2017/06/22

目覚めた時には

今日は、コース(ACIM/奇跡講座)を学んでいらっしゃるRさんからのメールを

ご本人のご了承のもとにシェアさせていただこうと思います。


赦しとは、幻想を非実在として認めることを言います。


わたしたちは、日常の中で身の回りに起きる出来事に深刻になったりもしますが、

赦しだけが真の救い(救済)なのだとあらためて気づかされる次第です。


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<RさんのACIM実践体験記>


もりG 様


近況報告をさせていただいてもいいでしょうか。


今朝起きる直前まで夢を見ていました。

ヨーカ堂で買物をしています。レジの人が動作が遅くてイジワルでなかなか前に進みません。

ようやくわたしの番になります。

わたしはパジャマを3枚買いました。レジが遅かったことに文句も言いました。

なのにパジャマが不要だとわかり、返品を要求します。

文句を言ったばかりの相手に、今度はひたすら謝ります。

夢の中で返金の計算をするのですが、これがまたとても大変なのです。

レジの後ろもつかえています。どうしようと思っていたところで

ゆっくり目が覚めるのです。

ぜんぶ夢だったんだ。ということは、お金の計算もしなくていいし

その為にレジの後ろの人たちを待たせる必要もないし、そもそもパジャマなんて

いらなかったんだ、あのイジワルな人とも関わらなくてよかったんじゃないか…

と夢の中のできごとがさかのぼる形でひとつひとつ消されていきました。

なーんだ、なにも起こってなかった。よかった。


ああ、そうか。きっと天国からみたらこの世界はそーゆう世界なんだろうなと

夢うつつで思いました。目覚めた時にはこのような心境になるのかな、と。

だとしたら今日の何倍も何百倍もの安堵感なんだろうな、と思いました。


という報告です(笑)


ーRさんからのメールよりー


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2017/06/14

「赦し」というレッスンについて

自分の人生に起きている出来事をだれかのせい、何かのせいにしているのは、

自分を欺くことに都合よくうまくそれらを利用しているにしかすぎません。

すべては自分(自我)がそう仕組んでいるに他なりません。

それを「投影」と云います。

自分の外側に投影することによって、

自分の内側に意識を向けさせないようにするのが自我の目的です。


それが自我の巧妙な手口です。

わたしたちは、まずそのことを形而上学的に知っておく必要があります。

すべてが自作自演の体験にしかすぎず、

そのすべてが自分がみている夢であるということを自覚するということです。

それが、非二元の生き方であり、この二元性世界を超越していくはじまりです。


自分の身の周りに起きていることすべては、

自分の心の投影であり、自分が真の赦しを実践していくためのアイテムでしかありません。

この世界は、そのための<教室>です。

ゆえに、もう、だれのせいにすることもできません。

もう、自分を欺き続けることはできません。


人生に振り回されているふり、混乱しているふり、苦しんでいるふり、、、

そういったゲームをしている自分にほどほどうんざりしているのなら、なおさらです。


「あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。」

 -『奇跡講座』テキスト16章よりー


そのためには、自分の内側の無意識に取り組んでいく作業(ワーク)が必要です。

それが、「赦し」というものです。

あなたの意識が向かう方向は、目に見えている外の世界ではなく、

自分の内側(原因レベルである心)だということです。


それは、自我を取り消し、幻想を終わらせていく道のはじまりです。


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2017/06/13

アウェイクニング

「アウェイクニング(目覚め)」ということばについて、

いろんなスピリチュアリズムによってその言葉の定義がちがいます。

なので、その目的を混同しがちです。


以前の私がそうでした。

アウェイクニング(目覚め)、覚醒、悟りなどといった言葉を

それぞれのスピリチュアリズムによってその言葉の定義が異なることも分からないまま

混同して捉えていたことは否定できません。


とくに、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぶ場合には、

その教えの思考体系が難解であるがゆえ、

「アウェイクニング(目覚め)」というとき、

その解釈を自分の都合のいいように曲解して学習されていることがあります。


じつのところ、正直に申しますと、かつての私がそうでした。


とはいえ、この私も、そのときそのときで必要なプロセスをたどって来たのだと、

自分自身のことを振り返ってそう想います。


そんな私が今になって想うのは、

巷には、いろいろなスピリチュアルの探究における「目覚め」がありますが、

それはそれでいいのだと思います。

あるいは、たとえコースですらその教えを曲解して学んでいようとも、

それがその人にとってのそのときの学びであり、それもそれでいいのだと思うのです。


そう、今の私からみるならば、

この世界には、いろいろな「アウェイクニング(目覚め)」があってもいいし、

むしろ、そういう判断(ジャッジ)はいらないのだ、という想いです。


かつては、それらを否定したくなる気持ちもありましたが、

つまるところ、そんなことはどうだっていいことなんだと思います。

私の中には、「自分が正しくて、彼らは間違っている」と裁いていたい自分もいました。

でも、その視点こそ、まさに投影であり、エゴの視点以外のなにものでもありません。


すべては自分が見ている夢です。

そして、否定したくなる彼らのその姿は、まさに過去の私の姿でもあるといえます。


そう、そんな彼らを赦していくことで自分自身が赦されるのであり、

その赦しを実践していくことこそがこの道なのだとあらためて気づくのです。


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2017/06/11

赦しが完了するそのときまで

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)と出会って8年になります。


実際のところを申しますと、

そのなかの4年間はコースの学びから遠ざかっていた時期もありました。


そんな私ですが、

ようやくコースでいうところの赦しの実践が定着してきたように感じています。


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そして、あらためてコースのこの言葉の意味を理解するのです。


実在するものは脅かされない。

実在しないものは存在しない。

ここに神の平安がある。

ー『奇跡講座』テキスト序章よりー


なるほど、その通り!と心からそう思います。

ほんとうにただそうなんだなって。

とはいえ、そのことをすっかり忘れてしまう自分もまだいるのはたしかです。


それを完璧なものにしていくのがこの道であり、そのための「赦しの実践」なのだといえます。


そうなんです。

自分がこの世界にいるかぎり、自分がこの世界を知覚しているかぎり、

赦しが完了するそのときまで、自分がすべきことはただそれだけなのだと強くそう想うのです。


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2017/05/27

真の救いを我にそしてあなたに

私は、自分がこの世界を放棄する道を選択したからといって、

あなたにもこの道を勧めようとしていたと気づきます。


あなたにもこの世界を放棄するよう求めていたと気づくのです。


たしかに、あなたは、私に救いを求めていました。


ただ、私は、あなたに真の救いを差し伸べたかったのです。


この世界を放棄することは、決して、諦めや犠牲といったものではなく、

それこそが真の救いであると知ってほしかったのです。


神を選択するということは、

この世界を放棄するということであり、


また、


この世界を放棄するということは、

神を選択するということにほかなりません。


でも、あなたにもそれを求める必要はなかったと今気づきます。

この世界を放棄することをあなたに強要しようとしていたかもしれないと気づくのです。


そして、今はよくわかります。

この世界の真の救いはこの私自身にあるのですから、

この世界を放棄することを選択するのはこの私一人で十分だと。


あなたにもそれを求めようとしたことをこの今を以ってお詫びします。


そして、もし、あなたがいつのときか、

「この世界の幻想を手放し、この夢から目覚めたい」と神への道を歩きたくなったらば、

どうぞそのときはあなたの意志でこの道を選択してください。


ありがとうございます。


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