骨と皮だけの身体になってしまったわけですが、また少しづつ肉が身体に付きはじめているのがわかります。
しかも、その肉の付き方は、これまでとはまるでちがう付き方をしていっています。
柔らかい女性的な肉の付き方と申しましょうか。
これまでの私と言えば痩せてはいましたが、どちらかといえば筋肉体質だったのですが、脂肪で太り始めている感じです。
それを一言で表現するなら、「ふくよかさ」が増してきている、と言った具合でしょうか。
それは、私にとっては初体験なことで、新鮮さを感じています。
なにせ、今までの自分とはまるでちがう身体になっていっているのですから。
私自身が、別人になっていっている、、、
それは、もっともっと顕著になっていくことでしょう。
私は、私でありながら、もう、以前の私ではなくなっていっているのも自分でわかっているのです。
それにともない、自らの身体の古い細胞と新たな細胞とが入れ替わっているのもわかります。
私の身体は、そのようにして別人の身体になっていっている、、、私は、それを楽しんでいます。
もう、以前の私ではありません。
自分を鏡で覗いても、自分でありながら、自分でない、、、そんな感覚すら覚えます。

この人は、一体だれなんだろう?
この人は、一体何者なんだろう?

そして、私は、どんな私になっていくのでしょう?

そう想うだけで、楽しくもあり、なんだか笑えてきて、ワクワクしてきます。


2016/03/08

食べても食べなくても

3月3日に不食生活を休止して、この4、5日間は食べまくって、自分自身に与えることをしています。

そして、今日3月8日からは、あずき(小豆)を食べる生活をはじめます。
一日一食の食事を基本に、お腹が空いたら、我慢せずにあずきやあんこ(パンで)を食べていこうという生活です。
「あずき断食」ではなく、「あずき食」のはじまりです。
あるひょんなことから、食事にあずき(小豆)を取り入れていこう、ということになったわけですが、ここでそのいきさつを書くのはやめときます。またいずれ、機会があったら打ち明けます。
とにかく、それは、自然なかたちでそのような生活をしてみようということになったのでした。

さて、この4、5日間、食べまくって、食べまくって、とことん自分自身に与えまくるという食事をしてきたわけですが、気づいたことがありました。
それは、わたしたちは、『この世界は有限である』と無意識的にそう信じ込んでいるということです。
すべては有限であって、それらはいつかなくなってしまう、と思い込んでいるということに気づくのです。
それは、お金でも、エネルギーでも、有限だと。
モノというモノは使うと必ず減っていっていつかは無くなってしまうものだと思っているということです。
でも、本当はそうじゃないんだと思います。
すべては無限にあるのだと。
無限に供給されることは、可能だ、ということです。
というよりも、そっちが本来の宇宙の姿だということです。
本来、わたしたちは、無限に与えられ続けているのだと思うのです。
そこに限りはないのです。
そう、限りなんて、本当は、この世にはないのです。
でも、これまでのわたしたち人間は、「いつかなくなってしまう、終わってしまう」というふうに、この世を限りある世界だと勘違いしたのです。
そう、内なる直感は知っています。
すべては無限であるということを、です。

この気づきは、私にとっては、大きいです。

有限から無限へ。

有限の足りない世界から、無限に満ち足りた世界への移行(シフト)でもあります。
それは、奪い合う世界から、分かち合う世界への移行でもあります。
奪い合う世界の終焉です。
争いの終焉です。
競争の終焉です。
戦いの終焉です。

与え続けよ。そして、栄えよ。

今のこの私にとっては、与えることとは食べることです。
限りなく与え続けていくこと。
そして、私は、与え続けていくことができるのです。
それは、歓びでもあります。
与えて歓び。
与えられて歓び。
そして、感謝。
それこそが、弥栄の道だといえましょう。

本来は、この世界は、無限供給の世界なのだと。

私は、それを知っています。
私は、これから、それを顕現していくことを知っています。
私は、これから、それを体現していくことになっています。

無限供給、、、なんて、心地良い響きでしょう!

無限供給。
それは、宇宙の本来の姿であり、わたしたちに本来与えられた特権であり、自然なかたちであり、整った姿であり、正しい流れなのだということです。
そして、それこそが、「フリーエネルギー」と関連するものだということです。
もう、その時代は、近いです。
「フリーエネルギー」が、この世に顕現していくことになるでしょう。

そして、わたしたちの身体もそうなっていくことでしょう。
フリーエネルギーのような身体へと変容していくことでしょう。
そのキーワードが、「不食」です。
それは、けっして、食べることを否定するものではありません。
不食は、食べないということではありません。

「食べても食べなくてもどちらでもいい」

という、その食べることへの「自由さ」こそが、「不食」なのだと私は思います。
味覚は、歓びです。
「食べなくとも生きていける」その自由さを手に入れていくそのプロセスを楽しみたいと思っています。

今までの私の観念の制限がどんどんはずれていくのがわかります。
私自身が、まるで別人になっていく、そんな感覚すら覚えます。

有限から無限へ。

そして、私は、

蛹から蝶へ、

今がその真っ最中、、、そんな気がしています。


2016/03/07

無限供給

昨年の12月半ばからはじめた一日一食の不食生活に一旦区切りをつけて、

現在は、元の食生活に戻っております。

というよりも、むしろ食べまくっています。笑

制限なく、食べ続けております。

私にはもう制限など要らない、制限などない、と思って食べまくっています。

プチ断食の反動もあるかと思うのです。

身体が欲しているのがわかるのです。

意図的に食べている、という部分もあります。

しばらくは、遠慮なく、身体の欲するままに食べようと思っています。


なにせ、不食生活をしたせいで、私の身体は見るからにほとんどほとんど肉が付いておらず、

まるで骨と皮だけの痩せ細ってしまった状態です。

ここ数日、お腹が満たされるまで食べまくっているせいか、

ようやく身体にふくよかさが戻ってきているようには感じるのですが、

まだまだ見るからに痩せています。

なので、もともと痩せてはいたのですが、とりあえず見た目にも、

できれば元の体重までくらいには戻そうと思っています。


不食を試みようと思い立って、約3か月前に一日一食の生活をはじめたわけですが、

その恩恵たるものは言葉では言い表せないギフトがもたらされたとだけ伝えておきましょう。

なにせ、予想だにしなかった。

こんなふうな展開になるとは想いもよらなかった。

想いもよらぬ人生の扉が、現実の扉が、次元の扉が開かれた、と言えましょう。

あらゆるものが、反転した。

あらゆるものが、グレンとひっくり返った。

逆回転しはじめた、、、いや、逆回転していたもエネルギーが正回転に転じた、、、

と言った方が正しいかもしれません。

なにせ、自分たちは、これまでなにを本末転倒なことをしていたのだろう!

なんて、あべこべにみていたのだろう!

今では、すべてにそんな感覚すら覚えます。

まるで、世界がちがいます。

まるで、現実がちがいます。

まるで、別世界です。

これまでとは、まるで世界がちがいます。

これまで生きていた世界とは、まるで視野がちがいます。

似たような現実にいながら、以前と同じ現実ではありません。

もう別の現実にいる感じです。

かつて生活していた別のパラレルワールドに自分が移行したような感覚を覚えるほど、

世界が似て異なります。

それは、この私自身が変わったのでしょう。

現実のシフト、現実の次元シフトとは、まさに、このことをいうのでしょう。

それは、自分の感覚で、自分の身体で、自分の現実で体験していくものですので、

コレというふうにことばで表現することが出来ません。

いや、表現するのが、とても億劫です。

面倒くさいです。

どうしても知りたいのなら、自分が自らで体験すればいいだけのことです。

今現在の私が感じていることは、たくさんあって文章にすることすらまとまりがつきません。


不食をきっかけに、自分の現実にこんな世界が開くとは思いもよりませんでした。

不食への道だったはずなのに、今現在の私は食べまくっています。笑

食べないことで、食べることの深い意味を知りました。

食べないことで、食べることの歓びを知りました。

食べないことで、歓びを知りました。

食べることは、生きることだと悟りました。

食べるとは、与えることだと悟りました。

食べるとは、自分で自分自身に与えることをしているのです。

食べるとは、受け取ること。

そして、それ以前に、自分が受け取れるようになるために、自分に与えることが必要なのです。


私は、与えます。

私は、無限に与えます。

私は、無限に与えることができます。

私は、無限に供給できます。

私は、無限供給、そのものです。

ゆえに、私は、無限供給で生き続けていくことになのるのです。


二千六百年前のお釈迦さまは、悟りを開かれる以前に、

スジャータに施された乳粥を食べ、断食、苦行の修行を放棄されました。

そして、その後、菩提樹の下でエンライトメント(悟り、解脱)されたのです。

お釈迦さまの生誕日は4月8日で、まだ一カ月ほど早いですが、

今日、私は、仏陀ゴータマシッダルター(お釈迦さま)に愛と感謝を捧げたいと思います。

ありがとうございます。