2017/10/02

Be Transported 1/2

デイヴィッド・ホフマイスターさんのトーク音声『Be Transported』の翻訳です。


デイヴィッドは、自分の人生に起こるすべての問題は、知覚の問題だと言います。

わたしたちが問題と見るとき、知覚が歪んでいるがゆえに問題として見えているだけで、訂正すべきは自分の知覚の方であり、自分の心の方であると言います。


すべてのことが、あらゆるものが、同じ、に見えるまで。

それが「分離」が消滅するときであり、そこが、わたしたちが唯一の目的としているところだということをあらためて認識させられます。


デイヴィッドの言葉は、とても深淵です。

それと同時に、彼の言葉は、私の心をワクワクさせてくれます。


今回と次回の2回に分けて、『Be Transported』の翻訳をシェアしたいと思います。

興味のある方は、どうぞご覧くださいませ。


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<Be Transported>


今日は、「運ばれる(Be Transported)」というタイトルで話していきましょう。

「引き上げられる」「上昇する(アセンド)」とも言います。

この世界を知覚している人間としての日々の普通の状態を超えて、聖霊が差し出す赦された世界、真の知覚、幸せな夢の景色へと引き上げられ、上昇しましょう。

幸せな夢へと運ばれましょう。

平常通り、シンプルに愛情あふれる心の状態で。

いつものように、この対話は、愛の臨在の認識への障害を取り除く、というところから始めます。

赦しのシンプルさに気づくよう、一なる自己を受け入れることや絶対的な贖罪のシンプルさに気づくように、まず始めに、最も重要なことから話しましょう。

それは、「それが何であるか直視される必要がある」というものです。

それとは、問題のように見えているもののことです。

なぜなら、もし心が問題を誤って定義しているなら、その解決や答えを受け入れてもそこには希望はないからです。

この世界の問題は、とても具体的であるようにみえます。

あなたは、経済的な問題、人間関係の問題、健康に関する問題、性に関する問題などについて話します。

この世界では、欠乏やお金に関する問題や依存への要求など、さまざまな類の葛藤が知覚されています。

それらはとても具体的であるようにみえます。

日々、人間として、具体的な問題が生じ、多くの問題が毎日発生しているように思えます。

睡眠に問題がある人は、その問題は夜発生すると知覚するでしょう。

悪夢を見たり、非常に疲れていたり、分離睡眠(睡眠障害)の人にとっては、具体的問題が夜に起こっているようにみえます。

日中は、肉体に関してや、人々の環境に関してや、具体的な心理的問題など、すべての類の問題に、心が自分は一個の人間だと信じて、それらの問題に立ち向かっているようにみえます。

人々は、問題や症状に診断が下されると、その問題や症状と同一化し、具体的な問題と同一化して行動します。

これが、わたしたちが話題にしているすべてです。

これはすべて、問題が誤って定義されたカテゴリーの下にあります。


問題の正しい解釈、正しい定義とは何でしょうか?


すべての問題は、知覚の問題です。


では、知覚の問題とはいったい何でしょうか?

最も深く重要な愛のところから言うと、

もしあなたが、そこには無いものをみるという幻覚をみているならば、~具体的な何かを見るというより、この世界、宇宙、一片や一部、分離、分裂した外観という線形の宇宙を見ているという意~、もしあなたが、この世界を断片的に知覚しているならば、そこには無い何かを知覚しているならば、そのことを、わたしたちは「幻覚を見ている」と呼びます。

これは、先にも言ったとおり、抽象的な実在からの断絶という精神異常でもあります。

もし、神が実在ならば、もし愛が実在ならば、この断片的な世界の知覚や、分離したもの、分離した人々、分離した場所、分離した状況という空想の歪んだ知覚は、ワンネスという実在からの断絶です。

そしてまた、たくさんの人々、たくさんの声があるようにみえ、たくさんの信念体系、たくさんの視点、たくさんの国々、たくさんの様々のものがあるようにみえますが、これもすべて歪んだ知覚の一部です。


もし、あなたが栄光なる心の状態へと運ばれる、あるいは引き上げられるなら、それは、統合された認識であり、それが赦された世界であり幸せな夢です。

あなたは、「問題は知覚の問題である」ということを認めることから始めなければなりません。

問題はこの世界の中にはありません。問題は心の中にあります。

歪んでねじれた知覚を投影したこの分離した世界は、想念です。

歪んだ知覚は単純に想念であり、概念は解放されるべきです。

聖書コリント人への手紙の中で、「わたしたちは今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている」と言っていますが、これが、歪んだ知覚のことです。

それは単純に、「見る」ということが歪んだ知覚ということです。

この世界を断片的に見るということが、知覚の問題なのです。


どんな問題でも具体的に定義することは、的外れであり、それは知覚の問題だということです。

世界がどのように見られているか、世界がどのように知覚されているか、それが問題なのです。

それはまるで、歪んだレンズを通して見ているようであり、何もクリアにみることができません。

あなたが、引き上げられ、運ばれたとき、そのレンズはクリアですべてをはっきりと見ることができます。

それが、具体的な問題という歪んだレンズから、クリアで訂正されたレンズへのシフトです。

そして、あらゆるものが同じであると見ることになります。

すべては完全に同じなのです。

コースの中でイエスが「同一のものが異なっていることはあり得ず、ひとつであるものには分離した部分はあり得ない。」(T-25.I.7.7)と教えています。

とてもシンプルです。

コースがたくさんの章やたくさんのレッスンや教師のためのマニュアルまであるそのただひとつの理由は、覆いかぶされていて、重く守られている問題へのシンプルな定義が、正確にそれが何であるか、そしてありのままに見られる必要があるからです。


一旦立ち止まって、わたしと共に、問題は具体的なものではないという実際の体験を共有してみてください。

具体的な問題はありません。

もしあなたが何かの問題を抱えているとしたら、それは知覚の問題です。

今一度、下記を思い出すことが役に立つでしょう。

「私は自分で考えているような理由で動揺しているのではない。」(W-pI.5)

「私が動揺しているのは、存在しない何かを見ているからである。」(W-pI.6)

「私は過去だけを見ている。」(W-pI.7)

「私の心は過去の考えにとらわれている。」(W-pI.8)

これらはすべて、知覚の問題を言い表しています。

”過去の考え”や”過去の考えにとらわれること”は、知覚の問題の一部であり、ただ一つの問題です。

わたしたちが、運ばれていくことを望んだとき、自分たちの視覚に対して十分な責任をもつことを望むことになります。

それはどういう意味かというと、ただ聖霊とともに、ただ正しさとともに、ただ無垢性を通して見るということであり、愛が呼び覚まされ、癒された世界を見るということです。


次回(後半)に続く


ーデイヴィッド・ホフマイスターのトーク音声『Be Transported 』よりー


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