2016/09/15

エゴか?それともスピリットか?

私は、これまでエゴ(自我)というものについてあまり言及してきませんでした。

どちらかと云えば、これまでの私は、

「本来、エゴというものはない」というスタンスでいました。

むしろ、エゴについて語るときには、

「エゴ(自我)は、愛すべき自分の一部である」

という言い方をしてきました。


というのも、悟り系のスピリチュアルの中でエゴについて語られているのをみて、

まるでエゴ(自我)を敵(仇)のように表現しているように感じていましたし、

そのことばのままを知識として学んだ人たちが、

自分の中のエゴ(自我)を滅するのにやっきになって自分自身と戦って苦悩している姿を、

多く見てきたこともあって、正直、あまりいい気がしなかったのでした。

エゴをまるで敵のようにみて、エゴの自分をジャッジして、

かえって自己の中に二律背反(葛藤、分離)を生じさせて、

自分を愛することができないでいる人を、私は、セッションでたくさん見てきたのです。


でも今では、それは過去の私自身の姿をみていたのだとわかります。


たしかに、エゴ(自我)は、自分の中でゆるされ統合されていくと消滅してなくなります。

そう、実相からみるとエゴは存在しません。

それは、輪廻転生、カルマといったものも同じです。

苦しみも同じです。無いのです。

本来は、そういったものは存在しません。実在しない、と言った方が正しいかもしれません。

苦しみも、問題も、他者も、存在しません。

それらは、すべて実在しない、無い、のであり、

自分の心のフィルター(色メガネ)を通してみているがゆえの幻想でしかありません。


そういった考えがこれまでの私の中にはあって、

特にエゴ(自我)というものに関してはその想いが強く、

エゴについて語ることをしてこなかった私がいます。


ただし、やっぱり、今この世界に生きている者として、

この世では、苦しみを感じることもあるし、問題として思えることもあるし、

他者を、そして、すべてを自分の心の反映として完全にみているわけではありません。

そういう意味では、分離した意識でこの世界をみているかぎり、

エゴもある、輪廻転生も、カルマも、ある(有る)のだというふうに認めた方がいいのかな、

という想いを抱く今日この頃なのです。


私の中のなにかが変わってきているのだと思います。

その一つがエゴについての捉え方です。

自己の内側を覗くとき、エゴ(自我)とスピリット(霊)は、

やはり相容れられるものではないと気づくのです。

エゴは、この世があたかも現実として捉えています。

エゴは、この世のもので自分の満たされていない感覚を埋めようとします。

そのために、時間を必要とします。空間を必要とします。この世を必要とします。

この世に留まろうと変化を怖れようとします。

一方、この世を自分の心の反映である幻想として捉えていくとき、

エゴか?それともスピリットか?

の選択が必要であることがわかってきます。

この世にとらわれるか?手放すか?

それは、まさに究極の非二元、妥協なき非二元といえるでしょう。


私は、今では、エゴをもっと知る必要があると感じています。

エゴにもっと気づいていく必要があると。

エゴをスピリット(聖霊)に選択し直していくことが、

この世界から自由になる道であり、

スピリットへと回帰していく道であるといえます。


この世界から自由になる覚悟はできていますか?


なにものにもとらわれなくなるとは、そういうことです。

この世か?実在か?

そのどちらかを選択する必要があるのです。

もし、あなたが真の自由を心から望んでいるのならば、

あなたは、後者を選択し続けていく必要があるということです。


覚悟したときが、その道のはじまりです。


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