2018/09/12

どんな体験をしてもしていくのは赦しだけ

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース/奇跡の道)をよく理解していないうちから、

聖霊を信頼しなさい、とか、神を第一としなさい、とか、神のみを求めなさい、

といったことをいくら教えられても、それはかなり難しいことだと思います。

というよりも、やみくもに信仰しなさい、信頼しなさい、なんて無理なはなしです。

なにせ、コースをまだ理解していないうちは、
ほとんど自我の思考システムでいるわけですから、
自我が聖霊を信頼するわけがないし、むしろ、神から遠ざかろうとするのが自我なのですから。

それよりも、コースの形而上学(理論)をしっかり学んでいくほうが、
「信」というものを培っていくには最短な道だと思います。

なぜ聖霊なのか?
なぜ神を第一とするのか?
その形而上学をしっかり理解していくならば、なぜそうなのかが明白になるからです。

「明白になる」とは、明らかにそれが当然のことだから、というふうになるということです。

言い換えるなら、
コースの内容が理解できてきているなら、
聖霊の思考システムにシフトしていっているというふうに捉えていいと思います。

そのときこそはじめて日常生活の中で実践(応用)できるようになるというものです。

なので、コースの形而上学を学んでいくことは本当に大事だと実感しています。

正直なところ、私は、形而上学の学びをそれほど重要だとは思っていませんでした。
むしろ、概念(理論)よりも実践、体験だと思っていました。

かくいう私もさまざまな覚醒体験や至高体験をしてきたわけですが、
いくらどんな素晴らしい体験をしようとも、
それでもただ赦しをしていくことに変わりはないことに今あらためて気づく次第です。

赦しとは、幻想を直視していくということ。

そして、形而上学の理解がそれを加速してくれていると実感するのです。

そんな私だったからこそなおさら、そう想う今日この頃です。

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2018/08/25

時間の終わる瞬間へ

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース/奇跡の道)の形而上学の理解が深まるにつれて、
自分の内側で湧き起ってくる自我の精神力動(思考メカニズム)が
よく見えるようになってきたのがわかります。

いわゆる、よりたやすく自我のトリックに気づけるようになってきたということです。

それによって、赦しがより頻繁になり妥協がなくなってきたと感じています。

だからといって、いつも心が平安だというわけではなく、
むしろ、より感情が湧き起って来ている感じもありますが、
それに気づいたら、ただひたすら赦しをしていくだけですし、
していくことはただそれだけなのだという気持ちです。

そうやって赦しをしながら自我を直視することをしていくと、
自我はただ時間稼ぎをしたいだけなのだと気づきます。

むしろ、この世界はその目的(時間稼ぎ)のためにあるのだなと。

自我は、真実と向き合うことを先送りにしたいのです。

自我は、時間の中でしか存在できないがゆえに、
いまこの瞬間にいようとすることを、避けているのです。
いまこの瞬間の平安にいようとすることを、避けているのです。
いまこの瞬間へと帰還していくことを、避けているのです。

自我は、目覚めないように時間稼ぎしたいのです。
自我は、少しでも長くこの(時間の)世界にいたい、留まりたいというわけです。

そのように自我を直視するとき、そんな自我が滑稽にさえ思えます。

時間とはそういうふうにして作られているのだなと。
ただ、もう私は、その時間も聖霊に明け渡しつつあります。

コースの中でイエスは、「赦しは時間を短縮する」という言い方をしていますけど、
なんとなくわかる気がします。

わたしたちは、いずれ「いまここ」「いまこの瞬間」へと帰っていくのだということです。

コースを学んでこの道を歩んでいるわたしたちはそこへ向かっているのだと。

まさに、時間の終わる瞬間へと向かっている、、、ということです。

明日もなけれな、未来もない。
この世界にはもはや目標がない。
だから、ただ今日を生きるだけ。
もっといえば、この瞬間を聖霊に明け渡していくだけ。

そんな感覚になっていっている今日この頃です。

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2018/08/21

スピリットとしての存在の仕方へ

先日の記事「いったいだれが目覚めるのか」にちなんで、もう少し書いてみたいと思います。

自分が目覚めるのではない、

というときのこの「自分」とは、
「わたしは肉体である」と想っている自分のことであり、
「わたしは人間である」と想っている自分のことだといえます。

いわゆる、そう信じ込ませることが自我の目的であり、
自我は、自分のことを肉体(人間)だと信じておきながら、
この世界を超越して自由になれる(目覚められる)と想っているということです。

自我とは、まさにそういうものであるといえます。

つまり、わたしたちが普段認識している「自分」とは、
自我と同一化している「自分」ということなのです。

それは、まさに夢を見ている状態なわけで、
夢の中にいる「自分」が目覚めたなら、
もちろん、それまで「自分」と想っていた自分は、夢と共に消え失せるだけです。

そのことをきちんと概念的に理解しているなら、
自我と同一化している自分をいちいちジャッジして裁く必要もなくなります。
夢の中の自分(自我)をいくらより素晴らしき存在にしようとしても、
所詮、夢の中でより素晴らしくろうとしているにしかすぎないのですから。
ましてや、いくらそこに時間や労力を費やしても、目覚めとは一切関係がないということです。

むしろ、わたしたちがしていくことは、
その自分(自我)を聖霊に取り消してもらうよう明け渡していくことだといえます。

この道を歩んでいるわたしたちは、聖霊を選択していくことになるわけですが、
その選択とは、聖霊にフォーカスしていくというよりも、
自我にフォーカス(直視)していくことを求められているといったといったほうが、
より的確かもしれません。

そうするとき、わたしたちは聖霊(の思考システム)を選択しているのであり、
赦しとはそういうものであるといえるからです。

それは自我の思考システムから聖霊の思考システムへのシフトととも言い換えられます。

また、そこには、
「肉体(人間)としての存在の仕方からスピリット(霊)としての存在の仕方へのシフト」
も伴わねばなりません。
スピリット(霊)とは、姿、形態、大きさもなければ、
この時空間に属するものでもありません。
それでありながら、この世界の夢を見ている(作り出した)主体でもあります。

そう、自分は肉体(人間)であるという信じ込みを明らかにしながら、
それすらも聖霊に取り消してもらうよう意図していくことが、
この「自分」にできることであり、この「自分」がしていくことだと言えます。

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2018/07/27

空っぽになる

神とはこうである、真理とはこうである、
というものが自分の中にあるのなら、そういうものもすべて手放しなさい、
とコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の中のイエスは言います。

最終的には、コースも手放して空っぽになりなさい、とさえイエスは言います。

たしかに、神とはこうである、真理とはこうである、
というものを持つならば、それによって誰かを何かを裁こうとしてしまいます。
もっと言えば、自分自身を裁いてしまうことになります。

この自分は神を理解することもできなければ、真理を理解することもできないのです。

コースは神を探究するものでもなければ、真理を探究していくものでもありません。

空っぽになる。
それは、ある意味で「もうわからない。自分ではわかりません。」ということになります。

本当にもうわからないでいいんだろうなって想えるようになった今日この頃です。

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2018/06/04

何もする必要はない

この世に生きるわたしたちは、だれもが必ず何かしらを心の拠り所として生きています。
なぜなら、それなしで生きることなどできないからです。

というのも、本来は神に支えられているわけですが、その神を見失ってしまっているゆえ、
その代替となるものを拠り所としようとしているのがわたしたちだということが出来ます。

自分以外のだれかや何かを心の拠り所とすることを、信仰、という言い方をします。
「信頼」という言い方をしてもかまいません。

そういう意味では、人はだれしも何かしら信仰をしていると言うことが出来ます。

たとえ、「自分は無宗教、無信仰」だと思っている人でさえ、
じつのところ、信仰の対象がこの世のものになり変わっているだけで、
信仰しているという点ではなんら変わりないのです。

この私自身、自分の心に正直になるならば、神(の国)を求めているとはいうものの、
まだまだ神(の国)よりもこの世のものを信頼していることに気づかされます。
神よりも「お金」のほうをよほど信頼していることを否定できません。笑

だとしても、そんな自分をジャッジする必要もなければ、
そんな自分を無理やり変えていく必要はないということです。

もっと的確な言い方をすれば、この自分にはジャッジすることなど出来なければ、
自分で自分を変える(訂正する)ことなど出来ないということです。

ガイダンスはこう言います。

いくらあなたが自分(の力)で、この世のものを手放して神だけを信頼しようとしても、
そんなことはあなたには出来ないのです。
なぜなら、それは聖霊の仕事だからです。

逆に、いずれあなたがこの世から自由になっていくとき、
あなたはこの世に信頼をいくら置こうとしても、
あなたはもうこの世のものを信頼することなどできなくなっていることでしょう。

あなたは自分でどうにかする必要はないのです。
聖霊にすべてをやってもらいなさい。
聖霊にすべてを任せなさい。明け渡しなさい。

あなたがすべきことはただそれだけなのです。

この時間と空間の中で、あなたがしていくことはただそれだけでいいのです。

聖霊は、あなたがそのことに気づくときをただ静かにずっと待っています、と。


この道は、そのような道だということが少しづつ腑に落ちてきた今日この頃です。

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