2018/06/09

いま知覚しているところから

ノンデュアリティだの、真理だの、いくらわかったつもりでいても、
それがわたしたちの目的とするところではありません。

わたしたちがしていくことは、
真理を邪魔しているものを正視(直視)して、そして「赦し」をしていくだけです。

自分は、まだ分離した意識でこの世界を知覚しています。

自分は、まだこの世界をリアルに捉えています。

自分は、この身体がリアルに自分だと思っています。

自分は、この身体が重要だと思っています。

自分は、まだ他者がいるというふうに知覚しています。

自分は、この自分が生ていると思っています。

自分は、自分で決断できると思っています。

自分でどうにかできる、自分でどうにかしなきゃと思っています。

自分は、まだこの時間と空間の世界の中にいると思っています。


本当はどこへも向かっていないし、時間も空間も幻想でしかないとはいえ、
時間と空間のこの世界を知覚している限り、
やっぱりわたしたちはこの道を前へ歩んでいく必要があります。

その歩みは、いま知覚しているところから、そこからしかはじまりません。
自分の知覚しているものに正直になっていくこと。
赦しの実践は、そこからはじめる必要があるということです。

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2018/05/25

これは奇跡の道なのだ

これは奇跡の道なのだとあらためて気づきます。

それは、奇跡を体験していくための道であるということです。
そして、体験していくことでそれは確信となっていくのでしょう。

自分は、その道に踏み込んだのだと気づきます。

奇跡はいまここにあることを当たり前に体験していく、、、そのはじまりを予感します。
それと同時に、自分はこれまでどれだけ奇跡を制限、抑圧していたかにも気づかされます。

奇跡というものは、本当は当たり前のことなのだと思います。

それを制限しているのが不平や不満であり、
その不平や不満の心でもって見ている世界がこの世界だと言えます。
この世界とは、その心のままがただ反映された世界である、というふうにも言い換えられます。
そのことを深く理解するとき、本当にこの世界は無いのだということが腑に落ちてきます。

不平や不満はこの世界にはつきものだということ。
自我とは、この世界とは、そういうものだということ。
そして、そうやってわたしたちはいつも奇跡を制限しているということです。
もっと言えば、そうすることで奇跡を隠すことが出来るのです。

幻想の裏側に真理があるように、
「不平や不満」の裏側に「奇跡」が隠されているということ。

さらにいえば、その幻想(不満)を直視しないかぎり、
真理(奇跡)は隠され続けるのだということです。

ということは、自分の心の不平や不満を明らかにしていくならば、
そこに不平や不満を見つけたならば、
それが奇跡と入れ替わるチャンスだということが出来ます。

この時間と空間の中にいるあいだ、
私は、これから奇跡を体験しながら神のもとに帰っていくのでしょう。

そう、これは奇跡の道なのだと、あらためて自覚するのです。
そして、それはもうはじまっていると気づく今日この頃です。

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2018/04/29

何のための学びか

「スピリチュアルの学び」と「アウェイクニング(目覚め/悟り)」との関係性は、

どのように捉えたらいいのでしょう?


アウェイクニングについて言えば、

わたしたちは、魂を磨いていけば、魂を成長させていけば、

そこへ辿り着けると信じてスピリチュアルな学びをしてきたといえます。

ですが、本当は、いまここにあるのだということです。


魂とは、輪廻転生していると思われている個人的なスピリットのことですが、

それこそ、魂とは、時間の中を旅する分離意識ゆえの幻想でしかないと言うことが出来ます。


わたしたちの本質は一つです。

スピリットは一つです。

本当は、個別の「魂」というものがあり得るわけがないのです。


ゆえに、魂をいくら磨いていったところで、魂をいくら成長させていったところで、

いくら洗練していったところで、分離が終わるわけでもなく、学びが終わるでもなく、

ようするに、アウェイクニングとは一切関係がないといえます。


わたしたちはこの幻想の中で、幻想から目覚めようとしているわけで、

ある幻想からまたあるより良い幻想へなっていったとしても、幻想は幻想でしかありません。

幻想を実在しないものと見切って幻想から離れていくことでしか、

幻想からの目覚めはないということです。


アウェイクニングは、幻想とは一切関係がないということ。


スピリチュアルの学びというものについていえば、

学ぶということを終わっていくことがわたしたちの目的であることを忘れてはいけません。


わたしたちが最終的に帰っていくところとは、そういうものだということです。


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2018/04/17

聖なる呼び声

わたしたちは、「この自分がいかに満たされていないか、幸せでないか」

ということにまったくと言っていいほど無自覚だといえます。


 無意識的なところではそのことを常に感じているにも関わらず、

この世のものでそれを埋め合わせることに躍起になって、

そのことが不自然なことだとはだれも疑うことがありません。


本当は「幸せ」ではないのに、自分自身を欺いているということです。

まんざらでもない状態でそれなりに満足しているというか、妥協している

というのがわたしたちのしていることです。

もしくは、その状態にマヒしてしまっているといえます。


そんなわたしたちにとって、

「自分は満たされてはいない、自分は幸せでない、自分は不幸である」

と自覚することは真の幸せを求めるためにとても重要なことだといえます。


そして、もしあなたがそう感じているのなら、

ある意味でとてもラッキーだと捉えていいと思います。

なぜなら、その自覚によって真の幸せを求めるきっかけになり得るからです。


自分はまだ真に満たされてはいない、自分はまだ真に幸せではない、と、

わたしたちはもっともっと自覚的になる必要があるといえましょう。


その自覚こそが、真の幸福へと、神のもとへと帰るべく、

あなたをその旅へと誘うことになるでしょう。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の中のジーザスはこう言います。

その旅は、時間の中の旅における最後の旅路になると。

でも、この旅は、けっして一人で歩むというものではありません。

道を示してくれるジーザス(イエス)がいます。

共に歩んでくれる聖霊がいます。


自分は幸せでない、満たされてない、と感じる時、

それは、イエスからの、聖霊からの、聖なる呼び声だと理解していいでしょう。


どうぞ、静かになって、

ハートからの聖なるコーリング(calling/呼び声)にもっと耳を傾けてみてください。

それを試みるとき、あなたはきっとその声を受け取ることでしょう。


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2018/03/20

戻りの旅路

私にとって、このスピリチュアル・ジャーニーもずいぶんと遠くまで来たなと感じています。

その旅も今や戻りの旅路をたどっており、その旅路の終わりの段階に向かっていると感じます。
この道の歩みを通して私が感じているこの安心感と信頼感がそのことを教えてくれています。
その安心感と信頼感はまだ完全なものではありませんが、
それでもこのスピリチュアル・ジャーニーにおいて、この道でいいのだ、という感覚は、
ますます確信へとなっていっているのを実感しています。

そもそものこの旅のはじまりは、私が20代前半だった頃に遡ります。
真理、悟り、覚醒(目覚め)といったものを求めて、
このスピリチュアルな探究の旅は始まりました。
この旅がはじまったきっかけや理由についてはいかようにも述べることはできますが、
そのどれもが二次的なものにしかすぎず、ただそうなることになっていたのだと思います。
衝動にかられるままに、促されるままに、流されるままに、
ただその流れに従っただけ、あるいは、従わされただけということです。

今から振り返って想えば、
真実を求めたいという衝動といいましょうか、その促しは必然だったのだと思えるのです。

そして、そんな今想うのは、
私が求めていたのは、真理や悟りや目覚めといったものではなく、
この安心感と信頼感だったのだと気づくのです。
その安心感と信頼感を「幸せ」という言葉で言い換えてもいいです。

そう、私は、幸せでありたかったのだと気づくのです。

それは、この世を超えたものからもたらされるものです。
それは、決してこの世のものでもたらされることはなく、
この世のものと引き換えになど、決してすべきではないものです。
でも、わたしたちは、この世のものと引き換えにしてしまったのです。
ゆえに、わたしたちは、この安心感と信頼感を見失ってしまったのです。

この安心感と信頼感と共に佇んでいる時、
時間というものがだんだんとどうでもよくなっていくのがわかります。
幸せであるならば、もう、それでいいのです。

このいま、幸せであること。
この今を、幸せで在ること。
私が、今も歩んで向かっている場所とは、幸せで在る、というそれなんだと気づきます。
神のもとに帰るとは、そういうことなのだと。

この私もまだこのスピリチュアル・ジャーニーを完了したわけではありません。

このスピリチュアル・ジャーニーが終わる時とは、
私にとって時間というものが必要なくなる時なのだといえます。
それは、いまこの瞬間へと帰っていくだけのことなのだと気づきます。

戻りの旅路をたどっているのを直感的に感じる今、
私にとってのゴールは、もはや真理や悟りや目覚めというものではなくなってきています。

それは、もっとシンプルなものだと気づきます。

そう、それは、

いま幸せであること、
いま幸せでいること、

ただそれだけなのだと想う今日この頃です。

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