2017/07/16

自分の思考の力を思い出す

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、

どんな嫌なこと、不満なことであっても、

どんなに自分のせいで起こったことではないと思うことであっても、

自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であると、語られています。


そんなことはない、と言いたがるのがエゴ(自我)です。

そして、わたしたちの日常のすべてと言っていいほど、そのエゴでこの世界を見ています。


でも、もし、その真理をまっすぐに受け入れるならば、

わたしたちは、自分自身の思考の力を取り戻すことになります。

なぜなら、自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であるならば、

自分で訂正し直すことが可能だということだからです。


わたしたちは、この世界で起きていることの被害者ではありません。

自分の世界で起きていることは、すべて自分の求めた通りのものであるということです。

それは、自分の思考にはそれだけの力があるという意味でもあります。


もう、被害者である必要はありません。

被害者であることから自由になることが目覚めというものであり、

その方法を、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では箇所箇所に示してくれています。

その中でもっともご紹介したい箇所が、

奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」です。

興味のある方は、ご覧ください。


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<奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より>


これから述べることが、心眼や幸福や、苦痛から解放されて罪からの完全な脱出のために、

あなたがなすべき唯一の事です。


ただ、次のように言いなさい。


なぜなら、ここにこそ救済の力があるからです。



私が見ているものについての責任は、私自身にあります。


私が経験する感情を選択するのは私自身であり、

私が達成したいゴールを決めるのも私自身です。


そして、自分の身に起こるように見えるすべては、

私が求めて、求めた通りに受け取るものです。



自分に対してなされることを前にして自分は無力であると、

これ以上自分自身を騙すのはやめなさい。


自分が間違っていただけだと認めなさい。


そうすれば、あなたの間違いの結果は、すべて消え去るでしょう。



神の子が、ただ自らの外で起こる出来事によってつき動かされているということは、

あり得ません。


その人に訪れる出来事が、その人による選択ではなかったということは、あり得ません。


その人の決断の力は、偶然性や思いがけないことによって

自分が居合わせたかのように見える状況のすべてを決定するものです。


神が創造した宇宙の中には、いかなる偶発性や偶然性もあり得ず、

その外には何も存在しません。


苦しむとすれば、あなたは罪を自分のゴールと決めたのです。


幸せであるならば、自分のために神を選ぶ選択をしてくれる聖霊に決断の力を譲ったのです。


これが、あなたが聖霊に差し出す小さな贈り物で、

聖霊はこれさえもあなたが自分自身に与えることができるようにと、聖霊はあなたに与えます。


この贈り物によって、あなたに自ら救済者を解放する力が与えられ、

それによってその人があなたに救済を与えることが出来るようになるからです。


ー奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より抜粋ー


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2017/06/16

観照(観察)意識

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父の意志から離れてみたかった。


父の意志から独立してみたらどんな感じなのだろう?


自分は、それを体験してみたかった。


そして、それを体験しているのがこの世界です。


この世界でしているあらゆる体験は、この自分がすべて望んだことであり、

自分が感じているあらゆるものが、自分が望んだことだったということができます。


その真実に気づかせないように自分を欺くことが自我の目的であり、

そのためにこの世界はあるといえます。


なぜなら、その真実がバレたなら、

もうそれを(あたかもリアルに)体験することができないからです。


実際に、その真実を認識したところから(心のレベルで)すべての体験を感じていくと、

あれだけ感情的にあたかもリアルに想えたもの、こと、ひとも、

すべてに興ざめしたかのように白けて(ありのままに)みえるようになります。

すでにそこでは一切のジャッジが消えています。


たぶん、この意識状態が「観照(観察)意識」というものだと思います。

また、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)でいうなら、

聖霊と共にみている状態だといえます。

(『奇跡講座』では、その意識状態にある自分を「決断の主体」とも呼んでいます。)


そう、孤独、空虚感、絶望感、哀しみ、苦しみ、痛み、、、

そのあらゆるすべてがこの自分が望んだことだったということを受け入れるとき、

自分は、もうこの世界の被害者ではなくなります。

そして、自分はもうそれを望まない、という選択をする力を自分に取り戻したことになります。


そのときこそ、わたしたちは聖霊を選択し、

自分が望んだことを聖霊に取り消してもらうよう明け渡すことができるということです。


さらにいえば、本当のおおもとのところ、

父の意志から離れてみたかった、、、というそれ自体が、自分の妄想(幻想)であり、

自分が体験しているものすべてがなにも起きていない、、、それが、真理です。


以上のことをわきまえた上で赦しの実践していかれると、赦しがうまくいくはずです。


それでも、赦しがよくわからない、どうやっていいかわからないという方は、

セッションで具体的な実例をテーマにあげていただいてそれを体験することもできますので、

どうぞご連絡くださいませ。


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2017年6月1日より、もりG個人セッションをリニューアルしました。
セッションのお申込を承っております。
詳しくは、こちらをどうぞ。


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2017/06/12

アウェアネス

アウェアネスとは、気づき、あるいは、気づいている意識、のことをいいます。

それは、「自分を観察して気づいている意識」と捉えていいと思います。

つまり、それは意識的であることが求められます。


わたしたちは、もっと快適な経済状態や、もっとより良い人生を手に入れることや、

状況を上手くコントロールしたり操作したりすることが幸福をもたらしてくれると、

誤って信じてしまっています。


わたしたちは、無意識的にそういうもので幸せになれると信じてきっており、

そしてそのために日々いろいろな思考を巡らせているといえます。

結果的に、その思考がわたしたちの行動と化し、生き方となっているのが現状です。


ちなみに、そういうもので幸福を得ることを、コースでは「魔術」と呼んでいます。

それは、本当は代替品でしかないのに、一時的に幸福と感じさせてくれるものだからです。


わたしたちがコース(ACIM/奇跡講座)を学ぶということは、

そのようなものが真の幸福をもたらしてくれると信じているのは勘違いだと思い出すことです。


そして、わたしたちのすべきことは、

魔術を駆使しようとする自分の自我を直視しようとする意欲を養っていくことだけです。


誤った信念に基づいて思考していることに気づいていくこと。


そのためにも自分の内側と向き合っていくことが必要不可欠ですし、

それが、「赦し」という心の訓練をしていくための必須項目だと言うことが出来ると思います。


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2017/06/03

怖れや不安について

怖れとは?不安とは?一体なんなのでしょう?


と云うならば、その答えは、

それらすべては自分で自分を欺いていることよる錯覚(幻想)だと云うことが出来ます。


それら恐れや不安は幻想だからといって、無視していいものではありません。

そうすることは、心に蓋をすることになり、さらに分離感を増幅することになります。


むしろ、錯覚ならば、その錯覚を訂正する必要があるということです。

そのためのやり方が赦しの実践だということができます。


コース(ACIM/奇跡講座)の理論によれば、

天国の外側にあるものはすべて真に存在していないので、意味がないと云います。

つまりは、この世界のものは一つも実在していないので、真実ではありません、と云います。


しかも、わたしたちは、自分の心の中に、そのことを覚えているのだということです。


そして、その部分(真理)を覚えていて消し去ることはできないので、

この記憶に対立するような知覚は、心の中に激しい葛藤を生み出すことになります。


それは、ハートの違和感として感じられ、

そして、それが、恐れや不安として体験されるということです。


その理屈(メカニズム)を知っているだけでも、

コースの赦しの実践をしていく上では役に立ちます。


もっと言えば、そもそもその理屈を理解することなしに、

赦しの実践はうまくはゆかない、もしくは、できないと思います。


しかし、あなたが恐れを免れたければ、いくつか理解すべきことがあり、

しかもそれらは充分に理解されなければならない。

ー『ACIM/奇跡講座』テキスト2章よりー


怖れや不安を感じたときには、自分を欺いているということの証であるということです。

自分は、この肉体だと思っているかもしれませんし、

自分は、この世界でちっぽけなか弱い存在(人間)だと思っているかもしれません。

あるいは、神に愛されていない孤独な存在だと自分自身のことを思っているかもしれません。


自分をどんなふうに欺いているのか?

自分の内側の信念をみてみるとよくわかります。


そう、怖れや不安を感じたならば、

「自分が感じているものはそういった理屈で知覚しているにしかすぎないのだ」

ということをしっかりと理解した上で、赦しの実践をしていかれるといいでしょう。


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<大分県日田ビール工場にて>



2017/05/21

幻想と向き合う

わたしたちの内側には、たくさんの無意識の信念があります。


あなたがそれら無意識の信念を見つめられるようになって、

それらの存在に気付けるまで、無意識の信念があなたを動かすことになります。


よって、あなたがそれらの信念から解放されて(目覚めて/覚醒して)いくためには、

自ら内側の無意識の信念に触れていかなければなりません。


それらの信念は、すべて自分で決めた思い込みであり、

そもそもは実在しないもの、つまりは、幻想であるからです。


たとえば、痛み、苦しみ、苛立ち、怒り、憎しみ、罪悪感など、

そういったものを感じているのならば、

やはり、それらと向き合う必要があります。


むしろ、それらの感情が、自らの無意識の信念を見つけ出すきっかけになります。


「苦しみは幻想でしかない、実在しないもの」と言ったところで、

頭では幻想だとわかっていても、それらを知覚しているのならば、

それらをリアルにしまっているということであり、

やはり、それらと向き合って取り消して(修正)いく必要があるということです。


それらに目を向けないということは、心に蓋をすることになり、

そのようにしてまた無意識に追いやることで、修正のきっかけを先延ばしすることになります。


実際のところ、取り消す(修正する)のは聖霊がしてくれるものではありますが、

自分で見つめてそれらをリアルとしてしまっていることに気づいて、

そして、それらを聖霊に取り消してもらおうと意図しない限り、

聖霊が勝手に取り消してくれるということはありません。


つまりは、自分で実践していく、取り組んでいく必要があるということです。

そして、それが赦しの実践というものです。


リアルだと知覚していたものを幻想だと修正していくために、

赦しの実践をしていく必要があるのです。


コース(奇跡講座/奇跡のコース)でも、以下のように云っています。


幻想は、直視しない限り、誰も幻想から逃れることは出来ない。見ないでいることにより、幻想が保たれていくことになるからである。幻想が危険なはずはないのだから、幻想からしり込みする必要はない。わたしたちには、自我の思考体系をもっと詳しく見る準備が出来ている。あなた自身も自分は幻想を望まないと気づいているので、準備が出来ている。

・・・その向こうが見えるようになるためには、まず最初にそれを見なければならない。私たちは一緒にこの誤りを静かに取り消し、その後、それを超えたところに真理を見ることになる。

あなたが(このコースで)学び始めているのは、恐れは実在しないということである。

ー『ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)』テキストよりー


自分が知覚している(感じている)痛み、苦しみ、苛立ち、怒り、憎しみ、罪悪感など、

それらはすべて幻想です。

ほんとうは実在しないものです。

眠っている心が幻想を信じているので、

それらを恐れ、避けて、そこに目を向けて来なかっただけのことだといえます。

そして、そのようにして幻想は保たれてきたということです。


そう、わたしたちが自分の罪悪感や恐れを正直に見つめることは、必要なことです。

それこそが目を向けるべきものであり、

それを信じている心に何が起きているのかをとらえて、

それをはっきり認識できるようになることが、

幻想からの脱出法、つまりは真の赦しのプロセスだと云うことが出来ます。


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<福岡 大濠公園にて>