2017/09/30

この世のものに信を置かない

ACIMプライベートセッションを通して、一緒にコース(ACIM/奇跡講座)を学んでいる方から、体験レポートをいただきました。

その体験レポートの内容が、コースを学んでいる方々にとって参考になるかと思いますので、ご本人のご了承のもとにシェアさせていただきます。


「この世のものに信を置かない。これは寂しいことではなく自由になることですよね。」


まさにコースは、この世のあらゆるものから完全に自由になることを目指しているものだと言うことが出来ます。


ご興味のある方は、ご覧くださいませ。


・・・・・・・・・・・・


もりG 様


先日は(セッション)ありがとうございました。


先日の誕生日、毎年おめでとうメールをくれる友人から連絡がなく、6年ぶりに疎遠だった友人から連絡がきたりしました←この件についてはセッションのときに報告しましたね。

毎年連絡をくれる友人から何も(連絡が)
ないことは以前であれば心配の種になったことと思います。
でもこの時にこの世のものに信を置くのはやめようと改めて思いました。
辛くなるのは自分だし、誰かを縛ってはいけない、そしてそれはとてもナチュラルなことだと感じました。

この誕生日のことに限らず、もう○○のことは信用しない、やっぱり本当に信頼できるのは○○ちゃんだけ、

こんなことを幼稚園の頃から最近までやっていたような気がします(笑
気づくのが遅い!

何回かセッションでもお話いただいた、この世のものに信を置かない、このことがようやくわかりかけてきました。

これは寂しいことではなく自由になることですよね。そんな風に思います。

また別の友人を見ていて思ったことです、

ひとつひとつ成功体験を積み重ね、仕事の幅も友人の幅も広げてSNSでは毎日楽しそうな書き込みがあるのですが、定期的に寂しい、という連絡がきます。ここだけは変わらない。

わたしも含めて、この世の出来事が上向きになるように、そして前より状況が良くなると、その自分をさらに強固なものにしようとさらにチャレンジを続けます。これは悪いことではないのですが、大元の原因を見ず置き去りにしてるので結局自分は変わってない、というところに至るのですね。原因を見つけられないようにエゴが仕掛けた罠のひとつなのでしょうが‥。

これらのことはコースやセッションで教えていただいたことですが、彼女を見ていてすごく腑に落ちました。彼女はわたしです。

その生き方は否定するものではありませんが、わたしは抜けたいです。なのでコースを頑張ります(笑

長々とお読みいただき今回もありがとうございました。


(匿名 女性)


IMG_2445.jpg


スポンサーサイト
2017/09/29

この世はギャンブラーの世界

ACIMプライベートセッションを通して、一緒にコース(奇跡講座)を学んでいる森有規さんからセッションの感想メールをいただきました。

その感想内容は、とてもユニークで森有規らしいなと感じました。


「秋の深まりとともにわたしの帰還の旅も面白みが増してきました。」


その言葉から彼のコースの学びがますます進んでいっておられることが伝わって来ます。


今回は、ご本人のご了承のもとに、いただいたメール内容そのままをご紹介させていただきます。

コースを学んでいる方々にとって参考になれば幸いです。

ご興味のある方は、ご覧くださいませ。


・・・・・・・・・・・・


もりGさま

おはようございます。
名古屋は寒い朝でした。
秋の深まりとともにわたしの帰還の旅も面白みが増してきました。

もりGさんのセッションを検討されている方へ
参考になればと思い感想を送ってみます。

==

「この世はギャンブラーの世界」

継続的にセッションを受け始めて10ヶ月近く経過しました。
穏やかな日もあれば荒れた日もあります。

奇跡講座で言われている幻想は狂気の世界。

自我のレジスタンスに振り回されることもしばしばあります。
人生に対する苦しみから聖なる帰還を選んだのですが

その苦しみを和らげるために色々な賭け事を見つけてきてくれます
引き寄せだとか具現化、現象化もそのようなものかもしれません。

しかしながらどれもが必ず上手くいくわけでもなく
あれこれ手法を探しては一喜一憂することばかりです。

まさにギャンブルそのものです。

負け続ければそのまま諦めやすいのでしょうが
時々勝たせてくれるので何とも辞めづらいものです。

これは日常生活にも言えそうなことです。

「うまくいきますように」
それは「この勝負に勝てますように」と同じでした。

競馬の必勝法を知るのにお金をつぎ込むのも
引き寄せ法則を学ぶのに受講料を支払うのも
大差がないことに気づきました。

と同時に
だからこそ「好きにしていればいい」ということ。

ギャンブルに疲れ果てて、とぼとぼ歩いて帰っていっても
父は咎めることなくいつも両手を広げて待っていてくださるのですから。

これからもよろしくお願いいたします。

愛知県の中年男性(森有規さん)より


IMG_2434.jpg


2017/09/19

他ならぬわたしでした

プライベートセッションを通して、一緒にコース(ACIM/奇跡講座)を学んでいる方から、セッションの感想レポートをいただきました。

その感想レポートの内容が、コースを学んでいる方々にとってとても参考になるかと思いましたので、ご本人のご了承のもとにシェアさせていただきます。


赦しの実践においてわたしたちがすべきことは、心の中に闇(罪悪感)を隠しているのを明るみにして、それを聖霊に差し出していく(取り消してもらう)ことだといえます。

それなしで神のみもとに帰るということはあり得ません。心に闇を抱えたままで目覚めるということはあり得ないということです。


それは、きのうまで連載していたフランシスさんのトーク記事「Let go and forgive(解放とゆるし)」ともリンクしていると思います。

ご興味のある方は、ご覧くださいませ。


・・・・・・・・・・・・


もりG 様

昨日はセッションをありがとうございました。


昨日のセッションで出てきた、黒いもの。
煙。全てを包み込む得体の知れない闇。
これだけは触れてはいけない。
大元(根底にあるもの)。
今までとは次元の違うもの。
でもそれがわたし。
わたしの始まり。

全てはわたしが作っていたこと。
自分を監視するために、友人を配置した。
自分がずっと罪悪感を感じていられるように。
その人の目を通して。

それで今朝また思い出したことがあります。

昨日のセッションでお話したことと似ているのですが
(当時、)ある友人をわたしは結婚式に呼ばなかったのですね。正確にいうと、うっかり連絡するのを忘れたのです。
そんなことある?と自分でも思いますが、
あったのです。小さな頃のうっかりを繰り返してますね。

彼女から今度結婚するんでしょ?と言われ気づいたのですが後の祭り。そしてその時謝って招待することができませんでした。

その後も彼女とは数年に一度顔を合わせます。
彼女に嫌われてるとは思いませんが、会うたびあの時のことを思い出します、傷つけたかな、悪かったな、と。

これも自分を罪に縛り付けておくためなのかな、と思いました。

開き直るつもりはありませんが、定期的に思い出しては落ち込むので、そうゆうことなんだろうと。

こんな風にしてこの世界に自分を縛っておく。
その為に仕掛けたこと。自作自演。

他にも思い当たる(自我の)仕掛けはたくさんあります。
これらを1つ1つ赦していくのですね。
結局その人たちの目を通してわたしを見ているのは、他ならぬわたしでした。
やっぱりショックですね‥
でもそれがわかってスッキリもしています。

わたしがしてきたことは問題を解決することではなくてややこしくすることでした。

でもその時は一生懸命だったので、戦うのではなく癒して解放して浄化してあげたい。

悪役を演じてくれた人にも感謝なのですね。
(その人の) 体を貸して(役を演じて)くれた。

本人を目の前にしてそう思えるかどうかはまだわかりませんが、やることは赦しだけなのですね。

導いて力を貸してくださってありがとうございます。

昨日のセッションの後、ここから始めましょう、というメッセージに泣きました。
ありがとうございます。

自分と関わっていく人、聖霊さんが連れてきてくれる人も、今の自分に都合のいい人だけではないと、これもようやく理解しました(笑)
でも仲間も欲しいです。
心分かち合える友。
現れてくれるといいなと思います。
求めてみます。


長くなりました。
読んでくださってありがとうございます。


(新潟 女性)


IMG_2439.jpg


2017/07/31

内的探究

今日は、継続的にセッションを受けていらっしゃるKさんの体験談をご紹介したいと思います。


IMG_2391.jpg


それは、まさに自己の「内的探究(Inner Inquiry)」と言うことが出来ます。

Kさんの体験談が、皆さまにとって参考になれば幸いです。

興味のある方は、どうぞご覧ください。


・・・・・・・・・・・・


<Kさんのセッション体験談>


セッションの体験をシェアしたくて感想を書きました!


私は、奇跡講座を学び始めて4年くらい経ちます。ほぼ一人でやっていました。日々赦しの実践もやっていたのですが、赦しが起きているのか半信半疑?になりながら実践していました。最近はもう奇跡講座から離れて、非二元、ノンデュアリティといった悟り系のメッセージとか聞いていました。


そんな時、久々に奇跡講座で検索をしたとき、もりGさんのブログを発見しました。ブログを拝読させていただいて、洗練された美しさと一歩引き下がるような畏怖の念が湧き出て、すぐ個人セッションを受けてみたい気持ちになりました。でも、人見知りの性格でコンタクトを取ることに少々ためらいがありました。ですが、長年にわたって憎しんでいる両親、兄のことで赦しても赦しても、どうしても赦せない感情があり、赦せないことが罪悪感と恐怖を増幅させてもっと苦しくなってしまう、もう自分ではどうしようもない、助けてほしい思いが勝って、コンタクトをとることにそう時間はかかりませんでした。


セッションを継続でお願いしました。セッションでは、私からお願いしているにもかかわらず、無意識が抵抗してスカイプの音声が頻繁に途切れるといったような投影が出ることが起こったり、もう何十年前のこともあって、記憶や感情が思い出せなかったり、思い出したら思い出したで、これ以上は感情を感じたくない、もう嫌だということが起こったり、泣いたりで、、、はちゃめちゃなんですけど、もりGさんがドンと構えて、どんな醜い私も受け入れてくださって、はちゃめちゃになりながらも、幻想を直視することができました。


そして直視するたびに、「両親や兄は何も悪くなくて、私の心に原因があったんだ」という理解が毎回のセッションで起きていきました。また、「聖霊は取り消しをちゃんとやってくれてる」というふうに、聖霊に対しても安心して任せられるという信頼感も出てきました。


私は、セッションを継続して受けていくことで日々楽になっていくのを実感していました。そんな中、数回目のセッションを受けた某日、これで母の赦しが達成できたなという認識が もりGさんと私に起こったその夜、ハートが圧倒的な振動数で振動し始めて、愛があふれ出して、全てに浸透しているような感覚が起きました。もうこの愛に溶けてしまいたい、神に「私(自我)を消滅させてください」と祈りながらハートを感じていました。


常々、もう個人エネルギーの私を解放したいと 願っていても、いざとなると個人を手放すなんて 更々ない私が出てきましたし、毎日、深夜、目がふと覚めると、神への恐れで 発狂している私がいましたから、「私を消滅させてください」という思いが私の中から出てくるなんて、正直びっくりしました。


知覚が歪んでない!、訂正されてる!、神が恐くない!自分の知覚がそんなふうに正気になっていて、ものすごくうれしかったです。


その日以後、あんなに殺したいほど憎んでた母への恨み、憎しみもなくなりました。 自分が無価値で生きていてもしょうがないという自己概念も消えていっています。


コースのテキストの序文にには、こう書いてあります。


愛の意味を教えることは目指してはいない。(中略)しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。


まさにその通りだ、と実感しています。やっぱりコースはいいですね。


私は、まさに愛の障壁を取り去っていっているのですね。真の赦しが起きるのをサポートしてくださったもりGさんには本当に感謝の気持ちで いっぱいです。こんなことなら、もっと早くに、もりGさんと出会いたかった。。。そんな思いも湧いてくるのですが、(エゴのつぶやき(笑))このタイミングで出会えたことは完璧であって、そうでしかなかったのですよね。


引き続き、今後もセッションの方もよろしくお願いします。

ありがとうございました。

(女性 香川)


2017/07/03

なんという地道な道でしょう

IMG_2360.jpg


今日は、私とのセッションを通じて一緒にコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を

学んでいらっしゃるRさんからのメールをご本人のご了承のもとに紹介させていただきます。


兄弟(友人)に対してのRさんのその在り方に、私も教えられる思いがしました。

Rさんに感謝します。

ありがとうございます。


・・・・・・・・・・・・


<RさんのACIM実践体験記>


昨日はレッスン61の「私は世の光である。」でした。


昨日久しぶりに古くからの友人とメールをしました。

今はとても幸せに暮らしているけれども、人間関係が苦手とのこと。

特に子供のママ達の集団、同性の集団の中には入れない。

学生時代にいじめにあっていたあの時のことが忘れられなくて自信が持てない、と。


彼女は完全に学生時代のいじめられた自分を分けて別の檻に入れたまま今も共に生きている。

つまり今でも救われずにいじめられてる悲しい子がいるわけですよね。

(自分がしていただいたセラピー(セッション)の経験からそのように想像するわけです)


20年近く前にも同じ話をわたしは聞いていました。

ということは20年間その子はその状況下にいると思われます。


セッションで解放したらいいのに、と余計なことを思う。

少しだけそんな話もしてみる。でも彼女は望んでいない。というか、ピンと来ていない。

ということで、今のわたしが出来ることは

話を聞きながら(メールを書きながら)

そのいじめられた当時のあなたには本当は何の罪もないよね、と伝えることだけでした。

今と同じでその時だってそのままの彼女でよかったはずだ、と。

彼女が楽になるように、とかセラピーをしてみたいとかそんなことはなく

(以前の自分ならそんな思いもあったと思います。そうすることで自分を必要とされたいという思い)


その今もまだ檻の中に入っているままの子があまりにも不憫で

心からあなたには何の罪もないと伝えたのでした。

と、同時に自分の心も癒されたのです。

ということはわたしにも罪は無いんだ、と内側から自然と溢れ出てきたのです。

今朝彼女から「久しぶりにゆっくり眠れたよ、ありがとう」というメールが届いたのですが

彼女が癒された、というよりは

わたしが癒されたんだ、と思いました。わたしの一部が赦された。

その不憫な子はわたしの投影だったのですね。


なんという地道な道でしょう(笑)

そして大切な人と自分をも癒されるのなら、なんて優しい道なのでしょう。


「私は世の光である。」というタイトルを最初に目にした時はとても恥ずかしかったです。

それは文章にもあるようにわたしは自分自身の偶像に付与した特徴のどれかについて

語られたものだと思ったからです。このわたしが光!!と(笑)

その後、それは神により創造されたままのあなたについて語っている、とありました。

そうです、神が創造したままのわたしは光です、と思えます。


私は世の光である。

それが私の唯一の機能である。

それが、私がここにいる理由である。


昨日の友人とのやりとりがシンクロしたので、これまたご報告です。


わたしはコースの学習を始めたばかりの者です。

そんな中での報告なので、確信も持てず、ただ起こったことを時系列に書くばかりで

ついつい長くなってしまいます。

中には稚拙な考えから誤解をしている箇所もあるかと思います。

それは今後セッション等で教えていただけたら幸いです。


何よりそのような文章を読んでいただけることに心から感謝しております。


ーRさんからのメールよりー