2016/10/17

準備が整ったとき

じつは、最近になって久しぶりにまた、

『ア・コース・イン・ミラクルズ(奇跡のコース)』を読みはじました。


ここ3、4年の間、『奇跡のコース』からはずっと離れていたのですが、

どういうわけかまた再びそこに戻って来たのでした。


ワークブックをもう一度最初からやり直しているのですが、

こんなことが書かれていたのか!と、

私の中でその奥深さにあらためて気づかされる次第です。


正直言って、一時期の頃は、『奇跡のコース』なんてもう要らないなんて言っておりましたが、

そんな自分が本当に恥ずかしいかぎりです。

今更ながら、その頃の自分の無知さ、浅はかさ、傲慢さに気づくばかりです。笑


さて、そもそも、私が精神世界に求めていたものは何だったのか?

ということをよくよく思うと、その答えは「救い」だったのかもしれません。

生きるのが苦しかったといいましょうか、虚しくてしょうがなかったように思います。

その当時、精神(スピリチュアル)世界のものに触れるだけで、

救われるような感じがしていたのはたしかです。

とくに、仏陀の教え(原始仏教)に心惹かれたのでした。

そこに救いを求めて、救われたくて、この世から自由になりたくて歩みはじめた道でした。

それは、苦しみの輪廻から脱出する道であり、

絶対なる平安の涅槃の境地に至る道です。

その当時は、その境地を、「解脱」「悟り」と呼んでいました。


それから15年後、私は、『ア・コース・イン・ミラクルズ(奇跡のコース)』と出会います。

そのきっかけは、『神の使者』(ゲイリー・レナード著)なのですが、

その著書をはじめて読んだときの感動といいましょうか、衝撃は忘れられません。

それまですでにYogaや仏教的なアプローチで精神世界の探究をしてきた私でしたが、

非二元とか、悟りとか、求めてはいたものの、

正直言って、それがどういうものかよくわかっていなかったように思います。

もっといいますと、悟り、解脱というものを求めていたことをすっかり忘れて、

ちがうところにスピリチュアルを求めていたようすらに思います。

とはいえ、さすがにそのときは、私の直感的な部分は見逃しませんでした。

私がずっと求めていたものはこれだった!と確信したのを覚えています。


私が解釈する『奇跡のコース』というものは、

健康とか収入などの現象の変化は単なる自分の見ている幻想にすぎず、
そういう幻想を変化させるよりも、
幻想から目覚めることを目標にしたものであると思っています。

仏教でいうならば、この世への執着を失くす、心の囚われから自由になる、

といったところでしょうか。

それは、自我(エゴ)の完全なる解体、止滅へ向けた道だと。


私は、ずっと若い頃からそれを求めていたこともあって、

その道は、私にとっては然るべき自然な道のようにすら思えます。

ただ、すべてのスピリチュアリストたちが、

それを望んでいるわけではないことを受け入れていく必要があるとも感じています。

この人生で求めているもの、体験していくものは、人それぞれ異なるといえます。


『奇跡のコース』は、その準備が整ったときにはじめて受け入れられるのかもしれません。


心の準備が整ったとき、実践の道が本格的にはじまります。


『奇跡のコース』とは、そういうものだといえるでしょう。


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