2017/06/19

癒しのプロセスの必要性について

今回は、癒しのプロセスの必要性について、

ひいては「心理療法(心理セラピー)」の必要性について書いてみたいと思います。



わたしたちは、心のどこかで自分は癒されたいと感じています。

というのも、心のどこかで本当の自分(真の自己)を覚えていて、

その自分に戻りたいという衝動によって、

そこからスピリチュアルの探究の旅がはじまるといえます。


わたしたちは、そのためにこの世界に生れてきたと言っても過言ではありません。


なぜなら、すでに癒されているならば、

この世界を必要としないし、この世界にこうして人間として生まれてきてはいません。


そうしてはじまったスピリチュアルな探究の旅は、

さまざまなスピリチュアリティの学びを経由しながら、

そのプロセスにおいて少しづつ自らの心を癒していくことになります。

その旅は時間の世界の中(つまり二元性世界の中)で起きていくことですが、

やがて心が癒されていくと、二元性という時間の世界を超えたスピリチュアリティへと、

真の自己へ向かう道へと、そのスピリチュアルの探求の旅は誘われていくことになります。


その行き着く先が、非二元、一元論のスピリチュアリティであり、

またそれは、スピリチュアルの探究の旅における最終段階だといえます。

そして、そういう位置づけで云うとするならば、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、そういうものだと云うことができます。


いわゆる、コースは、自らの癒しを完了させる最終段階のものだということです。


さて、コースの学習と実践に取り組むにおいては、

「自分の中には、真の自己を求める自分とそれに抵抗する自分(自我)の両方の心がある」

ということを自覚しておくことは大事なことだといえます。

自分の中の癒されていない心の部分は自我と同一化しており、

その自我によって、真の自己を思い出すことへの抵抗が起きるということです。

コースを学ぶということは、その自我と向き合っていくことになるので、

自我はあらゆる手を尽くしてそれに抵抗しようとするのです。


そう、コースの学習に気が進まなかったり、途中でくじけたり、

コースから離れてまた戻って来たり、あるいは、コースからまったく離れてしまったり、、、

ということがあるのは、そういうことだと言うことができると思います。


そして、そういうことが起きるということは、

つまりは、心の癒し(のプロセス)をもっと必要としているということです。


そういう場合、癒されていない心の部分へ光を当てていく作業(ワーク)が必要で、

セラピストの助けを借りる方法もあるといえます。

そう、コースの学びや赦しの実践をしていく上で、

心理セラピー(心理療法)による心の癒しが有益なときもあるということです。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の第一人者のケネス・ワプニック心理学博士も、

彼の著書の中でこのように述べています。


たとえば、ある人が、子供のときに非常に苛酷な虐待に苦しんだがために、すべての記憶が抑圧されてしまい、そうした記憶にアクセスして訂正するということが不可能になっているとします。そうした場合には、その人が昔の虐待について思い出せるようにする治療的介入が、しばしば非常に助けになります。これが行われなければ、犠牲という想念を「保護する」ことになる恐れの想念に力が与えられてしまい、その力が実際に分離と苦痛という自我の思考体系を維持するために行使され続けます。・・・

ですから、一人ひとりが自らの恐れの想念にアクセスできるようにし、それによりイエスの赦しの眼差しー裁くことのない心眼(ヴィジョン)ーを通して、そうした想念を直視できるようにするような介入が、助けになります。だからこそイエスは「精神療法ーその目的、プロセス、実践」の小冊子をヘレンに口述したのです。精神療法は明らかに自我による分離の夢の中で起こることですが、聖霊により新たな方向性を与えられれば、夢を取り消すという聖霊の神聖な目的のために働くものになります。

ー『赦しのカリキュラム』(ケネス・ワプニック/グロリア・ワプニック著)よりー


私も自分自身のことを振り返ってみて、真理探求のプロセスにおいて、

そのときそのときのスピリチュアリティを経て、

さまざまなセラピーを受けながら自らの心の癒しをしてきたように思います。

ときには、あるセラピーの中で、抑圧してきた感情の解放が起きるとともに、

これまでこれほど泣いたことがあっただろうかと思うほど大号泣したこともありました。

今想えば、そういう経験が私の癒しのプロセスとして必要だったのだと思います。


「赦し」以前に、心を癒していくことも重要なのだと感じています。

心を癒していくプロセスも必要なのだということです。

だからこそ、あらためて「心理療法(心理セラピー)」の重要性を謳う次第なのです。

なぜなら、そういうものを必要としている人がたくさんいると思われるからです。


心の癒しが進んでいくと、赦しの実践がもっと容易くできるようになっていきます。


私自身の経験からもそう言えます。

ですから、自分はもっと自らの心を癒していく必要があると感じている方は、

心理セラピーを利用されることを私からもお薦めします。


愛への障害が取り除かれ、

神の愛の中であなたと一緒に喜びを分かち合えますことを祈っています。


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