2016/02/19

二週目「21日間フルーツプチ断食」

不食への道。不食へ向けた実践生活体験記。

「21日間フルーツプチ断食」二週目の経過報告です。

「21日間フルーツプチ断食」二週目の実際の食事のメニューを書くと、若干、日によって異なるものもありますが、おおまか以下の通りです。

朝:野菜フルーツジュースをグラス一杯
昼:チャイ(生姜のミルク紅茶)をティカップ一杯
夕:リンゴ(半個)、バナナ(1本)、キウイ(半個)、八朔(柑橘系フルーツ、半個)、生大根(2cm厚カット)、ホット豆乳

二週目のちがいはというと、生大根にゴマ塩をつけて食べるのと、からだが温まるホット豆乳が、フルーツ食に加わった食事メニューになりました。

一週間に一度だけ好きなものを食べる日には、プチ断食の反動で、もうこれ以上食べれないというほど満腹になるまで食べ過ぎたせいもあり、次の二週目は少しばかり胃がもたれた感ではじまりました。
なのでフルーツ食でちょうどいいくらいの感覚すらあり、普段の食べていた普通の食事が胃にどれだけの負担をかけていたかがわかりました。
さらにいうと、まるで、フルーツのみの食事の方が当たり前に感じれて、むしろ、数種類のフルーツ食が豪華にさえ思えました。
あれだけフルーツ食のはじめは物足りなさを感じたものなのに、慣れというものは、本当にスゴイです。

それよりも大変だったのは、便通の方です。
前の週からかれこれ数えて丸々一週間、まったく便通がない状態でした。便通の催す感じすらもないではありませんか。
さすがに、不安になってきたので、トイレに座り込んで、しばらく力(リキ)んで踏ん張っていたら、どうにかホンの少量の便が出ました。それで、ちょっとほっとしたところはあります。
もともと私は、便の通じはよすぎるくらいで、力(リキ)んで便をするということがなかったので、こんなに便って労力(エネルギー)を使うものなんだと思い知りました。
そんな感じで二日間連続、力んで少量の便が出たので、何となく排便のコツがつかめてきたと思っていたそんな次の日のことでした。
「フルーツプチ断食」をはじめてから10日目のことでした。夕食のフルーツ食を取った後、急に下痢のときのような便意を催したかと思うと、出るわ出るわ、細長い便がとぐろを巻くわけではありませんでしたが、長ーい大量のそれまでの10日分のフルーツ食の便が一気に出てきました。その便の量は、2~3キログラムはあったのではないでしょうか。それはそれは大量の便でした。それに、生臭い魚のようなドブのようなニオイのものでした。
ただし、それは、いわゆる一般て云われている宿便ではないと思います。
それでも、そのことによって、心身もスッキリしたことにちがいはありません。
お腹の中が、空っぽになった感じでした。
いや、からだが空っぽになったといいましょうか。
何もない。
何にもなくなってしまったのです。
なにも無い。
空っぽ。
いよいよこれから、、、ここからがはじまりなんだな、、、という気になったのは確かです。

さて、便通は便通で手こずってはいましたが、「フルーツプチ断食」を開始して二週目になると、精神的に変化が起きてきました。
何があったかとは関係なく、日常の些細なことに幸せを感じるようになっていきました。
高揚感、至福感、ハッピーな気分が、自然と内側から湧いて出てくるのです。
気づくと、「しあわせ」「ハッピー」ということを口に出して連発している自分がいるのです。

そうはいっても、二週目のちょうど半ば頃、インターネットのユーチューブで美味しそうに食事しているのを観てしまって、断食にくじめそうになりました。
今すぐにでも断食を断念して、コンビニエンスストアに駆け込んでおにぎりでも買って食らいつきたい衝動にかられましたが、その満たされない内側の感情と向き合うことで、意識をシフトすることができ、どうにか踏ん張ることができました。

そして、それを超越すると、今度は、さらなる幸福感、至福感が感じられるようになってきました。
ただいるだけで至福なのです。
幸せな気持ちが自然に内側から湧き起ってくるのです。
そう、本当の幸せは、これのことをいうのだと確信しました。
そして、その幸福感は、さらに進化しいったのです。
それが、感謝の気持ちです。
今まで生きてきた中で、これほどまでに感謝が湧き出てくるようなことがあっただろうか。
ただただ有難い。
うれしい、、、しあわせ、、、ありがとうございます、、、。
こんな感覚は、これまでに感じたことのないほどものです。

不食で、こんな恩恵があるなんて!!

至福感、幸福感、高揚感、ワクワク感、、、
それらは、この今も、かなりの頻度で定期的に湧き出てきている状態です。

その状態のまま、今現在、三週目に突入したわけですが、さて、これからどうなるのか?
それは、きっと、想像を超えていくであろうとすでに予感しています。
我ながら、さらに、楽しみです。

続きは、また報告させていただきます。


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