2017/03/15

聖霊を選択する

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聖霊か?自我か?というときに、

その選択の際に「これが聖霊だ」というものがあり、

それを選択することだと思っているが、そういうことではない。


「聖霊を選択する」とは、自分は空っぽであるということを認めること。


「聖霊とはこれだ」というものがあるのではなく、

聖霊とは、この自分がどいたところにそこに在るもの、それなんだといえる。


自分を放棄すること。

それが「聖霊を選択する」とういうことである。



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2017/03/14

時間を超えたところからみれば

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時間を超えたところからみれば、

この人生で起きていることもすでに起こったことを再生しているにすぎないのだという。


今ここに生きている自分は、これから何が起きていくのかを知らない。

でも、すべてはもうすでに起こったことなのだ。

終わったことなのだ。


そういえば、すでに試合結果を知っているWBC野球のゲームを観ていても、

ついハラハラドキドキしている自分がいたりすることに気づく。


今ここで起きていることとは、そういうことと同じなのだろうと思う。


2017/03/13

わが家に帰ろう

もう後には戻れない。

だからといって、戻る気もない。


後戻りしたとしても、

いつかまたここに来ることがわかっているから。

それはただの時間の先延ばしにしかすぎないこともわかっているから。


そしてもう、そうする情熱もないこともわかっているから。


もう戻れない。

もう戻らない。

だからこのまま先に行こう。


わが家に帰ろう。

家路へと導いてくれている父のその手をとって、わが家に帰ろう。


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2017/03/12

スピリチュアルというものへの情熱

スピリチュアルに興味がなくなってしまったわけではない。

スピリチュアルというものが自分の中で相対化されたのだと思う。

それは、もはや特別なものではなくなったということ。

今それは生活と共にあり、人生と共にある。

それは生きることそのものとなっている。


でも、それとは裏腹に、

たしかにスピリチュアルというものへの情熱が失せてしまったことは事実である。


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2017/03/08

ジャッジ

人の人生も、自分の人生も、

そして、世の中で起きていることも、

みんな同じパターンのことが起きているのだなと思える。

それは、ただ形態がちがうだけでどれも同じに見えてくる。

きっと、輪廻転生と呼ばれているものは、そういう仕組みなのだと思う。

でも真実は、ただ互いに投影し合っているだけのことである。

その誰を見ても自分なのだということがわかる。

みんながこの自分となんらちがわないと気づくとき、

そんな人たちをいちいちジャッジする必要もないし、

この自分もどんな生き方だっていいじゃないかとそう思うのである。


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