2017/05/14

神の安らぎの中で

5月の風が心地よい季節となりました。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?


心穏やかな日々を送っております。

以前と比べたらずいぶんと自分自身が穏やかでいることに気づきます。

内なる神(聖霊)と共にいる時間が増えていることにも気づきます。


私は、20代の頃からずっと真理の探求を続けてきたわけですが、

私が求めていたものとはこの平安だったのかもしれないと気づくのです。


人はだれしもそうですが、かつての私も、

この世のもので、この平安を得ようとしていたのだとわかります。

「この世のもの」とは、たとえば、お金、仕事、人間関係といったものです。

でも、この平安は、この世のなにものですらももたらすことのできないものだとわかります。

人生が、物事が、仕事がうまくいってj充実していた頃もありましたが、

そんな状態のときですらも、思えば、けっして心が安らぐことはありませんでした。

いつも心の隙間には、ふと不安や心配が心をよぎっていたことは否めません。


この世のものや出来事や人間関係といったもので心の平安を求めていた頃と比べると、

いまここにある平安は、まるで比べようがありません。

比にならいほどの確かさと穏やかさだということがわかります。


この世のものを追い求めれば求めるほど、不安は尽きることがなく、

この世のものを手放せば手放すほど、平安がもたらされるとは、

なんとも皮肉なものです。


この世界とはそういう世界だと悟っていくことが、

この世界から目覚めていくということなのだと思います。


そして、それは神の安らぎのなかでこそ成し得られるものだと実感する今日この頃です。


IMG_2295.jpg


スポンサーサイト
2017/05/01

ノンデュアリティ

スピリチュアルに興味がなくなったと云っている私でありますが、

スピリチュアルから無縁になったわけではありません。

日々をスピリチュアルに生きていることには変わりはないのです。


先日、たまたまノンデュアリティの方のYouTubeをふと目にしたのがきっかけで、

ちょっと思うところがあって、私は久しぶりにじっくりと観てみることにしたのでした。


ノンデュアリティのスピリチュアリティと、

コース(奇跡講座/奇跡のコース)のスピリチュアリティと、

どこがちがうのだろう?なにがちがうのだろう?

っていう想いがあったのです。


で、観てみて想ったのは、双方はやっぱり別ものだと思いました。


そのちがいをシンプルに云うならば、

夢の中で目醒める(Awake in the Dream)というものと、

夢から目醒める(Awake from the Dream)というもののちがいであると。


20代の頃から原始仏教やチベット仏教、そしてYOGAに触れてきた私にとって、

どちらも非二元のスピリチュアリティでありながら、

以前は、そのちがいがわからなかった。

むしろ、混同していたところがあった。


双方は似て非なるものだと。


今ではそのちがいがわかるからこそ、

コース以外のスピリチュアルに興味がなくなったともいえます。


IMG_2292.jpg


2017/02/25

悟りについて語る

悟りについて、それをことばにするなんてやっぱり無理である。


ことばにしている時点で、もう、すでに自分を欺いている。

さらには、そのことばに騙されて満足するような者たちをも欺いている。

ここに、二重の欺瞞がある。


自らの内に注意を払って本当に見ようとする者であるならば、

それはエゴの見え透いた欺瞞であると誰にとってもわかるもの。


そう、私が悟りについて語るときは、それはエゴのことばのなにものでもない。


IMG_2055.jpg


2017/02/21

五十歩百歩

実相世界からみるかぎり、

この世界に生きているわたしたち全員が囚われ人である。


この世界に心が動かされているかぎり、

無明(無智)から完全に解放されいるわけではない。


この世界を現実だと思い込んでいるかぎり、

物理的に肉体としてこの世界にいるかぎり、

この分離の世界を知覚しているかぎり、

二元性のこの世界に囚われ続けているということ。


そこにはだれが悟っているとか、だれが霊的に進歩しているとか、

そんなことは五十歩百歩で、そのだれもにさほどちがいなんてない。


IMG_1935.jpg

ハワイ島マウナケア山頂(標高4205m)から見たマウイ島ハレアカラ山頂(標高3055m)


2017/02/11

生き死に

人の生き死に、というものは、

なんともろくはかないものであろう。


いうなれば、

人はこの世に生まれたときから、死に向かって生きているようなものである。

人は、その時間を人生と呼ぶ。

その人生も、死を前にするならば、そのすべては過ぎ去った儚き夢である。


はたして、あなたはそんなことのためにこの世界に生まれてきたのだろうか?


あなたはそんなことのためにここに生きているのだろうか?


人生とは、あなたにとって本当にそういうものものなのだろうか?


IMG_2138.jpg