2017/06/15

今は亡き父を想う

自分が子どもだった頃のことを思い出すと、

私は、父にとって問題児だったと思います。


私は、世間的に見ても問題がある子どもでした。

父にとっては何をしでかすかわからない困った息子だったと思います。


私がなにか問題を起こすたびに、

私の父は、息子を責めるにも、自分もその親であることに責任を感じて葛藤していました。

一度、私が深刻な問題を起こしたときに、父が大泣きしたことがありました。

まだ子供だった私にとって、その光景は、

なぜ父が泣くのか?その意味はわからずとも、とてもショックだったのを覚えています。


今想えば、父は、私がどんなに世間的に問題のある子どもであろうとも、

この私を愛してくれていたように思います。

どうしようもない問題児であろうとも、

それでも自分の息子であるこの私を愛してくれていたのだと、今ではよくわかります。


そんな父は、私が18歳のときに、癌で亡くなりました。

2年間程の闘病生活の最期の頃は、「痛い、痛い」と苦痛を訴えてばかりいました。

父が息を引き取ったときには、息子の私にとって、

むしろ、父が痛みから解放されてよかった、ホッとしたという思いさえありました。


ただ、そのときから、私は胸にぽっかりと穴が開いたような空虚感を抱くようになりました。


生きるって、どういうことなのだろう?

死ぬって、どういうことなのだろう?

あの父の痛みは、何の理由でそうなったのだろう?


父の死をきっかけに、私は、本質的な問いを抱くようになったのです。

私の真理の探究は、そこからはじまったといえます。


私は、ずっと父を反面教師として生きてきたように思います。

私は、父と戦っていたのだと気づきます。

でも、戦ってきたその父とはまさにこの自分自身だったともわかります。


私は、父を赦すときがきたのだと思います。

それは、この自分自身が赦されるときでもあります。

今では、父に感謝しています。


父よ、私を愛してくれてありがとう。

そして、私もあなたを愛しています。


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