2017/09/12

ACIMを学ぶということ

コース(ア・コース・イン・ミラクルズ/奇跡講座)を学ぶということは、あらゆるものを手放していくことになるので、厭世的な道に捉えられたりします。


というのも、従来わたしたちが社会教育の中で学んできた考え方とはまるで真逆の方向へと向かうようなものなので、世界や人々が歩んで­いる生き方から離れるように見えるということです。


と言っても、それは、価値あるものから去るというものではなく、ただたんに、­わたしたちにとって真に価値あるものへと呼ばれるにすぎないと言うことが出来ます。


わたしたちは、自らの内なる声(聖霊/ホーリースピリット)の誘いに従うことが本当の幸せへ導かれる道だということを思い出していくのです。


どんなときでもホーリースピリットに自分たちの人生を明け渡すことができるように­することが、このコースの目指すところです。


それは、真理を追い求めるというものではありません。

それは、愛を追い求めていくようなものでもありません。

それは、人生を楽しんではいけないとか、清貧であらねばならないとかというものでもありません。

ただ価値のないものを価値のないものとしていくだけのことです。

喜びや幸せなどないところでそれらをさがしていたのをただやめていくだけのことです。


コースの中のジーザスも、幻想を真実へ運ぶようにと言っています。

それが、わたしたちがしていくことです。

まだ幻想(この世界)を信じている心のすべてをホーリースピリットに­明け渡していくこと。

それが「ゆるし」だと言うこともできます。


なので、自我(エゴ)は、コースを学びその道を歩むことにひどく抵抗するのです。

「手放すこと=失うこと」だと、自我は、そうなることを怖れているのです。

その自我(抵抗感)をあなどってはいけません。

それは、かなり根深くわたしたちの中に沁みついていると言っていいです。


ある意味、この道(ア・コース・イン・ミラクルズ/ACIM)は、それらの自我と根気強く向き合っていくことであると言ってもいいでしょう。


それでも、わたしたちは神の­摂理において経験し、神の摂理のなかで生き、神の愛によって支えられている経験を実際­にしていくようになります。

そして、ほんとうに聖霊の呼びかけに従うならば、必要なものはすべて与え­られるのです。


私自身、コースを学んでいくにつれて、徐々に、そのことを実感しはじめています。


コースを学ぶとはそういうことであり、私が歩んでいる道とはそういうものだと言うことです。


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