2018/09/25

無意味

何の意味もない。

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すべては無意味だと気づきます。

それは、虚無とか絶望とかというものとはまったくちがいます。

それは、真実(実在)を選べるようになってきたということ。

それは、真理を思い出しはじめたということ。

さらに言うとするならば、
そんなことをことばにすることすら無意味だということ。

2018/09/24

懐かしい匂いがした

ほんの一瞬、
懐かしい匂いがした。

それは、五官で感じる匂いというよりも、ずっと忘れていた記憶のようなもの。

そうそうこれこれ。

この感覚。

もともとそうだった、という記憶。

神の子(キリスト)を自覚した瞬間。

いまこの瞬間の中に、ほんの一瞬、わが家を思い出した瞬間。

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2018/09/22

いまここから離れていたい

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自分のことで言えば、
目の前になにか問題があるわけでもなく、
なにかしなきゃいけないことがあるわけでもなく、
今日も一日ただすることをしていくだけのことで、
ホントは何も考える必要はないんだなぁって気づきます。

それでも、なにかしようと考えている自分に気づくたびに、
この自分はよほど平安の中にくつろぐことを拒否してるんだなって気づきます。

幸せは、いまここ、いまこの瞬間にあるのに、、、
幸せは、いまこの瞬間にしかないのに、、、
それでもどこかに向かおうとしている、、、

それが自我の罠なんだと気づきます。

まったく自我はどこにゆこうとしているのでしょう!?って想います。笑

2018/06/02

辻褄が合わない

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学んでいくと、
もうその他のスピリチュアリズムにはまったく興味がなくなっていくのがわかります。

なぜなら、コース以外のスピリチュアリティには妥協があるのがわかるからです。
妥協、とは、例外があるということ。

コースの道だけが唯一優れているとはけっして言いませんが、
純粋非二元のスピリチュアリティには妥協がありません。
例外がありません。

二元性のスピリチュアリズムにも、ノンデュアリティのスピリチュアリズムにも、
まるで辻褄が合っていないのがみえます。
妥協しているからこそ、辻褄が合っていないのです。
興味が向かないのも、そういう理由からかもしれません。

辻褄が合わないスピリチュアリティに何の価値があるというのでしょう。

そんなことを想う今日この頃です。

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2018/01/11

なにも無い。


自分が考えているこの想いも「無」であるゆえ、

言葉も「無」である。


なにが正しいとがなにが正しくないとか、

なにがいいとかなにがよくないとか、

ジャッジする必要もなければ、

すべては自分が作り出した夢であり、

すべては自分が見ている夢である。


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