2017/07/24

癒しの旅 ~最後の旅路

自分自身には、癒されていない部分がまだまだたくさんあると感じています。

それこそ、この宇宙に散りばめられた星の数ほどの「癒し」が必要だと感じています。


この世界に投影をし続けるかぎり、

自分は、その投影した自分を癒し、赦し続けていく必要があるのだということです。

そしてその旅は、むしろ、これからがその本格的なはじまりなのだと思ったりします。


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わたしたちは、「癒しの必要性」に対して思っている以上に無自覚だといえます。

そう、わたしたちは、「この自分がいかに満たされていないか、幸せでないか」

ということにあまりにも無自覚だということです


たしかに、わたしたちは、無意識的なところではそのことを常に感じているわけです。

それゆえに、この世界にそれを埋めるものがあると信じて求めて生きているといえます。

ただ、わたしたちは、この世的な程良い幸せで自分自身を欺いていることに気づいていません。


「自分は満たされてはいない、自分は幸せでない、自分は不幸である」


実相からするならば、「Joy & Happiness」が然るべきわたしたちの状態なのです。

それこそが、神の子の特権なのです。

そのことをはっきりと認識して、

神の子としての本来の特権を取り戻したいという「意欲」を持つことは、

神のもとへ帰るにはとても大事なことであるのは明らかです。


自分はまだ真に満たされてはいない、自分はまだ真に幸せではない、、、

だからこそ、自分はもっともっと癒しを受け入れて行く必要性があると気づくのです。

愛と歓びと至福の中で完全に満たされるまで、

自分は無罪であり、無辜であり、完全に安全なんだと、

そして、もう神の愛以外は何も要らない、となるそのときまで、

自分は、癒し(=赦し)続ける必要があるのだと自覚する次第なのです。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の中のジーザスはこう言います。

その癒しの旅は、時間の中の旅における最後の旅路になると。


でも、この旅は、けっして一人で歩むというものではありません。

道を示してくれるジーザス(イエス)がいます。

共に歩んでくれる聖霊がいます。


また、この旅は、けっして一人で成し遂げられるものでもありません。

私には兄弟が必要です。

癒しには兄弟であるあなたが必要です。


癒し(=赦し)は、兄弟と共に、兄弟によってもたらされるものだからです。

兄弟とは、神の子キリストであり、この自分でもあります。


兄弟であるあなたの中にキリストを私はみたいのです。


父よ、私はあなたの子である兄弟の中にキリストをみていきます。


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2017/06/14

「赦し」というレッスンについて

自分の人生に起きている出来事をだれかのせい、何かのせいにしているのは、

自分を欺くことに都合よくうまくそれらを利用しているにしかすぎません。

すべては自分(自我)がそう仕組んでいるに他なりません。

それを「投影」と云います。

自分の外側に投影することによって、

自分の内側に意識を向けさせないようにするのが自我の目的です。


それが自我の巧妙な手口です。

わたしたちは、まずそのことを形而上学的に知っておく必要があります。

すべてが自作自演の体験にしかすぎず、

そのすべてが自分がみている夢であるということを自覚するということです。

それが、非二元の生き方であり、この二元性世界を超越していくはじまりです。


自分の身の周りに起きていることすべては、

自分の心の投影であり、自分が真の赦しを実践していくためのアイテムでしかありません。

この世界は、そのための<教室>です。

ゆえに、もう、だれのせいにすることもできません。

もう、自分を欺き続けることはできません。


人生に振り回されているふり、混乱しているふり、苦しんでいるふり、、、

そういったゲームをしている自分にほどほどうんざりしているのなら、なおさらです。


「あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。」

 -『奇跡講座』テキスト16章よりー


そのためには、自分の内側の無意識に取り組んでいく作業(ワーク)が必要です。

それが、「赦し」というものです。

あなたの意識が向かう方向は、目に見えている外の世界ではなく、

自分の内側(原因レベルである心)だということです。


それは、自我を取り消し、幻想を終わらせていく道のはじまりです。


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2017/06/13

アウェイクニング

「アウェイクニング(目覚め)」ということばについて、

いろんなスピリチュアリズムによってその言葉の定義がちがいます。

なので、その目的を混同しがちです。


以前の私がそうでした。

アウェイクニング(目覚め)、覚醒、悟りなどといった言葉を

それぞれのスピリチュアリズムによってその言葉の定義が異なることも分からないまま

混同して捉えていたことは否定できません。


とくに、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぶ場合には、

その教えの思考体系が難解であるがゆえ、

「アウェイクニング(目覚め)」というとき、

その解釈を自分の都合のいいように曲解して学習されていることがあります。


じつのところ、正直に申しますと、かつての私がそうでした。


とはいえ、この私も、そのときそのときで必要なプロセスをたどって来たのだと、

自分自身のことを振り返ってそう想います。


そんな私が今になって想うのは、

巷には、いろいろなスピリチュアルの探究における「目覚め」がありますが、

それはそれでいいのだと思います。

あるいは、たとえコースですらその教えを曲解して学んでいようとも、

それがその人にとってのそのときの学びであり、それもそれでいいのだと思うのです。


そう、今の私からみるならば、

この世界には、いろいろな「アウェイクニング(目覚め)」があってもいいし、

むしろ、そういう判断(ジャッジ)はいらないのだ、という想いです。


かつては、それらを否定したくなる気持ちもありましたが、

つまるところ、そんなことはどうだっていいことなんだと思います。

私の中には、「自分が正しくて、彼らは間違っている」と裁いていたい自分もいました。

でも、その視点こそ、まさに投影であり、エゴの視点以外のなにものでもありません。


すべては自分が見ている夢です。

そして、否定したくなる彼らのその姿は、まさに過去の私の姿でもあるといえます。


そう、そんな彼らを赦していくことで自分自身が赦されるのであり、

その赦しを実践していくことこそがこの道なのだとあらためて気づくのです。


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2017/06/11

赦しが完了するそのときまで

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)と出会って8年になります。


実際のところを申しますと、

そのなかの4年間はコースの学びから遠ざかっていた時期もありました。


そんな私ですが、

ようやくコースでいうところの赦しの実践が定着してきたように感じています。


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そして、あらためてコースのこの言葉の意味を理解するのです。


実在するものは脅かされない。

実在しないものは存在しない。

ここに神の平安がある。

ー『奇跡講座』テキスト序章よりー


なるほど、その通り!と心からそう思います。

ほんとうにただそうなんだなって。

とはいえ、そのことをすっかり忘れてしまう自分もまだいるのはたしかです。


それを完璧なものにしていくのがこの道であり、そのための「赦しの実践」なのだといえます。


そうなんです。

自分がこの世界にいるかぎり、自分がこの世界を知覚しているかぎり、

赦しが完了するそのときまで、自分がすべきことはただそれだけなのだと強くそう想うのです。


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2017/05/27

真の救いを我にそしてあなたに

私は、自分がこの世界を放棄する道を選択したからといって、

あなたにもこの道を勧めようとしていたと気づきます。


あなたにもこの世界を放棄するよう求めていたと気づくのです。


たしかに、あなたは、私に救いを求めていました。


ただ、私は、あなたに真の救いを差し伸べたかったのです。


この世界を放棄することは、決して、諦めや犠牲といったものではなく、

それこそが真の救いであると知ってほしかったのです。


神を選択するということは、

この世界を放棄するということであり、


また、


この世界を放棄するということは、

神を選択するということにほかなりません。


でも、あなたにもそれを求める必要はなかったと今気づきます。

この世界を放棄することをあなたに強要しようとしていたかもしれないと気づくのです。


そして、今はよくわかります。

この世界の真の救いはこの私自身にあるのですから、

この世界を放棄することを選択するのはこの私一人で十分だと。


あなたにもそれを求めようとしたことをこの今を以ってお詫びします。


そして、もし、あなたがいつのときか、

「この世界の幻想を手放し、この夢から目覚めたい」と神への道を歩きたくなったらば、

どうぞそのときはあなたの意志でこの道を選択してください。


ありがとうございます。


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