2017/08/31

Stop Hiding , Start Giving 3/8

フランシスのトーク「Stop Hiding , Start Giving」の翻訳のパート3です。


パート1:Stop Hiding , Start Giving 1/8

パート2:Stop Hiding , Start Giving 2/8


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スピリチュアルなサークルで、わたしは、人々がスピリチュアルバイパス(spiritual bypassing : 何かを避けて回避する道)について話しているのを聞いたことがあります。

スピリチュアルバイパスとは、あなたを不幸にしているものは何なのか?ということには目を向けずに、この瞬間にときめくことや喜びの方向ばかりへ向かう道のことを意味しているそうです。

これは、ある程度の段階までにおいては、たしかに本当のことと言えます。

ある程度の段階までは、です。


そこには、別の要素もあるのです。それは、スピリチュアルバイパスでは、あなたの感情を引っかき回すすべてから超越することはできないということです。

この部分は、無視することも避けることもできません。

なぜなら、この要素(感情を超越すること)なしに、わたしたちは真のインスピレーションを知ることはないからです。

わたしたちは気をそらすことを思考し、無意識に自分自身に誤解を与えたり嘘をついたりします。

苦しみを避けて喜びを求めることは、事実、聖霊からのインスピレーションであり導きなのです。

「苦しみを避けること」と「喜びを求めること」というこの二つは関連して起こることであり、同時に生じます。


そこで、聖霊がわたしたちに選んだ道の最初のステップは、「何も隠さない」(stop hiding)というものです。

守りたいものや隠しておきたいことのすべてを、光にさらす(明るみに出す)よう認めることです。

これが、わたしたちをかき乱すすべてのことから超越する方法です。

これはバイパスできるものではありません。

充分に経験されて、間違いは間違いだと見られなければなりません。

心の中で隠されることなく、光にさらすことを認めることが、間違いを間違いとして見るという経験をする唯一の方法です。


それと同時に、内側の聖霊のガイダンスに従ってあなたのハートが望む方へと導かれるよう、許可されなければなりません。

ただ座って待ち、裁いて、疑念を抱き、分析を試みるようなことではないのです。

そう、以上のことを要約するならば、わたしたちの歩む道は、

隠しているものを明るみに出して聖霊に従う、

明るみに出して聖霊に従う、

明るみに出して従う、

ということです。


ーYouTube「 Stop Hiding, Start Giving 」の一部より抜粋翻訳ー


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2017/08/30

Stop Hiding , Start Giving 2/8

フランシスのトーク「Stop Hiding , Start Giving」の翻訳のパート2です。


パート1:Stop Hiding , Start Giving 1/8


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実際のところ、わたしたちはすでに、繰り返される苦しみの中に生きていますし、その苦しみに対する忍耐力は制限なくどんどん増していっています。

にもかかわらず、わたしたちは、

「わたしの人生、そんなに悪くはない」

「自分でも完全に幸せではないことはわかっているけど、そんなに悪くもない」

と容易に言ってのけます。

「わたしは、慣れ親しんだところにいるし、周りにはよく知っている人々がいて、その人たちともある程度距離をおいて付き合えるし、お互いにその付き合いをわきまえている。わたしの感情を爆発させるほどの境界線を越えて、その人たちがわたしに入り込むこともしない。わたしはなんとか人生をやっていってるし、ある程度好ましく思えることもあるし、だからこれでいい。最適とは言えないけど、普通に暮らせる家もあるし、これでいい。すべてこれでOKとしよう」と。


聖霊もイエスも、この人生において、わたしたちが良い感じと思っているものをあきらめさせようとしているのではありません。

わたしたちは、OKと思えるわずかな事や、すでに持っているわずかな物をあきらめるように求められているわけではありません。

そうではなく、わたしたちがこれで良しと思っていることが、どれだけ妥協しているのかということを見なさい、と求められているのです。

この瞬間に持てるすべての幸せに対して、わたしたちは妥協しているのです。


数週間前、わたしはあるビデオを見ました。

その中で、ある男性が、聖者と普通の人の違いについて話していました。

彼曰く、違いは、普通の人は無価値なものをも受け入れるが、聖者は神以外の何ものも受け入れないというのです。

ただ、本当に神以外の何ものも受け入れない、圧倒するほどの歓びや幸せ以外の何ものも受け入れないということができるようになるには、まず第一に心の訓練をしなければなりません。

通常のものの見方や普通の話しから聖霊の解釈の方を選択することは、一見、慣れ親しんだ思考パターンや普通の考え方に逆行する方向へと向かうように見えます。

しかし、それは大変なことではなく、一度わずかでも経験するならば、二度と戻りたいとは思わないでしょう。

「聖霊がわたしに苦しみや犠牲を求めるかもしれない」という種類の話しや考えによる内面の戦いは、疑問というかたちであがってきます。

でも、それは、「聖霊の助けを選択する」という深い経験の前にあがってくるものであって、ひとたび経験すれば、決して後ろを振り返ることはありません。


ーYouTube「 Stop Hiding, Start Giving 」の一部より抜粋翻訳ー


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2017/08/29

Stop Hiding , Start Giving 1/8

2016年3月に放送されたフランシスさんのショー「Out of the Blue Comes Frances Xu」から「 Stop Hiding, Start Giving (隠すのをやめて、与えることをはじめる)」の一部を訳してみました。

これから、8回に分けてアップしていきます。


今日は、そのパート1です。


「コース(ア・コース・イン・ミラクルズ/ACIM)は知的な人のための知的な道だ」と人々が話すのを耳にした、というところから話しは始まります。

フランシス自身の経験から言うと、まず最初にコースの本を手に取って読んだときには、まったく理解不能だったそうです。

なので、テキストはあきらめて、ワークブックのレッスンを始めたそうですが、それもほとんど理解できないままに進めていったとのことです。

間もなく、人生に大きなシフトがあり、その後再びテキストを手にすると、思いがけず分かるようになっていて、まるで音楽を聞いているかのような、または鳥のさえずりを聞いているかのような心地良さの中、時には心が揺れ動き、時には涙しながらテキストを読み進めたそうです。

そんな彼女自身の経験から、コースは知的理解とは関係なく、心の深いところで共鳴し共振していくものだと言っています。

中には、「30年もコースを勉強しているけど、これといって何のシフトも経験していない」と言う人がいますが、それはきっと、コースを文字通りに概念としてのみの学びと捉えがちだからではないか、と思われます。


フランシスは、そのことについて以下のように述べています。


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<フランシスのトーク「Stop Hiding , Start Giving」より>


わたしの経験から言うと、この本(ア・コース・イン・ミラクルズ/ACIM)は、体験されなければいけないものです。

この本は、実践されなければいけないものです。

そうでなかったら、時間の無駄にしかなりえません。

全く実践することなく、この本について話したり、読んだり、考えたり、心の中でこの本について聖霊と話したり、ということを続けることはできます。

しかしそれでは、心の底から確信することはないでしょう。

そして、心の底から確信することがなければ、シフトなど何もありません。

聖霊に従うという基本的なシフトについても、安心して行う気持ちにはなり得ないでしょう。


わたしが、あなたのガイドである聖霊に一歩一歩ガイドしてもらうことについて話すと、たくさんの人は「どうやったら聖霊の声が聞けるようになりますか?」とたずねます。

もしわたしがその質問に答えようとするならば、どうやって聖霊の声を聞くことができるかを伝えることはできます。

しかしその前に、

「あなたは、この今、聖霊に従う気がありますか?」

「この今、聖霊の声を聞いたならば、それに従う準備はできていますか?」

「あなたは、恐れずに従えますか?」

「あなたが聖霊に従うことを阻止する何かが、この今、立ちはだかっていませんか?」


もしそうであれば、「どうやったら聖霊の声が聞けるようになりますか?」というのは本当の質問ではなく、本来聞かれるべき質問は、

「わたしは、聖霊に従う準備ができていますか?」

「わたしは、幸せになる準備ができていますか?」

「わたしは、他の一切をおいて、幸せになること、ただそれだけをゴールとして認める準備はできていますか?」です。


聖霊はわたしたちの内面のガイドであり、外面の何かから、犠牲や損失やとてつもない激しい痛みの体験を課すような困難さを要求されるものではありません。

このようなことは本当に起きていることではありません。

しかし、わたしが思うに、わたしたちは、聖霊のガイダンスや幸せへの道はこのようなものだ、と投影する傾向にあるようです。


ーYouTube「 Stop Hiding, Start Giving 」の一部より抜粋翻訳ー




2017/08/28

フランシスさん

今日は、フランシス(Frances Xu)さんを紹介します。


フランシスさんは、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の実践者で、私からもお薦めのACIM教師の一人です。


昨年(2016年10月)に、東京で開催されたコースのセミナーにおいて、デイヴィッド・ホフマイスターさんとともに来日した女性がフランシスさんです。

フランシスさんは、カースティンさん同様、デイヴィッドさんのコミュニティーに住み、信を抱き神への献身の道を歩んでおられます。


彼女の印象は、一言で言うと、ずば抜けた“賢い人(智慧の人)”といった感じです。

コースの目指す思考の逆転をすでに為した方、だとも私は思っています。

彼女の話しを聞くと、その明晰さ、鋭い視点、直接的で簡潔、分かりやすさ、とともに、非常に深淵であることに驚かされます。

実践的な内容から非二元の教え、そして、すべてを超越したところまで、彼女の話は非常に幅広く、とても面白いものばかりです。


私自身、たくさんのギフトを彼女の話しからいただいたので、少しずつではありますが、今後ここでシェアしていきたいと思います。

きっとたくさんのインスピレーションを与えられることと思います。

楽しみにしていてください。


フランシスさんのフェイスブック:https://www.facebook.com/frances.xu.05



2017/08/27

「ことば」から「姿勢」への逆転

真理とは、この世を超越したものです。

そもそもがこの世を超越したものを、この世に持ち込もうとするのが、わたしたちです。


それが、「ことば」というものだと言えます。


わたしたちは、つい、ことばというものを使って、真理をこの世に持ち込もうとします。

ときに、わたしたちは、真理をことばにすることにかまけることすらあります。


そう、真理をこの世に引きずり込もうとすることは、無謀なこと以外の何ものでもありません。

それが、長い歴史の中でこれまでのわたしたち人間がしてきたことです。


真理をこの世に持ち込もうとするのではなく、わたしたちがこの世を超えて真理へと向かうことが、わが家へ帰る道だといえます。


ジーザス(イエス)は、「この世界から出なさい」とわたしたちに呼びかけています。


そして、この世のものはこの世に置いていけばいいのだと。


そんなわたしたちが、「ことば」というものを手放していくとき、そこにあるものは、その姿勢(生き方/在り方)でしかありません。

そのときこそ、真のコトバが語られるのだと思います。


真のコトバとは、聖霊のことばのことです。


ことばを超えて。

ことばから姿勢へ。


Beyond words,express by attitude.


ことばで語ることから姿勢で語るようになるとき、そのことばは聖霊によって語られるのだと思います。


私も、そうありたいと望んでいます。


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2017/08/26

心の中の闇に光を当てる

わたしたちが、目覚めていくそのプロセスにおいて、自分の内側と向き合うことなしに、神のもとに帰るということはあり得ないと言えます。


自分の内側に闇の部分を抱えたまま、目覚めたいとか、輪廻転生を終わりたいとか、神のもとに帰りたいとか、そういうものをいくら求めてもそれは成し得ないと言うことです。


言い換えれば、わたしたちがこの世界を知覚しているということは、まだまだたくさんの闇を無意識に抱えていると言うことも出来ます。


そう、自分の心の中に闇の部分を隠し持ったまま幸せになろうとすることは、あり得ない(絶対に成し得ない)無謀なことをしているということです。


そういう意味で、自分の内側と向き合っていくこと、そして、自分の心の中の闇の部分を見つけて修正(解放)していくことが、どれだけ重要なことかが分かるはずです。


だとしても、自我は、そういうことなしでも目覚めていくことがあり得ると信じています。

自我は、神聖なるもの、清らかなもの、光、真理、、、そういったものを求めていけばそこに到達できると思っています。


スピリチュアル探究者の中で、そういったものばかりを求めることは、よくあることです。


でも、それでは二元性を超越することはなく、この世界の中でいつまでもスピリチュアルの旅を続けることになるということです。


非二元の真理を理解している者ですら、自分の内側と向き合うことをせずに、一時的なこの世の幸せにかまけている場合もよく見受けられます。

たとえば、真理を理解しておきながら、かつノンデュアリティ(非二元)をうたいながら、他者に向けてこの世の真理について語ることに、ノンデュアリティについて教えることに夢中になっている教師たちもいます。


自我は、わたしたちを内側へ向かわせることから遠ざけたいのです。


それとはまた対照的に、真理の探究者の中には、内側へと向かうことを理屈では分かっていて、瞑想して真理に到達しようとしている探究者も多く見受けられます。

そう、内側に向かってはいるものの、どのように自分の内側と向き合っていけばいいのか?がわからないまま、悟るにはただひたすら瞑想をし続けるしかないという具合に、です。


そういう方々に、私からお薦めしたいのが、「心理セラピー」というものです。

もっと自分の心の中を癒していくことの重要性を自覚していただきたいと思うのです。

とくに、目覚めたい、とか、幸せになりたい、というのなら、なおさらです。

まずは、自分の心の中を整理(浄化)していきましょう、ということです。


もっと言えば、わたしたちは、自分を癒す(ヒーリングする)ために、この世界にいるし、そのためにこの世界はある、と言ってもいいくらいだと言えます。


この時代では、心理学やスピリチュアリズムが進化してきたこともあって、心のしくみがかなり解明されて来ていて、なおさら、わたしたちの意識の進化に伴って、癒し(ヒーリング)に長けた優れたさまざまなセラピー(手法/技法)があることを知っていただきたいと思います。


自分の心の中に闇の部分を隠し持ったままでは、けっして、幸せにはなれない、神のもとには帰れないことを知ってください。

それは、普通に考えても当然のことです。


この世界にいるかぎり、わたしたちは、だれもが無意識の心の中に癒されるべき闇を抱えているということを知ってください。


自分の内側へと向き合っていく時です。

それは、心の闇が癒されていく時でもあります。

これまで向かっていた意識の方向を反転させる時だということです。

それは、だれにとっても、いずれはたどっていく道です。


自分の心の中に闇の部分があることを認めてください。

自分はもっと癒し(赦し)が必要だということを知ってください。

自分の「幸せ」とは、こんなものじゃない、と気づいてください。

その道はすでにあなたのために用意されていることを、どうぞ喜んでください。

そして、どうぞ、受け取ってください。


すべての闇に光をもたらしていく、その決断は、すべてあなた自身にゆだねられています。


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2017/08/24

感情について

感情とは、分離した感覚から生じる代償物(弊害)だと言うことが出来ます。


ですので、分離した感覚がなくなっていくと、どんどん感情という代償物(弊害)も消滅していきます。

そして、そこに立ち現れてくるものが、心の平安というものです。

「感情が消滅する」という言い方をすると、一見虚無のようにも思われますが、実際はそうではありません。

その平安には、穏やかさ、静けさ、安心感、至福、歓び、自由、、、があります。

そして、心の平安として感じられるそれらの感覚は、この世のポジティブやネガティブといったもの(感情)ではない別のものだといことがわかります。


そう、分離した感覚が薄れていくと、感情という弊害が消え失せて、そもそもそこにあった心の平安が当たり前の状態だったと気づくようになります。

そして、さらにわかってくることがあります。


感情とは、動揺する心の状態のことであり、つまりは、感情とは苦しみでしかないと。

さらに、その苦しみというものは「無」でしかないのだと。

そうなのです。

感情というものは、本来は「無」であり、あり得ないものなのだということがわかるのです。


逆の言い方をすれば、「感情が動く」ということは、分離した感覚でこの世界を知覚している証拠であり、あり得ないことをあり得ると信じ込んでいる分裂した自分(自我)があるということです。

ゆえに、それを自覚したなら、その感情の奥に潜んでいる自我(想念/信念)と向き合って(見つけ出して)解放していく必要があります。


そう、その作業(赦しのワーク)をやっていくことで、ますます分離した感覚は薄れていって、この世界からより解放されていく感覚になっていきます。


それが、私が歩んでいる道であり、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)でジーザス(イエス・キリスト)が示した道だと言うことが出来ます。


さて、ところで、いわゆるノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリズムにおいては、感情については、こう捉えられています。

感情が起こっても、それにとらわれない(同一化しない)ようにすること、、、というようにです。

つまり、感情(心の動揺/苦しみ)というものを自分の中で感じながらも、「苦しみは無い」とか「苦しみは感じててもそれは消え去る」とか「感情を観照している自分は苦しんでいない」とか、自分の心の中に苦しみが存在することを認めることなく、感情についてそういういうふうに述べているノンデュアリティ・ティーチャーもおられます。


真理、非二元の教えからするならば、感情と観照意識が同時に存在していることそのものが、「二元性」以外の何ものでもないということは、一目瞭然です。

感情がありながら心は平安でいられる、というのはあり得ないということです。

「心の動揺」と「心の平安」とが共存できるわけがありません。

もし、あり得るとしたなら、二元性の世界ではあり得る、ということです。

つまりは、分離した心(分離意識)ではあり得るということです。


だとしたなら、その心の状態は、ノンデュアリティ(非二元)とは筋違いのものだと言えます。


光と闇が共存することは不可能です。

なぜなら、そうであるとき、闇は消滅して、ただ光だけがあることになるからです。


コースの教えでいうならば、ただ平安があるのみで、それ以外(感情)は無いのです。


感情というものは、分離意識から生じている誤った知覚でしかありません。


つまり、感情とは「動揺した心」のことであり、分離した感覚が無くなっていくならば、感情は無い(湧き起っては来ない)ものだということです。


コースの教えでは、決して、「感情は湧き起っては消えてゆくもの、過ぎ去っていくもの」というふうには捉えません。


コースという道は、そこには一切の妥協がないことを知っていただきたいと思います。


でも、そこには絶対なる確実なる平安があるということも知っていただきたいです。


以上、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)とノンデュアリティのスピリチュアリズムとの「感情」の捉え方のちがいについての私の見解です。


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2017/08/23

【9月・10月】『ACIM学習会 in 福岡』開催のお知らせ

9月、10月の「ACIM学習会 in 福岡」開催のお知らせです。

つきましては、参加者を募集します。

「ACIM学習会 in 福岡」は、今後も月一回のペースで定期的に開催していく予定でいます。

とくに、再来月の10月は、2daysの学習会を開催いたしますので、

どうぞみなさまのご参加をお待ちしております。


コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ばれている方、

コースをこれから学んでみようと思っている方、

そうでなくても、真理、覚醒、悟り、非二元(ノンデュアリティ)に興味のある方なら、

どなたでもご参加いただけます。

さまざまな疑問、質問に対して、参加者みなさんとシェアできたらと思います。


9月、10月いずれの会も、会場は、福岡市西区姪浜(愛宕神社近く)です。
なお、10月開催の2days学習会は、宿泊も可能となっております。


お申込・お問合せ、詳細につきましては、

下記の主催者さん(フジヤマさん)のブログをご覧くださいませ。


9月ACIM学習会 in 福岡 2017/9/16(土) 14:30〜17:30

2days ACIM学習会 in 福岡 2017/10/7(土)、8(日) 二日間
 定員になりましたので、申込みを締め切りました。

ご参加いただいたみなさまと創り上げる空間が、どんなものになるのか?楽しみにしています。


もりG


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2017/08/20

分裂した心のままでは

自分の内側をよくよく内観(Inner Inquiry)するならば、自分の心の中に「真理を求める自分」と「真理を怖れている自分」の矛盾する両方の心があることが、はっきりと認識されます。


つまり、それこそが「心の分裂」というものであり、わたしたちがこの分離の世界を、この二元性の世界を生み出す原因となるものだと言えます。


「真理」を「神」という言葉で置き換えてもいいです。


わたしたちは、神を求めていながら、神のもとに帰ろうと試みながらも、同時に神を怖れているがゆえに神に抵抗している、神と戦っている、、、ということが起きているのです。


さらにまた、「真理」「神」という言葉を、平安や幸せという言葉で置き換えてもいいです。


もし、あなたが、自分はなぜ不幸なのだろう?どうして、自分は幸せではないのだろう?なぜ、自分は幸せになれないのだろう?と感じているのならば、つまりは、そういうことだと言うことが出来ます。


そう、わたしたちは、平安や幸福を求めているつもりでいますが、じつは、わたしたちは、本来が平安で幸福であるのに、そのことに自らで抵抗しているということなのです。


その分裂した心のまま、平安や幸せになることはあり得ないのです。


その自覚なしにいくら真理を追い求めても、真理に到達するということはあり得ません。

むしろ、真理へ向かおうとするのを邪魔する自分と悪戦苦闘することになります。


たぶん、かつての真理の探究者たちは、修行の名のもとに、そのことに計り知れないほどの時間と労力を費やしてきたのだといえるでしょう。


でも、もう、そういう時代も終わりです。


これからのわたしたちは、そのことを認識し、自覚することで、はじめて、自分の内側を統合、整理していかねばならないことに意識が向かうようになるでしょう。

それは、修行や探究といったものではなく、ただ自分の内側を整理していくだけのことだということです。


まさか、自分の中に、自分が幸せになることを咎める自分がいるとは、思えないことでしょう。


とくに、スピリチュアルの探究者たちは、自分の中に真理から遠ざかりたい自分や、真理に抵抗している自分がいることを認めたくはないかもしれません。


真理を咎めている自分、神に抵抗している自分、、、それを、自我(エゴ)と呼びます。


その自我と向き合っていくことだけが、真理に到達する道であり、神のもとに帰る道だと言えます。

その道は、けっして、自我を無視したまま真理へと、神へと向かうものではありません。

もし、そうであるならば、それは自我と戦うということであり、その戦いに終わりはありません。


自我と向き合うとは、自我に光を当てることによって、自我を癒し、赦していくということです。

それによって、分裂した心や、あらゆるものとの分離が無くなっていきます。


心は、シンプルに、純粋無垢に、無へと向かっていきます。


そして、そのすべてが無に帰することが、わたしたちがいづれ帰るところです。


私が、歩んでいる道とはそういうものだということができます。

そして、私がしている心理セラピーもそういうものだと言うことができます。


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2017/08/18

プレゼンス

そもそもが、孤独感や生きることの虚しさをどうにかしたくて、エンライトメント(悟り・解脱)というものを求めるようになったのが、もう25年前のことになります。


「エンライトメント」という言葉を知った時、私は、「もう二度とこの世に生まれ変わって来たくない」とそう強く願望したのを覚えています。


今もその想いは変わらないのですが、そのニュアンスが少しばかり変わったことに気づきます。


今では、未来へエンライトメントを求めることも、時間の中の旅にすぎないことだとわかっています。

それは、時間とは一切関係のないものだということです。


未来というものが、もうどうでもいいとさえ思えはじめていて、私の中で、未来への関心はどんどん薄まってきている気がします。


いまこの瞬間に、神の平安と共に、聖霊と共に、、、

それで十分なんだと思えるようになってきている私がいます。


未来へのエンライトメントを手放して、いまこの瞬間のプレゼンスへと戻っていくこと、、、

それが、私の究極のゴールとするところなんだろうなと思う今日この頃です。


静かになり、自分とは何か、神とは何か、といったすべての想念、これまで学んできたこの世界についての一切の概念、自分について抱いているあらゆるイメージを脇に置く。あなたの心が、真実だとか偽りだとか、よいとか悪いとか思っているすべてのもの、価値があると判断する想念、あるいは恥じているすべての概念を取り去り、あなたの心を空にしなさい。どんなものにもしがみつかないようにする。過去が教えた想念も、以前あなたが何かから学んだ信念も、いっさい持ち込まないようにする。この世界を忘れ、このコースを忘れ、両手をまったく空にして、あなたの神のもとに来なさい。

ー『奇跡講座 ワークブック編』 レッスン189よりー


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