2018/06/17

流転し続けていくこの旅路

6月16日をもちまして、福岡でのセッション活動を終えました。

ジーニー時代から活動してきたその流れもこれで完了したのだと思うと、
少なからずや感慨深いものがあります。

それは私にとって次なるフェイズ(段階)の新たなはじまりだとも捉えています。

この時間と空間の世界では、すべてが移ろい変わりながら流転していくものであり、
その流れに私はただゆだねていくほかないのだと思う今日この頃です。

わたしたちは、人生の選択を自分で決断しているように思っていますが、
それは自我の錯覚にしかすぎません。
自分自身の思考も含めて、行動も、そのすべてがただ神の計画通りに運ばれているのです。

わたしたちは、自分のみている世界の中で、
ある一つの目的のためにただ導かれているにしかすぎないのです。

そのことを受け入れてこの世界を生きはじめるとき、
そこにはたった一つの道だけが与えられていると気づきます。
そして、その道こそが確実な道なのだということにも気づかされます。

ときに、それはまるで自由を奪われていくようにさえ見えます。
自我からの視点で見るならば、そういうふうに見えてしまいます。
なぜなら、道はそのたった一つの方向しかないのですから。
でも、本当は、その道こそが真の自由への道なのだということがわかります。

自由とは何か?

と言うならば、それは求めるものでも勝ち取るものでなく、
もともと本来がそうであったのだとただ思い出していくだけなのだと気づきます。

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)のなかでイエスは、
「 時間とは、時間から自由になっていくための手段である」 と言います。

自分の人生というものがそのように見えはじめてきている私にとって、
その感覚は、私の中でこれからもっともっと確信へとなっていくでしょう。
またそれは、この世界でご縁のある方々へと延長していくことでしょう。 

今後どのような活動をしていくのかは定かではありませんが、
セッションはまた再開する予定です。
それだけでなくセッション以外の活動も新たに展開されていく予感がしていまして、
むしろ、そちらの方が主体になっていくであろうと思われます。

ただただ大いなるちからにゆだねていくならば、
沖縄に活動拠点を移すことになったその理由がそのうちわかってくるのだと思います。

ということで、セッションの再開は引っ越してからになります。
それまではしばらくの間、セッション活動を含めてすべての活動を休止させていただきます。

これまでご縁をいただいた方々に心から感謝します。

そして、これから訪れる新たなご縁を楽しんで待ち望んでいたいと思います。
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■お知らせ■


プライベートセッション休止のお知らせ

 沖縄移転につき、プライベートセッションは、しばらく休止させていただます。


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2018/06/13

他者のいない世界

外側に見えるもの(知覚するもの)はすべて、
それを見ている自分の心(無意識)の中に隠されているものが外側に反映されているだけです。

最近のニュースを見て、そのすべてがまさに自分とは無関係ではないという感覚になります。

誰かを傷つけたかった、神を傷つけたかった、自分を傷つけたかった、、、
その挙句さんざん傷つけられて、傷ついてきたのは、まさにこの自分だと。

パパ、ママ、こめんなさい、ゆるしてください、もうちゃんとしますから、、、
そうやってがんばっても報われずに被害者になり続けてきたのも、この自分。

がんばってゆるしを乞うているそんな自分をゆるせずに、
そんな自分に対して虐待をし続けてきたのも、この自分。

それらをみて、傷ついてきた部分の自分は、ただ理由のない悲しみを感じます。

でも気づくのは、それらを通して自分の中で癒しが起きているということです。

片や一方では、
いまにも戦いが起き兼ねなかった対立した国どうしが、
それまでがまるで嘘だったかのように和解していく、、、
それは、まさにいま自分の心の中で起きているのだとわかります。

平和へと向かうのを見ている自分は、喜びを感じています。

(外側の)世界と自分(の内側)がまるで隔たりがなくなってきているように感じてきていて、
そこにはもはや他者がいません。

そんなふうに自分の知覚が以前とはちがったふうに見えてきている今日この頃です。

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2018/06/11

一旦終止符を打つ

沖縄への引っ越しを前にして、福岡でのセッション活動も今週までとなりました。

いよいよ福岡のセッションルームも今週末(6月15日)で閉鎖となります。
それに伴って、セッション活動もしばらく休止することになります。

福岡を離れるにあたって、
 願わくばセッションの休止まえに、もう一度お会いできればと思った方々もいました。
それでお会いできた方もおられれば、お会いできなかった方もおられます。

だとしても、わたしたちは必要なタイミングで必要な人と出会っているだけです。
すべては神の計画のもとに聖霊の計らいでご縁をいただいているにすぎません。

そのことを受け入れて残りの今週を過ごしたいと思っています。

ちなみに、「セッションを終了する」という言葉の表現でアナウンスをしましたので、
「もうセッションはしないのですか?」というお問い合せを何件かいただきました。

そのことについて正確に申しますと、「休止」というほうが的確なのかもしれません。
ようするに、セッションは続けていくであろうということです。

ただ、私個人的に言えば、ある一つの大きな節目だと感じていまして、
これまで携えてきたものすべてを手放すという意味も込めて
今回の活動拠点の移転を機に「終了」という言葉で表現させていただいたという次第です。

それは、大いなるちから(聖霊)にゆだねる(明け渡す)ということであり、
将来のことや今後のセッションにつきましても、そういうことです。

一般的にいえば、活動拠点をただ福岡から沖縄に移転するだけのことだといえますが、
私自身にとりましては、これまで自ら携えてきたキャリアに一旦終止符を打つ、
というような気持ちでいるということです。

ジーニーで活動していた時期からも含めまして、
この福岡という地を活動拠点にいろいろな方々とご縁をいただきました。
それらのご縁がいま完了のときを迎え、そして新たなご縁がまたはじまっていくのでしょう。

みなさまとのこのご縁に心から感謝するとともに、
残りの福岡での活動を悔いなくまっとうしようと思う次第です。

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2018/06/09

いま知覚しているところから

ノンデュアリティだの、真理だの、いくらわかったつもりでいても、
それがわたしたちの目的とするところではありません。

わたしたちがしていくことは、
真理を邪魔しているものを正視(直視)して、そして「赦し」をしていくだけです。

自分は、まだ分離した意識でこの世界を知覚しています。

自分は、まだこの世界をリアルに捉えています。

自分は、この身体がリアルに自分だと思っています。

自分は、この身体が重要だと思っています。

自分は、まだ他者がいるというふうに知覚しています。

自分は、この自分が生ていると思っています。

自分は、自分で決断できると思っています。

自分でどうにかできる、自分でどうにかしなきゃと思っています。

自分は、まだこの時間と空間の世界の中にいると思っています。


本当はどこへも向かっていないし、時間も空間も幻想でしかないとはいえ、
時間と空間のこの世界を知覚している限り、
やっぱりわたしたちはこの道を前へ歩んでいく必要があります。

その歩みは、いま知覚しているところから、そこからしかはじまりません。
自分の知覚しているものに正直になっていくこと。
赦しの実践は、そこからはじめる必要があるということです。

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2018/06/07

神秘の道

神の願望とはちがう願望を抱いていたならば、
わたしたちが不快な感覚や感情を抱くのは当然のことだといえます。
(「平安へ到達するためのツール」の記事を参照ください)

わたしたちは、それを怖れや苦しみとして知覚します。
その怖れや苦しみにこそ訂正されるためのヒントが隠されていると言えます。

ネガティブな感情や記憶がどんどん浮上してくるのは、すべて赦しのためだということです。

つい、わたしたちは、知覚する外観のほうに惑わされてしまいがちです。
その知覚しているものすべてが神の願望とはちがう願望を抱いた結果として
ただ経験しているにしかすぎません。

ずっと逃げてきた、避けてきた、内側の怖れや苦しみのほうに目を向けてみてください。

そこにあなたがこの世界から解放されるヒントが隠されています。

それは、まさに奇跡の道のはじまりとなるでしょう。

またそれは、神秘力を思い出すきっかけとなるでしょう。

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2018/06/05

「強さ」について

ガイダンスからのメッセージです。
テーマは、「強さ(strength)」について、です。

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強さとは、自分自身に正直であることです。

正直でありなさい。

たとえば、
「嘘をついて生きる」のと「正直に生きる」のとでは、
どちらが力強いか?と言った場合、
それは「正直に生きる」ことのほうに決まっています。

嘘を生きている人は、嘘がバレないようにごまかす必要があり、
そのためにどうしても脆さが生じて、それを取り繕うための防御が必要になるのです。

ある一つの嘘をついたならば、そのことを隠し続けていくために、
辻褄を合わせるためにさらにまたさまざまな嘘をつかねばならなくなります。

嘘とは、真実をこまかすこと。

ようするに、真実をごまかしたとき、防御が必要になるということです。
そして、 それによって脆く弱い存在として生きねばならなくなるということです。

自分に正直になっていきなさい。
自分に正直になっていくだけでいいのです。
ただ自分の心に素直になっていけばいいのです。
それが、赤子のように無垢になる、ということです。

自分自身についての真実を明らさまにしていくのです。

真のあなたとは何者か?
そのことを思い出しなさい。

そうなのです。
あなたは、あなた自身に重大な嘘をついているといえます。
「私は人間である」「私は身体である」というもので、
自分を卑小な存在として偽っているのです。

あなたは、一なるスピリットであり、神聖であり、光であり、神である、、、
という真実をごまかしているということです。

その真実を隠しながらいくら強く生きようとしても、
それは儚く脆いものでしかない、ということは明らかです。

あなたは本当の強さというもの忘れてしまっています。
あなた、強くなる必要はありません。
強くなろうとする必要もありません。
そもそもが脆く弱く卑小な存在とは真反対な存在なのですから。

「強さ」とは、ただ真の自分を偽ることをやめるだけのことなのです。

自分に正直になっていくこと。
それが真の自己を思い出すためにあなたがすべきことなのです。

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2018/06/04

何もする必要はない

この世に生きるわたしたちは、だれもが必ず何かしらを心の拠り所として生きています。
なぜなら、それなしで生きることなどできないからです。

というのも、本来は神に支えられているわけですが、その神を見失ってしまっているゆえ、
その代替となるものを拠り所としようとしているのがわたしたちだということが出来ます。

自分以外のだれかや何かを心の拠り所とすることを、信仰、という言い方をします。
「信頼」という言い方をしてもかまいません。

そういう意味では、人はだれしも何かしら信仰をしていると言うことが出来ます。

たとえ、「自分は無宗教、無信仰」だと思っている人でさえ、
じつのところ、信仰の対象がこの世のものになり変わっているだけで、
信仰しているという点ではなんら変わりないのです。

この私自身、自分の心に正直になるならば、神(の国)を求めているとはいうものの、
まだまだ神(の国)よりもこの世のものを信頼していることに気づかされます。
神よりも「お金」のほうをよほど信頼していることを否定できません。笑

だとしても、そんな自分をジャッジする必要もなければ、
そんな自分を無理やり変えていく必要はないということです。

もっと的確な言い方をすれば、この自分にはジャッジすることなど出来なければ、
自分で自分を変える(訂正する)ことなど出来ないということです。

ガイダンスはこう言います。

いくらあなたが自分(の力)で、この世のものを手放して神だけを信頼しようとしても、
そんなことはあなたには出来ないのです。
なぜなら、それは聖霊の仕事だからです。

逆に、いずれあなたがこの世から自由になっていくとき、
あなたはこの世に信頼をいくら置こうとしても、
あなたはもうこの世のものを信頼することなどできなくなっていることでしょう。

あなたは自分でどうにかする必要はないのです。
聖霊にすべてをやってもらいなさい。
聖霊にすべてを任せなさい。明け渡しなさい。

あなたがすべきことはただそれだけなのです。

この時間と空間の中で、あなたがしていくことはただそれだけでいいのです。

聖霊は、あなたがそのことに気づくときをただ静かにずっと待っています、と。


この道は、そのような道だということが少しづつ腑に落ちてきた今日この頃です。

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2018/06/02

辻褄が合わない

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学んでいくと、
もうその他のスピリチュアリズムにはまったく興味がなくなっていくのがわかります。

なぜなら、コース以外のスピリチュアリティには妥協があるのがわかるからです。
妥協、とは、例外があるということ。

コースの道だけが唯一優れているとはけっして言いませんが、
純粋非二元のスピリチュアリティには妥協がありません。
例外がありません。

二元性のスピリチュアリズムにも、ノンデュアリティのスピリチュアリズムにも、
まるで辻褄が合っていないのがみえます。
妥協しているからこそ、辻褄が合っていないのです。
興味が向かないのも、そういう理由からかもしれません。

辻褄が合わないスピリチュアリティに何の価値があるというのでしょう。

そんなことを想う今日この頃です。

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2018/06/01

これは心の訓練をしていく道である

今日から6月です。
今日の福岡の空は朝から晴れていて、とても心地よい気候です。

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いよいよ今月でこの福岡を離れます。

今は、沖縄引っ越しに向けて所有物の整理をしています。
身の回りの物を少しづつ必要最小限に減らしていっておりまして、
住まいの部屋の中がずいぶんとシンプルな生活空間へと様変わりしていっています。

それはまるで自分の心の中が整理されていっているようでもあります。

ふつうは、所有物が減っていくと失っていくような感覚がしていくものなのですが、
むしろ、ますます心が軽くなっていくような感覚を感じています。

いずれにせよ、わたしたちはいつのときか必ず手ぶらになるのです。
というのも、それこそが本来のわたしたちなのですから。
自我はそうなることを怖れています。
その自我こそが、無(幻影)なのです。

とはいえ、形態(かたち)のレベルで手放していってもそうすることが目的ではありません。
それは、心のレベルでなされるものでなければなりません。

まだ必要とするものを、あえて手放す必要はないということです。
むしろ、それでは「犠牲」とか「あきらめ」というもので自分をごまかすことになります。
そして、聖霊はそうそういうことをわたしたちに望んではいません。
ましてや、聖霊はそのようなことを要求したりはけっしてしません。

ときに、コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)というものを
そのようなもの(すべてをあきらめていくもの)として誤解しがちになったりしますが、
そのようなものとして学びを捉えるなら、それこそが自我の罠として気づかねばなりません。

そうやって、わたしたちはスピリチュアル探究をまるで修行のように捉えてきたのです。
そして、そこには何の救いも見出されなかったという経験をしてきたといえます。

たしかに、この世界にはわたしたちを本当の意味で幸せにしてくれるものは何一つありません。
だからといって、この世界を直ちに放棄しなさいというものでもありません。

真理からすれば、それはいまこの瞬間に、と言えますが、
そうなるにはマインドをトレーニング(心の訓練を)していく必要があるということです。

これは心の訓練をしていく道であるといえます。
それは、プロセスが必要だということです。
せめて時間と空間の中にいるということは、すべきことがあると。
これまでも、そしてこのときも、自我で生きているわたしたちにとって、
体験を通してこの世界を無(価値のないもの)としていく必要があるのだということです。

そのためにこの時間と空間の中にいるこの自分がしていくことは、
ジャッジしていたのを止めて、一歩下がって、
ただ聖霊に導かれて、明け渡して、ゆだねていくことだけなのだといえます。

それを、コースでは「赦し」といいます。


今の私自身のことでいいますと、
目で見える形態(かたち)のレベルでは、引っ越しのためにいろいろ整理していっていますが、
心のレベルでは、一旦、これまでのものを手放して終わる必要があるのだと思っています。

それは、赦しの実践のさらなる段階への移行であり、
今、私は、その準備を整えていっているのだと感じています。

その準備とは、聖霊に明け渡して生きる、という準備です。
その心の準備が整わずして、この世界を放棄する、というのはとうてい無理なことです。

そして今、私は、その実践の段階にきたことを自覚する今日この頃です。

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