2017/09/30

この世のものに信を置かない

ACIMプライベートセッションを通して、一緒にコース(ACIM/奇跡講座)を学んでいる方から、体験レポートをいただきました。

その体験レポートの内容が、コースを学んでいる方々にとって参考になるかと思いますので、ご本人のご了承のもとにシェアさせていただきます。


「この世のものに信を置かない。これは寂しいことではなく自由になることですよね。」


まさにコースは、この世のあらゆるものから完全に自由になることを目指しているものだと言うことが出来ます。


ご興味のある方は、ご覧くださいませ。


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もりG 様


先日は(セッション)ありがとうございました。


先日の誕生日、毎年おめでとうメールをくれる友人から連絡がなく、6年ぶりに疎遠だった友人から連絡がきたりしました←この件についてはセッションのときに報告しましたね。

毎年連絡をくれる友人から何も(連絡が)
ないことは以前であれば心配の種になったことと思います。
でもこの時にこの世のものに信を置くのはやめようと改めて思いました。
辛くなるのは自分だし、誰かを縛ってはいけない、そしてそれはとてもナチュラルなことだと感じました。

この誕生日のことに限らず、もう○○のことは信用しない、やっぱり本当に信頼できるのは○○ちゃんだけ、

こんなことを幼稚園の頃から最近までやっていたような気がします(笑
気づくのが遅い!

何回かセッションでもお話いただいた、この世のものに信を置かない、このことがようやくわかりかけてきました。

これは寂しいことではなく自由になることですよね。そんな風に思います。

また別の友人を見ていて思ったことです、

ひとつひとつ成功体験を積み重ね、仕事の幅も友人の幅も広げてSNSでは毎日楽しそうな書き込みがあるのですが、定期的に寂しい、という連絡がきます。ここだけは変わらない。

わたしも含めて、この世の出来事が上向きになるように、そして前より状況が良くなると、その自分をさらに強固なものにしようとさらにチャレンジを続けます。これは悪いことではないのですが、大元の原因を見ず置き去りにしてるので結局自分は変わってない、というところに至るのですね。原因を見つけられないようにエゴが仕掛けた罠のひとつなのでしょうが‥。

これらのことはコースやセッションで教えていただいたことですが、彼女を見ていてすごく腑に落ちました。彼女はわたしです。

その生き方は否定するものではありませんが、わたしは抜けたいです。なのでコースを頑張ります(笑

長々とお読みいただき今回もありがとうございました。


(匿名 女性)


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2017/09/29

この世はギャンブラーの世界

ACIMプライベートセッションを通して、一緒にコース(奇跡講座)を学んでいる森有規さんからセッションの感想メールをいただきました。

その感想内容は、とてもユニークで森有規らしいなと感じました。


「秋の深まりとともにわたしの帰還の旅も面白みが増してきました。」


その言葉から彼のコースの学びがますます進んでいっておられることが伝わって来ます。


今回は、ご本人のご了承のもとに、いただいたメール内容そのままをご紹介させていただきます。

コースを学んでいる方々にとって参考になれば幸いです。

ご興味のある方は、ご覧くださいませ。


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もりGさま

おはようございます。
名古屋は寒い朝でした。
秋の深まりとともにわたしの帰還の旅も面白みが増してきました。

もりGさんのセッションを検討されている方へ
参考になればと思い感想を送ってみます。

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「この世はギャンブラーの世界」

継続的にセッションを受け始めて10ヶ月近く経過しました。
穏やかな日もあれば荒れた日もあります。

奇跡講座で言われている幻想は狂気の世界。

自我のレジスタンスに振り回されることもしばしばあります。
人生に対する苦しみから聖なる帰還を選んだのですが

その苦しみを和らげるために色々な賭け事を見つけてきてくれます
引き寄せだとか具現化、現象化もそのようなものかもしれません。

しかしながらどれもが必ず上手くいくわけでもなく
あれこれ手法を探しては一喜一憂することばかりです。

まさにギャンブルそのものです。

負け続ければそのまま諦めやすいのでしょうが
時々勝たせてくれるので何とも辞めづらいものです。

これは日常生活にも言えそうなことです。

「うまくいきますように」
それは「この勝負に勝てますように」と同じでした。

競馬の必勝法を知るのにお金をつぎ込むのも
引き寄せ法則を学ぶのに受講料を支払うのも
大差がないことに気づきました。

と同時に
だからこそ「好きにしていればいい」ということ。

ギャンブルに疲れ果てて、とぼとぼ歩いて帰っていっても
父は咎めることなくいつも両手を広げて待っていてくださるのですから。

これからもよろしくお願いいたします。

愛知県の中年男性(森有規さん)より


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2017/09/26

愛への抵抗の終焉

わたしたちは、だれもが幸せになりたいと思って生きています。

だれもが、幸せになるために、そのために日々生きていると言っても過言ではありません。


ただ、わたしたちは、本当のところ「幸せ」が何なのかわかっていません。

わたしたちは「幸せ」というものが何なのかわかっていないから、この世界にいる(この世界を知覚している)ということが言えます。


むしろ、はっきり申すならば、わたしたちは幸せが何なのかわからないどころか、幸せになることを避けて(拒否して)いると言うことが出来ます。

なぜなら、この(二元性/時間と空間の)世界こそがそれを達成している世界であるからです。

わたしたちは、そんなこの世界を自らが選択しているということです。

わたしたちのだれもが、この世界にいるだれもがそうであり、もしあなたが自分の深層心理へと深く掘り下げて(インナーインクワイアリーして)いくならば、そのことが明白になります。


そう、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の道を歩む者ならば、わたしたちの心の中には、幸せになりたくない自分(自我)や、幸せになることを邪魔している自分(自我)がいる、ということを知っておく必要があると言えます。


というのも、そのことを理解し、そして認めていくことから、赦し(自我の取り消し)の実践が可能となるからです。


以前の記事(『分裂した心のままでは 』)でも述べましたように、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学ぼうとするならば、そこには必ず「真理(神)を求めている自分(聖霊)」と「真理を求めることに抵抗する自分(自我)」が相反するかたちで両方の自分が心の中に存在するということをわきまえておかねばなりません。

そのことを無視して、ただ真理(神)を求めてもそれは無謀なことでありますし、そもそもコースとは、そのこと(自分の心が分裂していること)を踏まえた上でジーザス(イエス)がどのようにそこから心の訓練を成していけばいいのか?その道を示したものだということが出来ます。


コースを学習する者にとっては、そのことを知った上で学びを進めていった方がよりスムーズだと言うことです。

私自身も、コースを学び、赦しを実践し、心の訓練をしていてそう思いますし、ケン・ワプニック博士も自らの著書でそう述べています。


あなたは、自分のことを「すべてのひとを愛している聖なる神の子」という前提ではじめるよりかは、「こころのないサディスティックなビースト(悪玉)である」という前提からはじめるほうが、よっぽどか、順調にすすめるでしょう。あなたは、この身体のなかにいるかぎり、自分は殺人者なのだ、という前提ではじめたほうが、ずっと順調にいくでしょう。あなたは正しいと思いたいし、あなたは存在していたいし、身体でいたいのですから、あなたはいま殺人者であるだけでなく、これまでもそうだったし、これからもそうなのだろう、ということです。

ー『Ending Our Resistance to Love』  Dr. Kenneth Wapnick よりー


ここで「殺人者」という言葉で書かれてありますが、それは、けっして言い過ぎた言葉ではないと思います。

わたしたちは幸せというものを拒否しているどころか、自らを殺そうとさえしているということです。

ゆえに、わたしたちは死ぬ(という体験をする)のです。

とはいえ、本当は、死はありません。

死ぬことが可能である、と信じ込んでいるにしかすぎません。

そのように信じ込んでいる想念から作られ、そして体験している世界が、この世界です。


わたしは、身体ではありません。

わたしは、スピリットです。


この世界を現実だと思っているのは自分です。

この世界をあえて選択しているのも自分です。

その自分の心は、狂気です。

その自分の心は、病んでいます。


その自分を、自我、と呼びます。


そんな自分だからこそ、正しく判断する存在として与えられた聖霊にすべての判断をゆだねていくことが、わたしたちがしていくことであり、このコースの道だということが出来ると思います。


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2017/09/25

直線的時間への中毒

デイヴィッド・ホフマイスターさんのコミュニティーの方がフェイスブックにアップしていた一文が面白かったので訳してみました。

わたしたちは、元々あるこの世界に自分が生れてきて成長して今があり、そしていつか死を迎える、と当たり前に思っています。
そう、「時間は、過去から現在、そして未来へと流れている」というふうに時間を捉えているということです。
そして、わたしたちは、その時間に追われるように日々生きているといえます。
それを、直線的時間に中毒になっている、とデイヴィッドさんは表現しています。

デイヴィッドさんの教えはとてもとても深淵で、なかなか理解し難いところがあります。
今回は、自分の理解したままを感覚的に文字にしていますので、どうぞご了承ください。
原文も貼ってますのでそちらもご覧ください。

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わたしたちは、リニアな時間軸系の中毒にハマってしまっています。
それは、ヘロイン中毒やアルコール中毒や様々なハードコア中毒と言われてるようなどんなものよりも、重症の中毒と言えます。
あなたは、過去に起きたことを当然のように現に起きたと思っていますし、未来に起こるに違いない、と何かをすでに想定しています。
いわゆる、仮想のシナリオを信じ切って、それを自分の基盤として生きているということです。
だから、一日中何をしていようと、仮想のシナリオに戻りたがる心を警戒して見張っていなければなりません。
あなたがプロジェクト(コミュニティーでの作業)の最中であったとしても、例えば、冬支度をしていたり、ビデオを編集していたり、作曲をしていたり、礼拝を執り行っていたりしても、警戒していなけれなりません。
もし、あなたが話をしている最中でも、次は何?どうだったっけ?など過去や未来への考えに、心が知らず知らず”眠った状態”へと陥っているのを見つけたら、それが、中毒というものです。

存在していると思っている世界の中の形態は、真理とは一切何の関係もありません。
だから、形態の中で”自分”がどんなに頑張っても、時間中毒から逃れることはできません。
ちょうどまるで葦笛(あしぶえ)の中空を息が通って歌が奏でられるよう、わたしたちは空っぽになって、聖霊の為すがままに動かされることです。
”自分で何かをする”ことを手放して、広大さの体験へと入っていくのです。

”Much more than an addiction to heroin or an addiction to alcohol or some of what they call the hard-core addictions. Linear time is the addiction because it is all based on the belief that there are hypothetical scenarios that you can actually conceive of, that actually occurred in the past and could actually happen in the future. And so, as you go through whatever you are inspired to do through the day, you really have to be vigilant and watch the mind wanting to go back to the hypotheticals.

Even when you are in the middle of your projects whether you are winterizing, editing a video, composing music or even conducting a church service. If you are in the middle of a talk and you find your mind drifting off to 'What is next? How did this go over?' or any of those thoughts, that is the addiction.

It doesn’t really matter what is going on in form, because you will never escape the addiction through the form. It is the Holy Spirit’s use of the form, "being done through" like a hollowed reed being played through so perfectly, that you let go of the "doer" and then experience the vastness. That’s what it is.” —David Hoffmeister


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■イベント情報■
コース(奇跡講座/奇跡のコース)に関心のある方ならどなたでもご参加いただけます。
コースについてもっと知りたい、もっと学びたい方たちとの何でもありのフリートーク2daysです。

2days ACIM(奇跡講座/奇跡のコース)学習会 in 福岡 

2017年10月7日(土)、8日(日) 

詳細は、こちら定員になりましたので、申込を締め切りました。


次回の福岡ACIM学習会は、2017年11月18日(土)を開催予定しています。


2017/09/22

Mystic by nature 3/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート3(最終回)です。


カースティンさんの「神を第一にしていくならば、神はすべてのことを面倒見てくれます。」という言葉はとてもシンプルではありますが、やっぱり、それだけなんだなってあらためて気づかせてくれます。
本当にそれだけでいいんだな、って。
そう想うだけで、、、ただそのことを受け入れるだけで、心に平安と至福感が湧いてきます。

どうぞ、そのカースティンさんから放たれる言葉を超えたプレゼンス(存在そのもの)を感じてみてください。



パート1:Mystic by nature 1/3

パート2:Mystic by nature 2/3


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インタビュアー:
コースを学んでいる人たちに学びを進めていく上でもっとも重要なことや、決断する上でもっとも重要なことや、理解する上でもっとも重要なことなど、有益なヒントがあれば教えてください。

カースティン:
神はあなたを愛している、ということを知っていてください。
それだけです。

神の意志はわたしたちが幸せであること、と知ることです。
そして、自我の犠牲の信念は心から癒されていきます。
神に「yes」と言って従っていくこの旅は、犠牲の信念を想起させますが、この旅そのものは受け取ることであり、たくさんのものを神から受け取るようになります。
わたしたちの想像を超えた、より多くの平安、より多くの愛への気づき、より多くのサポートを受け取ります。
神は、わたしたちのすべての面倒を見たいのです。
常に、神を第一に、全面的に信頼し、導いてもらいましょう。

手放すというのは、失う感覚とは違います。
それは、明け渡すとか、聖霊に任せるという感覚です。
「これはこの旅においてわたしを助けてくれるものかどうか教えてください」と聖霊に言うのです。
すべてを手放しあきらめないといけない、と考えるよりも、聖霊の目的のために使ってもらう、というように考えるべきです。
よりもっと「わたしはすべてを明け渡します」というふうになるのです。
そう、そこには自分の人生にとって一つの目的があります。
それはすべて目覚めをサポートするためにあるということです。

インタビュアー:
ありがとうございます。では最後の質問です。
もし12歳当時の自分に電話をかける(話しかける)としたら何と言いますか?

カースティン:

~(間)~

It's safe. It's all going to work out just fine.
「安全よ。すべてはうまくいくから。」ですね。(笑)

ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー

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2017/09/21

Mystic by nature 2/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の日本語訳のパート2です。


パート1:Mystic by nature 1/3


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インタビュアー:

よくスピリチュアルな世界で、病気の人に対して、「そうなったのはあなたのせいですよ。」と言うのを耳にします。それを聞いてわたしの心は痛みます。自我はそうやって他の人を非難します。

例えば、心はとても健康だけれども、肉体だけが病気になることはあるのでしょうか?それは可能なことでしょうか?


カースティン:

わたしが好きな話し(parable:寓話)に、ラマナ・マハリシについてのものがあります。

彼が人生の最後に近づいていたとき、-彼が永遠の存在であることをわたしたちは知っていますが- 彼の肉体が崩壊しはじめ、徐々に衰え、逝去間近のときに、彼は癌だったと言った人がいました。

しかし、彼の目を見てみると、、、彼が癌の肉体と同一化していたかというと、、、そうとは思えません。

すべては、何と同一化しているか、そして何が信じられているか、に関係しています。


非難や咎めについて、あなたはすごく良い指摘をされましたね。

「これはわたしのせいだ」と言うのは、癒しにおいてなんの役にも立ちません。

しかし、癒しにとっての心の方向としては正しいと言えます。

もし、あなたが癌を信じている、または、癌を患っていると信じているならば、そこには赦しを実践する何かがあります。

癌とは何か?

実質的にそれはどういう意味なのか?

インナーインクワイアリー(内観)によって、

誰が癌を信じているのか?

癌を患うためにはどう在る必要があるのか?

と深いところまで(自分の内側を)見ていきます。

そして、何と同一化しているかというところへ行き着いたならば、そこで選択をすることができます。

わたしは誰であるか?

いまこの瞬間、「わたし」と呼んでいるのは誰か?

わたしは肉体?

わたしはスピリット?

現われるどんな症状であっても、それらはただ癒しを求める心の声の反映なので、癒しが続いていくよう求めるのです。

そして、そのように求めることが設定(症状の原因となるもの)を外すことになります。

なぜなら、わたしたちみんな、すでにたくさんの奇跡的な癒しや自然治癒的な癒しについて耳にしてきているのですから。


しかし、もしあなたの心が知覚や信念でがんじがらめになっているならば、それは奇跡を受け入れる姿勢とは言えません。

奇跡を受け入れる姿勢とは、「わたしはどう癒されるのかわかりませんが、完全なるシフトとそれが形となって反映されることに心をオープンにしています」というものです。


パート3につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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2017/09/20

Mystic by nature 1/3

カースティンさんのインタビューYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の一部を日本語訳してみました。

今回の「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」の翻訳は、後半から最後にかけての部分で、病気についての質問とACIM学習者へのヒントを取り上げています。


3回に分けてアップしていきます。今日は、そのパート1です。




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インタビュアー:

あなたは本(カースティンの著書『I Married a Mystic』)の中で、もし心に痛みを信じる想念がなければ、肉体が病気になることはできないと言っていますね。コースでも、肉体が病むのではなく、心のみが病むことができると言っています。

あなたは今現在、肉体的に病気になるとか、痛みが出るとか、インフルエンザに罹るということがありますか?


カースティン:

イエスはコースの中で、病気のことを機能が果たされていない状態と説明しています。

わたしたちの機能とは、赦しであり、幸せであり、一なるものです。

わたしたちが病気になるとき、または病気と同一化しているとき、「わたしたちは分離している」「わたしたちは肉体である」と信じています。なぜなら、(わたしたちの知覚では)肉体だけが病気になるからです。

わたし自身で言えば、病気になったり、痛みの症状が出たり、インフルエンザに罹ったりした場合、一度止まって祈り、じっくり見て、次のように尋ねます。

「わたしは何を避けているのでしょうか?」

「わたしは、自分の機能の何を避けているのでしょうか?」と。


わたしが聖霊と一致していて、癒しやコミュニケーションという目的のためにわたし自身が十分に使われているならば、肉体はその機能を完璧に果たしているので、痛みもなければ、肉体自体を自覚することすらありません。

あなたはただスピリットであり、あなたはコミュニケーションの機能を果たすものであって、思考や赦しにフォーカスしていると、肉体にフォーカスがいきません。

これはちょうど、即座に肉体から思いを引き離すというようなことです。

心の中の自我の部分は、病気や症状が出た場合、即刻肉体を保護しようとします。

出来る限り早く、保護し、癒し、治療法を見つけ、元通りにしたいと思います。

なぜなら、肉体にこそ価値があり、肉体がわたしたちの家だと思っているからです。


これとは逆に、次のように言うのです。

「わたしはどういうわけか、あなた(神)を避けようとしているに違いありません。わたしの心のどこかで真実を怖れているに違いありません。わたしが思い出せるよう助けてください。何を避けているのかわかるよう手伝ってください。わたしはあなたに仕えたいのです。今わたしの心の中ですべてを赦したいのです。」

そして、そこにあるものが何なのか気づくと、驚くほどの奇跡の体験をわたしは幾度もしてきました。

それは、直ちに症状が消えるという体験です。

もしそうでなく少し長びいた場合も、もうわたしのフォーカスはそこにはないので大した問題ではなくなります。

心を復活させて目に輝きが戻るよう肉体が追い付くまで症状はしばらくあるかもしれません。

しかしその時、もう怖れたり心配したり肉体について考えたりしておらず、わたしの注意は聖霊に戻っています。


パート2につづく


ーYouTube「Mystic by nature - interview met Kirsten Buxton」より抜粋翻訳ー


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2017/09/19

他ならぬわたしでした

プライベートセッションを通して、一緒にコース(ACIM/奇跡講座)を学んでいる方から、セッションの感想レポートをいただきました。

その感想レポートの内容が、コースを学んでいる方々にとってとても参考になるかと思いましたので、ご本人のご了承のもとにシェアさせていただきます。


赦しの実践においてわたしたちがすべきことは、心の中に闇(罪悪感)を隠しているのを明るみにして、それを聖霊に差し出していく(取り消してもらう)ことだといえます。

それなしで神のみもとに帰るということはあり得ません。心に闇を抱えたままで目覚めるということはあり得ないということです。


それは、きのうまで連載していたフランシスさんのトーク記事「Let go and forgive(解放とゆるし)」ともリンクしていると思います。

ご興味のある方は、ご覧くださいませ。


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もりG 様

昨日はセッションをありがとうございました。


昨日のセッションで出てきた、黒いもの。
煙。全てを包み込む得体の知れない闇。
これだけは触れてはいけない。
大元(根底にあるもの)。
今までとは次元の違うもの。
でもそれがわたし。
わたしの始まり。

全てはわたしが作っていたこと。
自分を監視するために、友人を配置した。
自分がずっと罪悪感を感じていられるように。
その人の目を通して。

それで今朝また思い出したことがあります。

昨日のセッションでお話したことと似ているのですが
(当時、)ある友人をわたしは結婚式に呼ばなかったのですね。正確にいうと、うっかり連絡するのを忘れたのです。
そんなことある?と自分でも思いますが、
あったのです。小さな頃のうっかりを繰り返してますね。

彼女から今度結婚するんでしょ?と言われ気づいたのですが後の祭り。そしてその時謝って招待することができませんでした。

その後も彼女とは数年に一度顔を合わせます。
彼女に嫌われてるとは思いませんが、会うたびあの時のことを思い出します、傷つけたかな、悪かったな、と。

これも自分を罪に縛り付けておくためなのかな、と思いました。

開き直るつもりはありませんが、定期的に思い出しては落ち込むので、そうゆうことなんだろうと。

こんな風にしてこの世界に自分を縛っておく。
その為に仕掛けたこと。自作自演。

他にも思い当たる(自我の)仕掛けはたくさんあります。
これらを1つ1つ赦していくのですね。
結局その人たちの目を通してわたしを見ているのは、他ならぬわたしでした。
やっぱりショックですね‥
でもそれがわかってスッキリもしています。

わたしがしてきたことは問題を解決することではなくてややこしくすることでした。

でもその時は一生懸命だったので、戦うのではなく癒して解放して浄化してあげたい。

悪役を演じてくれた人にも感謝なのですね。
(その人の) 体を貸して(役を演じて)くれた。

本人を目の前にしてそう思えるかどうかはまだわかりませんが、やることは赦しだけなのですね。

導いて力を貸してくださってありがとうございます。

昨日のセッションの後、ここから始めましょう、というメッセージに泣きました。
ありがとうございます。

自分と関わっていく人、聖霊さんが連れてきてくれる人も、今の自分に都合のいい人だけではないと、これもようやく理解しました(笑)
でも仲間も欲しいです。
心分かち合える友。
現れてくれるといいなと思います。
求めてみます。


長くなりました。
読んでくださってありがとうございます。


(新潟 女性)


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2017/09/18

Let go and forgive 6/6

フランシスさんのトーク「Let go and forgive(解放とゆるし)」の翻訳のパート6(最終回)です。


パート1:Let go and forgive 1/6

パート2:Let go and forgive 2/6

パート3:Let go and forgive 3/6

パート4:Let go and forgive 4/6

パート5:Let go and forgive 5/6



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先週、「ザ・ギフト」という映画を観ました。
映画に描かれていたことの一つに、何であれ隠しているものがある場合、それは癒されないものとなり得る、というものがありました。
隠しているものは癒されないのです。
それは、外側に投影されます。
なぜなら、あなたが投影を求める(無意識に隠したままにしておきたい)からです。
起こっているように思えるすべてのことは「罪悪感の投影である」と言えると思います。

これは何年も前のことですが、わたしがとても怒ったときのことです。
わたしはデイヴィッドに対してその怒りをぶつけていました。
しかし、彼はただ「それは罪悪感ですね」と言っただけでした。
彼はわたしの直接的な攻撃には答えず、「あなたの心の中の罪悪感ですね」とだけ言いました。
わたしは驚き、立ち止まり、「違う、これは罪悪感ではない。わたしは罪悪感など感じていない。わたしは怒っているんだ」と思いました。
しかし、彼が何を言っていたのか?何が起きていたのか?というと、それはただ”罪悪感”(が湧き起こっていたという)だけで、つまりは、罪悪感を感じている人だけが怒るということです。
罪悪感がある人だけが、攻撃することができ、攻撃を知覚することができます。
攻撃する人と攻撃される人どちらでさえも、あなたの外側にいます。
苦しんでいる誰かや非難すべき誰かを知覚するのは、罪悪感を抱えた人だけで、罪悪感を感じている人だけがそれらを見ることができます。
罪悪感を感じている人は、攻撃する人という役割を演じることができるし、もちろん被害者という役割も演じることができます。
これは容易に見受けられます。

このことによって、わたしたちは、違う種類の感情があるわけではないことを知るので、とてもシンプルに考えられます。
ただ一つ、心の中の罪悪感というところに戻ればいいだけです。
もちろん、それは意識的には認識できないほど(無意識の)深い深いところに埋められています。
なぜわたしたちはこんな罪悪感を感じているのか。
知的に、もしくは形而上学的には、それは神から離れたからだと知っています。
しかし、意識的なところでは「なぜ罪悪感を感じるのか」わかっていません。
ゴール(目的)は、わたしたちが(その罪悪感を)暴きさらけ出すこと、そして聖霊にその罪悪感を翻訳し直してもらうこと、その根底を見て、その根底には何もないということを見る、つまりはそれがゴールなのです。
心の中に幾重もの層や特定の何かをわたしたちが保っている限り、聖霊が根底まで辿り着き、そこにある無垢性を明らかにすることを妨げることになります。
そうなると、罪悪感は永遠に心の中に隠されたままとなります。
その結果として、苦しみを知覚し、攻撃を知覚し、病気を知覚することになります。

ここで基本に戻ることが大切だとわたしは思います。
そして、わたしたちのここでの役割はわずか(ささやかな意欲だけ)であることを悟ることも大切だと思います。
自我は、生き延びるために悪戦苦闘してきました。
自我は、それ自身をまたは他の者を癒そうと、ヒーラーという役割を持とうとします。
しかし、そこには自我が持てる役割はありません。
わたしたちは、聖霊に真新しく教えてもらうようにしなければなりません。
どのように癒すか?あなたが自分で知っていると思っているものを手放すのです。
長い間勉強してきたものでさえも手放すのです。

ここが、わたしたちがみな一緒にスタートできる地点だとわたしは思います。
「わたしたちは自分では何もわかっていないのかもしれない。
聖霊に来てもらい教えてもらおう。
(テーブルを指しながら)これはどういう意味ですか?
(マグカップを指しながら)これはどういう意味ですか?
このシナリオはどういう意味ですか?
攻撃とはどういう意味ですか?
すべてについてどういう意味ですか?」
そのようにして、心に無垢性を呼び戻しましょう。

最後に、『奇跡講座』付録Ⅰ精神療法ーその目的、方法そして実践ーから最後の文を引用して終わります。

「そして、神の道がいかに単純であるかを、忘れてはならない。光を求めるまで、あなたは世界の闇の中で道に迷っていた。それゆえに神は、あなたに光を与えるべく神の子を送ったのである。」(P-3.Ⅲ.8.11-13)『奇跡講座』「中央アート出版社」より

真新しいヴィジョンで! 真新しい目で!

真新しいヴィジョンで救世主を見出しましょう。
それが、わたしたちが考え付くすべての問題を解決するでしょう。
素晴らしいですよね。
このエピソードの中の問題もすべて解決ですね。

あとは実践するのみです!!

ーYouTube「Let go and forgive」より抜粋翻訳ー


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2017/09/17

Let go and forgive 5/6

フランシスさんのトーク「Let go and forgive(解放とゆるし)」の翻訳のパート5です。


パート1:Let go and forgive 1/6

パート2:Let go and forgive 2/6

パート3:Let go and forgive 3/6

パート4:Let go and forgive 4/6


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聖霊に来てもらうというのは、「わたしの人生にいつ聖霊がやってきてくれるのだろう?」というような謎めいた神秘でも何でもなく、それは、筋肉(*)を鍛えるようなものと言えます。


*(このエピソードの初めの方で、英語の発音についての話がありました。中国語で育ってきたフランシスがアメリカンアクセントで”a”を発音しようと試みたとき、今まで自分が中国語では使ったことのない頬や口周りの筋肉を使う必要があることに気づき驚いたそうです。そのことに気づくまでは中国語アクセントの"a"で発音していたことを自覚し、後天的に積み重ねられた慣習を保ったまま新しいものを付け加えていく、という古い学び方の良い例として、この筋肉の話を挙げられました。)


わたしは古い筋肉(思考)を使ってこの世界を見てきたし、古い筋肉を使って「すべては分離しているとか、誰も信用できない、何も信用ならない」と思ってきました。

自分の周りで起きていることはすべて、まるで防御や防衛への呼びかけでした。

それが古いやり方であり、長い間、「防御の筋肉」という古い筋肉を使って、何においても対応してきたのだといえます。


そして今、わたしたちがすべきことは、自分自身にこう伝えることです。

「もし、すべては聖霊から与えられていると信頼して一日を過ごしてみるならば、どんな一日になるだろう?」

ここにシフトがあります。

これがわたしたちに出来ることです。

わたしたちは”警戒”(T6.Ⅴ.C 参照)している必要があります。

今日、リサが、マインドトレーニングについて話していました。

心はフォーカスを必要とし、心は献身的な鍛錬を必要とします。

マインドトレーニング(心の訓練)が何を為すかというと、横道にそれたり、不信感、疑念が入り込むのをゆるす古い筋肉や古い習慣に向かって引き返さないようになるということです。

マインドトレーニングは、「私は聖霊の目を通してすべてを見ることを決心します」と言うことが出来る警戒した心へ最終的に導きます。

わたしが感知するすべての人は、ギフトです。わたしへのギフトです。

一日を通して起きるすべてのことは、わたしへのギフトです。

でももし、あなたがそれをギフトだと思えなかったら、ギフトだというフリをするのはやめてください。

「これはギフトだ。これはギフトだ。これはギフトだ。」と言ってアファメーションを繰り返す必要はありません。

わたしたちは”正しく”ありたいわけではありません。

それよりも聖霊に「あなたを招き入れさせてください。どうやったらこれがギフトだとみえるのですか?わたしの有限の思考では、これがギフトだと解釈できません。」と言いたいのです。

シフトが起きるかは、意欲次第です。

だから、聖霊を呼び、心に聖霊の目を招き入れ、わたしたちのために聖霊の筋肉を使ってすべてのことを解釈してもらうのです。


わたしたちは、そこから「例外はない」というところへ信頼を育てていきます。

わたしたちは、はじめのうちは「ある特定の人々は聖霊を象徴しているが、ある特定の人々はそうではない。ある特定の出来事は聖霊からもたらされているが、ある特定の出来事はそうではない」と例外を設けています。

しかし、”警戒”していることによって、最終的には「例外はない」となります。

確実にすべてに例外はありません。

起きているものごとに偶然というものは絶対にありません。

それは完全に知覚によって生じる、いわゆる解釈によって生じます。

わたしたちがそれをどうみるか?どう自分自身に伝えるか?だれの声を聞いているか?によるものです。


この部分は、他のだれかに代わってやってもらうことが出来ないところです。

どんなスピリチュアル・ティーチャーを支持していようが、何年スピリチュアルな実践をしていようが、どんな体制のスピリチュアリティに身を置いていようが関係ありません。

自分でやるしかありません。

あなたが心にシフトを起こさなければならないのです。

これは、ときにフラストレーションを感じることもあります。

わたしもフラストレーションを抱えていた時期を通り越してきました。

本当にだれかに代わってやって貰いたかったけれど、誰も代われる人はいませんでした。


次回に続く


ーYouTube「Let go and forgive」より抜粋翻訳ー


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