2018/02/07

機能

この世界を聖霊の視点から見るのと、自我の視点から見るのとでは、

その心の状態もそして体験していく世界も大きなちがいがあるといえます。


聖霊の視点から見ようと(意図)するとき、

この世界を自分が目覚めていくための「教室」としてみていることになります。

それは、この世界をもはや実在する世界としてはみていないことを意味します。


ただし、自我(エゴ)の視点からは、そのようには見えていません。

なにせ、自我は、この世界でいかにこの身体を護っていくか、とか、

得ること、所有すること、コントロールすること、といったものにしか心が向いていません。


ただ、聖霊は、その自我を使ってわたしたちを神(目覚め)のほうへと導いてくれています。

そして、その神の計画のもとに聖霊はわたしたち一人ひとりにその機能を与えてくれています。


この世に生きているだれもにその機能は与えられています。

わたしたちは、その機能を果たさない限り本当に幸せになることは出来ません。

むしろ、その機能を果たしていくならば、本当の幸せがもたらされるということです。


わたしたちは、そもそも自分が知覚しているもの(見ているもの、こと)について、

なにもわかっていないし、わかることなどできないのです。

なにが自分にとって幸せをもたらすものなのかわからないのですから、

これが自分にとって幸せをもたらすものだと信じ込んでいるものを手放し、

赦し、明け渡していくことがわたしたちの機能だといえます。


「機能」とは、目に見える形態のレベルでのことを云っているのではありません。

それはどこで何をしていようと、どんなことをしていようと関係ありません。

形態のレベルで何をしているか、何かを成したかというものではありません。

むしろ、そういう形態のレベルにおいては、

聖霊にゆだねてサレンダーしていくことが、その機能を果たすということです。


そのとき、歓び(Joy)と幸福感(Happiness)がわたしたちの心を満たしていくでしょう。


そして、歓び(Joy)と幸福感(Happiness)でいることが、

わたしたちの機能なのだということがわかるでしょう。


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