2017/07/31

内的探究

今日は、継続的にセッションを受けていらっしゃるKさんの体験談をご紹介したいと思います。


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それは、まさに自己の「内的探究(Inner Inquiry)」と言うことが出来ます。

Kさんの体験談が、皆さまにとって参考になれば幸いです。

興味のある方は、どうぞご覧ください。


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<Kさんのセッション体験談>


セッションの体験をシェアしたくて感想を書きました!


私は、奇跡講座を学び始めて4年くらい経ちます。ほぼ一人でやっていました。日々赦しの実践もやっていたのですが、赦しが起きているのか半信半疑?になりながら実践していました。最近はもう奇跡講座から離れて、非二元、ノンデュアリティといった悟り系のメッセージとか聞いていました。


そんな時、久々に奇跡講座で検索をしたとき、もりGさんのブログを発見しました。ブログを拝読させていただいて、洗練された美しさと一歩引き下がるような畏怖の念が湧き出て、すぐ個人セッションを受けてみたい気持ちになりました。でも、人見知りの性格でコンタクトを取ることに少々ためらいがありました。ですが、長年にわたって憎しんでいる両親、兄のことで赦しても赦しても、どうしても赦せない感情があり、赦せないことが罪悪感と恐怖を増幅させてもっと苦しくなってしまう、もう自分ではどうしようもない、助けてほしい思いが勝って、コンタクトをとることにそう時間はかかりませんでした。


セッションを継続でお願いしました。セッションでは、私からお願いしているにもかかわらず、無意識が抵抗してスカイプの音声が頻繁に途切れるといったような投影が出ることが起こったり、もう何十年前のこともあって、記憶や感情が思い出せなかったり、思い出したら思い出したで、これ以上は感情を感じたくない、もう嫌だということが起こったり、泣いたりで、、、はちゃめちゃなんですけど、もりGさんがドンと構えて、どんな醜い私も受け入れてくださって、はちゃめちゃになりながらも、幻想を直視することができました。


そして直視するたびに、「両親や兄は何も悪くなくて、私の心に原因があったんだ」という理解が毎回のセッションで起きていきました。また、「聖霊は取り消しをちゃんとやってくれてる」というふうに、聖霊に対しても安心して任せられるという信頼感も出てきました。


私は、セッションを継続して受けていくことで日々楽になっていくのを実感していました。そんな中、数回目のセッションを受けた某日、これで母の赦しが達成できたなという認識が もりGさんと私に起こったその夜、ハートが圧倒的な振動数で振動し始めて、愛があふれ出して、全てに浸透しているような感覚が起きました。もうこの愛に溶けてしまいたい、神に「私(自我)を消滅させてください」と祈りながらハートを感じていました。


常々、もう個人エネルギーの私を解放したいと 願っていても、いざとなると個人を手放すなんて 更々ない私が出てきましたし、毎日、深夜、目がふと覚めると、神への恐れで 発狂している私がいましたから、「私を消滅させてください」という思いが私の中から出てくるなんて、正直びっくりしました。


知覚が歪んでない!、訂正されてる!、神が恐くない!自分の知覚がそんなふうに正気になっていて、ものすごくうれしかったです。


その日以後、あんなに殺したいほど憎んでた母への恨み、憎しみもなくなりました。 自分が無価値で生きていてもしょうがないという自己概念も消えていっています。


コースのテキストの序文にには、こう書いてあります。


愛の意味を教えることは目指してはいない。(中略)しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。


まさにその通りだ、と実感しています。やっぱりコースはいいですね。


私は、まさに愛の障壁を取り去っていっているのですね。真の赦しが起きるのをサポートしてくださったもりGさんには本当に感謝の気持ちで いっぱいです。こんなことなら、もっと早くに、もりGさんと出会いたかった。。。そんな思いも湧いてくるのですが、(エゴのつぶやき(笑))このタイミングで出会えたことは完璧であって、そうでしかなかったのですよね。


引き続き、今後もセッションの方もよろしくお願いします。

ありがとうございました。

(女性 香川)


2017/07/28

真の共感と無垢性 - 後半 Q&A -

前の記事(前半)のつづきです。


兄弟のなかに問題を知覚するとき、それは自分自身の心の中の問題であり、

その問題は実在しないものと見るまで自分の心を癒す必要があると述べられているのは、

じつに奥深いです。

それこそが、真に非二元を生きる者の実践的な在り方だといえます。

カースティンさんのその姿勢は、「神の教師」としての在り方として本当に心打たれます。


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質問者:

奇跡講座の学習が進むにつれて、この世界の人々がどれだけ罪悪感を感じているかが、よくわかるようになりました。

私の中の罪悪感は、だいぶ癒されてきたと思いますが、外側にはたくさんの罪悪感を抱えている人々を見ます。

そんな彼らに、「そんなに弁解したり、謝ったりしなくてもいいのですよ」と言いたくなったりもしますが、実践的にどのように対応したらいいのでしょうか?


Kirsten:

これは、あなた自身の癒しについていえます。

もし、あなたの前に現れた人に罪悪感を知覚し、そのことが引き金となって何か感情を感じたり、その人によって心が乱された場合、それはあなたの心の中の罪悪感を映し出し見せているということです。

その場面でどう応答するかは、祈りしかありません。

祈りのみがその瞬間、愛を求める姿に対して応えることができます。

さまざまな方法が助けになるでしょうが、例えばそれは、何も言わないことかもしれませんし、ときにはユーモアが役立つこともあるでしょう。

愛を求める姿への形式的な答えというものはありません。

それよりも、もしあなたがどんな理由であっても罪悪感を感じるならば、それはあなた自身が愛を求めているということを知っていてください。

そこで、もしあなたが自分自身に対して助けを求めるならば、(奇跡が入り込む)スペースを許可したことになります。

私の場合、しばしば起きることですが、、、弁解ばかりする人へ、私はただ「I love you.」と言います。

どういうわけかそれがすべてを(包含して)通り越していくことになります。

もし、(その人の話の)詳細に入っていって、「あなたに罪はありません」と主張したとしても、それがうまくいくことはありません。

なぜなら、罪悪感は(その人の話の)詳細とはなんの関係もないからです。

そしてあなたが、「あなたは○○だから罪はないのよ」と言うならば、相手は、「いいえ、私には罪があるの。だって、△△だから」と言い返すでしょう。

とにかく、癒しが為されることを認めた上で、喜んで向き合い、感じ、癒すことがすべてです。


質問者:

人々は、本当に自分に罪があると思っています。

私自身は、罪悪感を少しずつ手放し、今は自由で無垢性を感じるようになってきています。

罪悪感を抱えた人々を見るのがとても心苦しく思えて、「そうじゃないのよ。すべて大丈夫なのよ」と伝えたくなります。


Kirsten:

心の中の無垢性に気づいていることは素晴らしいですね。

あなたの心の中のその無垢性は、あなたが何を教えるかに作用します。

ときには無垢性を見失っていき、対称性(二元性)がはっきりと立ち上がって来ることを痛烈に感じることもあります。

しかし、これは一つの段階に過ぎません。

最終的には、あなたの心から十分な無垢性や愛が延長されるところまで癒されていきます。

そのとき誰かが「自分には罪があります」と言ったとしても、愛がそれを洗い流すでしょうし、あなたはそれを実在するものとして見ることもないでしょう。



『True Empathy and Innocence -Holland Clip2- 25 Apr.2017』

https://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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2017/07/27

真の共感と無垢性 - 前半 -

カースティンさんのトーク音声の翻訳です。


ここでは、「心を開く」とはどういうことなのかが、わかりやすく述べられています。

「自分は何も知らない」というスタンスが本当に大事なんだなとあらためて気づかされます。

後半には、セラピスト、あるいは神の教師としての在り方についても述べられていて、

実践的な内容でとても参考になります。


あらかじめ言っておきますが、

日本語の翻訳に関しては趣味の域ですので、そこのところはどうかご容赦くださいませ。


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デイヴィッド ホフマイスターさんと共に旅をはじめたその年から、私は毎朝ジャーナリング(心に浮かんだことを記録すること)をしていました。

朝、起床し、歯を磨き、コーヒーを淹れ、ペンと紙を持ってカウチに座り、「Good morning, Holy Spirit!」と書き始めるのです。そして、当然のごとく聖霊からの返答を待つのです。

すでに、ワークブック・レッスン49「神の声は、一日中、私に語りかける」を学んでいましたからね。

私が質問すれば答えは返って来るし、話しかければ対話がはじまることを確信していましたし、実際にそうでした。

私は、自分の想いや感情を聖霊に向かってとうとうと述べました。そして、書くという作業をすることで、その返答が、より聞きやすいものとなりました。

もちろん、本当に聖霊からの返答なのかと、疑いを持つ心の声も強くありました。

ときに、書いたものを上からグシャグシャに消したこともありました。

でも、後で読み返してみると、あまりの美しさに涙することもありました。

ジャーナリングもまた、聖霊と直接的なコミュニケーションをとる一つの実践法と言えます。


私は、コースのレッスンをしながらも、「他には?」「何かもっと他にある?」と常に聖霊にたずね質問していました。

聖霊にたずねることを習慣化していったのです。

常に聖霊にたずねるのです。

これはとても重要なことです。

なぜなら、わたしたちが質問をしない時、わたしたちはすでに自分は知っていると考えているからです。

なので、私は、常に心を開いて質問するべきだと認識しています。


癒しに関しても同じことが言えます。

もし私が、なにかについての癒しのプロセスが進み、ある時点で、これで癒しは完了したと思ったとしても、そのままチャンネルを開いておき、「何か他に私が知るべきことはありますか?この癒しのテーマに添った(役立つ)観るべき映画はありますか?どうぞ教えてください」などなど質問するのです。

“聞く”ことを習慣化しているこの(意識の)方向は、あなたのフォーカスを、この世界から聖霊へとシフトすることをもたらしてくれます。


この姿勢は、カウンセリングをする時にもとても役立ちます。

目の前に座る人の話を聞きながら、その人の物語にすっかり心を奪われ、返答することを考え、答えを思案したり、似たような経験話を分かち合おうと思い出したりする代わりに、聖霊に耳を傾ける方向へと自分の(意識の)向きを変えるのです。

それによって、癒しが為されるためのスペースが開き、そこにおいてのみ答えを受け取る準備が整い、分かち合うことができるのです。


「真の共感」というセクション(テキスト第16章.Ⅰ)には、苦しみを超えたところの心の在り方について述べられています。

あなたが、相手を助けようとして問題にとびついてしまう理由は、これまで完全に一歩後ろに退いて聖霊にあなたを通して働いてもらうことをしてこなかったからです。

あなたが、知識的な回答にしろ、あなた自身の経験からくる回答にしろ、常に自分の力で解決しようとしながら、それでどうやって聖霊があなたのために、または他の人のためにも、そこに居ると信頼できるでしょう?


ときには、あなた自身の経験を分かち合うことが助けになることもあります。

しかし、それはどの心から来ているか?それが鍵です。

苦しんでいる人がいるから助けなければと、自分を「(彼を)助ける人」と同一視するのか?

彼が苦しんでいることを現実とし、彼を癒さなければいけないと思うのか?

それとも、祈りを通して自分の心を癒して、真に平安な心から分かち合うのか?

そのようにして、あなたは毎瞬、自分のアイデンティティーを確定しているのです。


後半につづく


『True Empathy and Innocence -Holland Clips2- 25 Apr.2017』より翻訳

ご興味のある方は、下記に音源のリンク先を貼っておきますのでそちらをお聞きください。

https://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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2017/07/26

神の声は、一日中、私に語りかける

カースティンさんのトーク音声を翻訳してみました。

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学習者にとってはとても実践的な内容です。

ご興味のある方は、下記に音源のリンクを貼っていますのでそちらをお聞きください。

日本語の翻訳に関しては趣味の域ですので、どうかご容赦ください。


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God's Voice speaks to me all through the day.
神の声は、一日中、私に語りかける。(Workbook Lesson 49)


このレッスンを、心を開いて読んだ時のことです。

これは素晴らしい知らせですよね。

その時私は、実際に一日中神の声を聞いてはいないと言うことを自覚しました。

そこで私は、「私は一体何に耳を傾けているのか?」「私はスピリットであるアイデンティティーを強めているのか?それとも自我のアイデンティティーを強めているのか?」「何を聞きたいと思っているのか?」「自分の口から出てくる言葉でさえも何を聞こうとしているのか?」ということに注意を向け始めなければいけませんでした。

なぜなら、毎瞬、わたしたちは教えているからです。

わたしたちが誰であるかをわたしたち自身に教えているからです。

わたしたちは、常に教えています。

教えることは、姿勢、態度です。

なので私は、「誰でありたいのか?」「自分は誰であると言うのか(身体かスピリットか)?」という決断に油断なくいなければなりませんでした。

そのような実践と体験を積み重ねる(育む)ことで、聖霊との直接的なコミュニケーションをとることを知るようになりました。


私自身で言えば、毎回、奇跡講座を読む時、それは聖霊との直接的なコミュニケーションであると知っていました。それにとてもインスパイアされ、もっともっとその時間を過ごしたいと思いました。

音楽を聴く時もそうです。歌詞が真理を物語っていたり、実在の心からの演奏を聴く時、それも聖霊との直接的なコミュニケーションであると。

また、誰かの話を聞く時、例えばデイヴィッド・ホフマイスターの話を聞く時も、私は彼の話に共鳴し、彼を通して聖霊が語りかけてきていることがわかりました。

私は、この目的を育んでいきました。

「聖霊の声なんて聞こえないよ」などと常に言う自我の声を聞く代わりに、聖霊との直接的なコミュニケーションにしっかりと注意を向けていきました。

そして、そのことは常に覚えていなければなりません。

また、油断なく、かなりの注意を奇跡に向けていなくてはいけません。

なぜなら、神を否定している心の部分である自我は素早く心を占めて妨害し、自己を疑うという攻撃と共に奇跡を否定するからです。


わたしたちは、すでに聖霊を感じているのです。

わたしたちは、すでに聖霊を聞いているのです。

わたしたちは、すでに愛の心を持っているのです。

そして、わたしたちは、すでに多くのものを与えることができるのです。

しかし、残念なことに、わたしたちは、真理を否定することを目的としている卑小な声ばかりに注意を向けているのです。

わたしたちは、自分自身のために、また聖霊との関係を築くために聖霊に献身しなければなりません。


あなたが、祈り、聞き、従う、という実践を行うとき、聖霊からの答えを聞けようが聞けまいが、常に意欲を持ってたずねることが重要であると私は思います。

常にたずねるというその事実がすべてなのです。

その中でもしあなたが、自我から離れた瞬間を感じたり、心の平安を一瞬でも感じたならば、それが奇跡であり、それが聖霊とのコミュニケーションであるとみて、その状態からあなたが感じるままに従っていくのです。

これが、繰り返し続けている無意識のパターンを断ち切る方法なのです。


私は、皆さんに、まずは一旦停止し、十分なスペースをあけて、実在なる平安を招き入れることを大いにお勧めします。



『Gods Voice Speaks to Me - Holland clips 1 - 25 Apr.2017』 より翻訳

http://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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2017/07/26

カースティンさん

カースティン(Kirsten Buxton)さんは、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の実践者です。


カースティン(Kirsten Buxton)さんを「YouTube」ではじめて知ったとき、

神の教師としての在り方、生き方をそのまま示してくれている人だと感じました。

私は感動すらしたのを覚えています。


これまでもコースを教えているたくさんの教師たる方々を目にしてきましたが、

神に対する彼女の姿勢といいましょうか、その向き合い方、在り方は、

まさにこういう人を「神の教師」と呼ぶのだろうと私は感じたほどです。


それがきっかけで、カースティンさんの「YouTube」を観たり、

音声を聴くようになったのですが、その内容もかなり興味深くじつに素晴らしいです。


彼女の実践を通しての実体験から語られるその言葉は、

コースについての形而上学的なところは、テキスト、ワークブック、マニュアルからも、

あるいは、コースに関する教材からも学ぶことが出来ますが、

それらの教材からは学ぶことの出来ない内容が満載でとても参考になります。


ということで、もし、英語が大丈夫な方は、私からカースティンさんがぜひお勧めです。


カースティン(Kirsten Buxton)さんについて、もっと知りたい方は、

どうぞ下記の彼女のサイトをご覧くださいませ。


カースティンさんのサイト『Kirsten A mystic by nature』:

https://kirsten.i-am-one.net/



2017/07/23

自と他の区別を通り越して

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最近の私は、自分の知覚が変容してきているのを感じています。

どんなふうに変わってきているのかと言いますと、

自分と他者とが分離しているという認識がますますなってきているという感じです。


とくに、セッションにおいては、それが顕著に自覚できます。

そこには自分の心と相手の心とが別々に分離したものとしてあるのではなく、

一なる心として知覚して扱っているという感覚に気づきます。


そこには、一つの心しかありません。

そこには、一つの聖霊しかいません。

そこには、一つの自我しかありません。

そこには、あなたの「○○」とか、私の「○○」というものがありません。

そこでは、あなたと私は一つです。


以前はどんなだったかというと、

私の心とあなたの心は別々のものと認識していたところがありました。

(分離したこの世界では誰もみんなそれが当たり前の感覚で知覚していますが、、、)

そして、セラピストである私は、クライアントであるあなたの内側の心にアプローチして、

あなたの心を癒しているという感覚でいました。


そこには、私の内なる声(聖霊)とあなたの内側の声(聖霊)がいる、

という感じでした。


自我(エゴ)に対する認識の仕方も同様に、

「私の自我」と「あなたの自我」があると思っていました。

それらはそれぞれの内側に別々に個々のものとしてあると。


そう、これまでの私の認識では、私の心(内側)とあなたの心(内側)は別のもので、

私の心の方があなた(クライアントさん)の心よりも少しばかり癒しが進んでいて、

それゆえあなたよりも癒されている私(セラピスト)が、

まだまだ癒されていないあなたの心を癒すのだ、、、

というふうな捉え方でクライアントさんと対峙していたということです。


でも、今ではまったくその捉え方がちがいます。

あなた(クライアントさん)の心が癒されるとき、癒されているのは私の心でもあるのです。

なぜなら、あなたと私は、同じ一つの心だからです。

誰々が癒されていて誰々が癒されていない、ということはありません。

すべての兄弟たちは自分自身であり、

その自分はまだまだまったくと言っていいほど癒されていないと気づきます。

その自分はもっともっとたくさんの「癒し」が必要だと気づくのです。


私自身も、癒されていない部分はまだまだたくさんあると感じています。

他者を知覚しているかぎり、分離を知覚しているということであり、

分離を知覚しなくなるまで、まだまだ「癒し」が必要なのだということですから。


癒していくのも、癒されていくのも、この自分です。


この自分とは、神の一人子であることを忘れてしまったあなたです。


私は、その神の一人子である自分をもっともっと癒していく必要があると感じています。

そしてそれは、兄弟によって、兄弟と共に、なされていくのだと。

けっして、一人で癒されることはありません。

あなたが必要なのです。

私には兄弟が必要なのです。

あなたが癒されていくならば、癒されていくのはこの私だからです。


神の子は一人です。

それが、あなたであり私です。


あなたが、私の救済者なのです。


2017/07/16

自分が間違っていただけだと認めなさい

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)では、

どんな嫌なこと、不満なことであっても、

どんなに自分のせいで起こったことではないと思うことであっても、

自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であると、語られています。


自分の世界で起きていることはすべて「自分の責任」であるならば、

自分の人生で起きていることの被害者ではないということです。


わたしたちは、この世界で起きていることの被害者ではありません。

自分の世界で起きていることは、すべて自分の求めた通りのものであるということです。

それは、自分の誤った選択によるものということです。


もう、被害者である必要はありません。

被害者であることから自由になることが目覚めというものであり、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、その道を示してくれています。

そのヒントが聖霊の存在です。


コースのテキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」で、

それについてイエスは述べていますので、興味のある方はご覧ください。


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<奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より>


これから述べることが、心眼や幸福や、苦痛から解放されて罪からの完全な脱出のために、

あなたがなすべき唯一の事です。


ただ、次のように言いなさい。


なぜなら、ここにこそ救済の力があるからです。



私が見ているものについての責任は、私自身にあります。


私が経験する感情を選択するのは私自身であり、

私が達成したいゴールを決めるのも私自身です。


そして、自分の身に起こるように見えるすべては、

私が求めて、求めた通りに受け取るものです。



自分に対してなされることを前にして自分は無力であると、

これ以上自分自身を騙すのはやめなさい。


自分が間違っていただけだと認めなさい。


そうすれば、あなたの間違いの結果は、すべて消え去るでしょう。



神の子が、ただ自らの外で起こる出来事によってつき動かされているということは、

あり得ません。


その人に訪れる出来事が、その人による選択ではなかったということは、あり得ません。


その人の決断の力は、偶然性や思いがけないことによって

自分が居合わせたかのように見える状況のすべてを決定するものです。


神が創造した宇宙の中には、いかなる偶発性や偶然性もあり得ず、

その外には何も存在しません。


苦しむとすれば、あなたは罪を自分のゴールと決めたのです。


幸せであるならば、自分のために神を選ぶ選択をしてくれる聖霊に決断の力を譲ったのです。


これが、あなたが聖霊に差し出す小さな贈り物で、

聖霊はこれさえもあなたが自分自身に与えることができるようにと、聖霊はあなたに与えます。


この贈り物によって、あなたに自ら救済者を解放する力が与えられ、

それによって聖霊があなたに救済を与えることが出来るようになるからです。


ー奇跡講座(奇跡のコース)テキスト第21章  21-2 「見ることに対する責任」より抜粋ー


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2017/07/03

なんという地道な道でしょう

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今日は、私とのセッションを通じて一緒にコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を

学んでいらっしゃるRさんからのメールをご本人のご了承のもとに紹介させていただきます。


兄弟(友人)に対してのRさんのその在り方に、私も教えられる思いがしました。

Rさんに感謝します。

ありがとうございます。


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<RさんのACIM実践体験記>


昨日はレッスン61の「私は世の光である。」でした。


昨日久しぶりに古くからの友人とメールをしました。

今はとても幸せに暮らしているけれども、人間関係が苦手とのこと。

特に子供のママ達の集団、同性の集団の中には入れない。

学生時代にいじめにあっていたあの時のことが忘れられなくて自信が持てない、と。


彼女は完全に学生時代のいじめられた自分を分けて別の檻に入れたまま今も共に生きている。

つまり今でも救われずにいじめられてる悲しい子がいるわけですよね。

(自分がしていただいたセラピー(セッション)の経験からそのように想像するわけです)


20年近く前にも同じ話をわたしは聞いていました。

ということは20年間その子はその状況下にいると思われます。


セッションで解放したらいいのに、と余計なことを思う。

少しだけそんな話もしてみる。でも彼女は望んでいない。というか、ピンと来ていない。

ということで、今のわたしが出来ることは

話を聞きながら(メールを書きながら)

そのいじめられた当時のあなたには本当は何の罪もないよね、と伝えることだけでした。

今と同じでその時だってそのままの彼女でよかったはずだ、と。

彼女が楽になるように、とかセラピーをしてみたいとかそんなことはなく

(以前の自分ならそんな思いもあったと思います。そうすることで自分を必要とされたいという思い)


その今もまだ檻の中に入っているままの子があまりにも不憫で

心からあなたには何の罪もないと伝えたのでした。

と、同時に自分の心も癒されたのです。

ということはわたしにも罪は無いんだ、と内側から自然と溢れ出てきたのです。

今朝彼女から「久しぶりにゆっくり眠れたよ、ありがとう」というメールが届いたのですが

彼女が癒された、というよりは

わたしが癒されたんだ、と思いました。わたしの一部が赦された。

その不憫な子はわたしの投影だったのですね。


なんという地道な道でしょう(笑)

そして大切な人と自分をも癒されるのなら、なんて優しい道なのでしょう。


「私は世の光である。」というタイトルを最初に目にした時はとても恥ずかしかったです。

それは文章にもあるようにわたしは自分自身の偶像に付与した特徴のどれかについて

語られたものだと思ったからです。このわたしが光!!と(笑)

その後、それは神により創造されたままのあなたについて語っている、とありました。

そうです、神が創造したままのわたしは光です、と思えます。


私は世の光である。

それが私の唯一の機能である。

それが、私がここにいる理由である。


昨日の友人とのやりとりがシンクロしたので、これまたご報告です。


わたしはコースの学習を始めたばかりの者です。

そんな中での報告なので、確信も持てず、ただ起こったことを時系列に書くばかりで

ついつい長くなってしまいます。

中には稚拙な考えから誤解をしている箇所もあるかと思います。

それは今後セッション等で教えていただけたら幸いです。


何よりそのような文章を読んでいただけることに心から感謝しております。


ーRさんからのメールよりー


2017/07/02

書籍『覚醒へのレッスン』について

今日は、

『覚醒へのレッスン』/デイヴィッド・ホフマイスター(著)という書籍を紹介します。


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もともとの本来のタイトルは、『Awakening Through A Course In Miracles』であり、

それは「ア・コース・イン・ミラクルズを通して目覚める」という意味の通り、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学習している方にとって、

私からもぜひお薦めの本です。


著者(デイヴィッド・ホフマイスター)は、コースの実践を通して、

実際にその教えを体現している人として、この私にとってはコースの証人となる人物であります。


彼によって語られることばは、

一見すると、ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティの云っていることと

ほぼ変わりないようにも聞こえますが、

自らの心を訓練(マスター)して体現している彼のことばは、

概念的な知識としてではなく、それそのものを生きている証として伝わってきます。


とくに、後半(第2部)の上級の教えの部分においては、

知覚そのものも手放すという一切妥協をしない究極の非二元の捉え方が示してあるところは、

かなり興味深いです。


私にとってはそういうところが新鮮に思えてわくわくしましたが、

上級の教えということもあって、

ひょっとしたなら、読みながらかなりの自我の抵抗が起きるとか、

もしくは、よく理解できないということもあるかもしれません。

ですので、そのことを承知の上で読むのがいいかもしれません。

むしろ、へんな言い方になりますが、

この世界での幸せを求めている方や、この世で手放したくないものがある方、

この世への願望がまだある方には、お薦めできません。


それほどその道を真摯に追究している方にとっては素晴らしい本ではあるのですが、

ただ一つだけ、この本について難点を申し上げるならば、

誤訳があまりにも多すぎる、というところです。

この本の書評にもそのことが指摘されてありますが、単語のシンプルな間違いや

文章の脱落や削除忘れなども含めまして、たしかに目に余るものがあります。

上級の部分になればなるほど誤訳の箇所が増えていきますが、

たぶん翻訳者自身が内容を理解していないのではないかと思ったりします。

ですので、読みながらときどき「???」となるときは、どうぞ翻訳を疑ってみてください。


そういうこともあり、ナチュラルスピリット社の『覚醒へのレッスン』を読まれる際は、

下記のサイト(翻訳訂正ブログ)を利用されて読まれることをお薦めします。


Awakening through ACIM

http://awakeningthroughacim.blog.jp/


私もこのサイトを利用しながら読み進めていきましたが、

そこには訂正訳以外にもコメントもされていて、

そのコメントのおかげで読み進めていくうえでかなり役に立ちました。


ですので、『覚醒へのレッスン』を読まれるにあたっては、

このサイトをご利用されるのも私からのお薦めです。


Awakening through ACIM」のサイト運営者である蘭丸さんに感謝します。

ありがとうございます。