2016/03/29

金色の道

いにしえの賢者のことばに、こんなことばがあります。

 

汝自身を知れ。

 

自分を知るとは、この世を知ることでもあります。

自分がわかってくると、この世のしくみ(からくり)がわかってきます。

己がわかる。

己の人生がみえてきます。

それは、自分だけにわかる真理です。

それは、個人的な体験です。

自分を知るとは、未知なる冒険でもあります

 

もっと自分を知りたい、、、というその想いにもう遠慮はいりません。

そう思うのならば、その道をとことん歩んでほしいと。

私も、それを願っています。

私も、それを嬉しく思います。

 

今日は、Tさんの個人セッションの感想を、ご本人のご了承のもと公開させていただきます。

Tさんは、その道を、「金色の道。神の道。」というふうに表現されています。

興味のある方は、どうぞご覧ください。

ありがとうございます。

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

<Tさんの個人セッションの感想(備忘録)>

 

 

私(Tさん)のための備忘録を書かせていただきます。

  

 

物心ついたころから、私は中の上の体型でした。

 

(中の上というのは、肥満ぎりぎりのおデブさんです)

 

それは幼稚園のころから認識し始めていました。

 

きっと誰かに指摘され、それはどうも良くないことらしいと感じていました。

 

 

 

そのころから、デブは良くないと思っていました。

 

自分を管理できない、ルーズな人だと思っていました。

 

 

 

幼稚園の時、みんなで劇をやりました。

 

私はデブだからか?醜いからか?(誰が演じても良い)どうでもいい役になりました。

 

私はこのころから「人から選ばれない」人生を受けいれるようになってきました。

 

 

 

このことは、人から「愛されない」ことに繋がります。

 

愛されるためには、人一倍努力しなくてはいけない。

 

 

 

その時に出てきた映像は

 

母を初めて泣かせてしまった記憶です。

 

このとき、「人を不幸せにするのは絶対に止めよう」と、心に誓った気がします。

 

 

 

今回のセッションで

 

あの時の母は子供の私を見て

 

「あなたのことも今まで通り愛しているのよ」

 

と思っていたことが分かりました。

 

 

 

「必死に努力しないと、愛されない」というのは私の勘違い・・・でした。

 

既に私は愛されていました。

 

 

 

その後、ジーニーさんによって

 

私を努力に駆り立てていた存在を切り離そうとしたとき、

 

その存在はものすごい抵抗を示しました。

 

突然別れ話を切り出された彼氏のように。

 

 

 

切り離すのではなく

 

私の一部としてこれからも一緒だよと伝えました。

 

 

 

最後に見えたのは

 

目の前に真っすぐ続く金色の道。神の道。

 

その両脇は漆黒です。

 

私にはこの神の道しか歩む道はありません。

 

 

 

ジーニーさんはこの道が私を弥栄に導くんだよと

 

教えてくれました。

 

 

 

私の全体がリラックスし、穏やかになる

 

そんなセッションでした。

 

ありがとうございました。

 

  

 

これからどれだけ自分を発見していけるのか

 

わくわくしています。

 

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2016/03/25

『人生の棚卸』を切望して

個人セッションを受けられたHさんからセッションの感想のメールをいただきましたので、ご本人のご了承のもとに紹介させていただきます。

 はじめてご連絡をいただいたとき、Hさんは、「人生の棚卸」をしたいのでそのお手伝いをしてください、と、セッションを申し込んで来られました。

現在は、Hさん自身の「人生の棚卸」をほぼ終えて、さらにもっと自分の整理をすすめていきたいとのことで、個人セッションを継続されております。

 

人生の棚卸。

 

私は、それを「自分の整理」と呼んでいます。そこでは、これまで生きてきた古い自分を脱皮して、

新たな自分に生まれ変わっていくプロセスを経験します。そう、それは新しい自分へと進化していくプロセスであるといえます。なぜならば、それなしで(これまでの自分を癒し、ゆるし、解放し、統合することなしで)、進化はあり得ないということです。

 

自分の人生の棚卸をして新しい自分へと脱皮していきたいと感じている方にとって、

Hさんの感想が参考になるかと思います。

ということで、いただいたメールのまま公開させていただきます。

興味のある方は、どうぞご覧ください。

ありがとうございます。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

<Hさんからの感想メール>

 

 

ジーニー様

 

先日は、素晴らしいトリプルセッションありがとうございました。

今更ですが自分がセッション後の感想をちゃんとお伝えしていなかったな、と反省しています。

あんなに衝撃的な経験だったのに申し訳ありません。

私は、スローペースで本心を伝えるのが苦手なので、

感謝でいっぱいなのですが、なかなか伝えきれません。

そして書いていることも,傍から過去のことのようになってしまい、

なかなかメールすることができませんでした。

 

それに、ジーニーさんにはセッション中には、私が体験していることは私以上に見えているように思えて、

今さらのお伝えしなくてもと思えていたので^_^

それでも、感謝の気持ちはお伝えせねば、と思いメールします。

 

 

トリプルセッションは本当に私の今までの価値観、経験を見事にひっくり返してくれました。

自分のずっと感じていた生きにくさ、痛み、違和感などの繰り返す感情が、どうしても

自分で解決するには、限界を感じていて、私風に言えば、『人生の棚卸』を切望して

お願いしたセッションでしたが、本当に最高のタイミングでジーニーさんにお会いできて

よかったと思います。

 

今までの出来事、自分の家族歴に隠れていた意図をジーニーさんとセッションすることで、

あんなに深い真実(私が感じる)を気付かされ、心から本当に心から感謝しています。

セッション中の感じたことは、終わった後その都度に、急いで書き出していましたが、

もうノート1冊分いっぱいになってしまいました。

でも、今読み返してみたら、

すごく昔のように思えてあの瞬間に精一杯感じきった自分を懐かしく振り返る感じがします。

 

自分では全く感じていなかった、「生きる」ただ生きること。

この言葉が(自分の内側から)出てきたときには本当に驚きました。

それでも、私の口から出てきたハートの言葉は、今の人生だけでなく、

それよりももっと古い魂の記憶までも使って伝えてきました。

そして神を忘れて、自分でどこまでできるかを経験したかった!より深く、より成長したかった。

周りの人たちをも巻き込んでの大プロジェクト!

長かった、つらかった、苦しかったです。

でも、ようやく気づけました。やっと、気付いてくれた!

 

 

次回からのセッションはどうなるかが全く予想がつきません。

自分で感じていた問題は前回のセッションで向かいあったので(どんな自分と出会っていくのでしょう)

ただ、私のハートは今は、フラットな状態です。

これは、まだ閉じている状態なのでしょうか?

ハートにつながるだけで、喜び、幸福感、ということはないです、

でも安定した静けさはずっと継続しています。

日常生活で、マインドのおしゃべりなのか、ハートの囁きなのかと区別して聞き分けています。

 

 

長文になってしまい申し訳ありません。

書き出したら、逆にお伝えしたいことがたくさんでてきて、散文になってしまいました。

まとまりのない文章でも、少しでも前回のセッションへの感謝が伝われば、幸いです。

 

ジーニーさんのBlogを読みながら、

改めて今このタイミングでセッションをお願いできた幸運に心から感謝しています。

4月からのセッション、ご迷惑をおかけすることもあるともいますがよろしくお願いします。

 

(東京 女性)

 

2016/03/21

それはなんて満ち足りているんだろう

個人セッションを最近受けられた方の体験談・感想をご紹介したいと思います。

ご本人のご了承のもと、いただいた感想メールをご紹介するとともに、

 

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<Rさんからの感想メール>

 

ジーニーさん

 

こんにちは。先日は素敵なセッションをありがとうございました。

今回のセッションは、深いところから出てきましたね。深過ぎて結局熱を出しました。

 

わたしのみならず朝は元気に仕事に出かけた主人までも高熱で早退。お手上げです。

抵抗しません。できません。

 

彼はかなりの高熱でしたのでインフルエンザの心配もあり近所の内科へ行きました。

ついでにわたしも看てもらおうと、なんと10年以上振りに内科へ行きました。

これまでは気管支炎もオイルで治す!と意気込んで長い時間かけて体力を消耗しました。

薬=悪、という観念があったのでしょう。

それからも自由になれた気がして、

大嫌いだったお医者様へ行くのに少しだけワクワクした自分が信じられません。

結果はシロでした。四十九日も終わって疲れがでたのでしょう。

浄化と思いじーっとしています。水分だけは言われたようにとっています。

 

そして食欲が無くならないので、これまたお約束させてもらったように、

まずはお米をおいしくいただいています。「おいしいね」と言いながらぱくぱく食べてます。

2人とも食欲だけはすごくて、以前なら浄化の時期は食べない方が…と思っていたのですが、

今は食べられる体、食べ物がある環境、目の前においしいものがあることに感謝して、

好きなように食べています。

 

 

セッションのときに、ジーニーさんもおっしゃられたように、

わたしがこの半年で身内を2人失ったことは、古いわたしが居なくなっていくことなのですね。

わたしが死んでゆくことでもある。

身内では2人ですが、セッションで出会った人(過去生なのか未来生なのか)を含めたら、

相当数さよならしてます。さよならしながら統合している。

 

実際の家族とセッションで出てきた人たち、この人たちに何ら区別はありませんね。

 

そうそう、セッション直後、近所の大好きだったお店が閉店したのを知りました。

店主に2月からリフォームに入るとは聞いていたのですが、実際は閉店していたのでした。

リフォームが嘘だったのか、リフォーム途中で閉店となってしまったのか真実はわかりませんが、

いづれにせよ消えないと思っていた大好きな場所がまたひとつ消えてしまいました。

 

職場でも大好きな友人が数人去って行きます。

もうコントロールできないのですね。わたしはそれを受入れるしかない。

でも必要なものはきっとまた出てくる、姿形を変えて。そう思います。

 

 

今回のセッションでもたくさん泣きました。

最近は深いところ(集合意識的な場所?)が癒された時は自分の泣き方でわかるようになりました。

その思いが身体の深いところから出てくる体感もあるのですが、

理由がわからないのに号泣してるとでもいいますか、

誰かがわたしの体を借りて泣いているような、わたしが誰かの体を借りて泣いているような、

号泣しながらもそのように冷静に感じている自分がいます。

でも泣くことをとめることは出来ません。

それは勝手に起こってくるし、

全体に包まれているような安堵感があるのでとめようとも思わないのですけどね。

 

 

あと今回いつもと違ったのは、ジーニーさんに

「卑しいのは悪いことですか」と問いかけられただけなのに、ものすごく癒しが起きたことです。

通常ですと(そういう言い方もおかしいですが)その後答えがでるまで自分と対話をするのですが、

その必要もなくジーニーさんの声と問いかけに自然と涙が溢れたのでした。

「卑しいことは何も悪いことじゃない」と。わたしが卑しさを許したのではなく、

わたしがジーニーさんの身体を通して起きているものに許された瞬間でした。

 

 

 

今回のセッションでわくわくしたことは、「あなたにもう未来は必要ありませんね」という言葉。

昨夜寝ながら「未来は必要ないのか〜」と思ったら、

「今ここにある物が全てで、それはなんて満ち足りているんだろう」という感情が湧いてきました。

初めての感覚です。

本当に満ち足りている時って今迄もそこにあったもの、目新しくないものにも豊かさを感じられる。

それは無理矢理価値をつけるでも思い込むのでもなく、

ナチュラルにあるもの全てが愛おしく、全部が自分を満たしてくれているのがわかるのですね。

新しい洋服を買った時のような高揚感や興奮を伴わない、でも自分の内側から溢れてくる感じ。

気持ちよかったです。

でもまだまだ物欲も捨てきれませんので、自然にそれらが落ちる迄は追いかけますよー。

 

 

ジーニーさんにメールをしようとPCの前に座りながら、でも熱や痛みで書けず、

ただただHPを眺めていた時、少しの不信感がでてきました。

それは神様に対するものです。多分ジーニーさんや神様を何度も何度も(過去世で)亡くしているのです。

ジーニーさんを亡くした時も、(時に船上で、時に言われなき罪で)神様はいないと思いましたし、

神様自身の不在も何度も経験したと思います。

でももうそれが終わるんだと思いました。

 

 

本当にいつもいつもありがとうございます。

前回のセッションから(セッションをするたびに)空気が柔らかくなるのを感じます。

今回もまたさらに柔らかくなったように思います。目の前の景色が固くないのです。

これからも楽しみです。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

(東京 女性)

 

2016/03/20

自分の変化をますます楽しんでいこうと思います

個人セッションの体験談・感想を、

ご本人のご了承のもとにいただいたメールのままご紹介させていただきます。

ご興味のある方は、どうぞご覧ください。

 

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<Tさんからの感想メール>

 

ジーニーさん

 

昨日はセッションをありがとうございました。

スカイプでメッセージまでいただき、感謝しています。

私のための備忘録として、昨日のセッションを振り返っておきます。

 

既に覚えているような、覚えていないような感覚なので

脈絡のない文章になります。

 

まず驚いたのは

とても丹田が苦しくて、呼吸が出来なくなったことです。

 

何の問いでそうなったかは忘れましたが

とても苦しかった。

そして、何かの問いで和らぎました。

 

苦しみを体験しないと、頑張らないと、成長しない。

何かを得られない。

普通の生活を送ることができない。

 

このような恐怖が

今まで自分を苦しむ方向に向かわせていました。

 

「制限を解放する」ことは、私の人生の最大テーマだと思い

今まで学びを続けていました。

 

そして、制限は家庭環境(自由にできなかった両親の教育など?)のせいだと

思っていましたが、

なんと、私が自分を守るために創り出したものだったようでした。

 

あまのじゃくくん・・・

自己欺瞞の正体でしょうか?

これも今は、何がどうであまのじゃくかは分かりません。

ただ、そうすることが楽しかった。

 

母は自分の人生を

子供たちを全身全霊で愛し育てることに捧げたかったんだ

とも思いました。

だから母は可哀そうな人ではなく、やりたいようにやったように思います(笑)

 

私の愛を生きます。

 

ジーニーさんから「あなたはそれをやる」と言われ

1度ハートを真っすぐに突かれました。

今の自分の仕事とどのように折り合っていくのか分かりませんが

そのことは楽しみにしていきたいと思います。

(そういえば、1年ほどまえ、チャネラーの方に「あなたはもっと本質的なことを教えることになりますね」と言われたことがあり、それとも繋がっているかもしれません)

 

 

昨日はその後すっかり疲れてしまいました。

 

そして、今朝・・・

もうどれくらいになるか分かりませんが、

ずっと明け方が苦しくて、変な夢を見たり、恐怖感があったのですが

それがなくなっていました。

 

また、1年くらいハートが痛かったのですが

それも今朝はありませんでした。

 

何かが変わったかもしれません。

 

ジーニーさんのセッションは

チャネリングも使っているのでしょうか?

とっても不思議なセッションでした。

顕在意識的でもあり、見えないものを見ているようでもあり。

 

自分の変化をますます楽しんでいこうと思います。

次回も楽しみにしています。

 

感謝をこめて。

 

(東京 女性)

 

2016/03/18

Give Yourself LOVE

与えよ。

どうぞ、与えてください。

 

だれに?というなら、

もちろん、あなた自身に、です。

他のだれでもなく、あなた自身に、です。

あなた自身を第一優先にして与えてください。

他のだれよりも与えられるべき存在は、あなた自身なのだということを知ってください。

あなたに与えることができるのは、あなた自身でしかありえず、

与えられるべき存在とは、あなた自身なのです。

 

あなたは、いったい、だれに与えるというのでしょう?

あなたは、いったい、だれに与えてもらうというのでしょう?

 

すべて、あなた自身です。

 

あなたは、これまでたくさんの人たちに与えてきたかもしれません。

自分のことはさておいて、

自分の家族やまわりの人たちのために与え続けてきたかもしれません。

自分以外のだれかに与え続けてきたあなたは、ただそれだけに奔走し、

だれも満たすことが出来ず、いつしか疲れ果て、

ついには、もう与えるものすらなくなり枯渇してきました。

そうなのです。

そうやり方では、だれも満たすことは出来ないことを知ってください。

そこには、何の救いも解決もないことを、そして、キリがないことを知ってください。

なぜならば、この世のすべてはあなた自身の姿だからです。

もっと正確に言えば、この世のすべてはあなた自身を投影した世界なのです。

そう、

他のだれよりも、枯渇していたのは、あなた自身なのです。

他のだれよりも、飢えていたのは、あなた自身です。

どうぞ、そのことに気づいてください。

 

もっとも、与えられるべきなのは、あなた自身なのです。

 

あなたが、あなた自身に与えずして、

いったい、あなたは、だれに与えられるというのでしょう?

 

どうぞ、これからは、あなた自身を一番に与えてください。

そして、愛してください。

どうぞ、これからは、あなた自身が一番に与えられてください。

そして、愛されてください。

あなたが、そうやって自らに与えていくとき、あなたは満たされることを知るでしょう。

さらにいうならば、決して尽きることのない溢れんばかりの湧き出る愛が、

自らの内にあることを知るでしょう。

そして、あなたは無限に与えることができるとわかるでしょう。

もう、あなたが枯渇することはなくなるでしょう。

もう、あなたが飢えることはなくなるでしょう。

 

そう、だれもが、自らで自分自身を満たして生きるとき、この世界は変わります。

 

この世から、飢えがなくなるでしょう。

それどころか、だれもが豊かに弥栄(いやさか)の世となっていくことでしょう。

この世から、奪い合いがなくなるでしょう。

それどころか、だれもが分け与える弥栄の世となっていくことでしょう。

この世から、争い、戦いがなくなるでしょう。

それどころか、平安と調和に満ちた弥栄の世となっていくことでしょう。

 

与えてください。

自分自身に与えてください。

あなたが与えるべき相手は、だれでもなく、あなた自身なのだということを知ってください。

そして、他のだれよりも、大事に、優先的に、一番に、自分自身に与えることをしてください。

あなたは、自分自身によって与えられ、満たされるのだということを知ってください。

あなたは、すべてを与えることができます。

あなたは、無尽蔵に与えることができます。

 

Give Yourself LOVE.

 

その愛をあなた自身に与えてください。

 

あなたがすべきことはそれだということ。

あなたはそれをするだけでいいのです。

 

それによって、この世界は、あなたが本当に望んだ世界に変わるのです。


2016/03/17

Going Home

家路。

 

お家に帰ろう。

 

生きることに疲れ果てた。

 

戦うことに疲れ果てた。

 

もう、頑張れない。

 

休息したい。

 

ゆっくり眠りたい。

 

安らぎたい。

 

もう二度と帰らない、帰ることはないだろうと思っていた。

 

でも、もう帰るところがそこしかない。

 

家路へ向かおう。

 

私の生まれ育った場所に帰ろう。

 

父なきこの世界は、孤独だった、、、独りぼっちだった。

 

もう、帰ろう。

 

母がいる場所へ帰ろう。

 

我が故郷。

 

我が心のふるさと。

 

我が心の原点。

 

我が心の源。

 

我が心の父と母が住む場所へ。

 

お家に帰ろう。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

それは、13年前の私の過去の追憶です。

あの時の私がいたから、今の私がいます。


2016/03/16

「食べる」ことに目覚めて

不食生活を止めて、2週間が経ちました。

不食によって、「食べる」ことに目覚めたというのも滑稽なものです。
いやいや、「食べる」という行為を侮ってはいけません。
その奥深さには、神の道へ通じるものがあります。

この物質次元で生きるとはどういうことなのか?
この肉体で生きるとはどういうことなのか?

私は、「食べる」ということを通して、「生きる」ことのその本質を垣間見たのです。
わかってきた、、、みえてきた、、、
私は、こんな世界を今まで知らなかった。
それと同時に、こんな世界を垣間見ることが出来たことに本当に嬉しいとすら感じています。
こんな世界を知らずして、そのまま不食者になっていたならば、なんて、もったいない!と。
「食べること」は、生きることと直結しています。
「食べる」とは、神聖な行為です。
「食べる」とは、この世のあらゆる生命との交流(まぐわい/交わり)です。
そこには、歓びがあります。
この世のあらゆる生命と交わる、、、食べるということは、そういうことなんだと。

「食べる」という世界は、まだまだ奥が深いです。
まだまだ、いろんなことがそこに隠されている気がしています、
私は、それをこれから追究しようと思っています。
そこには、歓びがあります。
そこには、神への道が開かれています。
私には、それがわかります。

そうなのです。
この肉体(物質)次元と、「食べる」という行為との間には、大いなる秘密が隠されている、、、
味覚を超えた歓び、それは生命の交流の歓びであり、この世の純粋なる歓喜がそこに存在している、、、
私は、それを知りました。
そして、もっともっと知りたいと思っています。

そんなわけで「食べること」、「食」に目覚めてしまった私です。
食べることを楽しんでいる私がいます。
食べることは、嬉しい、楽しい、至福、感謝、、、それらの気持ちを同時に味わうことができます。
そのおかげで、私の体重も、体重計で測ったわけではありませんが、元の体重に戻ったような気がしています。
いや、むしろ、元の体重を超えているかもしれません。
とはいいましても、もともとが痩せていた私ですから、これからまだまだ太るつもりでいます。
丁度いい加減にまで太ろうと思っています。
なにせ、こういう太っていく自分を経験するのは、私の人生の中でも珍しい体験です。
20代の頃に、一度だけ「太る」という経験をしたことはあるのですが、それでも、今想えば、普通の体格になったという具合で、太ったとはいえません。そのときは、あまりにも身体の重さを不自由に感じたので、「痩せよう」と思ったら、なんの努力もなしに、すぐにもとの痩せ型の体型に戻ったといういきさつがあります。
その後、何度かもう少し太りたいと思って試みたことがあるのですが、なかなか体重が増えなかったというのが事実です。
むしろ、年を取るにつれて、食が細くなっていったせいもあって、なかば太らない体質なのだとあきらめていたのでした。

なので、不食を試みて、まさかこんな展開になろうとは意外でした。
不食は、痩せている者にとっては、ある意味、真逆の方に向かっていくのですから、それは覚悟が要りました。
すると、どうでしょう。
なにせ、骨と皮だけに痩せ細って筋肉も落ちた後というのもあって、体質がまったく変わってしまった気がしています。
と申しましょうか、身体に付いていく肉がこれまでのものとはまるでちがいます。
筋肉ではなく、主に皮下脂肪が身体を纏っていく、そんな感じで、その様は、ふくよかな身体になっているようです。
まるで肉体改造が起きたような感覚すら覚えます。

体重が増していくのを感じながら、お腹から下半身にかけてどっしりとした安定感を感じ始めているのも興味深いです。
いわゆるグラウンディングということなのでしょう。地球にしっかり足がついている、腹が据わっている、そんな感じでしょうか。
もちろん、体重の重さ、身体の重さも感じ始めていますが、それよりも、地球の重力を楽しんでいるそんな感覚すらあります。

もう、私は、別人になっていっているのでしょう。
あきらかに、これまでの私とはちがいます。
鏡に映る自分の顔を見ても、私自身もそう感じます。
力強さ、パワー、ある意味、子供から成人(大人)になったような、そんな感覚を覚えます。
それは、もちろん私自身の内面の変容が、フィジカル(肉体)面に投影されているのだと。
そして、それは、現実面にもこれから投影されていくのだと予感しています。
豊かさ、ふくよかさ、裕福さ、、、それらは、すでに私の内面では満たされています。
それがどのようにこれから現実面において顕現してくるのか、この私自身も、じつに、楽しみです。


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2016/03/15

わたしの中で全て融合されてきている

個人セッションの感想として、ご本人のご了承のもとにそのままご紹介させていただきます。

ご興味がある方は、どうぞご覧ください。

ありがとうございます。


・・・・・・・・・・・・ 

 

<Mさんからのメール 1通目>

 

ジーニーさん

 

おはようございます。

昨日も素晴らしい時間をありがとうございました。

 

今朝になって気づいたことがあったので、

シェアさせていただきたなと思ってメールしています。

 

昨日の鬼のような過去生のわたしは、

みんなにわかってもらえない

人は無能だと思っていましたが、

それよりも怖かったことがあったと思い出しました。

 

それは

「そこにいる人たちがそばに来ることが一番怖かったんです」

 

鬼のような私が小人のような人たちと触れ合うことは、

触れたらすぐに壊れてしまうような感覚で

みんなを殺してしまうよう感じだったからです。

 

そう言った理由から、そこにいた人たちを退けて(避けて)きたんだとわかりました。

 

それを感じてまわりを見渡してみたら、

数人足元に人が集まっていました。

 

その人達は鬼のわたしの足元に抱き付いて、

無邪気な笑顔でわたしを見たり、

まわりの人達と話をしたり。

とても楽しいそうで、わたしに触れても怖くないんだと解りました。

 

もうこの鬼の武装もいらないんだなって気づいて、

鬼の着ぐるみを脱いだら、

そこは光のわたしでした。

 

この光を見せたくなくて、鬼(の仮面、着ぐるみ)を着ていたんですね。

 

きっとこんな姿を見せたら、みんなビックリしちゃうし、

眩しくて近寄れないし、その光の威力によって怖さを倍増させてしまうから、

また攻撃される。

 

そう思ってきたんだとわかりました。

 

鬼の着ぐるみも脱いで、さようならして、

光になったわたしの元に来てくれる人もいて。

 

わたしのところに人が来てくれるんだと、びっくりしました。

でもこれが真実なんでしょうね。

 

上手くまとめられなくて、見たまま感じたまま書いてしまいました。

 

昨日、本当に大丈夫??って思っていたことの続きはこれだったんですね。

 

また一段とこころも透明感を増して、

カラダもすっきりしました。

 

3月がスタートするステキな一日になりそうです。

 

また次回(のセッション)楽しみにしています。

 

いつもありがとうございます。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

<Mさんからのメール 2通目>

 

ジーニーさんへ

 

こんにちは。

今、かなり変容しているようで、今日も不思議な感覚があったのでメールさせていただきました。

 

気づきとして残しておきたいこともあり、送らせていただきますね。

 

次回セッションまで、今まで感じたことのない感覚を感じると思いますので、

気づいたらメールさせてください。

 

特にお返事はいりませんが、ジーニーさんから見て必要なものがあれば教えてください。

 

今日は自分の中の意識上のことで気づきがありました。

世間でいう良い悪いの概念が私の中で崩れていることが、ハッキリわかりました。

 

良い悪いの境目がなく、両方同じエリアにある感覚なので、

判断しろと言われたら判断できないと思いました。

 

今まであった区別がなくなっていく感じがしていて、

たしかに悪い行動は悪いのですが、それがなに?という感じなのです。

 

今のわたしの状態で、もしなにかセミナーや教えることをしたら、

言葉として教えられないなと(笑)

 

そう思うのも一辺倒の考え方では、語りつくせません。

 

その人それぞれの場所に対して、何かいうことは出来ても、全体に言うことは難しいです。

 

わたしの中で全て融合されてきているからなんでしょうね。

 

人間なのに人間じゃない感覚もあるかもしれません。

見た目人間、考え方宇宙人みないな感覚です。

 

今までにない感覚ですが、この方向で良さそうだと思うので、そのまま味わってみますね。

 

また気づいたことがあったらメールさせてください。

 

お忙しいところ、ありがとうございました。

 

(埼玉 女性)

 

2016/03/11

身体のトランスフォームが起きています

約40日間にわたるプチ断食の生活によって、すっかり身体の肉(筋肉までも)が落ちてしまって、一旦はまるで骨と皮だけの身体になってしまったわけですが、また少しづつ肉が身体に付きはじめているのがわかります。
しかも、その肉の付き方は、これまでとはまるでちがう付き方をしていっています。
柔らかい女性的な肉の付き方と申しましょうか。
これまでの私と言えば痩せてはいましたが、どちらかといえば筋肉体質だったのですが、脂肪で太り始めている感じです。
それを一言で表現するなら、「ふくよかさ」が増してきている、と言った具合でしょうか。
それは、私にとっては初体験なことで、新鮮さを感じています。
なにせ、今までの自分とはまるでちがう身体になっていっているのですから。
私自身が、別人になっていっている、、、
それは、もっともっと顕著になっていくことでしょう。
私は、私でありながら、もう、以前の私ではなくなっていっているのも自分でわかっているのです。
それにともない、自らの身体の古い細胞と新たな細胞とが入れ替わっているのもわかります。
私の身体は、そのようにして別人の身体になっていっている、、、私は、それを楽しんでいます。
もう、以前の私ではありません。
自分を鏡で覗いても、自分でありながら、自分でない、、、そんな感覚すら覚えます。

この人は、一体だれなんだろう?
この人は、一体何者なんだろう?

そして、私は、どんな私になっていくのでしょう?

そう想うだけで、楽しくもあり、なんだか笑えてきて、ワクワクしてきます。


2016/03/08

食べても食べなくても

3月3日に不食生活を休止して、この4、5日間は食べまくって、自分自身に与えることをしています。

そして、今日3月8日からは、あずき(小豆)を食べる生活をはじめます。
一日一食の食事を基本に、お腹が空いたら、我慢せずにあずきやあんこ(パンで)を食べていこうという生活です。
「あずき断食」ではなく、「あずき食」のはじまりです。
あるひょんなことから、食事にあずき(小豆)を取り入れていこう、ということになったわけですが、ここでそのいきさつを書くのはやめときます。またいずれ、機会があったら打ち明けます。
とにかく、それは、自然なかたちでそのような生活をしてみようということになったのでした。

さて、この4、5日間、食べまくって、食べまくって、とことん自分自身に与えまくるという食事をしてきたわけですが、気づいたことがありました。
それは、わたしたちは、『この世界は有限である』と無意識的にそう信じ込んでいるということです。
すべては有限であって、それらはいつかなくなってしまう、と思い込んでいるということに気づくのです。
それは、お金でも、エネルギーでも、有限だと。
モノというモノは使うと必ず減っていっていつかは無くなってしまうものだと思っているということです。
でも、本当はそうじゃないんだと思います。
すべては無限にあるのだと。
無限に供給されることは、可能だ、ということです。
というよりも、そっちが本来の宇宙の姿だということです。
本来、わたしたちは、無限に与えられ続けているのだと思うのです。
そこに限りはないのです。
そう、限りなんて、本当は、この世にはないのです。
でも、これまでのわたしたち人間は、「いつかなくなってしまう、終わってしまう」というふうに、この世を限りある世界だと勘違いしたのです。
そう、内なる直感は知っています。
すべては無限であるということを、です。

この気づきは、私にとっては、大きいです。

有限から無限へ。

有限の足りない世界から、無限に満ち足りた世界への移行(シフト)でもあります。
それは、奪い合う世界から、分かち合う世界への移行でもあります。
奪い合う世界の終焉です。
争いの終焉です。
競争の終焉です。
戦いの終焉です。

与え続けよ。そして、栄えよ。

今のこの私にとっては、与えることとは食べることです。
限りなく与え続けていくこと。
そして、私は、与え続けていくことができるのです。
それは、歓びでもあります。
与えて歓び。
与えられて歓び。
そして、感謝。
それこそが、弥栄の道だといえましょう。

本来は、この世界は、無限供給の世界なのだと。

私は、それを知っています。
私は、これから、それを顕現していくことを知っています。
私は、これから、それを体現していくことになっています。

無限供給、、、なんて、心地良い響きでしょう!

無限供給。
それは、宇宙の本来の姿であり、わたしたちに本来与えられた特権であり、自然なかたちであり、整った姿であり、正しい流れなのだということです。
そして、それこそが、「フリーエネルギー」と関連するものだということです。
もう、その時代は、近いです。
「フリーエネルギー」が、この世に顕現していくことになるでしょう。

そして、わたしたちの身体もそうなっていくことでしょう。
フリーエネルギーのような身体へと変容していくことでしょう。
そのキーワードが、「不食」です。
それは、けっして、食べることを否定するものではありません。
不食は、食べないということではありません。

「食べても食べなくてもどちらでもいい」

という、その食べることへの「自由さ」こそが、「不食」なのだと私は思います。
味覚は、歓びです。
「食べなくとも生きていける」その自由さを手に入れていくそのプロセスを楽しみたいと思っています。

今までの私の観念の制限がどんどんはずれていくのがわかります。
私自身が、まるで別人になっていく、そんな感覚すら覚えます。

有限から無限へ。

そして、私は、

蛹から蝶へ、

今がその真っ最中、、、そんな気がしています。