2017/05/30

特別性というものについて

特別性とか、個性とか、そういったものはほんとうに要らないのだなって思います。


それは、この世界の考え方とはまるで真逆のようにさえ思えます。

むしろ、この世界で生きていくにはそれは大事なものとされています。


ただ、コース(ACIM/奇跡講座)の学びにおいては、

特別性や個性といったものは個の存在としての仮面を付けているようなものであり、

その仮面(自我)を取り消していく作業をしていく必要があると説きます。


ふつうに考えてみても、

「特別性」と「全一性(真理)」とは、まったく相反するものです。


私自身、自分の心の中をよくよく観察していると、

自分のしていることは価値があるとか、

自分は特別なことをしているという想いがあったとに気づきます。

癒し、セラピーといったことや、心のことや、スピリチュアルなことに関して、

自分のしていることは他とはちがう、、、

というような優位に立ちたがる自分がいたことを自負します。


でも、そんな特別性は要らないと気づくのです。


正直言いまして、

自分のセラピストとしての技能や技量に絶対なる自信を持っていた私にとって、

そのことを受け入れることに多少なりとも抵抗があったことは否めません。


この世ではあらゆるすべてに序列があるようにみえますが、

それらすべてがどれもこれも幻想という意味では同じです。


つまりは、この世界でしていることにおいては、

どれが価値があるとか、価値がないとか、

どっちが優れているとか、劣っているとか、

どれがホンモノだとかニセモノだとか、

どれが正しくてどれが間違っているとか、

そういうことはほんとうはどうでもいいようなことであって、

そのどれもが幻想であることにはなんら変わりはない、ということです。


かたちのレベルの世界で言えば、

どんなことをしていようが本当にどうだっていのだと。

ゴロゴロ寝て過ごしていようが、勤勉で尊敬されるような仕事をしていようが、

この世界でしていることはどれもこれも序列はない、ということです。


ゆえに、所詮、この私がしていることもそのようなものだということです。


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福岡県うきは市にて


2017/05/26

わずかな意欲

この道を歩んでいくにはそのわずかな意欲だけでよくて、

自分でわが家に帰ろうとする必要はなく、

そもそもが自分でわが家に帰り着くことは出来ない、とわかっておく必要があります。


なぜなら、わが家への帰り道をこの自分が知っているわけではないからです。


神への帰り道を知っているのは、

内なるホーリースピリット(聖霊)であり、

内なるイエス・キリストであり、

内なる神です。


ホーリースピリット(聖霊)と共に、

イエス・キリストと共に、

そして、神と共に、

その手に引かれて、導かれてゆくだけです。


それによってもたらされる安らぎと歓びはこの世の何ものにも代えることができません。


彼らと共に歩むこの道こそ、私がずっと探していた道だと気づくのです。


そして、その道を歩むこの自分は、

もう二度と、この世界の虚しく孤独な道を歩くことはないと気づくのです。


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<大分県日田市大山にて>


2017/05/23

わたしにとっては修行ではありません。修正です。

2004年からセラピスト活動を始めて、今年で丸13年になります。


その間、私自身のスピリチュアルな学びの成長に応じて、

それを反映するかのように私が施すセラピー(セッション)も変化(進化)してきました。


そして現在、そのスピリチュアルの探究の学びで行き着いたところが、

「心理セラピストとしてのアイデンティティを手放す」というものでした。

なんとも滑稽なものです。笑


現在、私が提供するセッションは、大きくその形を変えてきています。


心理セラピストとしてのアイデンティティを手放し、

そのスタンスをやめたことで、よりセッションの幅が広がったように感じています。

そして今、そのセッションのかたちは、ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)の学びへの導きと

そのサポートというかたちに移行していっています。


コースは、決して、スピリチュアルの探究者にとって誰にでも受け入れられるものではない

と思っています。むしろ、少数派だと思います。

とは言っても、コースの学びをはじめられる方は、

これから確実にもっともっと増えてくるだろうとも感じております。


ただ言えるのは、どれもこれも私が見ている夢です。

私の周りにコースを学ぶ人が増えているのは、

自分の心を外側(の世界)に投影してみているにしかすぎないと捉えています。

それでも、私が提供するものがそんな方々の役に立てていただけることはうれしいです。


ということで、

最近のセッションを受けられたRさんからその感想メールをいただきましたので、

ご本人のご了承のもとに公開させていただきます。

ありがとうございます。

 

・・・・・・・・・・・・


<Rさんからの感想メール>


こんにちは。先日は楽しいセッションをありがとうございました。

本当に楽しかったです。

レクチャーも質疑応答中もずーっとわくわくがとまりませんでした。

コースへの好奇心がとまらないのです。

一人でやっていると投げ出したくなるのに。


森川さんの口から伝えられるコースの確信部分、肝となるいくつかの言葉を聞く時には

感動と歓びで涙がでてしまいます。

わたしは知っている、と思うのです。

個のわたしではなく、わたしの中にあるひとつの心の部分。聖霊と共に在る部分。


前回のセッションでノートに書き留めたことなどを見返して過ごしています。

今迄のセッションで起きていたこと、疑問に思っていたこと等が、

少しづつですがわかってきたように思います。

この知的理解が非常に面白いのです。

なので毎回「コースって面白いですね」と、ついつい口にしてしまいます。

その割にはテキストがぜんぜん進んでいませんが…

コースが面白いというよりは森川さんが噛み砕いて教えてくださるレクチャーが

面白いのですよね。腑に落ちる瞬間。


テキストと言えば、先日夜中ひとりで座っている時に

すーっと体が歩き出しテキストを手にとりました。

初めて「考えない」ということを経験したように思いました。

これが動かされるってことなのかな?と。

その時は部屋もわたしの心のとても鎮まっていました。

だから聖霊のかすかな声が聞こえたのかもしれません。


今日のブログ記事「過去から脱却する」を読んで、

この世が幻想で夢であるということがまた違った角度から理解できました。

そんな風に見えるのは今生では無理だろうなと思っていましたが。

そして今また読み直してみると新たな気づきがありました。

やっぱり楽しい!

楽しいけど実践は相当難しいですね。

一瞬一瞬が選択。どれだけ意識的に取り組めるか。常に心にそのことを忘れずに

留めておけるか。


でも勉強すべきことがあること、訓練すべきことがあることが今のわたしには歓びです。

わたしにとっては修行ではありません。修正です。


今日の記事も何度も読み返したいと思います。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

(新潟 女性)


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2017/05/22

心理セラピストという重荷を下ろして

私が提供するセッションのスタイルは、今、大きく変わっていっています。


セッションを受ける側からすると、さほどそのちがいはわからないかもしれません。

でも、私自身にとっては、心理セラピストとしての重荷を下ろして、

「心理セラピー」という枠を取っ払ったより自由なセッションになっている感じがあります。


今から想うと、私は、心理セラピストという役割をじつは重荷に感じていたと気づきます。

私の中に、セラピストとしての妙なポリシーとプライドがあったように思うのです。

心理セラピストとしての自分の能力に自信を持っていたことが、

それがかえって自分が行うセッションを、

心理セラピーというカテゴリーの中に自分で縛りつけてしまっていたと気づくのです。


世間的にいえば当たり前のことではあるのでしょうが、

私は、そこに責任感と使命感を抱えていたと気づくのです。


でも、それがかえって自分自身を、セッションそのものを、制限していたと気づきます。


今、私はそれらの荷物を下ろして、

自分の内なる声(聖霊)に導かれていっているのがわかります。

これでいいのだと思います。


現在、私が提供するセッションは、心理セラピーという枠を超えて、

クライアントさんのテーマに応じて、自由にお話をしていくかたちに変わっていっています。


結局のところ、私自身が、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学びをしていることもあって、

セッションが、そのスピリチュアリティに沿ったものになっていってることは否めません。


コースでは、「教えることと学ぶことは、この世界では逆さまになっている」と述べています。


最近、私もセッションをしてて思うのですが、

自分が学ぶ必要のあるものを自分は相手に教えている、と気づくときがよくあります。

そういう意味では、クライアントさんが私にとっての教師のようなものです。


これからの私の心理セラピストとしての在り方は、そういうものになっていくのでしょう。


心理セラピストとしてのかたち(形態)はこれまでとなんら変わりはありませんが、

その役割を終えたような気がしています。


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2017/05/21

幻想を直視する

わたしたちの内側には、たくさんの無意識の信念があります。


あなたがそれら無意識の信念を見つめられるようになって、

それらの存在に気付けるまで、無意識の信念があなたを動かすことになります。


あなたがそれらの信念から解放されていくためには、

自ら内側の無意識の信念に気づいていかなければなりません。


それらの信念は、すべて自分で決めた思い込みであり、

そもそもは実在しないもの、つまりは、幻想であるからです。


たとえば、痛み、苦しみ、苛立ち、怒り、憎しみ、罪悪感など、

心が動揺させられるのならば、

むしろ、それらが、自らの無意識の信念を見つけ出すきっかけになります。


「苦しみは幻想でしかない、実在しないもの」と言ったところで、

それを日常の中で応用していかないならばなんの意味もありません。

頭では幻想だとわかっているだけでは、かえって心に蓋をすることになり、

そのようにしてまた無意識に追いやることで、訂正のきっかけを先延ばしすることになります。


実際のところ、取り消す(訂正する)のは聖霊がしてくれるものではありますが、

自らで見つめて気づいて、そして、それらを聖霊に取り消してもらおうと意図しない限り、

聖霊が勝手に取り消してくれるということはありません。


つまりは、自らが自覚していく必要があるということです。


コース(奇跡講座/奇跡のコース)でも、以下のように云っています。


幻想は、直視しない限り、誰も幻想から逃れることは出来ない。見ないでいることにより、幻想が保たれていくことになるからである。幻想が危険なはずはないのだから、幻想からしり込みする必要はない。わたしたちには、自我の思考体系をもっと詳しく見る準備が出来ている。あなた自身も自分は幻想を望まないと気づいているので、準備が出来ている。

・・・その向こうが見えるようになるためには、まず最初にそれを見なければならない。私たちは一緒にこの誤りを静かに取り消し、その後、それを超えたところに真理を見ることになる。

あなたが(このコースで)学び始めているのは、恐れは実在しないということである。

ー『ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)』テキストよりー


自分が知覚している(感じている)痛み、苦しみ、苛立ち、怒り、憎しみ、罪悪感など、

それらはすべて自分が作り上げた幻想です。

ほんとうは実在しないものです。


自分の心に正直になっていくこと。

自らの心に目を向けていくこと。

自ら気づいていくこと。

それが幻想から解放されていくための第一歩だと云うことが出来ます。


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<福岡 大濠公園にて>


2017/05/17

平穏な心に戻っていく

最近は、この私自身がコース(ACIM)の純粋非二元論のスピリチュアリティを実践しながら

日々を過ごしていることもありまして、

それに伴って、私が提供するセッションも、

コース(ACIM)の学びへの導入とそのサポートというものになっていっております。


今日は、昨年から定期的に私とセッションを重ねて来られたMさんから、

最近のセッションを受けられて、その感想のメールをいただきましたので、

ご本人のご了承の上で公開させていただきます。

ありがとうざいます。


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<Mさんからの感想メール>


もりGさま

 

おはようございます。先日はセッションありがとうございました。

 

あれからまたいろいろな気づきがあり、今まで覆っていたベールがさらにはがされ、

ピュアな私に触れている感覚があります。

 

それこそ今までもりGさんが伝えてきてくれた、

「なにもしなくていい。」

その感覚が腑に落ちました。

 

本当にそのままでよくて、ピュアな私でいればいるほど、

特に何かしなくても気づきが起こっていたこと。

 

これはセッションをする上で必要なことでありました。

なにかしようとすればするほど、上手くいかなかったのはこう言うことだったんですね。

 

いろんな学びをすればするほど、益々複雑になり苦しみは増すばかりでしたが、

それは心の傷に気がつくために必要だったことでした。

 

そして今はただ心の傷と向き合い癒すことで、

平穏な心に戻っていくこと。

 

それが「ある(ただ在る)」ということなのだと感じています。

 

本当に外側にあることを変える必要なかったんですね()

やっと今まで伝えてくださったことが、

大きく私のなかで広がりまた変革を成し遂げようとしています。

 

本当にありがとうございました。

 

 

そして彼とのことも、彼が私に望んでいた姿はまさにこの姿でした。

 

たとえ彼が奈落の底に落ちようとしていても

それでいいとあるままを認め、

いざとなった時に手を差し伸べればよかったこともよくわかりました。

 

彼が私に「いいんじゃないって言ってくれることがいいんだよ」

って言っていたことは、これだったんだなぁって思いました。

 

その姿を見せられなかったのは残念ですが、

本来の私はそれがもともと持っている資質でもあるんだと思いました。

 

この世の女性とは男性に守られるべきものという体験を、

私はしたかったんだなと今となっては痛烈に思っています。

 

か弱い女性でいたかった()

 

だから強い女性というか、

男性を守れてしまう強さを持っていることがイヤだったんですね。

 

男ならもっと強くあれ!

なんて思ったり、

私を守れる男はいない。

誰も頼りにならないって思ってきましたが、

どうやら役割は逆だったようです。

 

私が引っ張ってよかった。

 

そんなことに気づいた朝でした。

 

これがたぶん本当の私の姿であり、

ホーリースピリットと繋がっている私なのだと思います。

 

まだこう思っている時点で、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)からはほど遠いですが、、、、()

 

そうそう、、、ホーリースピリットに名前をつけました。

名前はリリーです。

私のホーリースピリットのイメージが百合のお花だったんです。

 

白が好きで、

白い洋服を着たくなるのも、

リリーの存在が大きく影響していたのかな、、、なんて感じています。

 

そんな大きな気づきの中で、

これからしていくであろう、

人と関わりながら自分を癒す仕事がどんな風に形になるのかとても楽しみです。

 

またこれからも連絡させていただきますね。

そして共に自分に還る道を歩ませてください。

 

これからもどうぞよろしくお願いします


・・・・・・・・・・・・


<追伸メール>


お返事ありがとうございます。


今朝の気づきは最後のアクというのでしょうか。

脱ぎ捨てた日でもありました。


もういいんだという気持ちと、

これでいいんだという気持ち。


両方ある感じです。


また気持ちが行ったり来たりすることで、

心の平安という場所に戻っていけるのだと思います。


これからもあるがままに過ごしていこうと思います。

このような時間をくださり、

共有できたことに心から感謝いたします。


(埼玉 女性)


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2017/05/14

神の安らぎのなかでこそ

以前と比べたらずいぶんと自分自身が穏やかでいることに気づきます。


私は、20代の頃からずっと真理を求めてスピリチュアルの探求を続けてきたわけですが、

私が求めていたものとはこの穏やかさと平安だったのだと気づくのです。


人は、この世のもので平安、安心、安らぎが得られると思い込んでいます。

「この世のもの」とは、たとえば、お金、仕事、人間関係といったものです。

でも、この世のなにものですらも本当の平安をもたらすことなどできないと気づきます。

人生が、物事が、仕事がうまくいって充実していた頃もありましたが、

そんな状態のときですらも、思えば、けっして心が安らぐことはありませんでした。

いつも心の隙間に、ふとした瞬間に、不安や心配がよぎっていたことは否めません。


この世のものや人間関係といった外的なもので心の平安を求めていた頃と比べると、

いまここにある平安は、まるで比べようがありません。

比にならいほどの確かさと穏やかさだということがわかります。


この世のものを追い求めれば求めるほど、不安は尽きることがなく、

この世のものを手放せば手放すほど、平安がもたらされるとは、

なんとも皮肉なものです。


この世界とはそういう世界だと悟っていくことが、

この世界から目覚めていくということなのだと思います。


そして、それは神の安らぎのなかでこそ成し得られるものだと実感する今日この頃です。


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2017/05/12

自由について

一般的に「自由」と云いますと、

この物質的空間において、

身体が行きたい時に行きたい場所へと物理的に行ったり来たりすることが

自由だと思われています。


ひとは、まさにそれを「自由」だと勘違いして、

ときに、そういうものに憧れて追い求めたりします。

引き寄せの法則だの、願望実現だのといったものなんかも、

そのような「自由」を追い求めているものだと云うことが出来ます。


でも、真理でいうところの真の自由は、

この世界におけるそういうものとは一切関係がありません。


この世界で「自由」と呼ばれているものは、

所詮、自分の見ている夢の中であっちに行ったりこっちに行ったりしているだけのことです。

夢の中に縛られたままで、自分の夢からは自由ではありません。

この世界の法則に縛られたままで、この世界からは解放されていません。


身体の物理的な自由を求めている限り、

自由が見出せない場所に自由を探すことになります。



I am not a body. I am free.
私は身体ではない。私は自由だ。


Freedom must be impossible as long as you perceive a body as yourself.

あなたが身体が自分だと知覚するかぎりは、自由になるのは不可能です。

The body is a limit.
身体とはひとつの制限です。


ー『ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)ワークブック レッスン199』よりー 



この世界から完全に自由になる道。

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)とは、そういうものだといえるでしょう。


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2017/05/08

【金沢】6/23~25 もりG個人セッション&お話会のお知らせ

募集を終了しました。


イベントのお知らせです。

来月、6月23日(金)、24日(土)、25日(日)にかけまして、

金沢(石川)にて、個人セッションならびにお話会が開催されることが決定いたしました。

詳細につきましては、下記の主催者さん(草開さん)のブログをご覧くださいませ。


もりG  個人セッション@金沢 2017/6/23(金)〜2017/6/25(日)

もりG  お話し会@金沢 2017/6/24(土) 13:00〜16:00

新たなるご縁にて、金沢でみなさまとお会いできるのを楽しみにしています。


新しい活動形態へと移行するにあたって、

この金沢イベントがその第一歩を踏み出すスタートとなるものとして受け止めております。

来月の金沢イベントをそのきっかけとさせていただくことに心から感謝します。


もりG


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2017/05/01

ノンデュアリティとコースのちがい

スピリチュアルに興味がなくなったと云っている私でありますが、

スピリチュアルから無縁になったわけではありません。

日々をスピリチュアルに生きていることには変わりはないのです。


先日、たまたまノンデュアリティ・ティーチャーのYouTubeをふと目にしたのがきっかけで、

ちょっと思うところがあって、私は久しぶりにじっくりと観てみることにしたのでした。


ノンデュアリティのスピリチュアリティと、

コース(奇跡講座/奇跡のコース)のスピリチュアリティと、

どこがちがうのだろう?なにがちがうのだろう?と思ったのです。


で、観てみて想ったのは、双方はやっぱり別ものだと思いました。


(私からみて、)そのちがいをシンプルに云うと、

夢の中で目醒める(Awake in the Dream)というものと、

夢から目醒める(Awake from the Dream)というもののちがいであるということです。


「この世界を超えて、この世界の外に出て(帰って)来なさい。」


と呼びかけているスピリチュアリティは、(私の知る範囲で、)

やはり、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)以外に見当たらないような気がします。


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