2018/09/22

行く当てのない旅

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自分の心をみていると、
しなきゃいけないことがなにもなくても、
ホントは何も考える必要はないとしても、
それでも、いろいろ考えようとしている自分を自覚したりします。

この自分はよほど平安の中にくつろぐことを拒否してるんだなって気づくのです。

この自分は、自らあえて平安を拒否しているということ。

平安の中に居てもいいのに、それでも平安じゃないどこかに向かおうとしている、、、

これこそが自我の精神力動なんだと気づきます。

まったく自我はどこにゆこうとしているのでしょう!?笑

自分は、そうやって終わりのない時間の中で行く当てのない旅を続けているんだろうと思う。

2018/06/02

辻褄が合わない

コース(ACIM/奇跡講座)を学んでいくと、
その他のスピリチュアリティには興味がなくなっていくのがわかります。

なぜなら、コース以外のスピリチュアリティには妥協があるのがわかるからです。
妥協、とは、例外があるということ。

コースの道だけが唯一優れているとはけっして言いませんが、
コースは、例外を作りませんので、妥協がありません。

そういう意味で、コースのスピリチュアリティからみるとき、
二元性のスピリチュアリズムも、ノンデュアリティのスピリチュアリズムにすらも、
まるで辻褄が合っていないのがみえます。

それは、妥協しているからこそ、辻褄が合っていないのがわかるということです。

興味が向かなくなっていくのも、そういう理由からかもしれません。

辻褄が合わないスピリチュアリティに何の価値があるというのでしょう。

そんなことを想う今日この頃です。

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2018/01/11

なにも無い。


自分が考えているこの想いも「無」であるゆえ、

この言葉も「無」である。


なにが正しいとがなにが正しくないとか、

なにがいいとかなにがよくないとか、

ジャッジする必要もなければ、

すべては自分が作り出した夢であり、

すべては自分が見ている夢である。


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2017/05/30

特別性というものについて

特別性とか、個性とか、そういったものはホントは無意味なんだなって気づきます。


この世ではあらゆるすべてに序列があるようにみえますが、

それらすべてがどれもこれも幻想という意味では同じなのですから。


それは、この世界の考え方とはまるで真逆だと。


まさに、「特別性、個性」は、「全一性」とはまったく相反するものです。


むしろ、この世界では「特別性、個性」は大事なものとされています。


そう考えると、

どれほどわたしたちは、全一性とはまるで真反対のものを追い求めているかがわかります。


それは、神から離れていたい、というその象徴だと言うことができます。


特別性とは、そういうものだといえます。


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福岡県うきは市にて


2017/03/14

時間を超えたところからみれば

時間を超えたところからみれば、

この人生で起きていることもすでに起こったことを再生しているにすぎないのだといいます。


今ここに生きている自分は、これから何が起きていくのかを知りません。


でも、すべてはもうすでに起こったことなのだ。

終わったことなのだ。


それでも、すでに試合結果を知っているスポーツの試合を観ていても、

ついハラハラドキドキしている自分がいたりすることに気づきます。


今この人生で体験していることも、きっとそういうことなのだと思います。


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