2016/09/23

セラピストとして大事なこと

それは、今年の5月の頃のことでした。

ある一人の癌を患わった方からの要請がありました。

それは、自分の意識に変容が起きることで、

自分が患わっている癌に治癒が起きることを期待したいとのことでした。

その方は、それまでもいろいろな代替療法を試みて来られたようでしたが、

なかなか癌が治癒するには至らず、自分の病気の原因は自分の心にあるのではないか?

と思うようになったとのことでした。

それで、心理療法で自分の心(内面)と向き合ってみたいということになったのでした。


私自身も、自分が行っているセッションに可能性を見い出したいということもあり、

私は、それに同意するかたちで、その方を筆頭に他の癌を患わった方々と関わりながら、

その方々と試験的にセッションを行っておりました。


それからこの5ヶ月の間、数名の癌を患わった方々とセッションを行ってきました。

その結果は、癌が治癒したという方もおられれば、

その成果が出なかった人もおられたという具合です。


私の見解といたしましては、癌が治癒した方もたしかにおられましたが、

正直に言って、私のセッションによってそうなったとは言い切れません。


何よりも、私にとって不本意で残念だったのが、

最初に私のところに要請して来られたその方に、癌の治癒が起こらなかったことです。

たしかに、その方の心(意識)には、ずいぶんと変容が起きていきました。

病気(癌)を受け入れ、真摯にひた向きに自分の内側と向き合っていくその姿は、

私からみると、まるでキリストそのものでした。

たくさんの癒し、ゆるし、解放、統合が起きながら、内側の整理をしていきました。

ときには、ワンネスや完全性の愛に包まれた悟りの意識まで到達することもありました。

ですが、それが必ずしも癌の治癒に反映されるということには至らなかったということです。


その方は、医療診断の結果を報告して、「しばらく経過の様子をみます」ということで、

私に感謝の意を伝えて、私とのセッションを終えていかれました。


私の中に、何とも言えない不甲斐ない感情があったことは否めません。

それでも、私は、その事実を受け入れるほかありませんでした。

すべては完璧なのだということをわかっているから、なおさらでした。

すべては、その方にとっても、私にとっても完璧で必要なことが起きているということです。

私はそのことをわかっていながらも、私のエゴはそれをなかなか認めようとはしませんでした。

私のエゴは、結果を出したかったのでした。

自分のセッションによって癌が治ったという結果を期待していたのです。

そのことを正直に打ち明けます。


私は、それをゆるそうと思いました。

期待したようにはいきませんでしたが、

それは、私がどうのこうのするものでないということを受け入れようと思いました。

そして、私ははっきり自覚しました。

病気を治すとか、現実を変えるとか、願望を叶えるとか、

私がしていくことはそういうものではないのだと。


自分は、何を求めているのか?


と、自問した時に、私の内なる答えはこの世のものではないと気づきました。

私が真に求めているものは、この世のものではなかったということです。

私の内側の深い心は、この世から自由になることを望んでいたのです。

それは、自分というアイデンティティからの脱却です。

つまり、自我の「死」を意味します。


私は気づかされた想いでした。


すべては自分の心の投影です。


死を受け入れていなかったのは、この私だったと。

「死」と闘っていたのは、癌の方々たちではなく、この自分だったのだと。

そう気づいたときに、「死」を受け入れようと思いました。

自分がとか、自分のためにとか、誰かのためにとか、何かのために、

そのすべてが何の意味もなくなってしまったのでした。

すると、私の内側に癒しが起きました。

癌でセッションに関わった方々にそして、最初に私のところにいらした方に、

感謝の気持ちがわいてくるとともに、私の意識が拡張していくのがわかりました。

ただただありがとうございますの気持ちになったのでした。


ただ、話は、そこで終わりではありません。


それから数日後、

「しばらく経過の様子をみます」と言われてから3週間が経っていました。

その方から電話が来ました。

経過報告の連絡だったのですが、おおまか以下の内容でした。

セッションのその後、その方自身も自分の死を受け入れたのだそうです。

心の中は整理されて、自分の人生は本望だったと、

もう何も思い残すこともないとおっしゃっていました。

その方の中でなにか心がはっきり決まったのだそうです。

そう覚悟が決まった次の日、その心で病院に定期診断に行ったら、

あくまでもOリングの検査結果なのですが、癌の数値がゼロになっていたとのことでした。

その方は、さらに私にこうおっしゃりました。

「(癌の)数値がゼロになったことはもちろんうれしいのですが、

 治る治らないに関しましては、もう、わたしはこだわらないようにしようと思います」と。

「いまを生きるだけです。どうなるかはもうゆだねます」とも。

受話器の向こうのその方の心は、じつにすっきりとしていました。

素晴らしいと思いました。

むしろ、なんだか私の方が感謝したい気持ちになりました。

その方は、まるで私にとって見習うべき教師の姿そのものでした。

死を受け入れて、死を超えていくその姿は、まるでキリストのようにも思えました。


そして、私は、思いました。

セッションで自分がしてきたことは、それで良かったのだと。

そして、これから私がしていくものとは、そういうものなのだとも気づかされました。

人生がうまくいくとかいかないとか、結果がどうのこうのとか、そういうものではなく、

むしろ、そういうものから自由になることが、

私がセッションを通して本当にしていきたいことなのだと。

その方を通して、その道をはっきりと教えられたような気がします。


それら一連の出来事は、私自身にとって重要なプロセスだったように思います。

セラピストとして大事なことを学ばせていただいたような気がします。

セッションでこの私と関わってくれた方々に、本当にありがとうと伝えたいです。

心から感謝します。

ありがとうございます。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


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2016/09/21

感情について

不快な感情を感じるとき、ネガティブな感情を感じるとき、

あなたは、この世界を見誤って知覚しているか、

もしくは、自分の向かうべき方向を見誤っているかだと言うことが出来ます。


真理へと、神へと還っていく者にとって、

感情というものは、いわゆるナビゲーター(水先案内人)となっていきます。


感情に注意深くいてください。


もっと云えば、ハートの感覚に注意深くいてください。


あなたのハートのその感覚だけが、

あなたが非二元のスピリチュアリティの道を歩んでいく上で唯一頼れるものとなっていきます。


我が家へと帰る最後の旅路は、

あなたのそのハートの奥にいるスピリット(聖霊)とともに歩むことになっています。


ハートの感覚に敏感でいてください。

もし、あなたがハートの感覚から離れているならば、

そのときは、スピリット(聖霊)が不快な感情としてあなたにサインを送ってきます。

そのサインを見逃さないように。

あなたがハートの感覚に敏感でいるなら、あなたは聖霊と共にいる感覚がわかってきます。

あなたが、聖霊と共にあるならば、やがて感情というものが凌駕されていきます。

それは、感情を超越していくことを意味します。

あなたは、感情をナビゲーションシステムのツールとして使っていくだけとなります。

それは、ポジティブな感情に関しても同じです。


ただし、あなたが我が家に帰る時、ネガティブ感情を手放すのみならず、

ポジティブな感情も放棄していくことになると知ってください。


ポジティブもネガティブも祓っていく。

それが感情を凌駕するということなのです。


なぜなら、

感情が生起するとき、それはあなたが真理を見誤っているということなのですから。


世界はない。あるのは神の実在のみです。

本当にあるのは、神の平安、絶対なる平安があるのみなのです。


そう、あなたが、わが家に帰るとき、

あなたは、この世の喜びすらも放棄していくことになります。

真の歓びは絶対です。それは、この世の喜びとは比にならないものだと知ってください。

あなたが真の歓びを思い出すならば、

あなたは、何のためらうこともなくこの世の喜びを放棄するでしょう。


そして、ポジティブもネガティブも、感情というものを凌駕するとき、

あなたはこの世のものをもう必要としなくもなるでしょう。

なぜなら、この世のもので、この世の何かで、もう自分を満たす必要がないからです。

そうやって、あなたは、この世から自由になっていくのです。

そうやって、あなたは、この世を去っていくのです。


感情とは、あなたを身体の世界(3次元世界、物質世界に)につなぎとめているものです。

ただ、この世界で、この身体で生きている間は、

その感情をナビゲーターとしてわが家へと帰っていくことになります。

どうぞ、そのことを忘れないでください。


世界はない。この世は幻想である。

言い換えるなら、他者はいない。この世界には、あなたしかいない。


もし、この真理の言葉に、虚無感、空虚感、虚しさ、寂しさを感じるのならば、

あなたは、明らかに真理を見誤って解釈しています。

だとしたなら、そうぞ、その感じている感情に向き合ってください。

ハートで感じている虚無と空虚のその感情に向かっていって、

その向こうから、神、そして、スピリットがあなたに呼びかけているのを感じてください。


「わたしは、あなたをとても愛しています。

 わたしのもとへ帰って来なさい。幻想の世界から離れて戻って来なさい。」


と、あなたの内なる神が、あなたを呼んでいます。

そして、スピリット(聖霊)もあなたにこう告げています。


「あなたが向かうのはこちらなのです、幻想の世界から離れて一緒に我が家へ帰ろう」と。



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2016/09/20

死か?それとも解脱か?

今から約二千五百年前、お釈迦さまはこう説かれました。


「この世のすべては、苦しみでしかありません(一切皆苦)」と。


その言葉だけでこの世を捉えるとき、失望感、絶望感、虚無感を生起させることになります。

ただ、お釈迦さまは、その言葉だけでは終わりませんでした。


「この世の苦しみから脱却する道があります」と。


そして、さらには、


「絶対なる幸福に至る道があるのですよ」と説かれたのです。


その言葉は、「この世のものでは絶対に幸せにはなれない」ということの宣告であり、

「でも、この世を超えたところに、本当の絶対なる幸せがあるのだ」と、

その道を選択するよう催促しているようにも聞こえます。


そして、その道こそが、「解脱、悟り」と呼ばれるものです。


この世のもので自分の心を満たそうとする者にとって、

あるいは、世俗的(物質的)なもので幸せになろうとする者にとっては、

なかなかそう容易くその道を選択できるものではありません。


あなたが、この世のもので真に歓びを見い出すことができないのならば、

あなたは、この世のものを超えていくことを望んでここに生れてきたということです。

そう、あなたが本当に求めているものは、この世にはない、ということです。

そのあなたが本当に求めているものは、この世を超えたものであり、

この世を超えていくことだと言うことができます。


仏教で言うところの「解脱」とは、時間という名の魂の旅の終焉だと言えます。

輪廻という終わりなき旅の終焉です。


この世が幻想であるように、輪廻転生も幻想です。


その幻想が終わるのです。

いま、の永遠に生きるようになります。

ここ、という非局所に遍在する神へと還っていきます。

一体全体(ワンネス)という全き満ち足りたあなたへと還っていきます。

一なるスピリット。

それが、本来のあなたです。

それゆえ、じつは、「死」よりも「一なるスピリット」へ還ることの方が、

本当は簡単なのだと言われています。


死によって、この世を去るのか?

それとも、一なるスピリットへ還ることによって、この世を去るのか?


それは、すでにあなたの内なる心が知っています。


その答えは、あなたの心が望んでいるか?望んでいないか?ただそれだけなのだといえるでしょう。


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2016/09/15

エゴにもっと気づいていく

私は、これまでエゴ(自我)というものについてあまり言及してきませんでした。

どちらかと云えば、これまでの私は、

「本来、エゴというものはない」というスタンスでいました。

むしろ、エゴについて語るときには、

「エゴ(自我)は、愛すべき自分の一部である」

という言い方をしてきました。


というのも、悟り系のスピリチュアルの中でエゴについて語られているのをみて、

まるでエゴ(自我)を敵(仇)のように表現しているように感じていましたし、

自分の中のエゴ(自我)を滅するのにやっきになって自分自身と戦って苦悩している姿を、

多く見てきたこともあって、正直、あまりいい気がしなかったのでした。

エゴをまるで敵のようにみて、エゴの自分をジャッジして、

かえって自己の中に二律背反(葛藤、分離)を生じさせて、

自分を愛することができないでいる人を、私はたくさん見てきたのです。


でも今では、それは過去の私自身の姿をみていたのだとわかります。


やっぱり、今この世界に生きている者として、

この世では、苦しみを感じることもあるし、問題としてみえることもあるし、

他者を、そして、すべてを自分の心の反映として完全にみているわけではありません。

そういう意味では、分離した意識でこの世界をみているかぎり、

エゴというものを認めた方がいいのかな、という想いを抱く今日この頃なのです。


エゴは、この世があたかも現実として捉えています。

エゴは、この世のもので自分の満たされていない感覚を埋めようとします。

そのために、時間を必要とします。

空間を必要とします。

この世を必要とします。

この世に留まろうとします。

変化を怖れようとします。


私は、エゴをもっと知る必要があると感じています。

エゴにもっと気づいていく必要があると。


その道のはじまりです。


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2016/09/13

見逃されてきたイエスの昇天

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        ザビエル教会旧聖堂 (福岡県宗像市)


先日、車で1時間半ほど走らせたところの教会に行ってきました。

その教会が上記の写真です。


この教会は、もともと鹿児島に建っていたものをそのまま福岡のこの地に、

移築してきたということらしいです。


建物の中には、シンプルな祭壇があり、ザビエルの絵画が飾られてありました。


堂内は、イエス・キリストの生涯が10枚の絵画によって飾られ表現されていました。

ただし、私が気になったのは、

その10枚のイエスの生涯の絵画の物語は、

イエス・キリストが十字架に磔にされたところで終わってたということです。

たぶん、多くの方々が、イエス・キリストをそのように解釈しているのでしょう。


でも、本当は、イエスの物語はそこで終わりではありません。


イエスは復活を果たし、その40日後オリーブ山にて昇天した、

ということを多くの人たちが見逃しています。


聖書を読むとイエスの昇天は文字通り、実際に起こった出来事だとわかります。

聖書は、それらを実際に目にした弟子たちによって語られたものです。

つまり、イエス(イエシェア・ゼン・ジョセフ)は、二千年前に実在した人物であり、

その物語は本当にあった実話であるということです。


昨年、バルセロナに旅行したときに、大聖堂の教会を見学した際に、

イエスキリストの生涯が描かれた絵画を観たのですが、

そこにはちゃんとイエスの復活と昇天が描かれてありました。


しかも、「昇天」は、アセンション(Ascension)と表記されていました。


私は、それを目にしてあらためて確信しました。

アセンションということばは、この時代からあった(使われていた)ということ。

そして、私にとってのアセンションとは、これなのだと。

それは、私が求めていた仏教でいうところの「解脱」であるということです。


巷のスピリチュアリズムでは、

アセンションということばがそれぞれの意味で用いられています。

でも、せめて私がアセンションということばと使うとき、

それは、イエス・キリストが成し得たそれだということです。


私が云いたいのは、

イエス・キリストの象徴は、十字架の磔にあるのではなく、

その復活後の昇天(アセンション)にこそ、その真意があるのであり、

私が歩んでいる道は、その道なのだということです。


2016/09/12

転がり続ける岩のように

若かった頃の私と云えば、社会に対してもそうですが、

この世界に対して斜に見ているところがあって、

ずいぶんと尖がって生きていたように思います。


そのせいもあって、私はこの現世を否定して、この現世から離れようと、

宗教にのめり込んだこともありました。


また私は、宗教にもうんざりして、世俗的に生きている時期もありました。


その後また、私は生きることに行き詰って、日本社会から逃げ出すように、

バックパッカーとしてアジアを放浪していた時期もありました。


約一年間に渡ってチベット、ヒマラヤ、ネパール、インドを渡り歩いた旅は、

私にとってはそれまでの生き方、人生をリセットするためのものだったように思います。

アジアのその旅は衝撃的でした。

自分はこれまでなにをみて生きていたのだろう!?と思ったほどでした。


いろんな霊的な体験もしました。

ヒマラヤの満月を眺めながらただ恍惚のなかにいる夜もありました。

一人、満天の星空と雄大なヒマラヤの景色を眺めながら、

至福に包まれて夜明けを待っていたこともありました。

たくさんの奇跡が当たり前のように起きていました。

ヒマラヤは、そんな波動エネルギーを持っている場所だと思います。


そんなある夜、私は、ヒマラヤである印象的な体験をしたのを覚えています。

たしかインドのダラムサラに滞在していたときだったでしょうか。

やはりその夜も満月だったと思います。

これからどう生きていけばいいのだろう?生きてどうなるのだろう?と

一人何気なくそんなことを自問していたように思います。

その瞬間、なにかが閃いたといいましょうか、なにかがハッと開いたのでした。

それは、ことばにすると、

「生きろ!生きるのだ!生きれば今自分が問うているすべての答えが見いだされるであろう。」

という感覚です。

そのとき、私は、「もう大丈夫。私は、日本で生きよう。」と思えたのです。


今想えば、それは、本当の自分へと戻るはじまりを知らせるサイン(導き)だったように思います。

そこからの私の人生には、私のアイデンティティの最大なる崩壊が待ち受けていました。

アイデンティティが崩壊する必要があったのだと思います。

それによって、私は、人生というものはみえない力で生かされているということを知りました。

そのみえない力に導かれて生きる方が楽だということも知りました。

そして、この社会のルールに合わせて生きることが賢明だということも知るに至りました。

もう、この社会やこの世界に対して斜にみるということもなくなりました。


今では、すべてを受け入れて生きよう、すべてをOKとして生きようとしている私がいます。

かつては尖がっていた私もずいぶんと角がとれて円(まる)くなったのがわかります。

まだまだ角(かど)が立つときもあります。

でも、それらの角も、生きながらあらゆる人や出来事や状況をゆるしていくことで、

やがてはなくなっていくのでしょう。


円(まる)という、完璧なかたちへ向かって。


生きるとは、転がり続けるということなのかもしれません。

転がり続けることで、完全な円になっていくのだということです。

そして、わたしたちは、そのように円くなっていくために人生はあるのかもしれません。


それは、安定した状態に留まるのではないということ。

そして、自分にも、他人にも、社会にも、この世界のあらゆることにOKとしていく。

そのすべてをゆるし全託していく道がここにはあります。

それは、この現世を否定してこの世界を離れるのではなく、

すべてを受け入れてこの世界から離れていく道でもあります。


転がり続ける岩のように。


一切のとらわれのない自由なかたちへと。


いつどこにどう転んでも構わない、どこにも留まらない、過ぎ行く者であるように。


今、私が歩んでいるスピリチュアルな道とは、そういうものだといえます。


2016/09/08

天国と地獄

人は死んだ後どこへゆくのか?


小さい頃の私は、心がきれいな人は天国へ、そして、心が汚れた人は地獄に行くのだと、

そう教えられていました。

そして、そう信じていたときの自分は、

あぁ、自分はきっと地獄に行くんだろうなって想っていたの覚えています。

自分は汚れた心の持ち主だというふうに想っていたのです。


自分の中に心というものを自覚しはじめた頃のことも覚えています。

人には口に出しては言えないことを、

心の中だけで想うことが出来るようになったことが大発見でした。

自分が何を考えているのか?

だれにも口に出して言わなければバレない、と気づいた私は、

あれこれ人には言えないようなことを考えはじめたのでした。

そうやって「こんなことを考えている自分の心は人にはみせられない汚らわしいもの」

と思うようなったのです。

ゆえに、自分は死んだ後、そのことが閻魔様に見抜かれて裁かれてきっと地獄に送られるのだと

そう思っていました。


またその当時、そんな自分とは裏腹に、鳥や犬といった動物はなんて純粋なのだろうと

うらやましくも思ったものです。

彼らは、この自分みたいによこしまなことを考えたりしないから、いいなって。

何も考えずに生きている彼らの心はきれいだなと。

だから、彼らはきっと裁かれることはないのだろうなと思ったものです。


それから私は成長して大人になっていくうちに、

天国や地獄といったものは、自分の心にあるのだということを直感的に理解しました。

あの世に閻魔様なんていないのだ、結局、自分を裁くのはこの自分自身なのだと。

そして、ある内的体験によって、自分の本当の心は、美しいものだということも悟りました。

そう、だれもの心の中のずっと奥には純粋で美しくて素晴らしいものが隠されていて、

そのことをみんな忘れているだけなのだということも、です。


わたしたちは、自分の見たい世界を見ています。

みんなが自分の見たい世界で個人的な現実をそれぞれ体験しているのが、この世界です。

ちなみに、「個人的な現実」という言い方をしますが、

真実はそういったものはなく、本当はすべてはただ一つの心が経験しているだけです。

そう、あなたが肉体を離れた後、あなたは自分の生きてきた人生を顧みたとき、

すべての真実を悟ることになります。


すべては自分だったと。


そして、その世界を創りだしていたのも自分だったと。


そのときのあなたは果たして何を想うのでしょう?


どうぞ想像してみてください。


そして、今ここに生きているあなたを、あの世のあなたはどうみるのでしょう?


どうぞそのことについて考えてみてください。


すでにあの世に逝ったあなた自身。

そのあなたは、この人生をどう顧みるのでしょう?

だとしたなら、あなたはこの人生をどう生きようと思うのでしょう?


自分は何のために今ここに生きているのか?

なぜここにいるのか?

どうぞ自分のハートにその答えを求めてください。


自分を裁くことのないように。

自分を責めることがないように。

どんな自分もゆるせるように。

あなたの現実に登場する人たち、そして起こる現実のすべてをゆるせるように。

ちょうど植物や動物をみるように、裁きのない純粋な心で目の前のすべてをみてください。


裁くのも自分です。

それによって裁かれるのも自分です。


ゆるしていくのはあなたです。

それによってゆるされるのもあなたです。


あなたはスピリチュアルを探究してここまで来ました。

そのあなたがこれから向かう先は、そういうものだということを知ってください。

その究極は、世界のあらゆるすべてをゆるし、

あなたはすべてからゆるされ愛されていることを体験するためだということ。


天国は、そんな純粋なる心に開かれていくのです。


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2016/09/02

幻想を超える

内なるガイドからのチャネリングメッセージです。

テーマは、「幻想を超える」です。


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この世は幻想です。

それは、ちょうどあなたが夜に眠っているときにみる夢のようなものということです。

そこに登場する人物、起きる出来事、状況、存在するものすべてが、

そして、自分自身の身体すらも自分の心が作り出した夢(幻想)だということです。

ただ、この世は、夢の世界よりも柔軟性のない堅固なものでできた世界なだけです。


それは、何を意味しているのでしょうか?


あなたは、このいまも、自分の作りだした堅固な夢の世界の中にいるということです。

その堅固なこの世界を物質世界と呼び、

あなたはこの世界こそが現実であると認識しているということです。

何度も言うように、この世界は、あなたの心を投影しているだけの世界であり、

この世は、あなたがあたかもリアルだと信じ込んでいる夢の世界にしかすぎないのです。


この世は幻想である。

ただし、だからといって、この世界を無視してもいいのだというものでもありません。

それを勘違いしてはいけません。

というのも、その夢をみているのはあなたであり、

その夢を作りだしたのはあなた自身だからです。

あなたは、自分の作りだした世界であるということに意識的になる必要があります。

この世界を作った原因(源)であるあなたの内面と向き合う必要があるということです。


この世は幻想でありながらも、

忘れてならないのは、その幻想は自分の心の投影であるということ。

つまりは、この世のすべては自分である、という重大な真実を見失ってはいけません。

あなたは、自分自身をいろいろな自分に分離させて、この世に登場させているのです。

なぜなら、あなたのみている世界は、あなたがみている夢であるからです。

ゆえに、その夢から目覚めていくために、

幻想であるこの世をアイテムとして使っていく必要があるのです。


この世には、あなたの信頼に値するものなどなにも無いことを悟るがいい。

あなたが唯一信頼できるものとは、あなたの内なるガイド、つまりこの声だけであり、

この内なる声だけをあなたの教師としなさい。


そう、あなたが信頼すべきものとはそれであり、

それこそが、あなたがこの世の幻想から完全に自由になる道を知っています。

そう、あなたは自由になりたがっています。

そして、本当は、だれもがその可能性を秘めています。

ただし、あなたがこの人生でそれを成し遂げるか?どうか?もすでに決まっています。

あなたが、それを心から欲しているか?どうか?

ただそれだけです。


愛するあなたよ、

あなたがこの人生で本当に求めているものは、あなたは知っています。

生涯をかけて、その道を進むがいい。

その道は、この世の幻想を見限っていく道となるでしょう。


目覚めよ。

この世の幻想から目覚めるのです。

自らが作った妄想の世界から、目覚めるのです。

自らを投影したこの世界をゆるすのです。

この世界を自由にしなさい。

この世界のありのままをジャッジすることなく手放しなさい。

今、目の前にある幻想を超えていきなさい。

目の前にみえる世界が、自分の心の投影であることを見破っていきなさい。


この世のすべてをゆるし、自由にしていくとき、

つまりは、すべてが幻想であることを見限っていくとき、

あなたは、その向こうにこの時空ではない広大無辺な空間のような広がりをみるでしょう。


そして、あなたはそこに佇むようになるだろう。

しかも、永遠に、です。


あなたが歩んでいる道とはそういうものです。

そして、いつかこの世界にとらわれることがなくなるときが、必ず、あなたにもやってきます。

そのとき、あなたは、リニア(直線的)な時間からも自由になっていくでしょう。


そのきは、いま、だと知りなさい。


今この瞬間、だと知りなさい。


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2016/09/02

創世記

あなたは、どのようにしてこの二元性の世界を作り出したのだろうか?


すべては、あなたの妄想からはじまった。

あなたは、自分自身を知りたいと思った。

<わたし>はだれだ?なにものなのだ?と、

そう思いを巡らせたとき、あなたは自身の心をねじった(歪ませた)のだ。

自分の心(マインド)をねじらせることで、二律背反の分裂を生み出した。

分裂した相反する二つの心は、互いに自分を鏡でみるかのように投影し合った。

その分裂は、ちょうど、精神が分裂していく様と同じ原理だ。

自分の心に本音と建前えを作り出し、そうやってもう一つの人格(パーソナル)を作り出して、

あなたは、自分という存在を無限に分裂してきたのだ。

そして、それが投影された世界が、あなたがみているこの世界なのだ。

もともと自分以外の存在などこの世界にはいない。


すべては自分だ。あなた自身だ。


この世界は、無、である。

この世界は、あなたが妄想でみている夢(幻想)だ。


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2016/09/01

2016.9 セッション後の感想より

個人セッションを受けられた方々のセッション後の感想をご紹介したいと思います。

みなさん、それぞれのプロセスて気づきと変容がすすんでいっておられます。

セッションは、ある段階ではそういう援助が必要だし、役に立ちます。

興味のある方は、どうぞごらんくださいませ。



今日は遂に!、、、やっと!!!!ハイヤーセルフと繋がることが出来ました。

この安堵感は カラダを持って、初!だと思われます。『やっと!これこれ〜!これを感じたかったんだ!』って、気づきました。いつもお付き合い頂き ホントにありがとうございます。次回のセッションもたまらなく楽しみです。

(神奈川 Mさん)


先ほどはセッションをありがとうございました。

心も体もだるいのですが心地良いです。小さい頃泣きすぎると疲れて眠くなる、あんな感じです。そして誰かと仲直りした後のような嬉しさと安堵感でいっぱいです。わたしはわたしと仲直りしました。どれもこれも小さくて自由だった頃に感じていた体感です。

思考も出来事も病気も、それはわたしの責任。というよりは、わたしは体験したかったのだな、というこの感覚は、今迄何度も聞いたり、あるレベルでは体感していたことですが、今日のセッション後は今迄以上に深いとろでわかった、というよりも思い出したのでご報告です。そうです思い出したのです。

日常生活で、一瞬一瞬の選択も意識的にしていきたいです。

本当に今日もありがとうございました。

(東京 Rさん)


やったことないことに挑戦したいとかムクムクと気持ちが動いています。

すべての人に感謝しています。もりGさんにも大感謝です。

弱点やコンプレックスこそ、逆転のチャンス。 隠さずさらけ出す。 陰極めれば陽になるですね。

(大分 Cさん)


セッション以来、 全く!薬を必要しなくなったんです!すこぶる調子が良くて、随分、ナチュラルなカラダになったなーって思いました。

いろいろ、変化が目まぐるしく変わるので、 戸惑ってる反面、楽しんでます。

(神奈川 Mさん)


昨日はありがとうございました。力強い自分の感覚を得たことは、大きな収穫でした。

(東京 Tさん)


前回のセッションで大きな意識の変化があり、その後もさらに自分の内面の整理が進んでいます。本当にありがとうございました。

(神奈川 Yさん)