2018/06/04

何もする必要はない

この世に生きるわたしたちは、だれもが必ず何かしらを心の拠り所として生きています。
なぜなら、それなしで生きることなどできないからです。

というのも、本来は神に支えられているわけですが、その神を見失ってしまっているゆえ、
その代替となるものを拠り所としようとしているのがわたしたちだということが出来ます。

自分以外のだれかや何かを心の拠り所とすることを、信仰、という言い方をします。
「信頼」という言い方をしてもかまいません。

そういう意味では、人はだれしも何かしら信仰をしていると言うことが出来ます。

たとえ、「自分は無宗教、無信仰」だと思っている人でさえ、
じつのところ、信仰の対象がこの世のものになり変わっているだけで、
信仰しているという点ではなんら変わりないのです。

この私自身、自分の心に正直になるならば、神(の国)を求めているとはいうものの、
まだまだ神(の国)よりもこの世のものを信頼していることに気づかされます。
神よりも「お金」のほうをよほど信頼していることを否定できません。笑

だとしても、そんな自分をジャッジする必要もなければ、
そんな自分を無理やり変えていく必要はないということです。

もっと的確な言い方をすれば、この自分にはジャッジすることなど出来なければ、
自分で自分を変える(訂正する)ことなど出来ないということです。

ガイダンスはこう言います。

いくらあなたが自分(の力)で、この世のものを手放して神だけを信頼しようとしても、
そんなことはあなたには出来ないのです。
なぜなら、それは聖霊の仕事だからです。

逆に、いずれあなたがこの世から自由になっていくとき、
あなたはこの世に信頼をいくら置こうとしても、
あなたはもうこの世のものを信頼することなどできなくなっていることでしょう。

あなたは自分でどうにかする必要はないのです。
聖霊にすべてをやってもらいなさい。
聖霊にすべてを任せなさい。明け渡しなさい。

あなたがすべきことはただそれだけなのです。

この時間と空間の中で、あなたがしていくことはただそれだけでいいのです。

聖霊は、あなたがそのことに気づくときをただ静かにずっと待っています、と。


この道は、そのような道だということが少しづつ腑に落ちてきた今日この頃です。

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2018/04/18

聖霊の必要性

これから先に進んでいこうとするとき、
これまでの(自我の)思考体系のままではもう先に行けないと思ったりします。

これから先のことは自分ではわからないし、
もう自分でどうのこうのするものでもないといった感じです。

だからといって、深刻さもありません。

あえてことばにするなら、神の道にいよいよ踏み込むのだなという気がしています。

自分で生きていくのではなく、聖霊に動かされていく、、、
この世界をリアルとするのではなく、すべては唯一の目的のために、
すべてをレッスンとして、この世界をそのための教室として、、、
というふうに思考(考え方)を逆転していかないと先には進めないという気持ちです。

それと共に、聖霊(内なるガイダンス)の必要性、重要性にあらためて気づきます。

「聖霊」でも「大いなる自己」でも「神」という呼び方でもかまわないのですが、
そういった自己を超えた存在なしで、これからの道のりはあり得ないなと思うのです。

これまでの自分は、聖霊をさほど重要だと、必要だとは思っていなかったと気づきます。
むしろ、都合のいいときにだけ聖霊にゆだねるということをしていて、
それ以外は、やはり自分(の力)でどうにかしようとしていたと気づくのです。

この学びも、この人生も、この歩みも、
もう、聖霊なしではこの先へ進むことはできないと感じているということです。

もう自分ではどうしていったらいいのかわからない、
その反面、自分の力ではないところで目に見えない大きな力が働いて導かれている、
というのがいまの私の正直な心境といったところです。

言い換えれば、もう自分でどうのこうのする必要はないのだということなんだと思います。

ただ素直になって聖霊に従っていくのみだと。

もう本気でサレンダーしていくほかないのだと思う今日この頃です。

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2018/04/12

幸せになることへの抵抗

これからこの先、
つまり、これからこの時間と空間の世界の中で、
限りなく無限にハッピーになっていくんだろうな、という予感がしています。

もちろん、それは、心のレベルにおいてのことであって、
かたちのレベルでのことを言っているのではありません。

そう、この平安と幸福の感覚は、この世界に反映されて知覚されていくのだろうなと。

神はわたしたちをいつも祝福しておられるのですし、
神の意志に従うということは、
この時間と空間の世界の中にいるあいだは、
神の性質をこの身を通して体験していくのだろうなという想いがするのです。

そう、その体験を重ねていくことによって、
神への信頼がより確信へとなっていくのだと思います。

ただ、そんな私も自分の心の一部に、
幸せになっていくことへの抵抗が自分のなかにあるなぁって気づきます。

想像を超えていく体験をやはり自分は恐れているということです。
たとえそれがハッピーなことであっても、です。
無限に幸せになっていくことが、自分は、恐いのだなと。

自我は愛を恐れている、と言われていますが、まさにそういうことなのだと思います。

自我は自分の想定内のハッピーでいたいのだと。
制限なくハッピーになることを、自我は望んではいないということです。

そう、自我とは、もともとそういうものだと認めることが大事なのだと思います。
自我に恐れは付きものであり、自我は絶対に真にハッピーになることはないということです。
自我は、この世界でほど良く幸せであればいいと思っているのです。
それによって、この世界の幻想の中に自らを留めておきたいのです。
(ただ、その「ほど良く幸せであればいい」というものこそが、叶えられぬ幻想なのです。)

それは、どうにかして恐れを克服しようとするものではないということを意味します。

自我は、どう変わっていっても自我です。
それはニセモノの自分なのであり、そしてそのニセモノの自分はこの世界を信じたいのです。
つまり、この世界を信じているかぎり、
その恐れは小さくすることは出来ても、絶対になくならないのだということ。

自我とは、そしてこの世界とは、そういうものだとあらためて自覚する今日この頃です。

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2017/07/16

自分が間違っていただけだと認めなさい

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、

どんな嫌なこと、不満なことであっても、

どんなに自分のせいで起こったことではないと思うことであっても、

自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であると、語られています。


自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であるならば、

自分の人生で起きていることの被害者ではないということです。


わたしたちは、この世界で起きていることの被害者ではありません。

自分の世界で起きていることは、すべて自分の求めた通りのものであるということです。

それは、自分の誤った選択によるものということです。


もう、被害者である必要はありません。

被害者であることから自由になることが目覚めというものであり、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、その道を示してくれています。

そのヒントが聖霊の存在です。


コースのテキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」で、

それについてイエスは述べていますので、興味のある方はご覧ください。


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<奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より>


これから述べることが、心眼や幸福や、苦痛から解放されて罪からの完全な脱出のために、

あなたがなすべき唯一の事です。


ただ、次のように言いなさい。


なぜなら、ここにこそ救済の力があるからです。



私が見ているものについての責任は、私自身にあります。


私が経験する感情を選択するのは私自身であり、

私が達成したいゴールを決めるのも私自身です。


そして、自分の身に起こるように見えるすべては、

私が求めて、求めた通りに受け取るものです。



自分に対してなされることを前にして自分は無力であると、

これ以上自分自身を騙すのはやめなさい。


自分が間違っていただけだと認めなさい。


そうすれば、あなたの間違いの結果は、すべて消え去るでしょう。



神の子が、ただ自らの外で起こる出来事によってつき動かされているということは、

あり得ません。


その人に訪れる出来事が、その人による選択ではなかったということは、あり得ません。


その人の決断の力は、偶然性や思いがけないことによって

自分が居合わせたかのように見える状況のすべてを決定するものです。


神が創造した宇宙の中には、いかなる偶発性や偶然性もあり得ず、

その外には何も存在しません。


苦しむとすれば、あなたは罪を自分のゴールと決めたのです。


幸せであるならば、自分のために神を選ぶ選択をしてくれる聖霊に決断の力を譲ったのです。


これが、あなたが聖霊に差し出す小さな贈り物で、

聖霊はこれさえもあなたが自分自身に与えることができるようにと、聖霊はあなたに与えます。


この贈り物によって、あなたに自ら救済者を解放する力が与えられ、

それによって聖霊があなたに救済を与えることが出来るようになるからです。


ー奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より抜粋ー


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2017/02/10

もしあなたが、この世界が妄想だと気づいたらどうなる

もしあなたが、この世界が妄想だと気づいたらどうなるでしょう。

もしあなたが、この世界は自分がでっちあげたものだと本当に理解できたらどうなるでしょう。

もしあなたが、自分のでっちあげた世界の中を歩き回って、

罪を犯して死んだり、攻撃して殺したり、自分自身を破滅させたりするように見える者たちが

まったく実在しないと悟ったらどうなるでしょう。

もしあなたが、この世界が自分ででっちあげた妄想でしかないということを受け入れたなら、

あなたは自分の見ているものを信頼できるでしょうか。

それでも、あなたは自分のでっちあげた妄想の世界を見たいというのでしょうか。


ー『ア・コース・イン・ミラクルズ(奇跡のコース)』テキストよりー 


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