2017/02/11

生き死に

人の生き死に、というものは、

なんともろくはかないものであろう。


いうなれば、

人はこの世に生まれたときから、死に向かって生きているようなものである。

人は、その時間を人生と呼ぶ。

その人生も、死を前にするならば、そのすべては過ぎ去った儚き夢である。


はたして、あなたはそんなことのためにこの世界に生まれてきたのだろうか?


あなたはそんなことのためにここに生きているのだろうか?


人生とは、あなたにとって本当にそういうものものなのだろうか?


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2017/01/28

諸行無常

諸行無常。


この世界をよくよく見るならば、

永遠なるものは何一つないことは明らかである。

すべては移ろい変化していくものである。

この世界はそういうものである。

この身体もそういうものである。

ましてや、この自分と思っているそれですらもそうである。


それらに信頼を置いても、

いずれにせよ喪失して、裏切られ、失望させられるのがオチであるにもかかわらず、

それでも、人はそれらを信仰している。


この世界のものを信仰しながら、歓び、平安を得るのは、不可能なことである。

一時的にそれらを得たと思えても、それはまやかしにしかすぎない。

なぜなら、たんに本当に怖れているものを一時的に遠ざけているだけであり、

いつか向き合うべきその時を先延ばしにしているだけであることを、

人は、心の深いところでじつは知っているからだ。


その狂気の沙汰に気づく者は、

そんなこの世界に見切りをつけ、この世界から自由になる道を求めはじめるだろう。

そして、それこそが自分がこの世に生まれてきた目的であることを思い出すだろう。


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2017/01/20

正気の沙汰ではない

死というものについて、

真理からみるならば、

自らの命を絶つという行為も、病気によって死ぬのも、老いによって死ぬのも、

自分自身を死に至らしめるということにおいては、どれも同じである。


この世界においては、だれもが自分で自分の命を攻撃している。

だれもが自分と戦っている。

その心によってこの世界に投影されたものが、病気であり、老いであり、死である。

戦う相手などいないのに、この世界を放棄することが出来ないのだ。

神の愛に抱かれて、すべてを手放して、ゆだねて、

ただ在るものとして存在することが出来ないのだ。


正気の沙汰ではない。

そのことに気づいて、狂気の沙汰の世界から脱しようとする者は少ない。

スピリチュアルな探求をしてきた者ですら、

「本当の命は永遠であり、死なない、死はない」ということを知っておきながら、

輪廻という幻想を終わらせようとする者は、ごく僅かである。


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2017/01/16

死と共に生きる

この人生は、結局のところ、死へと向かって生きているようなものである。

この時間の世界の中においては、

この世に生きているだれもがいつのときか死を迎えるのであり、

いつかはこの世を去っていくのである。


でも、言い換えるなら、

その時が自分にいつ来るのか?わからないがゆえ、

だからこそ、わたしたちは生きていられるのかもしれません。


死とは、この世を去るということ。

自分の見ているこの世界を後にして離れるのだということ。

それは、どういうことなのか?

そして、それは、いつか、ではなく、今、なのだと、

そもそも時間というものは、今、というこの瞬間しかないのだということを知るならば、

もはや、生きる、ということがまったくちがうものになるであろう。


死と向き合う、さらには、死と共に生きる、とは、そういうことなのだと思う。


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2016/12/01

ドラマの消滅

ドラマや映画には、必ずエンディングがあるように、

自分が見ているこのドラマもエンディングを迎えるときが必ず来ます。


完全にドラマが終わるとき、

ドラマをみている自分もいなくなります。

もう、ドラマをみることにも、ドラマに参加することにも意味がなくなり、

この世界は消滅します。


ドラマのエンディングからするならば、それはすでに決まっていること。

ただ、われわれはすでに書かれたそのシナリオを一つ一つたどっているにすぎません。


とはいえ、そのことに無自覚なわれわれは、

その無智さ(エゴ)によって、シナリオをたどりながらも、

そのシナリオを完了していっているどころか、

さらなるシナリオを作り出すということを同時にしているといえます。

ゆえに、ドラマそのものを終わることが出来ないです。

むしろ、ドラマのエンディングを先延ばしにしようとするのがエゴです。

エゴは、このドラマを終わらせたくはないのです。

なぜなら、それはエゴの消滅でもあるからです。

カルマを解放しながら、じつは、さらなるカルマを積んでいるのが人生だといえます。

そうやって、永遠にわれわれは終わりのないドラマを見続けることになっているのです。


でも、

そのシナリオを消去していくことで、ドラマを早く終わらせることが出来ます。


そのシナリオの消去方法とは、ドラマをドラマだと見切っていくこと。

そのためにも自覚的に気づいている必要があります。

ようするに、カルマを作り出さないこと。

われわれは、この世界をリアル(現実)にすることで、

心(マインド)が働くことで、カルマを作り出しているのです。

そのことに自覚的にならないかぎり、無智なるがゆえの輪廻を繰り返すことになるのです。


われわれが現実だと思っているこの世界は、

自分が見たいように見ているだけのドラマです。

ドラマをドラマだと見切って、そこに登場する人物、出来事、状況、、、

それらすべてをゆるして(手放して)いくということです。

それによって、ドラマに動揺させられることもなくなるし、

ドラマのエンディングを迎えるまでの時間が短縮されるということ。


ドラマのエンディングを迎えたいか?それともこのままドラマを続けたいか?

それは、その人の自由意思にまかせられています。


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