2017/09/15

Let go and forgive 3/6

フランシスさんのトーク「Let go and forgive(解放とゆるし)」の翻訳のパート3です。


パート1:Let go and forgive 1/6

パート2:Let go and forgive 2/6


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あなたがわたしたちのコミュニティーに訪ねて来たら、わたしたちがお互いに形而上学についての話をしていないことに気づくでしょう。

だれかが「私は感情が強烈に浮上してきています」と言っても、だれも「心の中で起きているだけよ」とは言いません。

わたしたちがそのように言わないのは、実際に心の中で起きているだけとはまだ経験されていないし、心は「心の中だけで起きているのだったら私は受け入れよう」と言って(その浮上してきているものを)抑圧しようとするからです。

ときどき人々が「私は受け入れます。私がするべきことはすべてを受け入れること。」と言うのを聞きます。

しかし、その中には、「本当は嫌だけど、私がすべきことは受け入れることなのだから受け入れよう。」という否定的な感覚があります。

実際のところ、それがある種巧妙な抑圧になります。

わたしたちがここですることは、「心の中で形作られているものを表面化しよう、どのように形作られているかを見よう、何が起きているかを正確に見よう」ということであり、それによって一つのパターンを発見することになります。


今日、わたしは、ある男性のフェイスブックの投稿記事を見ました。

「もしみんなが自我の暗い想いをシェアしはじめたら、それはうんざりすると思う。だって、みんな同じ想いを抱えているから。」と彼は言うのです。

しかし、わたしたちにとってはこういうことなのです。

「さぁ、隠し事なく透明で無防備であるようワークをしましょう」ということです。

わたしたちは、本来の無防備な状態に達して、すべてのものを明るみに出したいのです。


ある人がコミュニティーに来たのを思い出しました。

彼の滞在はほんの短い間でしたが、最初に到着した時とても居心地が悪かったそうです。

彼は、「信じられないほど普通過ぎる。あなたたちは形而上学的な話もしないし、(ノンデュアリティの教えでは「何も起きていない」というのが真理なのに)まるで本当に何か起きているように話しているし、料理したり、部屋を掃除したり、二元性だし、、、なんでそういった会話なの?普通過ぎて、ここに来る前に自分が考えていたのとは大違いだ。」と言いました。

これは癒しがどのように見えるかをよく表しています。

自分がまだ癒されていないのに、癒されているようなフリをすることではありません。

とくにスピリチュアルな様式、スピリチュアルな理解、スピリチュアルな概念のような特定のかたちを装って、スピリチュアルなフリをすることでもありません。

もしわたしたちが正直でいるなら、すばらしい話(真理についての話)をすることもできますが、それでもそこに動揺や不平不満や罪悪感があるならば、それは全く役に立ちません。


これはわたしからの招待ですが、オンラインを通してや、こちら(コミュニティー)に訪ねて来ていただいたり、もしくは、あなたが自分で学びを進めていくことを通して一緒になりましょう。

あなたがどこにいても、隠し事なく透明で無防備で「在る」ことを止められるものは何もありません。

自我にとっては、無防備であることはとても怖ろしいことです。

なぜなら、そこには防護があるからです。

自己概念でない限り、古い枠組みや古いシステムでない限り、自我が防護しているものはいったい何なのでしょうか?


次回へ続く


ーYouTube「Let go and forgive」より抜粋翻訳ー


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