2017/05/04

赦しのレッスン

じつは、正直なところを申しますと、

私は、巷のスピリチュアリズムにうんざりするところがあって、

目覚めない二元性のスピリチュアリズムや、

非二元と言いながらも目覚めようとはしない悟り系のスピリチュアリズムに対して、

これまでずっと否定的な想いを抱いていたところがありました。

とくに、スピリチュアルなリーダーやティーチャー(教師)みたいなことをしている人に対する

違和感は、私の心をイライラさせるものとして感じられずにはいられませんでした。


「幻想の中で楽しんでいるだけじゃないか」

「なぜ、わが家に帰ろうとしないのだ」


私の内側では、彼らをそんなふうに批判し、裁き、攻撃する想いを抱いていたのです。


でも、純粋非二元の視点から見るならば、

すべては神が私に学ばせようとしているレッスンだということがわかります。


All things are lessons God would have me learn.
すべてのことは、神が私に学ばせようとするレッスンだ。

ー『ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)ワークブック レッスン192』よりー


今想えば、彼らに向けられていたそれらの想いは、

すべてこの自分自身に向けられたメッセージだったと気づきます。

彼らは、私にとっての教師でした。

むしろ、私がすべきことは、彼らをゆるそうとしない自分の内側だったのです。

そして、彼らを咎めてきたそういう想いのすべてを

ゆるしていくことが私の役割なのだと思うのです。

そこにこそ私自身の解放があり、それゆえに兄弟たちの解放があるのだと。


内なる聖霊(ホーリースピリット)は、こう告げています。


Forgive, and you will see this differently.
ゆるしなさい。そうすれば、あなたはこのことを違ったように見ることができます。


目覚めない二元性のスピリチュアルを楽しんでいる兄弟も、

目覚めようとはしない非二元のスピリチュアリティを楽しんでいる兄弟も、

それでいいんだと、そのままでいいのだといえます。

さらには、スピリチュアルにすら興味を持たずにこの現世に幸せを見出そうとしている兄弟も、

だれもがすでにそのままでそれでいいのだと、ただゆるしていくことなんだと気づくのです。


もっといえば、そういう(外側の世界で起こっている)ことはどうだっていいことなんだと。

大事なのは、自分の内側に取り組んで、ただ赦しを実践していくことなのだということです。


純粋非二元論のスピリチュアリティの道を歩む私にとってすることは、

ただそれだけなんだと思います。


IMG_2293.jpg


スポンサーサイト