2017/07/20

幸せな夢にシフトする

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コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、

夢であるこの世界から目覚めて神のみもとに帰ることを目的としていますが、

コースを学んでいくにつれて、そのプロセスにおいて、

自分の見ている夢(世界)がどんどん幸せなものにシフトしていくことにもなります。


そのことにちなんで自分自身について顧みたとき、

たしかに私の夢は、より幸せな夢へとたどっていることに気づかされます。


ただ、それは形態(かたち)のレベルで言っているのではないということです。


そう、私の心は、平安の中により長く留まるようになっていっています。

心が惑わされ動揺することもほとんど無くなってきています。

さらにいえば、真理(神)を求める気持ちはより強くなっていっていくばかりです。

そして、その道を実践していくための環境が完璧なまでに整えられていることにも、

あらためて気づかされます。

そう、それは私が心の奥で一番に望んでいることだったということを自覚するのです。


一般的に「幸せなもの(夢)にシフトする」という場合、

ついこの世的な成功とか、経済的な裕福とか、あっちこっち好きなところに行けるようになる、

といったようなことをイメージしがちなものです。


でも、そうではありません。

それは、形態(かたち)ではないということです。

もちろん、そういうこともあるかもしれませんが、

幸せというものを見た目の形態にこだわっているならば、

「今すでにすべてを与えられている」ということを知覚することが出来ません。


この今も、わたしたちはすでに与えられています。神の恩恵を受け取っています。


そこには、感謝があります。

どんな状況であろうとも、そのことを受け入れていくことが、

奇跡のはじまりであり、幸せな夢にシフトしていく秘訣だと言えると思います。


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2017/06/05

聖霊に心を開く

私は、わからない。

私は、なにも分かっちゃいない。


ほんとうはそうなんだと気づきます。


そのことを素直になって受け入れるとき、

自分は無垢になったように感じることが出来ます。


聖霊に教えてください、導いてください、

と、ただ純粋に聖霊に心を開いていくことができるようになります。


自分は一歩退いて聖霊に耳を傾ける気持ちになります。

そして、そこには平和があります。


聖霊と共にみる、精霊と共に在る、とは、そういうことなのだと思います。


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2017/05/29

答えはシンプル

答えは、とてもシンプルです。


それが神の意志であれば、そうなるし、

それが神の意志でなければ、そうはならないだけのこと。


それでも、

神は、私の救済を、そして私の永遠の幸せを望んでおられます。

それが、神の意志だからです。


つまりは、それが神の意志だからこそ、それは確実に成し遂げられるということです。


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2017/05/26

わずかな意欲

この道を歩んでいくにはそのわずかな意欲だけでよくて、

自分でわが家に帰ろうとする必要はないし、

そもそもが自分でわが家に帰り着くことは出来ません。


なぜなら、わが家への帰り道をこの自分が知っているわけではないからです。


神への帰り道を知っているのは、

内なるホーリースピリット(聖霊)であり、

内なるイエス・キリストであり、

内なる神です。


ホーリースピリット(聖霊)と共に、

イエス・キリストと共に、

そして、神と共に、

その手に引かれて、導かれてゆくだけです。


その安らぎと歓びはこの世の何ものにも代えることができません。


彼らと共に歩むこの道こそ、私がずっと探していた道だと気づくのです。


そして、彼らと共に在るこの自分は、

もう二度と、この世界の虚しく孤独な道を歩くことはないと気づくのです。


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<大分県日田市大山にて>


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■イベント情報■
金沢(石川県)にて下記のイベントをいたします。募集を終了しました.

もりG 個人セッション@金沢  2017年6月23日~25日 

もりG お話会@金沢  2017年6月24日(土)13:00~16:00 


2017/05/14

神の安らぎの中で

心穏やかな日々を送っております。

以前と比べたらずいぶんと自分自身が穏やかでいることに気づきます。

内なる神(聖霊)と共にいる時間が増えていることにも気づきます。


私は、20代の頃からずっと真理の探求を続けてきたわけですが、

私が求めていたものとはこの平安だったのかもしれないと気づくのです。


人はだれしもそうですが、かつての私も、

この世のもので、この平安を得ようとしていたのだとわかります。

「この世のもの」とは、たとえば、お金、仕事、人間関係といったものです。

でも、この平安は、この世のなにものですらももたらすことのできないものだとわかります。

人生が、物事が、仕事がうまくいってj充実していた頃もありましたが、

そんな状態のときですらも、思えば、けっして心が安らぐことはありませんでした。

いつも心の隙間には、ふと不安や心配が心をよぎっていたことは否めません。


この世のものや出来事や人間関係といったもので心の平安を求めていた頃と比べると、

いまここにある平安は、まるで比べようがありません。

比にならいほどの確かさと穏やかさだということがわかります。


この世のものを追い求めれば求めるほど、不安は尽きることがなく、

この世のものを手放せば手放すほど、平安がもたらされるとは、

なんとも皮肉なものです。


この世界とはそういう世界だと悟っていくことが、

この世界から目覚めていくということなのだと思います。


そして、それは神の安らぎのなかでこそ成し得られるものだと実感する今日この頃です。


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