2016/02/17

一週目「21日間フルーツプチ断食」

不食への道。不食へ向けた実践生活体験記。

「21日間フルーツプチ断食」一週目の経過報告です。

前回の記事で報告した「煮小豆プチ断食」を9日間敢行した後、さらに、一日一食を継続しながら、現在は、「21日間フルーツプチ断食」たるものを敢行しています。
「21日間フルーツプチ断食」とは、一週間に一度だけは普通に好きなものを食べて、それ以外の6日間はフルーツのみを食べて、それを3週間のサイクルで過ごすというプチ断食生活のことを言いまして、今現在は、その2週間目にあたります。

「21日間フルーツプチ断食」の実際の一週目の食事のメニューを書くと、若干、日によって異なるものもありますが、おおまか以下の通りです。

朝:野菜フルーツジュースをグラス一杯
昼:チャイ(生姜のミルク紅茶)をティカップ一杯
夕:リンゴ(半個)、バナナ(1本)、キウイ(半個)、伊予かん(柑橘系フルーツ、半個)、紅茶

「21日間フルーツプチ断食」は、今月の2月4日(立春の日)から始めました。
その前日の節分の日には、「煮小豆プチ断食」9日間 を敢行した後の10日ぶりの食事は、節分にちなんで恵方巻を食べました。
正直なところ、それまで煮小豆しか食べていなかったので、恵方巻を食べた瞬間、この世にこんなに美味しいものがあるのか!と思ったくらいその美味しさに幸福感を感じたほどでした。笑
食べることで、こんなに幸せを感じたことがかつてあっただろうか!?
食べることが、こんなに幸せだったなんて!
いや、もっと正確に言えば、

食べないことで、こんな幸せを感じることが出来るなんて!

と、感動すら覚えたほどです。
食べることをやめることで食べる歓びを知るなんて、なんとも皮肉といいましょうか、滑稽なことです。

そんな次の日だったせいもあるのか、「21日間フルーツプチ断食」一日目は、なんとも物足りない口さみしさを感じたことは否めません。
確かにそれまでの煮小豆と比べたら味覚的にはまだマシだと思えましたが、今度のフルーツのみの食事は、何か口物足りないひもじさを感じて仕方ありませんでした。
「21日間フルーツプチ断食」一日目に、煮小豆とは、また別の味覚的なつらさが浮上してきたのです。
煮小豆プチ断食では、感じることのなかった味覚的な物足りなさといいましょうか、食べた後も、何か物足りない口さみしさがあり、それが、これから21日間続くのか!?!?と想うと、正直、またへこみそうになりました。
そこで思いついたのが、煮小豆のときもそうだったのですが、塩、でした。
それで、「21日間フルーツプチ断食」の二日目からは、大根を生でゴマ塩をつけて食べることをメニューに付け加えました。
すると、フルーツだけの食事の口さみしさは難なく解決できました。

「21日間フルーツプチ断食」を始めて2、3日した頃には、身体の軽さを感じはじめました。
胃の軽さはからだの軽さとも言えます。
その軽さは、体重の軽さ、というよりも、波動の軽さ、といった方が正しいかもしれません。
からだの細胞のひとつひとつが、軽やかな振動を発している、クリアな波動を発している、透き通ったエネルギーを発している、そんな感じなのです。
まさに、フルーツそのものが、そういう波動の食べ物なのだと思います。
それを、「高波動」と呼んでもいいと思います。
そう、フルーツは、高波動の食べ物だと。
その高波動のフルーツしか食べていないので、そのフルーツ自体の波動にからだの細胞が共鳴し始めたのだと思います。
その高波動に振動しているような身体感覚は、その後もずっと「21日間フルーツプチ断食」を続けているこの今も感じています。

それでも、3日目、4日目くらいには、イライラや憤りなどネガティブな感情も出てきました。
もともと、プチ断食の目的は、デトックス(毒出し)やクレンジング(洗浄、浄化)を目的としているのもありました。
それは、肉体的なものだけではありません。
断食をすることによって、多くの人は肉体的なデトックスやクレンジングが起きるらしいのですが、私の場合は、感情的、精神的なものとして出やすい傾向があるように思えます。
それは、若い頃からそうで、不調が身体の病気とかに出てくるというよりも、私は、精神的な不調として出てくるのは、私の性質によるものだと思います。まぁ、それによって、私は、スピリチュアルな精神世界の探究をはじめることになったわけですから。
そういうこともあって、精神的、感情的なものも出てくるであろうということも分かっていました。とはいえ、いざ、そういったものが出てくるとなかなか厳しいものがありました。
感情的なものについては、囚われてしまうと本当にきついです、、、これは、あくまでも私の見解ですが。
肉体的なデトックスやクレンジングがいいのか、精神的なものの方がいいのか、それは人によってまちまちですから比べるものではないのかもしれません。
そのときは、「これは、感情エネルギーのデトックス(毒出し、解放)である」と認識したとたん、そう自覚することで、うまく意識をシフトさせることができました。
そして、その次の日以降の5日目、6日目は、ネガティブな感情エネルギーのデトックス(解放)が終わったのか、意識がシフトしたからなのか、何なのかはわかりませんが、それまでの気分とは打って変わって、幸福感を感じるようになっていきました。
気づけば、「幸せ」、「ハッピー」ということばを、口癖のように連発していた自分がいました。笑

さて、実際のところ、予想外に一番大変だったのが、前回の記事(「煮小豆プチ断食」9日間 )でも書きましたように、排便、です。
本当に予想外だったといいましょうか、こんなに苦労するとは想いもよりませんでした。
いやいや、排泄、排便は、あなどれません。
「出す」ことは、本当に大事なことなのだと思い知りました。
それは、人生においても同じだと。
ついついわたしたちは、人生において「取り入れる」「受け取る」ことばかりに夢中になりがちですが、じつは、「出す」こと、つまり、「手放す」、「与える」、「捨てる」ということが、先に、あるのではないか!?ということです。
排便という行為は、身体にとってそういうものではないか!と、その大事さに気づかされたのです。
出すことは、手放すこと、捨てること、、、それによって、ものごとはスムーズに流れるのだと思います。
私は、なかなか排便を催さない自分の身体から、そのことを教えられたような気がします。

で、今回の排便に関して正直に言いますと、実際は、丸々一週間、便通がありませんでした。
一週間もの便通がないことは、私にとっては、はっきり申しまして私の人生でも滅多にないといいましょうか、初めての体験でした。
自然な便通を待っていようと試みたものの、さすがに、一週間何も便が催してこないのは、焦りました。

そのことについては、また次の機会に報告させていただきます。


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