2017/05/26

わずかな意欲

この道を歩んでいくにはそのわずかな意欲だけでよくて、

自分でわが家に帰ろうとする必要はないし、

そもそもが自分でわが家に帰り着くことは出来ません。


なぜなら、わが家への帰り道をこの自分が知っているわけではないからです。


神への帰り道を知っているのは、

内なるホーリースピリット(聖霊)であり、

内なるイエス・キリストであり、

内なる神です。


ホーリースピリット(聖霊)と共に、

イエス・キリストと共に、

そして、神と共に、

その手に引かれて、導かれてゆくだけです。


その安らぎと歓びはこの世の何ものにも代えることができません。


彼らと共に歩むこの道こそ、私がずっと探していた道だと気づくのです。


そして、彼らと共に在るこの自分は、

もう二度と、この世界の虚しく孤独な道を歩くことはないと気づくのです。


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<大分県日田市大山にて>


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2017/05/24

かたちのレベルの向こうにあるもの

この世界をかたち(肉眼)のレベルでみると、

人生がうまくいっているひととか、楽しそうに幸せそうに生きているひとたちが、

ときに、羨ましく、この自分もそんなふうになりたいと、

心が無意識にそういうものに憧れてしまう自分がいることに気づきます。


でも、赦しの実践をしていると、

そういう想いこそが幻想だと気づきます。


自分は、そういうもので幸せになれる、、、幸せがこの世界にはある、、、

と想っているということです。

そして、その想いは、自分の思い込み、信念であると気づきます。


この肉眼で見る世界のすべては、自分が見たいように見ているだけです。

もっと言えば、この世界は自分が見ている夢です。

自我はその夢の世界に居続けたいとのだと気づくのです。


自分のもっと奥深いところでは、

自分はそういうものでは本当の幸せにはなれない、と気づいている自分がいます。


ちなみに、

それは、この世界で幸せを求めようとするひとたちを否定するものではありません。


ただ、自分が真に求めている幸せは、この世界を超えたものであり、

かたちのレベルを超えたその向こうにあるものだとわかっているということです。


ゆえに、もう今さらながらこの世界に光(幸せ)を見出すことはできません。


そのことをわかっている以上、本当の幸せを求めずにはいられないということです。


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2017/03/15

聖霊を選択する

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聖霊か?自我か?というときに、

その選択の際に「これが聖霊だ」というものがあり、

それを選択することだと思っているが、そういうことではない。


「聖霊を選択する」とは、自分は空っぽであるということを認めること。


「聖霊とはこれだ」というものがあるのではなく、

聖霊とは、この自分がどいたところにそこに在るもの、それなんだといえる。


自分を放棄すること。

それが「聖霊を選択する」とういうことである。



2017/03/14

時間を超えたところからみれば

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時間を超えたところからみれば、

この人生で起きていることもすでに起こったことを再生しているにすぎないのだという。


今ここに生きている自分は、これから何が起きていくのかを知らない。

でも、すべてはもうすでに起こったことなのだ。

終わったことなのだ。


そういえば、すでに試合結果を知っているWBC野球のゲームを観ていても、

ついハラハラドキドキしている自分がいたりすることに気づく。


今ここで起きていることとは、そういうことと同じなのだろうと思う。


2017/03/13

わが家に帰ろう

もう後には戻れない。

だからといって、戻る気もない。


後戻りしたとしても、

いつかまたここに来ることがわかっているから。

それはただの時間の先延ばしにしかすぎないこともわかっているから。


そしてもう、そうする情熱もないこともわかっているから。


もう戻れない。

もう戻らない。

だからこのまま先に行こう。


わが家に帰ろう。

家路へと導いてくれている父のその手をとって、わが家に帰ろう。


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