2016/06/27

知識について

知識としてのスピリチュアルがなければ、

あなたはここまで到達することはなかったでしょう。

そのような知識があったからこそ、あなたはそれを求めることが出来たのであり、

そして、あなたはここにいるということです。


一方、それと同時に、あなたはスピリチュアルな知識によって惑わされもしてきました。

それらの知識が、かえって、ここに至るまでの妨げになったのも否めません。

たしかに、あなたのマインドはそれらの知識に囚われてしまったのも事実です。

それによって、あなたは、ずいぶん大変な想いをしたことも苦悩したことも知っています。

そのせいで、あなたは、自分はずいぶん回り道をしてきたと思っています。

無駄なことだったと思い込んでいます。

そう、知識としてのスピリチュアルに否定的な感情を抱いています。

スピリチュアルな知識を振れ回す人たちに対しても、いい感情を持っていません。


でももう、それをゆるすことを覚えてほしいのです。

知識は、ある段階においては必要なのです。

今のあなたにとっては不要と思える知識も、ある人にとっては有益だったりするのです。

あなたが、そのことを受け入れ、ゆるすとき、

あなたがこれまで言葉としての知識によって苦悩してきたその経験は、

あなたの深さとしてきっとこれから活かされていくことになるでしょう。

自分がしてきた経験を無駄だと思う必要はありません。

あなたは、あなたにとって必要な道をたどってきたということです。

そして、人は人で、必要な道をたどっているということです。

人は、それぞれ自分にとって必要なプロセスを歩んで目覚めていくことになっています。

そして、そのプロセスこそが、そのたどってきた経験こそが、

あなたをあなたたらしめるものであり、あなたをこれから生かすものでもあるのです。


あなたの知識をひけらかす必要はありませんが、

でも、あなたの言葉としての知識を必要としている人がいます。

どうぞ、そのことを知ってください。

そして、ぞの言葉として学んできた知識を生きてください。

知識は、それを生きてこそあなただけでなく、だれもの叡智となっていくのです。


そして、何よりも、

スピリチュアルな知識を、頭で、言葉で生きている人たちをゆるしてください。

彼らが自由であることをゆるすのです。

彼らを自由にすることで、どうぞ、あなたが自由になってください。

知識としてのスピリチュアルも必要であるということ。

そのことを受け入れてください。

あなたがそうなるとき、

そのあなたから出てくる言葉こそ、あなたをあなたたらしめるものとして、

叡智なる言葉として、この世に解き放たれていくことでしょう。


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2016/06/23

バーチャルリアリティー

バーチャルリアリティー。

それを、そのまま直訳すると、仮想現実、ということなのですが、

私がそのことばをはじめて耳にしたのは1990年代初頭の頃でした。

それから二十数年経つのですが、

現代のバーチャルリアリティーのその科学テクノロジーは、

かなりの進化をみせていることを知りました。

仮想の現実でありながら、

それがあたかも本当の現実のように知覚してしまうほどのリアル感を体験できるというのです。

その科学テクノロジーの進歩に驚きを隠せません。


バーチャルリアリティーというものの登場によって、私が想ったことは、

人間の知覚というのものは、そんな簡単にだまされてしまうのだということです。

わたしたちの知覚というものは、本当に当てにならないのだなと。

だまされやすい、信じ込みやすいのだということ。

極端にいうと、誇大妄想になってしまいますが、

このままバーチャルリアリティーの技術が進化するなら、

それがバーチャルの世界だということすら忘れてしまうほどのものを作り出すことすら、

可能なのでは?とさえ想うのです。


そういうことで言うならば、

じつは、わたしたちが現実と思っているこの世界こそがそういうものなのではないでしょうか?

この世界こそ、自分が認識しているこの時空間の世界こそ、

自我が巧妙に作り出したバーチャルリアリティーだということです。


そう、つまり、この現実と思っているこの世界こそ、

真理からすれば、まさにバーチャルリアリティーの世界なのです。


そういうことをいにしえの覚者たちはすでに知っていました。

この世界は幻想(マーヤ)である、つまり、バーチャルである、と。

仏教の世界では、『般若心経』でそういうことが表現されています。


そういう意味でいうと、

今の時代では科学テクノロジーをとおして、

そういうことをみせてくれている時代になったといえます。

宗教の神秘なる世界が科学テクノロジーの進歩によって、

こうやってどんどん目にみえるかたちで物質化されていく時代になったのだと。

それは、わたしたち人間の意識が進化してきた証だともいえます。


人工知能も同様のことが言えるのですが、

わたしたち人類の科学テクノロジーは、神の領域に入ってきている感じがします。

そして、かつて、同じようにテクノロジーが神の領域に触れた時代があったのではないか!?

ということを直感するのです。

一万三千年の時代を超えて、今、わたしたち人間の意識は、その時をまた迎えているのだと。


内なる世界(潜象界)が、どんどん現象界に反映されていく時代。

それは、潜在していたものが、表面化していく時代。

それは、内在していた神性が顕在化していく時代だとも言い換えられます。

それは、ますます加速していくことになります。

内なるあらゆるものが顕著に現実化、物質化していきます。


そんな時代を、これからわたしたちは生きるのだということです。


2016/06/03

ドラマを楽しむ?それとも離れる?

ドラマや映画、ゲームなどもそうですが、

わたしたちは、それらは人が創作したものであり、

現実ではないフィクションとわかっていながら、なぜ、夢中になるのでしょう?

わたしたちは、ドラマや映画を観るとき、なにを求めているのでしょう?


わたしたちは、それが物語だとわかっていながら、

なぜ、ドラマや映画を観るのかというと、

そのときに感じるハラハラ、ドキドキ、感動といった感情そのものを体験したいのです。

泣いて、笑って、怒って、、、といった感情体験を楽しんでいる、、、

それが、わたしたち人間なのだと思います。


それは、この世界に生きている人生においても同じことが言えます。

あなたは、なぜ、この世界に生れてきたのか?

あなたは、なぜ、この世界に生きているのか?

ようするに、わたしたち人間はこの世界でのドラマが好きだということ。

もっと云えば、わたしたち人間は、ドラマの中での感情体験を楽しんでいるということです。

なぜなら、この世界は幻想世界であり実体なのどないのですから。


今、多くの人たちが、この世界は自分の創ったドラマだということに気づきはじめています。

それを、スピリチュアルの世界では、

「目覚め」「悟り」「覚醒」などということばで言い表しているわけです。


この世界は、わたしたちが創り出した3次元時空の壮大なドラマの舞台です。


さて、目覚めた人たちは、この世界の現実はドラマだとわかっていながら、

その後の生き方としては、大まかに分けて二通りあるように思えます。

その一つは、この世界はドラマ、フィクションだと気づいていながら、

そのドラマを楽しむという生き方。

もう一つは、ドラマに飽きて、もうそれに楽しみを感じなくなり、

この世界から自由になって遠離していくという生き方です。


そのどちらが正しいとか間違っているとかというものはありません。

そのどちらもがどのみちこの世界から遠離していくことになっているのです。

ただ、それがこの人生か、いつかのときか、のちがいだけです。

時間の外からみれば、どちらも、さほど変わりはないのです。


わたしたちは、ドラマが好きなのです。

もっと正確な言い方をすれば、

自我はドラマが好きなのです。

自我はこの世界でのドラマを体験し続けたいのです。


この人生で、あなたが目覚めていくとするならば、

ドラマを楽しむのか?ドラマから遠離していくのか?


あなたは、そのどちらを選択するのでしょうか?