2016/09/11

マイライフ

私にとっての一日の暮らしは、瞑想からはじまります。

私にとって、朝と夜の瞑想は欠かすことができません。

朝の瞑想時間は40分。夜の寝る前には30分。

もちろん、決まり決まってそうしているわけではないのですが、

気づけば、それがもう日課となっていて、瞑想をしないでいるとかえって、

なんだか落ち着かないといいましょうか、気分がしっくりこない感じさえあります。


瞑想だけではありません。

ネイティ(ジャラ・ネイティ、ストラ・ネイティ)も毎日欠かせません。

ネイティとは、ヨガ的な身体の浄化法の一つで、要するに鼻の洗浄です。

ジャラ・ネイティは、鼻うがいみたいなもので、水で洗浄します。

ストラ・ネイティは、鼻に紐をとおして浄化する方法です。

別に、鼻の状態がわるいからというわけではなくて、

なにせ、それをやると鼻の通りもスッキリしますし、

頭というか脳がスッキリといった感じになり、視界もクリアになる感じがするので、

やめられないのです。

それをやらないとなんとなく心地悪い感じがするので、

いつのまにか日課となってしまっている状態です。


食事に関して言いますと、基本的に一日2食。

ベジタリアンではないのですが、肉、魚といった動物性のものはほとんど口にはしません。

菜食になったきっかけは三年前で、何気なくウチのカミさんと「菜食を試してみようか」

という話になって、それがそのまま今まで続いているといった感じです。

それが当たり前になってしまうと、肉や魚を体が欲しなくなったといいましょうか、

むしろ、肉に関してはまったく食べないわけではありませんが、

臭いがキツイと感じるようになり、あまり食べたいとは思わなくなりました。

玄米食については、半年くらい続けていましたが、最近は、白米もウマいなと思うようになり、

特にこだわっているわけではありません。

気づいたら、そうなっていたということです。


定期的に、断食もします。

その際には、ヨガ行法の腸内洗浄(シャンカプラクシャーラン)もやっています。

ようするに、大量の塩水を飲み腸をきれいに洗い流すヨガ的身体浄化法です。


そうやって、よくよく私の生活ぶりを見返すと、かなりヨガ的な暮らしだなと思います。

まるで、ヨガ行者だなと。

でも、自分では、まったくそれらを修行だとは思っていません。

それをやると心地いいのです。


想えば、私は20代の頃からyogaや瞑想をはじめましたが、

その頃の私と云えば、同じようなヨガ行法(アーサナ、浄化法、瞑想、食事など)を

修行として捉えてやっていたのを覚えています。

修行して悟りに到達するために、、、という想いでやっていたのです。

ですから、つらかったし、苦しかったし、まさに苦行そのものでした。

でも、正直、それでは続きませんでした。


あれから、もう二十年になりますが、

今では、それを心地よいものとしてやっている自分が不思議です。


瞑想すれば悟りに到達するというものではありません。

身体を浄化すれば悟りに到達するのでもないと今ではそう思います。

悟りとは、心の自由のことをいうのであり、

修行とは本当はそういうものではないのだと思います。

そういうかたちのあるものではないのだと。

たしかに、身体的に心地良ければ心も軽やかで平安でいることが容易になります。

ですが、むしろ、そういうものにこだわっているとかえって心を制約しかねません。

行(かたち)ではない。

今ではそう思っています。


これが今の私の暮らしです。

でも、みなさんにもそれをすすめようとは思いません。

私は、自分がその方が心地よいから、そういうヨガ的生活をしているだけです。


自分にとって何がいいか?

それは、自分でしかわかりませんし、自分の感覚でわかるものです。

だれもに自分の道があります。

自分の生き方があります。

自分の感覚で良しとするものを。

私は、それが大事なんだと思います。


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