2016/03/08

食べても食べなくても

3月3日に不食生活を休止して、この4、5日間は食べまくって、自分自身に与えることをしています。

そして、今日3月8日からは、あずき(小豆)を食べる生活をはじめます。
一日一食の食事を基本に、お腹が空いたら、我慢せずにあずきやあんこ(パンで)を食べていこうという生活です。
「あずき断食」ではなく、「あずき食」のはじまりです。
あるひょんなことから、食事にあずき(小豆)を取り入れていこう、ということになったわけですが、ここでそのいきさつを書くのはやめときます。またいずれ、機会があったら打ち明けます。
とにかく、それは、自然なかたちでそのような生活をしてみようということになったのでした。

さて、この4、5日間、食べまくって、食べまくって、とことん自分自身に与えまくるという食事をしてきたわけですが、気づいたことがありました。
それは、わたしたちは、『この世界は有限である』と無意識的にそう信じ込んでいるということです。
すべては有限であって、それらはいつかなくなってしまう、と思い込んでいるということに気づくのです。
それは、お金でも、エネルギーでも、有限だと。
モノというモノは使うと必ず減っていっていつかは無くなってしまうものだと思っているということです。
でも、本当はそうじゃないんだと思います。
すべては無限にあるのだと。
無限に供給されることは、可能だ、ということです。
というよりも、そっちが本来の宇宙の姿だということです。
本来、わたしたちは、無限に与えられ続けているのだと思うのです。
そこに限りはないのです。
そう、限りなんて、本当は、この世にはないのです。
でも、これまでのわたしたち人間は、「いつかなくなってしまう、終わってしまう」というふうに、この世を限りある世界だと勘違いしたのです。
そう、内なる直感は知っています。
すべては無限であるということを、です。

この気づきは、私にとっては、大きいです。

有限から無限へ。

有限の足りない世界から、無限に満ち足りた世界への移行(シフト)でもあります。
それは、奪い合う世界から、分かち合う世界への移行でもあります。
奪い合う世界の終焉です。
争いの終焉です。
競争の終焉です。
戦いの終焉です。

与え続けよ。そして、栄えよ。

今のこの私にとっては、与えることとは食べることです。
限りなく与え続けていくこと。
そして、私は、与え続けていくことができるのです。
それは、歓びでもあります。
与えて歓び。
与えられて歓び。
そして、感謝。
それこそが、弥栄の道だといえましょう。

本来は、この世界は、無限供給の世界なのだと。

私は、それを知っています。
私は、これから、それを顕現していくことを知っています。
私は、これから、それを体現していくことになっています。

無限供給、、、なんて、心地良い響きでしょう!

無限供給。
それは、宇宙の本来の姿であり、わたしたちに本来与えられた特権であり、自然なかたちであり、整った姿であり、正しい流れなのだということです。
そして、それこそが、「フリーエネルギー」と関連するものだということです。
もう、その時代は、近いです。
「フリーエネルギー」が、この世に顕現していくことになるでしょう。

そして、わたしたちの身体もそうなっていくことでしょう。
フリーエネルギーのような身体へと変容していくことでしょう。
そのキーワードが、「不食」です。
それは、けっして、食べることを否定するものではありません。
不食は、食べないということではありません。

「食べても食べなくてもどちらでもいい」

という、その食べることへの「自由さ」こそが、「不食」なのだと私は思います。
味覚は、歓びです。
「食べなくとも生きていける」その自由さを手に入れていくそのプロセスを楽しみたいと思っています。

今までの私の観念の制限がどんどんはずれていくのがわかります。
私自身が、まるで別人になっていく、そんな感覚すら覚えます。

有限から無限へ。

そして、私は、

蛹から蝶へ、

今がその真っ最中、、、そんな気がしています。


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