2016/12/27

放蕩息子

放蕩息子。

それは、私の物語であり、あなたの物語でもあります。

しかも、実相からみるならば、その物語はすでに終わっています。



ある人に息子がふたりあった。

弟が父に言った。

「おとうさん、わたしの財産の分け前をください」

それで父は財産を二人に分けてやった。

それから幾日も立たないうちに、弟は何もかもまとめて遠い国に旅立った。

そしてそこで放蕩して財産を湯水のように使ってしまった。

何もかも使い果たしたあとで、その国に大飢饉が起こり、彼は食べるにも困り始めた。

それで、ある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、ブタの世話をさせた。

彼はブタの食べるイナゴ豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。

しかしわれに返ったとき、彼はこう言った。

「父のところには、パンのあり余っている雇い人が大勢いるではないか。それなのにわたしはここで飢え死にしそうだ!立って、父のところへ行って、こう言おう。『おとうさん、わたしは天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もうわたしはあなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』」

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。

ところがまだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走りよって彼を抱き、口づけした。

息子は言った。

「おとうさん、わたしは天に対して罪を犯し、あなたの前に罪を犯しました。もうわたしはあなたの子と呼ばれる資格はありません」

ところが父親はしもべたちに言った。

「急いでいちばん良い着物を持ってきて、この子に着せなさい。それから手に指輪をはめさせ、足に靴をはかせなさい。肥えた小牛を引いてきて、ほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は死んでいたのが生き返り、いなくなったのが見つかったのだから」

そして彼らは祝宴を始めた。


ー『放蕩息子』の物語よりー


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2016/12/26

『奇跡のコース』スカイプ座談会のご案内

『A Course in Miracles 奇跡のコース』(ACIM)を学習している方々と、

スカイプでフリートークをしましょうという会のお誘いです。


一人で実践していて、同じ道を歩んでいる方々とシェアしたい方もおられると思います。

『奇跡のコース』に手を付けてみたものの、その途上でくじけた方々もおられると思います。

そんな方々にとって、この会が、『奇跡のコース』への理解を深められる

そんな機会になればいいかなと思っています。


2017年1月は、下記の日程で行いますので、

『奇跡のコース』を理解していようがいまいが、

実践していようがいまいが関係なく、ご興味のある方はどうぞご参加ください。


<2017年1月のスカイプ座談会開催スケジュール>


・1月11日(水)10:00〜12:00 


募集定員:各クラス3名程度まで

参加形態:スカイプ(ビデオ通話)

参加費:無料


参加ご希望の方は、以下の情報と共にEメール:morig2016@gmail.comまでお申込み下さい。

お名前:

参加希望の日時:

スカイプ名:


皆さんとこの時間を共に過ごせることを楽しみにしています。

どうぞよろしくお願い致します。

もりG


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<12月8日スカイプ座談会の感想>


ほんのすこーしだけ、過去も未来も今起きていることがわかりかけた気がしました。

(今迄のセッションでもわかる機会もありましたが、それが少しづつ深くなっている感じ)

わたしたちは手をかえ品をかえ時代をかえ性別をかえ星をかえ、同じことを繰り返しているんですね。

まさに今。

とても面白かったです。人が癒される(気づく)瞬間も垣間みれました。赦すことについて聞きたいこともありましたが、これはまた次回に。このような機会を作っていただきありがとうございます。

(東京 女性)


かなり 何でも自分1人でやりたがる私ですが、そのまま 全て自分1人で解決できたら、人間ですから だんだんと 独りよがりになっていってしまうと思うんです。こうやって自分のできなかったことを人に甘えてサポートしてもらうのは苦手な私でした。こんなふうに 助けていただいて、素直に感謝の思いがわき上がってきました。まだ くすぶっているものがありそうなので(笑)出すものは出してスッキリさせたいと思います。本当に ありがとうございました。
(北海道 女性



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2016/12/25

恐れることなど何もない

恐れることなど何もない。

この考えは、シンプルに事実を述べているだけです。

幻想を信じている者たちにとっては、

この考えは事実ではないということになりますが、

幻想は事実ではないのです。

本当に、恐れることは何もないのです。


ー『奇跡のコース ワークブック』よりー


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2016/12/12

石ころはダイヤモンドになり得ない

人は、自分の人生をより良いものにしたいと望んでいます。

なぜなら、幸福になりたい、満足したいからです。

そうやって自分の人生をうまくいかせることに日々躍起になっているのが、

わたしたちがこの人生でしていることだといえるでしょう。

この世界は自分の心が反映された幻想だということもすっかり忘れて、

幻想をより良い幻想に変えていくことにわたしたちは夢中になっているのです。


真実からいうならば、この人生をより良くしていくことと真の幸福や満足とは、

まったく別ものであるということです。

そのことを自我(エゴ)はまったく混同しています。


自我は、この人生をうまくいかせたその延長に幸福や満足があると信じ込んでいます。

「信じ込んでいる」ということばですらもまだ弱い気がします。

というのも、いくらそれらが真に幸福するものではないと知識ではわかってはいても、

それでもついそれらを求めてしまうほど、

わたしたちはこの世界のものを信仰していると言えるからです。


真実でないものは、けっして真実にはなり得ない。


それは、ダイヤモンドではない石をいくら磨いたって、

ダイヤモンドにはなり得ないのと同じです。


ダイヤモンドは、この世界を超えたところにあります。

もっといえば、ダイヤモンドはこの世界にはないのですから。


その真実を知っているのに、

なぜ、あなたは、けっしてみつからないところにダイヤモンドを探そうとするのでしょうか?


もっといえば、なぜ、あなたは、

けっしてダイヤモンドになり得ない石ころに価値を見い出そうとするのでしょうか?


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2016/12/11

寝言

この世界では、だれもが自分の見たい夢をみているわけで、

それがどんなに素晴らしい夢であろうと恐怖におののくような夢であろうと、

夢は、所詮、夢である。


ことばに関して言えば、

だれかの感動するようなことばも、

だれかの動揺させられるようなことばも、

所詮、夢見る者たちの寝言のようなものである。


そう、内なる(聖霊からの)ことばでないかぎり、

他者のことばというものは、信じるに値しない寝言のようなものであるということ。


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2016/12/09

真実から目をそらすために

わたしたちは、安らぎを求めています。

わたしたちは、その安らぎはいつかどこかにあると思っていて、

その安らぎを得るためには何かをしなければならないと思っています。


安らぎはいつもここにあるにもかかわらず、

安らぎのないところに安らぎを探すことをしているのがわたしたちだと言うことが出来ます。

ゆえに、そのゲームを続けるかぎり、安らぎは永遠に見つかることがありません。


ただし、エゴはそのトリックがバレるのを最大限に怖れています。

なぜならば、そのトリック(仕掛け)がバレたなら、すべてのゲームが終わるからです。

そう、自我は、そのトリックがバレないように、そこから目をそらすために、

終わりなきゲーム続けるために、この世界を知覚させていると言うことが出来ます。


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ハワイ島ワイピオ渓谷


2016/12/09

ただ平安としてある

個人セッションを受けられた方の感想・体験談をご紹介します。

興味のある方は、どうぞご覧くださいませ。


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先日は、私の記念日になりました!ありがとうございました。


プライベートで何をしようが、しまいが、
イイことが言えるとか言えないとか、
ぜんぜん、そんなのはどうでもいいんだとわかりました。
自分がナニモノかになったり、美点を付け足したりしなくていい、
なんでもかまわないなんて、なんてらくちーん!と、
その日の夜はベッドで静かに解放感を味わいました。


ニンゲンとしてこの身を大切に暮らすことと、この世界に光をもたらすことの

ふたつがケンカしないで、いい具合に重なっていることにも気づき、嬉しくなりました。

この世界に光をもたらす………私の魂の願い。

もりGさんに促しをもらって、自分の口からそれが言葉として出るまで、
まったく自覚してませんでした。


その最大の願いは居場所も問わず、道具もいらず、

身ひとつで 今すぐにでもまっとうできるんだ……って。


『手を出さないで(流れにまかせて)ただ平安としてある』っていう奥義。


もりGさんが歩んだようなヨガの修行の道や長年の霊的研鑽を遂げたあとにしか、

そういうことはできないんだろうと、

自分とは程遠い境地なんだと思ってました。


 今のままの自分にも それができるのがわかり 本当に感無量です。
苦しみが終わっただけでなく、確かに本懐を遂げられると知って、
力みもなくなり、軽やかになってます。
ひとつずつひとつずつ やっていきますねー。

まさかのこの展開…本当にありがとうございました。


(新潟 女性)


2016/12/06

永遠ほどの時間差

以前の自分ならば、

「すべては完璧なことが起きている」「起きることが起きているだけ」と、

そんなふうにこの世界をみていました。

だから、ジャッジすることなくすべてを受け入れていく、ゆるしていくのだと。


でも、今の自分がみている視点はそうではありません。

「そもそもが何も起きていない」「何も無い」のです。

ゆえに、ゆるすのです。

リアル(実在)でないものは、無、でしかありません。

ゆえに、ただ、ゆるすだけです。


前者と後者は、

永遠と呼ばれるほどの時間差の隔たりがあるくらい、まったく別ものであるといえます。


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2016/12/06

2016.12 セッション後の感想より

個人セッションを受けられた方々のセッション後の感想をご紹介します。

興味のある方は、どうぞご覧くださいませ。


セッションの数日後、言葉は嘘と聞こえてきました。言葉が自分を制限してきた。言葉は必要なかった。それを見る目、それを聞く耳、知覚、体、時間、空間、ただ在る。全て繋がった感じ。雨は浄化しなさい洗い流しなさいというメッセージに思えます。

(福岡 男性)


自分自身にも少しずつですが色々と変化が来ています。ほんとに環境と自分の内面がシンクロしているということを実感しています。また、変化は避けられない大きな流れなのが良く分かります。なかなか難しいですが、最近は変化を楽しんで生活することに意識を集中しています。次のセッションではまた眠っている自分の何かが動きだすのを楽しみにしています。

(栃木 男性)


奇跡のコースはあれからゆっくりやっています。セッションを受け続けた前と後ではこんなにも取り組み方や受け取り方が違うのかと驚いています。同じわからないでも、以前はそこに怒りがありましたが、今はわからないこと、未知のことが嬉しくもある。今やっているコースが今後わたしの何をどんな風にどんなタイミングで解体していくのか、はたまたされないのか。以前のように「悟りたい」という気持ちもなく、この道がどこへどのように続いて行くのか、という楽しみだけがあります。

(東京 女性)


自分の声がやっと聞こえてきました。望んでいると。私は望んでいます。ただ望んでいます。

(福岡 男性)


今日もありがとうございました。なんとなくですが いろんなことが繋がってきました。また自由になれました。 自由がホントに心地いいんです。これが、あたしの魂の本音なんだと実感しました。このまま進んでいきます。ココロ静かに。神に委ねて…神の愛に感謝します。

(神奈川 女性)


2016/12/01

ドラマの消滅

ドラマや映画には、必ずエンディングがあるように、

自分が見ているこのドラマもエンディングを迎えるときが必ず来ます。


完全にドラマが終わるとき、ドラマをみている自分もいなくなります。

ドラマをみることにも、ドラマに参加することにも意味がなくなり、

それによって自分が知覚しているこの世界も消滅するということです。


真理からみるならば、ドラマのエンディングはすでに決まっていることで、

われわれはすでに書かれたそのシナリオをただ一つ一つたどっているにすぎません。


とはいえ、そのことに無自覚なわれわれはその無智さ(自我)によって、

シナリオをたどってはいるものの、さらなるシナリオを作り出すして、

エンディングを先延ばしにする、ということをしているといえます。

ゆえに、ドラマそのものを終わることが出来ないです。

自我は、このドラマを終わらせたくはないのです。

なぜなら、それは自我の消滅でもあるからです。


つまり、カルマを解放しながら、じつは、さらなるカルマを積んでいるのがわたしたちであり、

それを人生と呼んでいるわけです。

そうやって、われわれは終わりのないドラマを見続けているのだといえます。


でも、そのシナリオを消去していくことで、ドラマを終わらせることが出来ます。

そのシナリオの消去方法とは、ドラマをドラマだと見切っていくこと。

それが、「赦し」というものです。

その赦しを実践していくためにも自覚的に気づいている必要があります。

それが、あらたにカルマを作り出さない秘訣です。

われわれは、この世界をリアル(現実)にすることで、

「赦し」の機会を見逃すことで、カルマを作り出しているのです。

そのことに自覚的にならないかぎり、無智なるがゆえの輪廻を繰り返すことになるのです。


われわれが現実だと思っているこの世界は、自分が見たいように見ているだけのドラマです。

ドラマをドラマだと見切って、そこに登場する人物、出来事、状況、、、

それらすべてを赦していくということです。

それによって、ドラマに動揺させられることもなくなっていきますし、

ドラマのエンディングを迎えるまでの時間が短縮されていくことになります。


ドラマのエンディングを迎えたいか?それともこのままドラマを続けたいか?


前者を選択するとき、この道の歩みははじまるのだと言えます。


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