2016/09/20

エンライトメント(解脱)とは

「目覚め」という言葉は、さまざまなスピリチュアリティによってその定義が異なります。


せめて、私にとっての「目覚め」とは、

いわゆる仏教でいうところの「エンライトメント(解脱)」なのだと定義しています。



今から約二千五百年前、お釈迦さまはこう説かれました。


「この世のすべては、苦しみでしかありません(一切皆苦)」と。


その言葉だけでは、失望感、絶望感、虚無感を生起させることになります。

ただ、お釈迦さまは、その言葉だけでは終わりませんでした。


「この世の苦しみから脱却する道があります」と。


そして、さらには、


「絶対なる幸福に至る道があるのですよ」と説かれたのです。


その言葉は、「この世のものでは絶対に幸せにはなれない」ということの宣告であり、

「でも、この世を超えたところに、本当の絶対なる幸せがあるのだ」と、

その道を選択するよう促しているように聞こえます。


そして、その道こそが、「解脱、悟り」と呼ばれるものです。


この世のもので自分の心を満たそうとする者にとって、

あるいは、世俗的(物質的)なもので幸せになろうとする者にとっては、

なかなかそう容易くその道を選択できるものではありません。


あなたが、この世のもので真に歓びを見い出すことができないのならば、

あなたは、この世のものを超えていくことを望んでここに生れてきたということです。

あなたが本当に求めているものは、この世にはない、ということです。

そのあなたが本当に求めているものは、この世を超えたものであり、

この世を超えていくことだと言うことができます。


仏教で言うところの「解脱」とは、時間という名の魂の旅の終焉だと言えます。

輪廻という終わりなき旅の終焉です。


この世が幻想であるように、輪廻転生も幻想です。


その幻想が終わることが、わたしたちの真のゴールと言ってもいいでしょう。

いま、という永遠へ。

ここ、という非局所に遍在する神へ。

一体全体(ワンネス)という全き満ち足りた愛へ。

一なるスピリットへ。

本来の自分を思い出すということです。


それが、苦しみから完全に脱却する道であり、

それが、「目覚め」と呼ばれているものです。


死によって、この世を去るのか?

真理によって、この世を去るのか?


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の中でイエスは、

後者によって、この世から完全に自由になることができるのですよ、と告げています。


死によってか?それとも真理によってこの世を去るのか?


それは、死か?エンライトメントか?と言い換えることもできます。


そのどちらを望んでいるか?は、すでにあなたの内なる心が知っています。


あなたがこの道に心惹かれるのなら、

あなたは、死によってではなく、真理によってこの世を去ることを望んでいるということです。


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