2017/07/31

内的探究

今日は、継続的にセッションを受けていらっしゃるKさんの体験談をご紹介したいと思います。


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それは、まさに自己の「内的探究(Inner Inquiry)」と言うことが出来ます。

Kさんの体験談が、皆さまにとって参考になれば幸いです。

興味のある方は、どうぞご覧ください。


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<Kさんのセッション体験談>


セッションの体験をシェアしたくて感想を書きました!


私は、奇跡講座を学び始めて4年くらい経ちます。ほぼ一人でやっていました。日々赦しの実践もやっていたのですが、赦しが起きているのか半信半疑?になりながら実践していました。最近はもう奇跡講座から離れて、非二元、ノンデュアリティといった悟り系のメッセージとか聞いていました。


そんな時、久々に奇跡講座で検索をしたとき、もりGさんのブログを発見しました。ブログを拝読させていただいて、洗練された美しさと一歩引き下がるような畏怖の念が湧き出て、すぐ個人セッションを受けてみたい気持ちになりました。でも、人見知りの性格でコンタクトを取ることに少々ためらいがありました。ですが、長年にわたって憎しんでいる両親、兄のことで赦しても赦しても、どうしても赦せない感情があり、赦せないことが罪悪感と恐怖を増幅させてもっと苦しくなってしまう、もう自分ではどうしようもない、助けてほしい思いが勝って、コンタクトをとることにそう時間はかかりませんでした。


セッションを継続でお願いしました。セッションでは、私からお願いしているにもかかわらず、無意識が抵抗してスカイプの音声が頻繁に途切れるといったような投影が出ることが起こったり、もう何十年前のこともあって、記憶や感情が思い出せなかったり、思い出したら思い出したで、これ以上は感情を感じたくない、もう嫌だということが起こったり、泣いたりで、、、はちゃめちゃなんですけど、もりGさんがドンと構えて、どんな醜い私も受け入れてくださって、はちゃめちゃになりながらも、幻想を直視することができました。


そして直視するたびに、「両親や兄は何も悪くなくて、私の心に原因があったんだ」という理解が毎回のセッションで起きていきました。また、「聖霊は取り消しをちゃんとやってくれてる」というふうに、聖霊に対しても安心して任せられるという信頼感も出てきました。


私は、セッションを継続して受けていくことで日々楽になっていくのを実感していました。そんな中、数回目のセッションを受けた某日、これで母の赦しが達成できたなという認識が もりGさんと私に起こったその夜、ハートが圧倒的な振動数で振動し始めて、愛があふれ出して、全てに浸透しているような感覚が起きました。もうこの愛に溶けてしまいたい、神に「私(自我)を消滅させてください」と祈りながらハートを感じていました。


常々、もう個人エネルギーの私を解放したいと 願っていても、いざとなると個人を手放すなんて 更々ない私が出てきましたし、毎日、深夜、目がふと覚めると、神への恐れで 発狂している私がいましたから、「私を消滅させてください」という思いが私の中から出てくるなんて、正直びっくりしました。


知覚が歪んでない!、訂正されてる!、神が恐くない!自分の知覚がそんなふうに正気になっていて、ものすごくうれしかったです。


その日以後、あんなに殺したいほど憎んでた母への恨み、憎しみもなくなりました。 自分が無価値で生きていてもしょうがないという自己概念も消えていっています。


コースのテキストの序文にには、こう書いてあります。


愛の意味を教えることは目指してはいない。(中略)しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。


まさにその通りだ、と実感しています。やっぱりコースはいいですね。


私は、まさに愛の障壁を取り去っていっているのですね。真の赦しが起きるのをサポートしてくださったもりGさんには本当に感謝の気持ちで いっぱいです。こんなことなら、もっと早くに、もりGさんと出会いたかった。。。そんな思いも湧いてくるのですが、(エゴのつぶやき(笑))このタイミングで出会えたことは完璧であって、そうでしかなかったのですよね。


引き続き、今後もセッションの方もよろしくお願いします。

ありがとうございました。

(女性 香川)


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2017/07/28

真の共感と無垢性 - 後半 Q&A -

前の記事(前半)のつづきです。


兄弟のなかに問題を知覚するとき、それは自分自身の心の中の問題であり、

その問題は実在しないものと見るまで自分の心を癒す必要があると述べられているのは、

じつに奥深いです。

それこそが、真に非二元を生きる者の実践的な在り方だといえます。

カースティンさんのその姿勢は、「神の教師」としての在り方として本当に心打たれます。


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質問者:

奇跡講座の学習が進むにつれて、この世界の人々がどれだけ罪悪感を感じているかが、よくわかるようになりました。

私の中の罪悪感は、だいぶ癒されてきたと思いますが、外側にはたくさんの罪悪感を抱えている人々を見ます。

そんな彼らに、「そんなに弁解したり、謝ったりしなくてもいいのですよ」と言いたくなったりもしますが、実践的にどのように対応したらいいのでしょうか?


Kirsten:

これは、あなた自身の癒しについていえます。

もし、あなたの前に現れた人に罪悪感を知覚し、そのことが引き金となって何か感情を感じたり、その人によって心が乱された場合、それはあなたの心の中の罪悪感を映し出し見せているということです。

その場面でどう応答するかは、祈りしかありません。

祈りのみがその瞬間、愛を求める姿に対して応えることができます。

さまざまな方法が助けになるでしょうが、例えばそれは、何も言わないことかもしれませんし、ときにはユーモアが役立つこともあるでしょう。

愛を求める姿への形式的な答えというものはありません。

それよりも、もしあなたがどんな理由であっても罪悪感を感じるならば、それはあなた自身が愛を求めているということを知っていてください。

そこで、もしあなたが自分自身に対して助けを求めるならば、(奇跡が入り込む)スペースを許可したことになります。

私の場合、しばしば起きることですが、、、弁解ばかりする人へ、私はただ「I love you.」と言います。

どういうわけかそれがすべてを(包含して)通り越していくことになります。

もし、(その人の話の)詳細に入っていって、「あなたに罪はありません」と主張したとしても、それがうまくいくことはありません。

なぜなら、罪悪感は(その人の話の)詳細とはなんの関係もないからです。

そしてあなたが、「あなたは○○だから罪はないのよ」と言うならば、相手は、「いいえ、私には罪があるの。だって、△△だから」と言い返すでしょう。

とにかく、癒しが為されることを認めた上で、喜んで向き合い、感じ、癒すことがすべてです。


質問者:

人々は、本当に自分に罪があると思っています。

私自身は、罪悪感を少しずつ手放し、今は自由で無垢性を感じるようになってきています。

罪悪感を抱えた人々を見るのがとても心苦しく思えて、「そうじゃないのよ。すべて大丈夫なのよ」と伝えたくなります。


Kirsten:

心の中の無垢性に気づいていることは素晴らしいですね。

あなたの心の中のその無垢性は、あなたが何を教えるかに作用します。

ときには無垢性を見失っていき、対称性(二元性)がはっきりと立ち上がって来ることを痛烈に感じることもあります。

しかし、これは一つの段階に過ぎません。

最終的には、あなたの心から十分な無垢性や愛が延長されるところまで癒されていきます。

そのとき誰かが「自分には罪があります」と言ったとしても、愛がそれを洗い流すでしょうし、あなたはそれを実在するものとして見ることもないでしょう。



『True Empathy and Innocence -Holland Clip2- 25 Apr.2017』

https://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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2017/07/27

真の共感と無垢性 - 前半 -

カースティンさんのトーク音声の翻訳です。


ここでは、「心を開く」とはどういうことなのかが、わかりやすく述べられています。

「自分は何も知らない」というスタンスが本当に大事なんだなとあらためて気づかされます。

後半には、セラピスト、あるいは神の教師としての在り方についても述べられていて、

実践的な内容でとても参考になります。


あらかじめ言っておきますが、

日本語の翻訳に関しては趣味の域ですので、そこのところはどうかご容赦くださいませ。


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デイヴィッド ホフマイスターさんと共に旅をはじめたその年から、私は毎朝ジャーナリング(心に浮かんだことを記録すること)をしていました。

朝、起床し、歯を磨き、コーヒーを淹れ、ペンと紙を持ってカウチに座り、「Good morning, Holy Spirit!」と書き始めるのです。そして、当然のごとく聖霊からの返答を待つのです。

すでに、ワークブック・レッスン49「神の声は、一日中、私に語りかける」を学んでいましたからね。

私が質問すれば答えは返って来るし、話しかければ対話がはじまることを確信していましたし、実際にそうでした。

私は、自分の想いや感情を聖霊に向かってとうとうと述べました。そして、書くという作業をすることで、その返答が、より聞きやすいものとなりました。

もちろん、本当に聖霊からの返答なのかと、疑いを持つ心の声も強くありました。

ときに、書いたものを上からグシャグシャに消したこともありました。

でも、後で読み返してみると、あまりの美しさに涙することもありました。

ジャーナリングもまた、聖霊と直接的なコミュニケーションをとる一つの実践法と言えます。


私は、コースのレッスンをしながらも、「他には?」「何かもっと他にある?」と常に聖霊にたずね質問していました。

聖霊にたずねることを習慣化していったのです。

常に聖霊にたずねるのです。

これはとても重要なことです。

なぜなら、わたしたちが質問をしない時、わたしたちはすでに自分は知っていると考えているからです。

なので、私は、常に心を開いて質問するべきだと認識しています。


癒しに関しても同じことが言えます。

もし私が、なにかについての癒しのプロセスが進み、ある時点で、これで癒しは完了したと思ったとしても、そのままチャンネルを開いておき、「何か他に私が知るべきことはありますか?この癒しのテーマに添った(役立つ)観るべき映画はありますか?どうぞ教えてください」などなど質問するのです。

“聞く”ことを習慣化しているこの(意識の)方向は、あなたのフォーカスを、この世界から聖霊へとシフトすることをもたらしてくれます。


この姿勢は、カウンセリングをする時にもとても役立ちます。

目の前に座る人の話を聞きながら、その人の物語にすっかり心を奪われ、返答することを考え、答えを思案したり、似たような経験話を分かち合おうと思い出したりする代わりに、聖霊に耳を傾ける方向へと自分の(意識の)向きを変えるのです。

それによって、癒しが為されるためのスペースが開き、そこにおいてのみ答えを受け取る準備が整い、分かち合うことができるのです。


「真の共感」というセクション(テキスト第16章.Ⅰ)には、苦しみを超えたところの心の在り方について述べられています。

あなたが、相手を助けようとして問題にとびついてしまう理由は、これまで完全に一歩後ろに退いて聖霊にあなたを通して働いてもらうことをしてこなかったからです。

あなたが、知識的な回答にしろ、あなた自身の経験からくる回答にしろ、常に自分の力で解決しようとしながら、それでどうやって聖霊があなたのために、または他の人のためにも、そこに居ると信頼できるでしょう?


ときには、あなた自身の経験を分かち合うことが助けになることもあります。

しかし、それはどの心から来ているか?それが鍵です。

苦しんでいる人がいるから助けなければと、自分を「(彼を)助ける人」と同一視するのか?

彼が苦しんでいることを現実とし、彼を癒さなければいけないと思うのか?

それとも、祈りを通して自分の心を癒して、真に平安な心から分かち合うのか?

そのようにして、あなたは毎瞬、自分のアイデンティティーを確定しているのです。


後半につづく


『True Empathy and Innocence -Holland Clips2- 25 Apr.2017』より翻訳

ご興味のある方は、下記に音源のリンク先を貼っておきますのでそちらをお聞きください。

https://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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2017/07/26

神の声は、一日中、私に語りかける

カースティンさんのトーク音声を翻訳してみました。

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学習者にとってはとても実践的な内容です。

ご興味のある方は、下記に音源のリンクを貼っていますのでそちらをお聞きください。

日本語の翻訳に関しては趣味の域ですので、どうかご容赦ください。


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God's Voice speaks to me all through the day.
神の声は、一日中、私に語りかける。(Workbook Lesson 49)


このレッスンを、心を開いて読んだ時のことです。

これは素晴らしい知らせですよね。

その時私は、実際に一日中神の声を聞いてはいないと言うことを自覚しました。

そこで私は、「私は一体何に耳を傾けているのか?」「私はスピリットであるアイデンティティーを強めているのか?それとも自我のアイデンティティーを強めているのか?」「何を聞きたいと思っているのか?」「自分の口から出てくる言葉でさえも何を聞こうとしているのか?」ということに注意を向け始めなければいけませんでした。

なぜなら、毎瞬、わたしたちは教えているからです。

わたしたちが誰であるかをわたしたち自身に教えているからです。

わたしたちは、常に教えています。

教えることは、姿勢、態度です。

なので私は、「誰でありたいのか?」「自分は誰であると言うのか(身体かスピリットか)?」という決断に油断なくいなければなりませんでした。

そのような実践と体験を積み重ねる(育む)ことで、聖霊との直接的なコミュニケーションをとることを知るようになりました。


私自身で言えば、毎回、奇跡講座を読む時、それは聖霊との直接的なコミュニケーションであると知っていました。それにとてもインスパイアされ、もっともっとその時間を過ごしたいと思いました。

音楽を聴く時もそうです。歌詞が真理を物語っていたり、実在の心からの演奏を聴く時、それも聖霊との直接的なコミュニケーションであると。

また、誰かの話を聞く時、例えばデイヴィッド・ホフマイスターの話を聞く時も、私は彼の話に共鳴し、彼を通して聖霊が語りかけてきていることがわかりました。

私は、この目的を育んでいきました。

「聖霊の声なんて聞こえないよ」などと常に言う自我の声を聞く代わりに、聖霊との直接的なコミュニケーションにしっかりと注意を向けていきました。

そして、そのことは常に覚えていなければなりません。

また、油断なく、かなりの注意を奇跡に向けていなくてはいけません。

なぜなら、神を否定している心の部分である自我は素早く心を占めて妨害し、自己を疑うという攻撃と共に奇跡を否定するからです。


わたしたちは、すでに聖霊を感じているのです。

わたしたちは、すでに聖霊を聞いているのです。

わたしたちは、すでに愛の心を持っているのです。

そして、わたしたちは、すでに多くのものを与えることができるのです。

しかし、残念なことに、わたしたちは、真理を否定することを目的としている卑小な声ばかりに注意を向けているのです。

わたしたちは、自分自身のために、また聖霊との関係を築くために聖霊に献身しなければなりません。


あなたが、祈り、聞き、従う、という実践を行うとき、聖霊からの答えを聞けようが聞けまいが、常に意欲を持ってたずねることが重要であると私は思います。

常にたずねるというその事実がすべてなのです。

その中でもしあなたが、自我から離れた瞬間を感じたり、心の平安を一瞬でも感じたならば、それが奇跡であり、それが聖霊とのコミュニケーションであるとみて、その状態からあなたが感じるままに従っていくのです。

これが、繰り返し続けている無意識のパターンを断ち切る方法なのです。


私は、皆さんに、まずは一旦停止し、十分なスペースをあけて、実在なる平安を招き入れることを大いにお勧めします。



『Gods Voice Speaks to Me - Holland clips 1 - 25 Apr.2017』 より翻訳

http://www.spreaker.com/show/kirsten-buxton_2


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2017/07/26

カースティンさん

カースティン(Kirsten Buxton)さんは、

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の実践者です。


カースティン(Kirsten Buxton)さんを「YouTube」ではじめて知ったとき、

神の教師としての在り方、生き方をそのまま示してくれている人だと感じました。

私は感動すらしたのを覚えています。


これまでもコースを教えているたくさんの教師たる方々を目にしてきましたが、

神に対する彼女の姿勢といいましょうか、その向き合い方、在り方は、

まさにこういう人を「神の教師」と呼ぶのだろうと私は感じたほどです。


それがきっかけで、カースティンさんの「YouTube」を観たり、

音声を聴くようになったのですが、その内容もかなり興味深くじつに素晴らしいです。


彼女の実践を通しての実体験から語られるその言葉は、

コースについての形而上学的なところは、テキスト、ワークブック、マニュアルからも、

あるいは、コースに関する教材からも学ぶことが出来ますが、

それらの教材からは学ぶことの出来ない内容が満載でとても参考になります。


ということで、もし、英語が大丈夫な方は、私からカースティンさんがぜひお勧めです。


カースティン(Kirsten Buxton)さんについて、もっと知りたい方は、

どうぞ下記の彼女のサイトをご覧くださいませ。


カースティンさんのサイト『Kirsten A mystic by nature』:

https://kirsten.i-am-one.net/



2017/07/24

癒しの旅 ~最後の旅路

自分自身には、癒されていない部分がまだまだたくさんあると感じています。

それこそ、この宇宙に散りばめられた星の数ほどの「癒し」が必要だと感じています。


この世界に投影をし続けるかぎり、

自分は、その投影した自分を癒し、赦し続けていく必要があるのだということです。

そしてその旅は、むしろ、これからがその本格的なはじまりなのだと思ったりします。


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わたしたちは、「癒しの必要性」に対して思っている以上に無自覚だといえます。

そう、わたしたちは、「この自分がいかに満たされていないか、幸せでないか」

ということにあまりにも無自覚だということです


たしかに、わたしたちは、無意識的なところではそのことを常に感じているわけです。

それゆえに、この世界にそれを埋めるものがあると信じて求めて生きているといえます。

ただ、わたしたちは、この世的な程良い幸せで自分自身を欺いていることに気づいていません。


「自分は満たされてはいない、自分は幸せでない、自分は不幸である」


実相からするならば、「Joy & Happiness」が然るべきわたしたちの状態なのです。

それこそが、神の子の特権なのです。

そのことをはっきりと認識して、

神の子としての本来の特権を取り戻したいという「意欲」を持つことは、

神のもとへ帰るにはとても大事なことであるのは明らかです。


自分はまだ真に満たされてはいない、自分はまだ真に幸せではない、、、

だからこそ、自分はもっともっと癒しを受け入れて行く必要性があると気づくのです。

愛と歓びと至福の中で完全に満たされるまで、

自分は無罪であり、無辜であり、完全に安全なんだと、

そして、もう神の愛以外は何も要らない、となるそのときまで、

自分は、癒し(=赦し)続ける必要があるのだと自覚する次第なのです。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の中のジーザスはこう言います。

その癒しの旅は、時間の中の旅における最後の旅路になると。


でも、この旅は、けっして一人で歩むというものではありません。

道を示してくれるジーザス(イエス)がいます。

共に歩んでくれる聖霊がいます。


また、この旅は、けっして一人で成し遂げられるものでもありません。

私には兄弟が必要です。

癒しには兄弟であるあなたが必要です。


癒し(=赦し)は、兄弟と共に、兄弟によってもたらされるものだからです。

兄弟とは、神の子キリストであり、この自分でもあります。


兄弟であるあなたの中にキリストを私はみたいのです。


父よ、私はあなたの子である兄弟の中にキリストをみていきます。


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2017/07/23

自と他の区別を通り越して

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最近の私は、自分の知覚が変容してきているのを感じています。

どんなふうに変わってきているのかと言いますと、

自分と他者とが分離しているという認識がますますなってきているという感じです。


とくに、セッションにおいては、それが顕著に自覚できます。

そこには自分の心と相手の心とが別々に分離したものとしてあるのではなく、

ワンネス(一体性)なる一つの心として知覚して扱っているという感覚に気づきます。


そこには、一つの心しかありません。

そこには、一つの聖霊しかいません。

そこには、一つの自我しかありません。

そこには、あなたの「○○」とか、私の「○○」というものがありません。

そこでは、あなたと私は一つです。


以前はどんなだったかというと、

私の心とあなたの心は別々のものと認識していたところがあり、

(分離したこの世界では誰もみなそれが当たり前の感覚で知覚しています)

そこには、私の内なる声(聖霊)とあなたの内側の声(聖霊)がいる、

という感じでした。


もちろん、自我(エゴ)に対する認識の仕方も同様に、

「私の自我」と「あなたの自我」があって、

それらはそれぞれの内側に別々に個々のものとしてあると思っていました。

だから、セラピストである私は、クライアントであるあなたの内側の自我にアプローチして、

あなたの自我を赦して、あなたを癒しているという感覚でいました。


さらにはまた私の認識では、

私の心(内側)とあなたの心(内側)は別のもので、

私の心の方があなた(クライアントさん)の心よりも少しばかり癒しが進んでいて、

それゆえあなたよりも癒されている私(セラピスト)が、

まだまだ癒されていないあなたの心を癒すのだ、、、

というような想いがそこにはあったように思います。


でも、今ではまったくその認識がちがいます。

あなた(クライアントさん)の心が癒されるとき、癒されているのは私の心でもあるのです。

なぜなら、あなたと私は、同じ一つの心だからです。

誰々が癒されていて誰々が癒されていない、ということはありません。

すべての兄弟たちは自分自身であり、

もっと言えば、その自分はまだまだまったくと言っていいほど癒されていないと気づきます。

その自分はもっともっとたくさんの「赦し」、すなわち「癒し」が必要だと気づくのです。


私は、自分自身には癒されていない部分はまだまだたくさんあると感じています。

そう、他者を知覚しているかぎり、分離を知覚しているということであり、

分離を知覚しなくなるまで、まだまだ「赦し、癒し」が必要なのだということです。

そして、これからがその本格的な癒しと赦しのはじまりという気もします。


癒され、赦されていくのは、この自分です。


この自分とは、神の一人子であることを忘れてしまったあなたです。


私は、その神の一人子である自分をもっともっと癒していく必要があると心から感じています。

そしてそれは、兄弟によって、兄弟と共に、なされていくのだと自覚しています。

けっして、一人で癒されることはありません。

あなたが必要なのです。

私には兄弟が必要なのです。

あなたが癒されていくならば、癒されていくのはこの私だからです。


神の子は一人です。

それが、あなたであり私です。


あなた(クライアントさん)が、私の救済者なのです。


2017/07/20

幸せな夢にシフトする

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コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、

夢であるこの世界から目覚めて神のみもとに帰ることを目的としていますが、

コースを学んでいくにつれて、そのプロセスにおいて、

自分の見ている夢(世界)がどんどん幸せなものにシフトしていくことにもなります。


そのことにちなんで自分自身について顧みたとき、

たしかに私の夢は、より幸せな夢へとたどっていることに気づかされます。


ただ、それは形態(かたち)のレベルで言っているのではないということです。


そう、私の心は、平安の中により長く留まるようになっていっています。

心が惑わされ動揺することもほとんど無くなってきています。

さらにいえば、真理(神)を求める気持ちはより強くなっていっていくばかりです。

そして、その道を実践していくための環境が完璧なまでに整えられていることにも、

あらためて気づかされます。

そう、それは私が心の奥で一番に望んでいることだったということを自覚するのです。


一般的に「幸せなもの(夢)にシフトする」という場合、

ついこの世的な成功とか、経済的な裕福とか、あっちこっち好きなところに行けるようになる、

といったようなことをイメージしがちなものです。


でも、そうではありません。

それは、形態(かたち)ではないということです。

もちろん、そういうこともあるかもしれませんが、

幸せというものを見た目の形態にこだわっているならば、

「今すでにすべてを与えられている」ということを知覚することが出来ません。


この今も、わたしたちはすでに与えられています。神の恩恵を受け取っています。


そこには、感謝があります。

どんな状況であろうとも、そのことを受け入れていくことが、

奇跡のはじまりであり、幸せな夢にシフトしていく秘訣だと言えると思います。


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2017/07/19

幻想を真理へと運ぶ

真理をこの世界に持ち込むことがいかに不可能なことか。

そして、なんと無意味なことか。


真理を幻想のこの世界に持ち込むのではなく、幻想を真理のもとへと運んでいくこと。


今さらながら、ようやくその意味を深く理解する今日この頃です。

さらにいえば、かつての自分は真理をこの世界に持ち込もうとしていたことにすら気づきます。

なにせ、スピリチュアリズムや宗教においてはよくあることです。


天使、龍、宇宙人、高次の存在、チャクラ、オーラ、エネルギー、量子、陰陽、過去世、、、

言葉や概念を駆使して真理を伝えようとすることも、

それらはたんにシンボル(象徴)にしかすぎません。

それらのシンボルが「目覚め」のプロセスにおいて役に立つことはあるかもしれませんが、

それらはすべてが幻想の中だけに存在するものであり、つまりは、「無」でしかありません。


それらのあらゆる幻想すべてを「無」と見て、

真理のもとへと運んでいくことが「赦し」だといえます。

そして、それがわたしたちがしていくことだと言うことができます。


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2017/07/18

目覚めのシナリオ

「すべてはシナリオが書かれている」という言い方がされています。


ならば、目覚めることもシナリオで決まっているのでは?と言うこともできます。


でも、デイヴィッド・ホフマイスター(『覚醒へのレッスン』の著者)は、こう言います。


「エンライトメントは、シナリオの中にはない。それはシナリオの外にあるのであり、

つまりは、シナリオの外に出ることが目覚めである」と。


自分は、コース(奇跡講座/奇跡のコース)を学んで、

以前よりはずいぶんと楽になった、

ずいぶんと心が平安になった、

ずいぶんと目覚めてきた、、、などと言っても、

その自分とは、まだシナリオの中にいるのであって目覚めてはいないのだということです。


シナリオとは時間の中のものであって、

目覚めへと近づいていくシナリオは書かれていても、

目覚めはシナリオの中にはないということです。


それは、時間というシナリオの中にいるかぎり、

いつかそのうちに目覚めるということはないことを意味します。


つまるところ、

「いま」この瞬間に、真理(目覚め)を求めるその意志がやはり大事なのだといえます。


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