2017/06/29

もりGさんへの手紙

先日、6/23(金)~6/25(日)にかけて、
金沢に招かれまして、イベント(お話し会と、個人セッション)に行ってきました。


その際にスタッフとしてお世話になった空禾さんから、

お話会や個人セッションについてのお礼と感想のメールをいただきました。

そのメールの内容をご本人のブログで公開されておられます。

ご本人の了承をもとにみなさんにご紹介させていただきます。

ありがとうございます。


・・・・・・・・・・・・


<空禾さんのメールより>


もりGさん、金沢お疲れ様でした。

すごく濃い3日間でしたね。

来ていただき本当にありがとうございました。


最初に立ち寄った白山比咩神社も、「覚醒めの対話」のお話会も、

皆さまや私の個人セッションも本当に素晴らしかったです。


金沢の日程が決まってからも、それ以前からも、

全て決まっていたかのように導かれていたようで、全てが繋がり理解できます。


そして、何よりも個人セッションありがとうございました。

今思うと本当に長くて大変でしたでしょう。

最後まで根気よく導いてくださり、ありがとうございました。

でもあの解放は本当に言葉では言い表せません。本当に素晴らしかったです。


全部自分じゃん。


この苦しみはなんでこうだったのかという理由が本当にわかったら、

カラクリが観えて、全てが消えて、全てがひとつで、

全てが愛に包まれていたこともわかって。


な〜んだ。なにも起きていなかったんだ。分離なんてしていなかったんだ。


な〜んだ。バカみたい。と、思わず笑いがこみ上げてきて、

同時に苦しかった想いの解放ととめどもない喜びの泣き笑いにしばし忙しかったです。


これが目覚めなのか、

昨日はまだ驚愕の事実の受け入れと、感情の解放が続き、

まだ夢うつつな状態で、恐れが湧いてきたり、泣けてきたり、

笑えてきたり覆ってきたり、消えそうになったりしていました。


でも、だんだんと呼吸も深く安定してきて

気づいた意識?はなにもない静けさと安心感の世界が

どこまでもどこまでも果てしなくずーっと広がっていて

それはそれはとても穏やかです。


それでも、これを感じている私はすでに自我の私であって

それをつかもうとする私も出てきて

自我とは本当にすごいものだと思いつつも笑いがこみ上げてきます。


思えば、昨年の11月に福岡まで行って個人セッションを受けた時は

第一声が、「死ににきましたね。」「はい。そうです。」でした。

そして、今回は死を超えて目覚めさせてもらって

これからはもりGさんのおっしゃるように

今まで歩いてきた足跡を消しながら仲間とともに帰り道を歩むことになります。


これは、月並みではありますが、

このタイミングで、もりGさんやこの仲間たちや参加者の皆様と

そして、聖霊の導きとそれを受け入れて動いてくれた神の使者たちの愛と奉仕と

それらが全てつながって私も導かれ、感謝としか言いようがありません。


本当にありがとうございました。


また、金沢にもきてくださいね。

次回、お会いできるのを楽しみにしています。


ー空禾さんのブログ記事『もりGさんへの手紙 』よりー


IMG_2347.jpg


スポンサーサイト
2017/06/28

【お知らせ】8/6 もりG公開セッション&ACIM学習会 in 福岡

イベントのお知らせです。

来たる8月6日(日)に福岡(市内)にて、

「もりG心理セラピー公開セッション」

ならびに、「ACIM学習会(お話会)」が開催されることになりました。

当日は、午前の部と午後の部に分かれております。

それぞれ以下の内容で行われます。興味のある方はどうぞご参加くださいませ。


『もりG心理セラピー公開セッション in 福岡』 午前の部:2017/8/6(日) 10:00〜12:00

 もりGセッションに興味のある方や、見てみたい方、体験してみたい方におすすめです。

 当日は、ご参加くださった皆様の中から、セッションを受けたい方を1~2人募ります。

 セッションを受けたい、受けなくていいけどギャラリーとしてセッションを見てみたい、

 セッションを体感・体験してみたい、などなど、参加理由は様々でかまいません。

 セッションを受けている方はもちろん、その場にいる方各自に

 必然な癒しや気づきが起こることにもなるでしょう。


『ACIM学習会(お話会) in 福岡』 午後の部:2017/8/6(日)  13:30〜16:30

 コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ばれている方、

 コースをこれから学んでみようと思っている方、

 あるいは、真理、覚醒、悟り、非二元(ノンデュアリティ)に興味のある方でも、

 どなたでもご参加いただけます。

 さまざまな疑問、質問に対して、参加者みなさんとシェアできたらと思います。


お申込・お問合せ、詳細につきましては、

下記の主催者さん(フジヤマさん)のブログをご覧くださいませ。

『もりGさん公開セッション(グループセッション)およびACIM(奇跡のコース/奇跡講座)学習会』

http://ameblo.jp/sora-358/entry-12287533109.html


みなさまと、当日、お会いできることを楽しみにしています。


もりG


IMG_2348.jpg


2017/06/27

【御礼】20170623-25 金沢イベント

先日、6/23(金)~6/25(日)にかけて、
金沢に招かれまして、イベント(お話し会と、個人セッション)に行ってきました。


ご参加いただいたみなさん、

そして、今回のこの金沢イベントを主催していただいたくさ太郎さん

ならびにスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。


私はこれまでも各地にてセッションやセミナーなどを行ってきましたが、

今回、私自身がとても新鮮だったのは、

セッションルーム兼宿泊部屋をご提供していただいたことで、

イベント以外の時間もセッションの合間すらもみなさんとお茶しながら話をしたりして、

朝から夜遅くまでプライベートな時間というものがほぼなかったにも関わらず、

楽しくみなさんと過ごせたことです。


それは私にとってはじめての体験でした。


そういう意味では、すごく濃ゆい3日間だったように思います。

まさにACIM学習者のための集中コースみたいなものだったと、、、笑


とりあえずは、御礼までということで、

また金沢でみなさんとお会いできるときを楽しみにしています。

ありがとうございました。


IMG_2367.jpg


2017/06/23

『ア・コース・イン・ミラクルズ』を学ぶということについて

IMG_2344.jpg


「コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぶ」


ということについていえば、その教えが難解であるがゆえに、

ときに、コースの教えの概念を歪曲して学ぶということが起きます。


さらにもっと言えば、そのようにコースを歪曲して学んだとしても、

それなりの体験をすることができます。

なぜなら、かつての私自身がそうでしたからです。

(でも、そういう体験はこの世を超越するものではありません)


ようするに、コースの教えを誤った解釈のもとに

自分の都合のいいように学んでいくこともできるということです。


そのもっとも陥りやすい誤った解釈のパターンが、

この人生をより良いものにするために、とか

あるいは、この世界で幸せな人生を生きるために、といったものを目的にして

まるで処世術の一種としてコースを学んでいるパターンです。


そして、実際に、そういうところからコースを学んでいる方や、

さらには、そういうところからコースを教えている方も多くみられます。


でも、コースをよくよく学んで理解していくならば、

コースはそういうものではないということがわかります。


ほかにもコースの本筋から微妙なところで曲解がされているパターンも

巷でいろいろ見受けられることもあります。


そういうところからみて云えば、

私は、ぜひ、FACIM(ファシム ‐ 『奇跡講座』のための財団)の提唱する

コースの教えに基づいたもので、学ばれていかれることをお勧めします。


それを日本語で提供しているサイトがこちらです。

JAICMー[『奇跡講座』学習支援サイト 

http://www.jacim.com/acim/


そして、私が学んでいるコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)とは、

「奇跡講座のための財団(FAICM)」理事長ケネス・ワプニック博士の監修下の

『ア・コース・イン・ミラクルズ』であると、そう理解していただけたらいいです。


IMG_2095.jpg


2017/06/22

目覚めた時には

今日は、セッションを通してコース(ACIM/奇跡講座)を

一緒に学んでいらっしゃるRさんからのメールを

ご本人のご了承のもとにシェアさせていただこうと思います。


赦しとは、幻想を非実在として認めることを言います。


わたしたちは、日常の中で身の回りに起きる出来事に深刻になったりもしますが、

赦しだけが真の救い(救済)なのだとあらためて気づかされる次第です。


・・・・・・・・・・・・


<RさんのACIM実践体験記>


もりG 様


近況報告をさせていただいてもいいでしょうか。


今朝起きる直前まで夢を見ていました。

ヨーカ堂で買物をしています。レジの人が動作が遅くてイジワルでなかなか前に進みません。

ようやくわたしの番になります。

わたしはパジャマを3枚買いました。レジが遅かったことに文句も言いました。

なのにパジャマが不要だとわかり、返品を要求します。

文句を言ったばかりの相手に、今度はひたすら謝ります。

夢の中で返金の計算をするのですが、これがまたとても大変なのです。

レジの後ろもつかえています。どうしようと思っていたところで

ゆっくり目が覚めるのです。

ぜんぶ夢だったんだ。ということは、お金の計算もしなくていいし

その為にレジの後ろの人たちを待たせる必要もないし、そもそもパジャマなんて

いらなかったんだ、あのイジワルな人とも関わらなくてよかったんじゃないか…

と夢の中のできごとがさかのぼる形でひとつひとつ消されていきました。

なーんだ、なにも起こってなかった。よかった。


ああ、そうか。きっと天国からみたらこの世界はそーゆう世界なんだろうなと

夢うつつで思いました。目覚めた時にはこのような心境になるのかな、と。

だとしたら今日の何倍も何百倍もの安堵感なんだろうな、と思いました。


という報告です(笑)


ーRさんからのメールよりー


IMG_2339.jpg


2017/06/20

ACIM/奇跡講座/奇跡のコースと心理セラピー

これまで「赦し」というものをテーマにいくつか記事を書いてきましたが、

それは、ある程度自らの心の癒しをしてきた方には参考にはなっても、

そうではない方にとっては、わかりにくいものなのかもしれないと感じています。


そう、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)でいう赦しの実践ができるようになるには、

癒されていない心の闇の部分を抱えたままの方にとって、

自分一人で「赦しのワーク(実践)」をしていくのはなかなか難しいのではないかと思います。


コースを学ぼうとしてもにあまり気が向かない、

コースを読んでも書いてあることが理解できない、

コースを学ぼうとするとなぜか抵抗が生じる、神に抵抗している自分がいる、

コースでいうところの赦しがよくわからない、赦しの実践がうまくできない、、、など、

コースを学んでてもそのような状態になる方は、

自らの心をもっと癒していくことが必要なのだと思っていいと思います。


いわゆる「赦し」を実践していく以前に、癒しのプロセスが必要だということです。


そういう意味では、やはり

「心理療法(心理セラピー)」の重要性をあらためて感じています。


それは、自我による防衛を明るみにするプロセスにおいて非常に役立つ第一歩となり得えます。

特に、家族や他者への非常に否定的で抑圧された感情に向き合うことに関して

罪悪感や恐れを抱いていて、難しい感情を否認したり、

過去を取り繕ってしまったりする傾向のある人にとっては、とても役立つと言えます。


「あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。真実を探し出す必要はないが、虚偽を探し出すことは確実に必要である」

ー奇跡講座テキスト第16章よりー


コースの学びをもっと深めていきたい方や、

自分はもっと自らの心を癒していく必要があると感じている方や、

自分の心の闇の部分にメスを入れるのは一人ではなかなか難しいと感じている方は、

心理療法(心理セラピー)の力を借りてでも自分の内側と向き合っていかれることを、

そして自らの心の癒しのプロセスを進めていかれることを、どうぞお薦めします。


参考記事:癒しのプロセスの必要性について


IMG_2356.jpg


2017/06/19

癒しのプロセスの必要性について

今回は、癒しのプロセスの必要性について、

ひいては「心理療法(心理セラピー)」の必要性について書いてみたいと思います。



わたしたちは、心のどこかで自分は癒されたいと感じています。

というのも、心のどこかで本当の自分(真の自己)を覚えていて、

その自分に戻りたいという衝動によって、

そこからスピリチュアルの探究の旅がはじまるといえます。


わたしたちは、そのためにこの世界に生れてきたと言っても過言ではありません。


なぜなら、すでに癒されているならば、この世界を必要としないし、

すでに真の自己のままであるならば、この世界にこうして人間として生まれてきてはいません。


そのようにしてはじまったスピリチュアルな探究の旅は、

さまざまなスピリチュアリティの学びを経由しながら、

そのプロセスにおいて少しづつ自らの心を癒していくことになります。

それは時間の世界の中(つまり二元性世界の中)で起きていくことですが、

やがて心が癒されていくと、二元性という時間の世界を超えたスピリチュアリティへと、

真の自己へ向かう道へと、そのスピリチュアルの探求の旅は誘われていくことになります。


その行き着く先が、非二元、一元論のスピリチュアリティであり、

またそれは、スピリチュアルの探究の旅における最終段階だといえます。

そして、そういう位置づけで云うとするならば、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、そういうものだと云うことができます。


いわゆる、コースは、自らの心の癒しを完了させる最終段階のものだということです。


さて、コースに取り組むにおいては、

「自分の中には、真の自己を求める自分とそれに抵抗する自分(自我)の両方の心がある」

ということを自覚しておくことは大事なことだといえます。

自分の中の癒されていない心の部分は自我と同一化しており、

その癒されていない心によって、真の自己へ向かうことに対する抵抗が起きるということです。

コースを学ぶということは、その自我と向き合っていくことになるので、

自我はあらゆる手を尽くしてそれに抵抗しようとするのです。


そう、コースの学習に気が進まなかったり、途中でくじけたり、

コースから離れてまた戻って来たり、あるいは、コースからまったく離れてしまったり、、、

ということがあるのは、そういうことだと言うことができると思います。


そして、そういうことが起きるということは、

つまりは、心の癒し(のプロセス)をもっと必要としているということです。

そういう場合、癒されていない心の部分にもっと焦点を当てて、

癒しのプロセスを踏んでいく必要があると言うことができます。

そういう意味でも、コースの学びや赦しの実践をしていく上で、

心理セラピー(心理療法)による心の癒しは有益であり、

また、ときには、そういう心理セラピーを必要とする場合もあるということです。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の第一人者のケネス・ワプニック心理学博士も、

彼の著書の中でこのように述べています。


たとえば、ある人が、子供のときに非常に苛酷な虐待に苦しんだがために、すべての記憶が抑圧されてしまい、そうした記憶にアクセスして訂正するということが不可能になっているとします。そうした場合には、その人が昔の虐待について思い出せるようにする治療的介入が、しばしば非常に助けになります。これが行われなければ、犠牲という想念を「保護する」ことになる恐れの想念に力が与えられてしまい、その力が実際に分離と苦痛という自我の思考体系を維持するために行使され続けます。・・・

ですから、一人ひとりが自らの恐れの想念にアクセスできるようにし、それによりイエスの赦しの眼差しー裁くことのない心眼(ヴィジョン)ーを通して、そうした想念を直視できるようにするような介入が、助けになります。だからこそイエスは「精神療法ーその目的、プロセス、実践」の小冊子をヘレンに口述したのです。精神療法は明らかに自我による分離の夢の中で起こることですが、聖霊により新たな方向性を与えられれば、夢を取り消すという聖霊の神聖な目的のために働くものになります。

ー『赦しのカリキュラム』(ケネス・ワプニック/グロリア・ワプニック著)よりー


私も自分自身のことを振り返ってみて、真理探求のプロセスにおいて、

そのときそのときのスピリチュアリティを経て、

さまざまなセラピーを受けながら自らの心の癒しをしてきたように思います。

ときには、あるセラピーの中で、抑圧してきた感情の解放が起きるとともに、

これまでこれほど泣いたことがあっただろうかと思うほど大号泣したこともありました。

今想えば、そういう経験が私の癒しのプロセスとして必要だったのだと思います。


「赦し」以前に、心を癒していくことも重要なのだと感じています。

心を癒していくプロセスも必要なのだということです。

だからこそ、あらためて「心理療法(心理セラピー)」の重要性を謳う次第なのです。

なぜなら、そういうものを必要としている人がたくさんいると思われるからです。


ですから、自分はもっと自らの心を癒していく必要があると感じている方は、

心理セラピーを利用されることを私からもお薦めします。


心の癒しが進んでいくと、赦し(の実践)がもっと容易くできるようになっていきます。


真の自己への障害が掘り起こされ、取り除かれ、

神の愛の中であなたと出会い、一緒に歓ぶことができることを望んでいます。

みなさまをわが家へと導く神に、感謝します。


IMG_2094.jpg


2017/06/16

観照(観察)意識

IMG_2353.jpg


父の意志から離れてみたかった。


父の意志から独立してみたらどんな感じなのだろう?


自分は、それを体験してみたかった。


そして、それを体験しているのがこの世界です。


この世界でしているあらゆる体験は、この自分がすべて望んだことであり、

自分が感じているあらゆるものが、自分が望んだことだったということができます。


その真実に気づかせないように自分を欺くことが自我の目的であり、

そのためにこの世界はあるといえます。


なぜなら、その真実がバレたなら、

もうそれを(あたかもリアルに)体験することができないからです。


実際に、その真実を認識したところから(心のレベルで)すべての体験を感じていくと、

あれだけ感情的にあたかもリアルに想えたもの、こと、ひとも、

すべてに興ざめしたかのように白けて(ありのままに)みえるようになります。

すでにそこでは一切のジャッジが消えています。


たぶん、この意識状態が「観照(観察)意識」というものだと思います。

また、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)でいうなら、

聖霊と共にみている状態だといえます。

(『奇跡講座』では、その意識状態にある自分を「決断の主体」とも呼んでいます。)


そう、孤独、空虚感、絶望感、哀しみ、苦しみ、痛み、、、

そのあらゆるすべてがこの自分が望んだことだったということを受け入れるとき、

自分は、もうこの世界の被害者ではなくなります。

そして、自分はもうそれを望まない、という選択をする力を自分に取り戻したことになります。


そのときこそ、わたしたちは聖霊を選択し、

自分が望んだことを聖霊に取り消してもらうよう明け渡すことができるということです。


さらにいえば、本当のおおもとのところ、

父の意志から離れてみたかった、、、というそれ自体が、自分の妄想(幻想)であり、

自分が体験しているものすべてがなにも起きていない、、、それが、真理です。


以上のことをわきまえた上で赦しの実践していかれると、赦しがうまくいくはずです。


それでも、赦しがよくわからない、どうやっていいかわからないという方は、

セッションで具体的な実例をテーマにあげていただいてそれを体験することもできますので、

どうぞご連絡くださいませ。


・・・・・・・・・・・・

2017年6月1日より、もりG個人セッションをリニューアルしました。
セッションのお申込を承っております。
詳しくは、こちらをどうぞ。


IMG_2354.jpg


2017/06/15

今は亡き父を想う

自分が子どもだった頃のことを思い出すと、

私は、父にとって問題児だったと思います。


私は、世間的に見ても問題がある子どもでした。

父にとっては何をしでかすかわからない困った息子だったと思います。


私がなにか問題を起こすたびに、

私の父は、息子を責めるにも、自分もその親であることに責任を感じて葛藤していました。

一度、私が深刻な問題を起こしたときに、父が大泣きしたことがありました。

まだ子供だった私にとって、その光景は、

なぜ父が泣くのか?その意味はわからずとも、とてもショックだったのを覚えています。


今想えば、父は、私がどんなに世間的に問題のある子どもであろうとも、

この私を愛してくれていたように思います。

どうしようもない問題児であろうとも、

それでも自分の息子であるこの私を愛してくれていたのだと、今ではよくわかります。


そんな父は、私が18歳のときに、癌で亡くなりました。

2年間程の闘病生活の最期の頃は、「痛い、痛い」と苦痛を訴えてばかりいました。

父が息を引き取ったときには、息子の私にとって、

むしろ、父が痛みから解放されてよかった、ホッとしたという思いさえありました。


ただ、そのときから、私は胸にぽっかりと穴が開いたような空虚感を抱くようになりました。


生きるって、どういうことなのだろう?

死ぬって、どういうことなのだろう?

あの父の痛みは、何の理由でそうなったのだろう?


父の死をきっかけに、私は、本質的な問いを抱くようになったのです。

私の真理の探究は、そこからはじまったといえます。


私は、ずっと父を反面教師として生きてきたように思います。

私は、父と戦っていたのだと気づきます。

でも、戦ってきたその父とはまさにこの自分自身だったともわかります。


私は、父を赦すときがきたのだと思います。

それは、この自分自身が赦されるときでもあります。

今では、父に感謝しています。


父よ、私を愛してくれてありがとう。

そして、私もあなたを愛しています。


IMG_2355.jpg


2017/06/14

「赦し」というレッスンについて

自分の人生に起きている出来事をだれかのせい、何かのせいにしているのは、

自分を欺くことに都合よくうまくそれらを利用しているにしかすぎません。

すべては自分(自我)がそう仕組んでいるに他なりません。

それを「投影」と云います。

自分の外側に投影することによって、

自分の内側に意識を向けさせないようにするのが自我の目的です。


それが自我の巧妙な手口です。

わたしたちは、まずそのことを形而上学的に知っておく必要があります。

すべてが自作自演の体験にしかすぎず、

そのすべてが自分がみている夢であるということを自覚するということです。

それが、非二元の生き方であり、この二元性世界を超越していくはじまりです。


自分の身の周りに起きていることすべては、

自分の心の投影であり、自分が真の赦しを実践していくためのアイテムでしかありません。

この世界は、そのための<教室>です。

ゆえに、もう、だれのせいにすることもできません。

もう、自分を欺き続けることはできません。


人生に振り回されているふり、混乱しているふり、苦しんでいるふり、、、

そういったゲームをしている自分にほどほどうんざりしているのなら、なおさらです。


「あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。」

 -『奇跡講座』テキスト16章よりー


そのためには、自分の内側の無意識に取り組んでいく作業(ワーク)が必要です。

それが、「赦し」というものです。

あなたの意識が向かう方向は、目に見えている外の世界ではなく、

自分の内側(原因レベルである心)だということです。


それは、自我を取り消し、幻想を終わらせていく道のはじまりです。


IMG_2351.jpg