2018/08/29

カースティンそしてデイヴィッドたちについて

カースティンさんが10月に来日して、イベントもあるらしいです。

一年前、いや半年前だったなら、私はぜひ会いたいと思ったはずですが、
今となっては興味がないといいますかそんな気にならない自分に気づきます。

以前はあんなにデイヴィッドやカースティンに傾倒していたにも関わらず、
今やほとんど興味がなくなってしまったというのが正直なところです。
それは、けっしてデイヴィッドやカースティンを否定するものではなく、
ただたんに私の感じ方が変わったのだといえます。

コースの学びを進んでいく上において、「踏み台」みたいなものがあるように思います。
そう、わたしたちはそれぞれのプロセスをたどって、それぞれの踏み台をたどりながら、
最終的には内なる教師(聖霊)だけを自らの教師とするところへと向かっていくのでしょう。

彼らにはこれまで、私自身のコースの学びをとても進めてくれたと感じています。
そのことは事実で、今もとても感謝しています。

ただもう今となっては彼らを必要としなくなったと感じているということです。

タイミングのいたずらと言ったらいいのでしょうか、
不思議なものです。
ご縁があるとかないとかでいうならば、すべて決まっているのだと思います。

カースティンさんのこんどの来日についてそんなことを感じている今日この頃です。

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2017/12/14

まず、天の王国を求めよ!

カースティンさんのトーク音声の翻訳です。


この翻訳記事は、2017年8月1日にアップしたものです。

ですが、何度も繰り返し読み直しても、そこには気づきがあります。

そして、さらなる深い理解があります。


ここでは、「神にゆだねる、聖霊にゆだねる」ということについて述べられています。


「自分のやり方では、完全な歓びや普遍なる平安がもたらされることはない、という地点に、いつか必ず行き当たることになる」


そこに行き当たったとき、「聖霊に明け渡していく」その実践は本当の意味ではじまると言えるかもしれません。


聖霊。

それだけが本当の「救い」であり、それしかないと、最近、私もつくづくそう実感しています。

この世の何よりもまず神の国を第一に求めれるようになりますように。

そういう想いも込めて、再度、この翻訳記事をシェアさせていただきます。


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Seek Ye First Love!


「まず、天の王国を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう。」

これは、聖書の中の私の好きな言葉です。

そしてまたこれは、これまで私が体験してきたことでもあります。

「まず、天の王国を求めよ」

「まず、実在の平安を求めよ」

「まず、愛を求めよ」

この愛は、欠乏を満たすための小さき愛のことではなく、もっと偉大なる愛、実在のことです。

「そうすれば、すべて添えて与えられるであろう」

なぜこの言葉が真実であるかというと、あなたのための神の計画を受け入れることをあなたが求めているとき、神の恩寵である宇宙の意志と心を一致させることになるからです。


想像してみてください。

「私には、あなたのための計画がありますが、あなたにはこれが遂行できないかもしれません」

「私の計画を達成させるために必要なものを、あなたは手に入れることができないかもしれません」

こんなことを神が云うと思いますか?

それより、「何を置いてもどうか私にみせてください、どうか私を導いてください」と毎瞬毎瞬あなたが言葉にするならば、神の計画を達成するための手段が、常に表れてくることになります。

これが、これまで私が経験してきたことです。


この世界の考え方とは真逆のものです。

この世界では、まず自分に必要なものを受け取ったならば、その証拠をもとに信用する、そして一歩踏み出す、と考えます。

でも、もし必要なものが与えられるまで長い長い時間がかかってしまったら、そのうちにあなたは興味を失って、一歩も踏み出すことをしない、という結末になりますよね。

これは、常にこの世界で起きていることです。

結局は、つまらない人生を送り、妥協し、「人生なんてこんなもんだ」などということになります。


ここから方向転換をして、信頼を深め、信を深め、深く導きに従うことを大切にする方へと向かうのです。

そして、自分のやり方を主張する代わりに、子供のように喜びを持って「私は、私自身をあなたの手にゆだねます」と言うのです。

なぜなら、自分のやり方では、完全な歓びや普遍なる平安がもたらされることはない、という地点に、いつか必ず行き当たることになるからです。



『Seek Ye First Love!-Holland Clips3- 26 Apr.2017』より

https://www.spreaker.com/user/sonshine/seek-ye-first-love-zoek-eerst-liefde-hol


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2017/09/22

Mystic by nature 3/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート3(最終回)です。


カースティンさんの「神を第一にしていくならば、神はすべてのことを面倒見てくれます。」という言葉はとてもシンプルではありますが、やっぱり、それだけなんだなってあらためて気づかせてくれます。
本当にそれだけでいいんだな、って。
そう想うだけで、、、ただそのことを受け入れるだけで、心に平安と至福感が湧いてきます。

どうぞ、そのカースティンさんから放たれる言葉を超えたプレゼンス(存在そのもの)を感じてみてください。



パート1:Mystic by nature 1/3

パート2:Mystic by nature 2/3


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インタビュアー:
コースを学んでいる人たちに学びを進めていく上でもっとも重要なことや、決断する上でもっとも重要なことや、理解する上でもっとも重要なことなど、有益なヒントがあれば教えてください。

カースティン:
神はあなたを愛している、ということを知っていてください。
それだけです。

神の意志はわたしたちが幸せであること、と知ることです。
そして、自我の犠牲の信念は心から癒されていきます。
神に「yes」と言って従っていくこの旅は、犠牲の信念を想起させますが、この旅そのものは受け取ることであり、たくさんのものを神から受け取るようになります。
わたしたちの想像を超えた、より多くの平安、より多くの愛への気づき、より多くのサポートを受け取ります。
神は、わたしたちのすべての面倒を見たいのです。
常に、神を第一に、全面的に信頼し、導いてもらいましょう。

手放すというのは、失う感覚とは違います。
それは、明け渡すとか、聖霊に任せるという感覚です。
「これはこの旅においてわたしを助けてくれるものかどうか教えてください」と聖霊に言うのです。
すべてを手放しあきらめないといけない、と考えるよりも、聖霊の目的のために使ってもらう、というように考えるべきです。
よりもっと「わたしはすべてを明け渡します」というふうになるのです。
そう、そこには自分の人生にとって一つの目的があります。
それはすべて目覚めをサポートするためにあるということです。

インタビュアー:
ありがとうございます。では最後の質問です。
もし12歳当時の自分に電話をかける(話しかける)としたら何と言いますか?

カースティン:

~(間)~

It's safe. It's all going to work out just fine.
「安全よ。すべてはうまくいくから。」ですね。(笑)

ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー

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2017/09/21

Mystic by nature 2/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート2です。


パート1:Mystic by nature 1/3


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インタビュアー:

よくスピリチュアルな世界で、病気の人に対して、「そうなったのはあなたのせいですよ。」と言うのを耳にします。それを聞いてわたしの心は痛みます。自我はそうやって他の人を非難します。

例えば、心はとても健康だけれども、肉体だけが病気になることはあるのでしょうか?それは可能なことでしょうか?


カースティン:

わたしが好きな話し(parable:寓話)に、ラマナ・マハリシについてのものがあります。

彼が人生の最後に近づいていたとき、-彼が永遠の存在であることをわたしたちは知っていますが- 彼の肉体が崩壊しはじめ、徐々に衰え、逝去間近のときに、彼は癌だったと言った人がいました。

しかし、彼の目を見てみると、、、彼が癌の肉体と同一化していたかというと、、、そうとは思えません。

すべては、何と同一化しているか、そして何が信じられているか、に関係しています。


非難や咎めについて、あなたはすごく良い指摘をされましたね。

「これはわたしのせいだ」と言うのは、癒しにおいてなんの役にも立ちません。

しかし、癒しにとっての心の方向としては正しいと言えます。

もし、あなたが癌を信じている、または、癌を患っていると信じているならば、そこには赦しを実践する何かがあります。

癌とは何か?

実質的にそれはどういう意味なのか?

インナーインクワイアリー(内観)によって、

誰が癌を信じているのか?

癌を患うためにはどう在る必要があるのか?

と深いところまで(自分の内側を)見ていきます。

そして、何と同一化しているかというところへ行き着いたならば、そこで選択をすることができます。

わたしは誰であるか?

いまこの瞬間、「わたし」と呼んでいるのは誰か?

わたしは肉体?

わたしはスピリット?

現われるどんな症状であっても、それらはただ癒しを求める心の声の反映なので、癒しが続いていくよう求めるのです。

そして、そのように求めることが設定(症状の原因となるもの)を外すことになります。

なぜなら、わたしたちみんな、すでにたくさんの奇跡的な癒しや自然治癒的な癒しについて耳にしてきているのですから。


しかし、もしあなたの心が知覚や信念でがんじがらめになっているならば、それは奇跡を受け入れる姿勢とは言えません。

奇跡を受け入れる姿勢とは、「わたしはどう癒されるのかわかりませんが、完全なるシフトとそれが形となって反映されることに心をオープンにしています」というものです。


パート3につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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2017/09/20

Mystic by nature 1/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の一部を日本語訳してみました。

今回の「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の翻訳は、後半から最後にかけての部分で、病気についての質問とACIM学習者へのヒントを取り上げています。


3回に分けてアップしていきます。今日は、そのパート1です。




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インタビュアー:

あなたは本(カースティンの著書『I Married a Mystic』)の中で、もし心に痛みを信じる想念がなければ、肉体が病気になることはできないと言っていますね。コースでも、肉体が病むのではなく、心のみが病むことができると言っています。

あなたは今現在、肉体的に病気になるとか、痛みが出るとか、インフルエンザに罹るということがありますか?


カースティン:

イエスはコースの中で、病気のことを機能が果たされていない状態と説明しています。

わたしたちの機能とは、赦しであり、幸せであり、一なるものです。

わたしたちが病気になるとき、または病気と同一化しているとき、「わたしたちは分離している」「わたしたちは肉体である」と信じています。なぜなら、(わたしたちの知覚では)肉体だけが病気になるからです。

わたし自身で言えば、病気になったり、痛みの症状が出たり、インフルエンザに罹ったりした場合、一度止まって祈り、じっくり見て、次のように尋ねます。

「わたしは何を避けているのでしょうか?」

「わたしは、自分の機能の何を避けているのでしょうか?」と。


わたしが聖霊と一致していて、癒しやコミュニケーションという目的のためにわたし自身が十分に使われているならば、肉体はその機能を完璧に果たしているので、痛みもなければ、肉体自体を自覚することすらありません。

あなたはただスピリットであり、あなたはコミュニケーションの機能を果たすものであって、思考や赦しにフォーカスしていると、肉体にフォーカスがいきません。

これはちょうど、即座に肉体から思いを引き離すというようなことです。

心の中の自我の部分は、病気や症状が出た場合、即刻肉体を保護しようとします。

出来る限り早く、保護し、癒し、治療法を見つけ、元通りにしたいと思います。

なぜなら、肉体にこそ価値があり、肉体がわたしたちの家だと思っているからです。


これとは逆に、次のように言うのです。

「わたしはどういうわけか、あなた(神)を避けようとしているに違いありません。わたしの心のどこかで真実を怖れているに違いありません。わたしが思い出せるよう助けてください。何を避けているのかわかるよう手伝ってください。わたしはあなたに仕えたいのです。今わたしの心の中ですべてを赦したいのです。」

そして、そこにあるものが何なのか気づくと、驚くほどの奇跡の体験をわたしは幾度もしてきました。

それは、直ちに症状が消えるという体験です。

もしそうでなく少し長びいた場合も、もうわたしのフォーカスはそこにはないので大した問題ではなくなります。

心を復活させて目に輝きが戻るよう肉体が追い付くまで症状はしばらくあるかもしれません。

しかしその時、もう怖れたり心配したり肉体について考えたりしておらず、わたしの注意は聖霊に戻っています。


パート2につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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