2017/09/22

Mystic by nature 3/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート3(最終回)です。


カースティンさんの「神を第一にしていくならば、神はすべてのことを面倒見てくれます。」という言葉はとてもシンプルではありますが、やっぱり、それだけなんだなってあらためて気づかせてくれます。
本当にそれだけでいいんだな、って。
そう想うだけで、、、ただそのことを受け入れるだけで、心に平安と至福感が湧いてきます。

どうぞ、そのカースティンさんから放たれる言葉を超えたプレゼンス(存在そのもの)を感じてみてください。



パート1:Mystic by nature 1/3

パート2:Mystic by nature 2/3


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インタビュアー:
コースを学んでいる人たちに学びを進めていく上でもっとも重要なことや、決断する上でもっとも重要なことや、理解する上でもっとも重要なことなど、有益なヒントがあれば教えてください。

カースティン:
神はあなたを愛している、ということを知っていてください。
それだけです。

神の意志はわたしたちが幸せであること、と知ることです。
そして、自我の犠牲の信念は心から癒されていきます。
神に「yes」と言って従っていくこの旅は、犠牲の信念を想起させますが、この旅そのものは受け取ることであり、たくさんのものを神から受け取るようになります。
わたしたちの想像を超えた、より多くの平安、より多くの愛への気づき、より多くのサポートを受け取ります。
神は、わたしたちのすべての面倒を見たいのです。
常に、神を第一に、全面的に信頼し、導いてもらいましょう。

手放すというのは、失う感覚とは違います。
それは、明け渡すとか、聖霊に任せるという感覚です。
「これはこの旅においてわたしを助けてくれるものかどうか教えてください」と聖霊に言うのです。
すべてを手放しあきらめないといけない、と考えるよりも、聖霊の目的のために使ってもらう、というように考えるべきです。
よりもっと「わたしはすべてを明け渡します」というふうになるのです。
そう、そこには自分の人生にとって一つの目的があります。
それはすべて目覚めをサポートするためにあるということです。

インタビュアー:
ありがとうございます。では最後の質問です。
もし12歳当時の自分に電話をかける(話しかける)としたら何と言いますか?

カースティン:

~(間)~

It's safe. It's all going to work out just fine.
「安全よ。すべてはうまくいくから。」ですね。(笑)

ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー

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2017/09/21

Mystic by nature 2/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート2です。


パート1:Mystic by nature 1/3


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インタビュアー:

よくスピリチュアルな世界で、病気の人に対して、「そうなったのはあなたのせいですよ。」と言うのを耳にします。それを聞いてわたしの心は痛みます。自我はそうやって他の人を非難します。

例えば、心はとても健康だけれども、肉体だけが病気になることはあるのでしょうか?それは可能なことでしょうか?


カースティン:

わたしが好きな話し(parable:寓話)に、ラマナ・マハリシについてのものがあります。

彼が人生の最後に近づいていたとき、-彼が永遠の存在であることをわたしたちは知っていますが- 彼の肉体が崩壊しはじめ、徐々に衰え、逝去間近のときに、彼は癌だったと言った人がいました。

しかし、彼の目を見てみると、、、彼が癌の肉体と同一化していたかというと、、、そうとは思えません。

すべては、何と同一化しているか、そして何が信じられているか、に関係しています。


非難や咎めについて、あなたはすごく良い指摘をされましたね。

「これはわたしのせいだ」と言うのは、癒しにおいてなんの役にも立ちません。

しかし、癒しにとっての心の方向としては正しいと言えます。

もし、あなたが癌を信じている、または、癌を患っていると信じているならば、そこには赦しを実践する何かがあります。

癌とは何か?

実質的にそれはどういう意味なのか?

インナーインクワイアリー(内観)によって、

誰が癌を信じているのか?

癌を患うためにはどう在る必要があるのか?

と深いところまで(自分の内側を)見ていきます。

そして、何と同一化しているかというところへ行き着いたならば、そこで選択をすることができます。

わたしは誰であるか?

いまこの瞬間、「わたし」と呼んでいるのは誰か?

わたしは肉体?

わたしはスピリット?

現われるどんな症状であっても、それらはただ癒しを求める心の声の反映なので、癒しが続いていくよう求めるのです。

そして、そのように求めることが設定(症状の原因となるもの)を外すことになります。

なぜなら、わたしたちみんな、すでにたくさんの奇跡的な癒しや自然治癒的な癒しについて耳にしてきているのですから。


しかし、もしあなたの心が知覚や信念でがんじがらめになっているならば、それは奇跡を受け入れる姿勢とは言えません。

奇跡を受け入れる姿勢とは、「わたしはどう癒されるのかわかりませんが、完全なるシフトとそれが形となって反映されることに心をオープンにしています」というものです。


パート3につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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2017/09/20

Mystic by nature 1/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の一部を日本語訳してみました。

今回の「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の翻訳は、後半から最後にかけての部分で、病気についての質問とACIM学習者へのヒントを取り上げています。


3回に分けてアップしていきます。今日は、そのパート1です。




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インタビュアー:

あなたは本(カースティンの著書『I Married a Mystic』)の中で、もし心に痛みを信じる想念がなければ、肉体が病気になることはできないと言っていますね。コースでも、肉体が病むのではなく、心のみが病むことができると言っています。

あなたは今現在、肉体的に病気になるとか、痛みが出るとか、インフルエンザに罹るということがありますか?


カースティン:

イエスはコースの中で、病気のことを機能が果たされていない状態と説明しています。

わたしたちの機能とは、赦しであり、幸せであり、一なるものです。

わたしたちが病気になるとき、または病気と同一化しているとき、「わたしたちは分離している」「わたしたちは肉体である」と信じています。なぜなら、(わたしたちの知覚では)肉体だけが病気になるからです。

わたし自身で言えば、病気になったり、痛みの症状が出たり、インフルエンザに罹ったりした場合、一度止まって祈り、じっくり見て、次のように尋ねます。

「わたしは何を避けているのでしょうか?」

「わたしは、自分の機能の何を避けているのでしょうか?」と。


わたしが聖霊と一致していて、癒しやコミュニケーションという目的のためにわたし自身が十分に使われているならば、肉体はその機能を完璧に果たしているので、痛みもなければ、肉体自体を自覚することすらありません。

あなたはただスピリットであり、あなたはコミュニケーションの機能を果たすものであって、思考や赦しにフォーカスしていると、肉体にフォーカスがいきません。

これはちょうど、即座に肉体から思いを引き離すというようなことです。

心の中の自我の部分は、病気や症状が出た場合、即刻肉体を保護しようとします。

出来る限り早く、保護し、癒し、治療法を見つけ、元通りにしたいと思います。

なぜなら、肉体にこそ価値があり、肉体がわたしたちの家だと思っているからです。


これとは逆に、次のように言うのです。

「わたしはどういうわけか、あなた(神)を避けようとしているに違いありません。わたしの心のどこかで真実を怖れているに違いありません。わたしが思い出せるよう助けてください。何を避けているのかわかるよう手伝ってください。わたしはあなたに仕えたいのです。今わたしの心の中ですべてを赦したいのです。」

そして、そこにあるものが何なのか気づくと、驚くほどの奇跡の体験をわたしは幾度もしてきました。

それは、直ちに症状が消えるという体験です。

もしそうでなく少し長びいた場合も、もうわたしのフォーカスはそこにはないので大した問題ではなくなります。

心を復活させて目に輝きが戻るよう肉体が追い付くまで症状はしばらくあるかもしれません。

しかしその時、もう怖れたり心配したり肉体について考えたりしておらず、わたしの注意は聖霊に戻っています。


パート2につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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2017/08/17

学習が停滞しているときどうしたらいいの?

カースティンのトーク音声の翻訳です。


コースの学習は、形而上学的な概念を知的に理解することももちろん重要ですが、実際に、実践して経験していくことによってその理解がより深まっていくものだと言うことが出来ます。


カースティンは、コースの形而上学をある程度理解したならば、コースの教えを日々の実践へと応用していくことを薦めています。


いわゆる、実践と経験のプロセスへと移行していく段階があるということです。

それは、ACIM教師としての新たな学びのはじまりだと言うこともできると思います。


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質問者:

コースの学習への意欲がなくなってきました。熱心にやってきましたが、どこにもたどり着かない感じがしていて、このまま続けるのが難しくなってきています。一旦、学習を脇においてリラックスした方がいいように感じています。でもそうすると、また、どっぷりエゴへと戻っていきそうで、それも嫌ですし。どうしたらよいでしょうか?


カースティン:

行動を通して実践できるように、マインドフルネス(今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること:ウキペディアより)が役立つのではないでしょうか?

何かスピリチュアルな本を読むなどの知識的な学びを続けるよりも、明らかに、リラックスする方が良さそうですね。

自然に少しずつ難しくなってきたと感じていらっしゃるようですので、聖霊があなたを通して為すことができるところに統合するときではないでしょうか。


これは、実際に何をするかを聖霊に聞いたり、感じたりするという意味ではありません。

それは、日々の生活の中にもっともっと実践を取り入れるという意味です。

例えば、散歩のとき、自転車にのるとき、車を洗うとき、ご飯を作るとき、等々、何をしていてもいいのですが、、、、

それらをマインドフルネスのために、または、マインドトレーニングのために、あなたを通して聖霊に行ってもらうように実践していくのです。


ただ、doer(何かをしていないと気が済まない自分)がやってきたり、個としての自分がやってきたり、ゴールがあるかのように押し進めたり、始めたときにはなかった時間的なゴールを設定したり、と、そのようなことには十分に気をつけてください。

どこかの時点で、エゴが入り込んで来て、完璧主義や時間の制限が乗っ取ってしまうと、あなたの聖霊への自覚をブロックしはじめます。

祈りと共にポウズ(一旦立ち止まる)して、聖霊と常に繋がるという実践のためにガイドに導かれるままに行動する、ということをやってみてください。


それはちょうど、スピリチュアルコミュニティーでのわたしたちの過ごし方でもあります。

わたしたちは、すべてをこの実践のために使っています。

実際にコミュニティーの生活では、コースの話はほとんどしませんし、本を読むことさえほぼしません。

わたしたちは、すでに形而上学を理解していますから、学習というよりも、コースの教えを日々の実践へと応用しています。

それは、心の中に、喜びをブロックするエゴのパターンが現れるのを注意深く見ながら、どれだけ実践を深めていくか、ということになります。

~中略~

イエスは、コースの中で「今年一年をすべて同じにすることで、これまでとは違った年としなさい。」(テキスト15章Ⅺ.10.11)と言っています。

何をしていようとも一日を通して、あなたの価値ある黄金の経験のために過ごし、一日をすべて同じにすることで、これまでとは違った一日としてください。

一日中祈りとともに過ごしてください。


『Consistent Connection through Purpose 29 Jul.2017』より一部抜粋

https://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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2017/08/13

身体的な老化のプロセスにどう対応するか?

カースティンのトーク音声の翻訳です。


今回は、身体的な老化のプロセスにどう付き合っていくか?という質問に関するカースティンの応えを抜粋してみました。


そして、関連する資料として、どうぞ『奇跡講座 ワークブック』レッスン294をお読みいただくことをお薦めします。


Lesson 294

My body is a wholly neutral thing. 

私の肉体は、完全に中庸(ニュートラル)なものである。

-ACIMワークブックー


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<カースティンのトーク>


コースの中でイエスは、肉体について、「聖霊から離れてしまったという信念、つまり分離の信念を癒す間は、肉体には機能(役割)がある」と述べています。

肉体は、コミュニケーションの道具として、聖霊の目的のために使われます。

その目的とは、心を癒すことですが、肉体を通して話し、ハグし、祈り、癒しのためのコミュニケーションとして使われます。

そして、よりその目的のためだけにわたしたちが肉体を使うならば、他の目的のために肉体を使うことを放棄することになります。

自我は肉体を、プライド・快楽・攻撃のために使うことを目的としています。

わたしたちは、肉体が傷つくまでは、まさか自分がプライド・快楽・攻撃のために肉体を使っているなど、考えも及びません。

もしくは、わたしたちがスピリチュアルの旅を始めて、「こんなふうに、プライド・快楽・攻撃のために肉体を使うのは時間の無駄だ。ずっとそうしてきたけれど、もうこれ以上、そんな目的のために肉体を使いたくない。」と思うまでは、肉体を自我の目的のために使い続けることになります。

これまで自分が、(健康のために)エクササイズをやったり、容姿を良くみせるために多くの時間をかけたりと、プライドのために肉体を使ってきたこと、そして、より良い自己像のために、見た目を良く保つよう頑張ってきたこと、などに気づくときが来ます。

そして、もうそんなことはどうでもいい、前ほど構わなくていい、と思える地点にきたときに、他のあらゆる肉体に関する自我的な目的も剥がれ落ちはじめることになります。

スピリチュアルな目的のコミュニケーションに近づけば近づくほど、肉体に対して、とても優しく穏やかになっていきます。

イエスは、コミュニケーションのためだけに肉体を使うならば、肉体が何かを感じることはできない、と言っています。

本当に、「自分が肉体である」という意識が失せるのです。

そして、完全に聖霊と同一の機能として在るとき、あなたは肉体の痛みを経験することはありません。

コミュニケーションと共に、光があなたを通してやってきます。

そして、もっともっとこのことがフォーカスされるならば、もはや、肉体への裁きや無理強いをこれ以上できなくなるところまで、ますます赦しが起きていきます。

肉体に対して、そんなに重圧をかけなくなっていくのです。


わたし自身、スピリチュアルな旅を始める前は、骨折とまではいかずとも、常に身体に瘤(こぶ)や青アザや切り傷をつくったものです。

よく怪我をしていたのは、無意識に頑張りすぎていたからでした。

しかし、たえず祈り、聞き、聖霊のガイダンスに従っている今、私が注意深く居る限り、聖霊がわたしを何かにぶつけさせたり、切り傷をつくらせたりすることはありません。

肉体は保護されるようになるのです。

~中略~

聖霊は、肉体を保護してくれます。

しかし、個としての自分は、"わたしは何かをする必要がある、しなければいけない、すべきである"と頑張らせるのです。

そんな時、聖霊は、「無理しないで。わたしに耳を傾けてよ。わたしにあなたをガイドさせてよ。」と話しかけています。


老化のプロセスに関してもそうです。

肉体を含めたこの世界のものはすべて、一時的なものです。

すべてのものは、いずれはその生命を完了させるときが来ます。

肉体も例外ではありません。

スピリチュアルなものは永遠ですが、一時的なものは終わりを迎えることになります。

その理解があれば、裁くことや、「わたし」は衰えてきている、「わたし」は老いてきている、「わたし」は状態が悪化してきている、と「わたし」と同一視することが減少するでしょう。


肉体は老化のプロセスをたどっていますが、常に答えとなるのは、「この今、わたしは何をするようになっていますか」ということです。

わたしたちが誰であるかを思い出させてくれる奇跡を呼び込む赦しを実践している間は、その答えは「魔術」と「奇跡」が入り混じったものとなります。

視力が落ちてくればメガネを用意するとか、他の何かのサポートを受けるなどといったガイダンスを受け取ることもあるでしょう。

すべては癒しにまつわることなので、その形(魔術)が何であれ裁きは必要ないということです。


『Consistent Connection through Purpose 29 Jul.2017』より一部抜粋

https://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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自宅のベランダから見た夕方の西の空


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自宅のベランダから見た東の空に浮かぶ満月