2016/11/06

探究の終わり

もう、スピリチュアルな知識に真新しいものを感じないということは、

それは、探究の終わりを意味するのだと思います。


これは個人的なことですが、

たしかに、知識的に何かを探し求めるということはもうないのかもしれません。

この今となっては、ただただ神に心が向かうだけです。

この心がもっと自由へと解き放たれていきますように、と。

そういう意味では、探究は終わりかもしれませんが、

「道」は、この今も続いています。


巷では、いろいろな人がさまざまなかたちで、

それぞれのスピリチュアリティのもとに情報を発信されています。

ネットやYouTubeをみても、次から次へとそういう方たちを見かけたりします。

正直、いったいどんなことを発信しているのだろう?と、

ときには覗いたりするのですが、そのどれをとっても興味が湧いてきません。

この世のしくみはどうなっているのか?どうしたら幸せになれるか?

もっといい生き方は?、、、悟り、覚醒、アセンション、、、

もう、そういうものにワクワクといいましょうか真新しさを感じなくなってしまいました。

でも、そう想うのは、きっと、私個人の見解であって、

そういうものに真新しさや興味を抱く人の方が圧倒的に多いし、

これからもっと増えていくのだろうと思います。

そして、そういう情報を発信しているその人たちにとっても、

そういうものが楽しくて真新しいのだと思います。


私は、そういうこともゆるして(手放して)いく必要があるのだと思います。


探究の終わり。

今、あなたもそれを感じているのなら、

あなたも、あなた自身を真の自由へと解き放っていく準備が整ったということです。


今日は、なにか思いつくままをただ書いてみたのですが、

最後まで読んでくださってありがとうございます。



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ハワイ島キラウエア火山