2017/07/31

愛の障壁を取り去って

今日は、継続的にセッションを受けていらっしゃるKさんの体験談をご紹介したいと思います。


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Kさんの体験談が、皆さまにとって参考になれば幸いです。

興味のある方は、どうぞご覧ください。


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<Kさんのセッション体験談>


セッションの体験をシェアしたくて感想を書きました!


私は、奇跡講座を学び始めて4年くらい経ちます。ほぼ一人でやっていました。日々赦しの実践もやっていたのですが、赦しが起きているのか半信半疑?になりながら実践していました。最近はもう奇跡講座から離れて、非二元、ノンデュアリティといった悟り系のメッセージとか聞いていました。


そんな時、久々に奇跡講座で検索をしたとき、もりGさんのブログを発見しました。ブログを拝読させていただいて、洗練された美しさと一歩引き下がるような畏怖の念が湧き出て、すぐ個人セッションを受けてみたい気持ちになりました。でも、人見知りの性格でコンタクトを取ることに少々ためらいがありました。ですが、長年にわたって憎しんでいる両親、兄のことで赦しても赦しても、どうしても赦せない感情があり、赦せないことが罪悪感と恐怖を増幅させてもっと苦しくなってしまう、もう自分ではどうしようもない、助けてほしい思いが勝って、コンタクトをとることにそう時間はかかりませんでした。


セッションを継続でお願いしました。セッションでは、私からお願いしているにもかかわらず、無意識が抵抗してスカイプの音声が頻繁に途切れるといったような投影が出ることが起こったり、もう何十年前のこともあって、記憶や感情が思い出せなかったり、思い出したら思い出したで、これ以上は感情を感じたくない、もう嫌だということが起こったり、泣いたりで、、、はちゃめちゃなんですけど、もりGさんがドンと構えて、どんな醜い私も受け入れてくださって、はちゃめちゃになりながらも、幻想を直視することができました。


そして直視するたびに、「両親や兄は何も悪くなくて、私の心に原因があったんだ」という理解が毎回のセッションで起きていきました。また、「聖霊は取り消しをちゃんとやってくれてる」というふうに、聖霊に対しても安心して任せられるという信頼感も出てきました。


私は、セッションを継続して受けていくことで日々楽になっていくのを実感していました。そんな中、数回目のセッションを受けた某日、これで母の赦しが達成できたなという認識が もりGさんと私に起こったその夜、ハートが圧倒的な振動数で振動し始めて、愛があふれ出して、全てに浸透しているような感覚が起きました。もうこの愛に溶けてしまいたい、神に「私(自我)を消滅させてください」と祈りながらハートを感じていました。


常々、もう個人エネルギーの私を解放したいと 願っていても、いざとなると個人を手放すなんて 更々ない私が出てきましたし、毎日、深夜、目がふと覚めると、神への恐れで 発狂している私がいましたから、「私を消滅させてください」という思いが私の中から出てくるなんて、正直びっくりしました。


知覚が歪んでない!、訂正されてる!、神が恐くない!自分の知覚がそんなふうに正気になっていて、ものすごくうれしかったです。


その日以後、あんなに殺したいほど憎んでた母への恨み、憎しみもなくなりました。 自分が無価値で生きていてもしょうがないという自己概念も消えていっています。


コースのテキストの序文にには、こう書いてあります。


愛の意味を教えることは目指してはいない。(中略)しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。


まさにその通りだ、と実感しています。やっぱりコースはいいですね。


私は、まさに愛の障壁を取り去っていっているのですね。真の赦しが起きるのをサポートしてくださったもりGさんには本当に感謝の気持ちで いっぱいです。こんなことなら、もっと早くに、もりGさんと出会いたかった。。。そんな思いも湧いてくるのですが、(エゴのつぶやき(笑))このタイミングで出会えたことは完璧であって、そうでしかなかったのですよね。


引き続き、今後もセッションの方もよろしくお願いします。

ありがとうございました。

(女性 香川)


2017/07/23

自と他の区別を通り越して

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最近の私は、自分の知覚が変容してきているのを感じています。

どんなふうに変わってきているのかと言いますと、

自分と他者とが分離しているという認識がますますなってきているという感じです。


とくに、セッションにおいては、それが顕著に自覚できます。

そこには自分の心と相手の心とが別々に分離したものとしてあるのではなく、

一なる心として扱っているという感覚に気づきます。


セッションでは、自我を直視するということをしていくわけですが、

そこには、一つの自我しかありません。

そこには、あなたの「自我」とか、私の「自我」というものがありません。


そこには、一つの心しかありません。

そこには、一つの聖霊しかいません。

そこでは、あなたと私は一つです。


以前はどんなだったかというと、

私の心とあなたの心は別々のものと認識していたところがありました。

(分離したこの世界では誰もみんなそれが当たり前の感覚で知覚していますが、、、)


セラピストの私がクライアントさんの内側の心にアプローチして、

癒されるのはクライアントさんの心であって、自分の心とは関係ないという感覚でいました。


私の内なる声(聖霊)とクライアントさんの内側の声(聖霊)は、

個別のものだというふうな認識でした。


自我(エゴ)に対する認識の仕方も同様に、

「私の自我」と「あなたの自我」があると思っていました。

それらはそれぞれの内側に別々に個々のものとしてあるというふうに認識していたのでした。


つまり、これまでの私の認識でいうと、こんな感じです。

私の心(内側)とクライアントさんの心(内側)は別のもので、

私の心の方がクライアントさんの心よりも少しばかり癒しが進んでいて、

それゆえクライアントさんよりも癒されている私(セラピスト)が、

癒されていないクライアントさんの心を癒すのだ、、、

というふうな捉え方でクライアントさんと対峙していたということです。


でも、今ではまったくその捉え方がちがいます。

クライアントさんの心が癒されるとき、癒されているのは私の心でもあるのです。

なぜなら、クライアントさんと私は、同じ一つの心だからです。

誰々が癒されていて誰々が癒されていない、ということはありません。

すべての兄弟たちは自分自身であり、

その自分はまだまだまったくと言っていいほど癒されていないと気づきます。

その自分はもっともっとたくさんの「癒し」が必要だと気づくのです。


私自身も、癒されていない部分はまだまだたくさんあると感じています。

他者を知覚しているかぎり、分離を知覚しているということであり、

分離を知覚しなくなるまで、まだまだ「癒し」が必要なのだと思います。


癒していくのも、癒されていくのも、この自分です。


私は、自分をもっともっと癒していく必要があると感じています。

そしてそれは、兄弟によって、兄弟と共に、なされていくのだと。

けっして、一人で癒されることはありません。


あなたが必要なのです。

私には兄弟が必要なのです。

あなたが癒されていくならば、癒されていくのはこの私だからです。


神の子は一人です。

それが、あなたであり私です。


あなたが、私の救済者です。


2017/07/03

なんという地道な道でしょう

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今日は、私とのセッションを通じて一緒にコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を

学んでいらっしゃるRさんからのメールをご本人のご了承のもとに紹介させていただきます。


兄弟(友人)に対してのRさんのその在り方に、私も教えられる思いがしました。

Rさんに感謝します。

ありがとうございます。


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<RさんのACIM実践体験記>


昨日はレッスン61の「私は世の光である。」でした。


昨日久しぶりに古くからの友人とメールをしました。

今はとても幸せに暮らしているけれども、人間関係が苦手とのこと。

特に子供のママ達の集団、同性の集団の中には入れない。

学生時代にいじめにあっていたあの時のことが忘れられなくて自信が持てない、と。


彼女は完全に学生時代のいじめられた自分を分けて別の檻に入れたまま今も共に生きている。

つまり今でも救われずにいじめられてる悲しい子がいるわけですよね。

(自分がしていただいたセラピー(セッション)の経験からそのように想像するわけです)


20年近く前にも同じ話をわたしは聞いていました。

ということは20年間その子はその状況下にいると思われます。


セッションで解放したらいいのに、と余計なことを思う。

少しだけそんな話もしてみる。でも彼女は望んでいない。というか、ピンと来ていない。

ということで、今のわたしが出来ることは

話を聞きながら(メールを書きながら)

そのいじめられた当時のあなたには本当は何の罪もないよね、と伝えることだけでした。

今と同じでその時だってそのままの彼女でよかったはずだ、と。

彼女が楽になるように、とかセラピーをしてみたいとかそんなことはなく

(以前の自分ならそんな思いもあったと思います。そうすることで自分を必要とされたいという思い)


その今もまだ檻の中に入っているままの子があまりにも不憫で

心からあなたには何の罪もないと伝えたのでした。

と、同時に自分の心も癒されたのです。

ということはわたしにも罪は無いんだ、と内側から自然と溢れ出てきたのです。

今朝彼女から「久しぶりにゆっくり眠れたよ、ありがとう」というメールが届いたのですが

彼女が癒された、というよりは

わたしが癒されたんだ、と思いました。わたしの一部が赦された。

その不憫な子はわたしの投影だったのですね。


なんという地道な道でしょう(笑)

そして大切な人と自分をも癒されるのなら、なんて優しい道なのでしょう。


「私は世の光である。」というタイトルを最初に目にした時はとても恥ずかしかったです。

それは文章にもあるようにわたしは自分自身の偶像に付与した特徴のどれかについて

語られたものだと思ったからです。このわたしが光!!と(笑)

その後、それは神により創造されたままのあなたについて語っている、とありました。

そうです、神が創造したままのわたしは光です、と思えます。


私は世の光である。

それが私の唯一の機能である。

それが、私がここにいる理由である。


昨日の友人とのやりとりがシンクロしたので、これまたご報告です。


わたしはコースの学習を始めたばかりの者です。

そんな中での報告なので、確信も持てず、ただ起こったことを時系列に書くばかりで

ついつい長くなってしまいます。

中には稚拙な考えから誤解をしている箇所もあるかと思います。

それは今後セッション等で教えていただけたら幸いです。


何よりそのような文章を読んでいただけることに心から感謝しております。


ーRさんからのメールよりー