2016/03/16

「食べる」ことに目覚めて

不食生活を止めて、2週間が経ちました。

不食によって、「食べる」ことに目覚めたというのも滑稽なものです。
いやいや、「食べる」という行為を侮ってはいけません。
その奥深さには、神の道へ通じるものがあります。

この物質次元で生きるとはどういうことなのか?
この肉体で生きるとはどういうことなのか?

私は、「食べる」ということを通して、「生きる」ことのその本質を垣間見たのです。
わかってきた、、、みえてきた、、、
私は、こんな世界を今まで知らなかった。
それと同時に、こんな世界を垣間見ることが出来たことに本当に嬉しいとすら感じています。
こんな世界を知らずして、そのまま不食者になっていたならば、なんて、もったいない!と。
「食べること」は、生きることと直結しています。
「食べる」とは、神聖な行為です。
「食べる」とは、この世のあらゆる生命との交流(まぐわい/交わり)です。
そこには、歓びがあります。
この世のあらゆる生命と交わる、、、食べるということは、そういうことなんだと。

「食べる」という世界は、まだまだ奥が深いです。
まだまだ、いろんなことがそこに隠されている気がしています、
私は、それをこれから追究しようと思っています。
そこには、歓びがあります。
そこには、神への道が開かれています。
私には、それがわかります。

そうなのです。
この肉体(物質)次元と、「食べる」という行為との間には、大いなる秘密が隠されている、、、
味覚を超えた歓び、それは生命の交流の歓びであり、この世の純粋なる歓喜がそこに存在している、、、
私は、それを知りました。
そして、もっともっと知りたいと思っています。

そんなわけで「食べること」、「食」に目覚めてしまった私です。
食べることを楽しんでいる私がいます。
食べることは、嬉しい、楽しい、至福、感謝、、、それらの気持ちを同時に味わうことができます。
そのおかげで、私の体重も、体重計で測ったわけではありませんが、元の体重に戻ったような気がしています。
いや、むしろ、元の体重を超えているかもしれません。
とはいいましても、もともとが痩せていた私ですから、これからまだまだ太るつもりでいます。
丁度いい加減にまで太ろうと思っています。
なにせ、こういう太っていく自分を経験するのは、私の人生の中でも珍しい体験です。
20代の頃に、一度だけ「太る」という経験をしたことはあるのですが、それでも、今想えば、普通の体格になったという具合で、太ったとはいえません。そのときは、あまりにも身体の重さを不自由に感じたので、「痩せよう」と思ったら、なんの努力もなしに、すぐにもとの痩せ型の体型に戻ったといういきさつがあります。
その後、何度かもう少し太りたいと思って試みたことがあるのですが、なかなか体重が増えなかったというのが事実です。
むしろ、年を取るにつれて、食が細くなっていったせいもあって、なかば太らない体質なのだとあきらめていたのでした。

なので、不食を試みて、まさかこんな展開になろうとは意外でした。
不食は、痩せている者にとっては、ある意味、真逆の方に向かっていくのですから、それは覚悟が要りました。
すると、どうでしょう。
なにせ、骨と皮だけに痩せ細って筋肉も落ちた後というのもあって、体質がまったく変わってしまった気がしています。
と申しましょうか、身体に付いていく肉がこれまでのものとはまるでちがいます。
筋肉ではなく、主に皮下脂肪が身体を纏っていく、そんな感じで、その様は、ふくよかな身体になっているようです。
まるで肉体改造が起きたような感覚すら覚えます。

体重が増していくのを感じながら、お腹から下半身にかけてどっしりとした安定感を感じ始めているのも興味深いです。
いわゆるグラウンディングということなのでしょう。地球にしっかり足がついている、腹が据わっている、そんな感じでしょうか。
もちろん、体重の重さ、身体の重さも感じ始めていますが、それよりも、地球の重力を楽しんでいるそんな感覚すらあります。

もう、私は、別人になっていっているのでしょう。
あきらかに、これまでの私とはちがいます。
鏡に映る自分の顔を見ても、私自身もそう感じます。
力強さ、パワー、ある意味、子供から成人(大人)になったような、そんな感覚を覚えます。
それは、もちろん私自身の内面の変容が、フィジカル(肉体)面に投影されているのだと。
そして、それは、現実面にもこれから投影されていくのだと予感しています。
豊かさ、ふくよかさ、裕福さ、、、それらは、すでに私の内面では満たされています。
それがどのようにこれから現実面において顕現してくるのか、この私自身も、じつに、楽しみです。


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