2017/03/31

この静けさを大切に

数年ほど前から何度かに渡って私のセッションを受けてこられたAさんと、

先日の茅ヶ崎イベントのプライベートセッションで再びお会いしました。

そのときの感想と言いましょうか、お礼とご報告のメールをAさんからいただきました。


これまでAさんとセッションを繰り返しながら、

そのAさんが自らを癒し、解放し、心の内側が整理されていき、

より身軽になっていくのを、私もセッションを施す側として見てきました。

その変化の様は、まさに私自身の変化とも捉えることができると思います。

なぜなら、私自身の身においてもこれまでずっと自らの心の闇の部分と向き合いながら

自分の内側を整理してきたわけですが、自分がより身軽になっていくにしたがって、

セッションのその中味も大きく変わってきたからです。

そのことがAさんのメールから読みとれます。


>わたしのベースにある、この静けさを大切に。


そして今、それを生きはじめられたAさんのその姿は、

今の私自身の姿を映し出してくれているようでもあります。

Aさんを通して聖霊は私に、「それを生きなさい。その道を進みなさい」

と、その生き方、在り方の大切さを教えてくれているように感じます。


聖霊、そしてAさんも含めたご縁のあった兄弟姉妹に感謝の意を込めて、

ご本人の了解のもとに、Aさんからのメールをそのまま公開させていただきます。

ありがとうございます。


・・・・・・・・・・・・・


もりGさま


まだまだ寒い日がありますが、季節は確実に春本番に向かっていますね。
もりGさんはいかがおすごしでしょうか?
茅ヶ崎セッションにてお世話になりましたAです。

セッション後、とてもうれしい変化がありまして
そのご報告がしたく、メールさせていただいております。

もりGさんのセッションは何度か体験しておりますが、
今回のセッションはいつになく静かでおだやかなものでした。
ときにクスッと笑ってしまうような、
くつろぎの時間をもりGさんと共有させていただきまして、

「わたしには何もわかりようがないけれど、
でもたしかに、わたしはいつでも祝福されているし、大丈夫なんだ」

そんな心境になりました。

セッション後の一週間は、いろいろと心揺れることを体験して
寝込んだり、恐れおののいたりする日もありましたが
状況がどうであれ、わたしの奥の奥の部分には「祝福」や「大丈夫」が存在していました。
そのことが、ほんとうにうれしいのです。

もりGさんに初めてお目にかかったときは、
それはもう劇的でドラマチックな浄化の体験をしたのですが
それから数年たち、私自身の整理も進み、必要なモノも変わったのかもしれませんね。

今まで価値を置いてこなかった、静けさの中にこそ
わたしが探し求めてきたものはずっと存在していたのです。
そのことに気づかせていただくセッションだったなと思います。

ドラマチックで劇的なものには、もうあまり興味がありません。
わたしのベースにある、この静けさを大切に。
できればそれを体現していけたら、なんて幸せなんだろうと今は思います。

いつかこの静けさともさよならするときがくるのかもしれないけれ
それまで、この世界で生きることを楽しみます。

こんな心境になる日が来るとは。
もりGさんには ありがとう の気持ちでいっぱいです。

まだまだ道半ばですし、これからどんな道を歩むのかもまったく見当がつきませんが
またもりGさんにお目にかかれたら幸いに思います。
福岡にもいつかまた遊びに伺えたらいいなあ・・^^

長々と感想を失礼いたしました。
おつきあいくださりありがとうございます。

感謝を込めて。
ありがとうございました。

(東京 女性)

スポンサーサイト
2017/03/28

モクレン

IMG_2218.jpg


近所を散歩していると、

木蓮(もくれん)の白い花があちらこちらで咲いているのを見かけます。


「もくれん」と言う時、

そのことばの響きから、つい私は仏教に興味があったせいで、

お釈迦さまの10大弟子の1人である目連(マハ‐モッガラーナ)の方を思い起こします。


目連(もくれん)は、弟子たちのなかで神通第一と言われた人です。

神通とは、普通では見たり、聞いたり、感じたり出来ないことを感じ取る超人的な 能力です。

現代では、それをサイキック(霊能力)と呼ぶのでしょう。


若い頃は、この私もサイキックみたいなものに憧れや特別性を見て、

その能力を求めてたりしたものです。

でも、今ではまったくそういったものに興味すらなくなってしまいました。

必要としなくなったと言った方が正しいかもしれません。


サイキックというものは、

解脱という道を歩むうえにおいてはどうでもいいものだと、私は感じています。

ただ、そういったものはその人にとって必要として与えられているものであり、

またその能力によって癒されることを必要としている人たちもいるのだから、

サイキックを否定するものでもないと思っています。

ただ、そういったものは解脱とはまったく関係のないものであるということです。


むしろ、目覚めて、解脱へと向かっていくと、

そういったものを必要としなくなっていくといえます。

私は今そう感じています。

そういったものにあまり魅力も憧れも特別性も感じない、それでいいのだと思います。


私も自分に与えられた能力というものを自覚していますが、

それを必要としている人たちがいるのであれば、

私はその機能(役割)をただ果たしていくだけなのだろうと思います。


IMG_2213.jpg


2017/03/27

待つ

IMG_2201.jpg


春分の日を過ぎたとはいえ、

平年のこの時期と比べると、今年はまだちょっと寒い感じがします。


遅れながらも春はもうすぐそこまで来ています。

春は少しだけ足踏みをしているかのようにも感じます。

それでも春は必ずやって来ます。


聖霊は、私にこう告げているかのようです。


待ちなさい。

待つことを覚えなさい。

心を静かにして、ただじっとして変わりゆく季節を感じていなさい。

この瞬間を感じていなさい。

そのとき、わたしはあなたに新しい春を運んで来ることになるでしょう。


2017/03/23

ブラザーシスター

3日間の茅ヶ崎イベントを終えて、福岡に帰ってきました。


今回の茅ヶ崎イベントは、

私自身にとって祝福されたような3日間だったように感じています。


そこには同じ道を歩む兄弟がいるんだってこと。

そして、兄弟は私にとって必要なんだってこと。

その道は、自分で(聖霊と共に)歩んでいくことには変わりはないのだけれど、

決して一人(山に籠るかのごとく)孤立するかのように歩む道ではないのだということ。

そんなことに気づかせてくれた今回の茅ヶ崎イベントだったように思います。


私の何かの思い込みがほどけた。私の中の閉ざされていたものが開かれた。

そんな気がしています。


私がこの道を歩いていくことは、

兄弟を先導していくことになり、

それによって、この自分も兄弟である彼らに先導されているのだと、

そう強く感じました。


それは、与えることで受け取っているのだと、

それらは一つであり、同時なのだと。

そういう意味で、私には兄弟が必要なんだと。

兄弟無しで、自分がこの世界から解放されていくことはあり得ないのだと思います。


今回お会いできた兄弟姉妹に心から感謝します。

愛しています。

ありがとうございます。


IMG_2195.jpg


2017/03/18

『ア・コース・イン・ミラクルズ』の取り扱い説明

IMG_2134.jpg


『ア・コース・イン・ミラクルズ』を学習するにあたっては、

人それぞれのタイミングがあるように思います。


その準備が整っていない心において、

いくら『ア・コース・イン・ミラクルズ』に取り掛かっても、けっして続くことはありません。

『ア・コース・イン・ミラクルズ』の学習をやっていてもしっくりこないのならば、

無理にその学びをする必要はないと思います。

もし、そうであるならば、

他の興味があるものやワクワクすることやしたいことをした方がいいと思います。


自分が『ア・コース・イン・ミラクルズ』を学習するその準備が整っているか?どうか?は、

その時が来たら自分自身でわかるものです。


私ごとでいえば、2008年にこの本に出合ってその学びをしていたものの、

その途上で約4年間の間、『ア・コース・イン・ミラクルズ』から離れていた時期があります。

その4年間、自分は、やっぱり必要な経験をしていたのだろうと思います。

それらの経験を経て、私は、今ここにいるのだと思います。

もはやスピリチュアルの探究というものに興味が湧かなくなったことからもそう言えます。


私は、このタイミングで『ア・コース・イン・ミラクルズ』に戻ってきたのも、

それを学ぶのは今じゃないとならなかった、と気づきます。

自分でも、『ア・コース・イン・ミラクルズ』から離れた4年間は、

本格的に実践していくための心や環境を整えるために必要な期間だったように思えるのです。

正直に言えば、まだその当時は、

エゴの自分で『ア・コース・イン・ミラクルズ』を解釈していました。

そう、あの頃はまだ私の心も環境もその準備が整っていなかったと今ではそう思えます。


何が云いたいのかというと、

『ア・コース・イン・ミラクルズ』以外に他に興味のあるスピチュアルがあるならば、

そっちを優先した方がいいということです。

なぜなら、『ア・コース・イン・ミラクルズ』を学習するにおいて必ずくじけます。

なによりもまず、『ア・コース・イン・ミラクルズ』の内容が理解できないと思います。

受け入れられない、受け入れたくない、という抵抗が起きるからです。

エゴにとっては、学習することがあきらめ、喪失、犠牲、放棄でしかありませんから、

苦悩するだけです。

人生をより良いものにすることを目的にしたものを求めた方がいいということです。


『ア・コース・イン・ミラクルズ』は、その準備が整った時に、取り組むものだと思います。

その時は、その人にとって必要なタイミングでやって来るし、

ひょっとしたら二度とやって来ることもないかもしれません。


『ア・コース・イン・ミラクルズ』は、そういうものだと言うことができる思います。


2017/03/17

一足早い桜

IMG_2196.jpg


春の気配が少しずつ訪れている今日この頃です。

ただ、まだまだ風は冷たいです。


先日、近所を散歩していて、街角で枝の先々に咲いている花を見つけたので、

思わずカメラで撮ったのが上の写真です。

梅の花だと思っていたら、ちょうどそこにいた年配のおばあちゃんが、

「これも、さくら、だよ」と教えてくれました。


さくらの季節というにはまだ早いですが、

一足先に、春、を感じることが出来ました。


春はもうすぐそこまで来ています。

春は、なにかが終わり、そして、なにかが新しくはじまる、そんな季節だといえます。


それは、今、この私にとってもいえることだと感じています。


今、私に新しく開かれたその道は、

これまでも歩いてきた来た道の続きではありますが、あきらかに跳躍しています。

その道においては、私は、まだまだヨチヨチ歩きの状態です。


2017/03/16

世界の見かたが変わるのを実感しています

昨年、継続的にセッションを受けられておられたJさんからのその後の経過報告をメールでいただきました。

そのメールの内容から、ものごとの捉え方、見え方が変わったことを実感するとともに、それによって、以前よりもずっと楽(ラク)になった自分自身を実感していらっしゃるのが伝わってきます。


出来事に対しての自分のとらえ方が変わってきており、

楽にやり過ごせているのを感じています。


それは、今、行き詰って思い悩んでいる誰かにとって十分にヒントになることばだと思います。

ということで、いただいたメールの内容をご本人のご了承のもとに公開させていただきます。

ありがとうございます。


・・・・・・・・・・・・


最近の近況報告です。

お蔭様でかなり楽に毎日を過ごせるようになってきています。

去年の年末からは、今まで変化がなかった外界の環境が急に騒がしくなっています。

今までの感覚だと最悪と感じるような出来事が押し寄せるように起こっています。
ただ、その出来事に対しての自分のとらえ方が変わってきており、楽にやり過ごせているのを感じています。

いい出来事か、悪い出来事かの判断を段々とやらなくなってきていることが、楽に過ごせている原因の一つなのかなと思っています。

「世界のすべては自分の内面が外に映し出されているものだ」と教えていただいたことが、日常生活の中で実感として感じられることが多くなってきました。そう実感することで出来事を簡単にはジャッジできなくなっているのですね。

出来事のとらえ方が変わると世界の見かたが変わるのを実感しています。


(栃木 男性)

2017/03/15

聖霊を選択する

IMG_2194.jpg


聖霊か?自我か?というときに、

その選択の際に「これが聖霊だ」というものがあり、

それを選択することだと思っているが、そういうことではない。


「聖霊を選択する」とは、自分は空っぽであるということを認めること。


「聖霊とはこれだ」というものがあるのではなく、

聖霊とは、この自分がどいたところにそこに在るもの、それなんだといえる。


自分を放棄すること。

それが「聖霊を選択する」とういうことである。


2017/03/14

時間を超えたところからみれば

IMG_2197.jpg 


時間を超えたところからみれば、

この人生で起きていることもすでに起こったことを再生しているにすぎないのだという。


今ここに生きている自分は、これから何が起きていくのかを知らない。

でも、すべてはもうすでに起こったことなのだ。

終わったことなのだ。


そういえば、すでに試合結果を知っているWBC野球のゲームを観ていても、

ついハラハラドキドキしている自分がいたりすることに気づく。


今ここで起きていることとは、そういうことと同じなのだろうと思う。


2017/03/13

わが家に帰ろう

もう後には戻れない。

だからといって、戻る気もない。


後戻りしたとしても、

いつかまたここに来ることがわかっているから。

それはただの時間の先延ばしにしかすぎないこともわかっているから。


そしてもう、そうする情熱もないこともわかっているから。


もう戻れない。

もう戻らない。

だからこのまま先に行こう。


わが家に帰ろう。

家路へと導いてくれている父のその手をとって、わが家に帰ろう。


IMG_2185.jpg