2017/01/28

諸行無常

諸行無常。


この世界をよくよく見るならば、

永遠なるものは何一つないことは明らかである。

すべては移ろい変化していくものである。

この世界はそういうものである。

この身体もそういうものである。

ましてや、この自分と思っているそれですらもそうである。


それらに信頼を置いても、

いずれにせよ喪失して、裏切られ、失望させられるのがオチであるにもかかわらず、

それでも、人はそれらを信仰している。


この世界のものを信仰しながら、歓び、平安を得るのは、不可能なことである。

一時的にそれらを得たと思えても、それはまやかしにしかすぎない。

なぜなら、たんに本当に怖れているものを一時的に遠ざけているだけであり、

いつか向き合うべきその時を先延ばしにしているだけであることを、

人は、心の深いところでじつは知っているからだ。


その狂気の沙汰に気づく者は、

そんなこの世界に見切りをつけ、この世界から自由になる道を求めはじめるだろう。

そして、それこそが自分がこの世に生まれてきた目的であることを思い出すだろう。


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2017/01/28

pain 痛みについて

痛みとは、心的なものである。


肉体的な痛みにしろ、心理的な痛みにしろ、

それはすべて心に起因しているものであるということ。

もっと詳しく言えば、

もともと内在していた心の傷が、顕在化するとき、

それは痛みとして知覚(意識化)されるということ。


ようするに、身体的に傷つくことも、心理的に傷つくことも、

癒されていない心、つまりは、傷ついたままの心が、

癒されるべくして顕現しただけであるということ。


そう、

痛みとは、癒されていない心の叫びである、と言うことが出来る。


肉体的な傷は、目に見えるかたちで癒されるのがわかるが、

心の傷は、目に見えるわけではないので、痛みとして感じられないまま、

癒されきれないまま、無意識に追いやられてしまう場合がある。

その時に、トラウマ(心の傷)というかたちで心の奥底に刻み込まれることになる。

そしてそれは、意識化され癒されるまで、

トラウマとして本人のその後の人生や心のパターンに付きまとってくることになる。

心の傷は癒されるために、本人の意識上に顕在化させようとするのである。

それが痛み(pain)である。


痛み(pain)への対処法は、痛みを痛みとして感じ切ることである。

痛い、つらい、哀しい、苦しい、、、

その痛みを避けようと抵抗すればするほど、痛みの叫びは強くなる。

痛みを受け入れれば受け入れるほど、そこに癒しが起きていく。

癒しが起きたなら、その後に平安が訪れ、痛みは和らぐか、消える。


痛みとは、すべて心的なものである。

身体的な痛みにしろ、心的な痛みにしろ、

心の傷(魂の傷)が癒されるなら、痛みは消える、、、つまり、苦痛がなくなる。


ちなみに、心の傷、あるいは、その痛みにあまりに無自覚で鈍感な場合、

それは癒されるべく、物理的(身体的)に現象化(物質化)することになる。

それが、ケガであり、病気である。


結論的に云うならば、

痛みは、癒されていない心にのみに感じられるものであり、

癒された心には痛みを感じることがないと言うことができる。

そして、痛みに対して、たとえ身体上(病気)の痛みであろうと、

その癒しは、心において成されるべきであるということ。


そう、

わたしたちは、心の傷(魂の傷)を癒すためにこの時間の世界にいるのだともいえる。

時間とは、未来とは、そのためのものであり、それが輪廻である。

そして、癒しを必要とはしない、つまりは、時間を必要としない、

永遠の今、に帰ることがわたしたちのゴールだと言うことが出来る。


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