2018/09/07

自分に与えられた役割とは

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私は、コース(ACIM/奇跡講座)の学ぶが深まっていくとともに、
自分自身がどんどんと変化していっているのを実感する次第です。

ずいぶんと感覚が変わって来たなと。

神だけが実在するのであり、それ以外は無(幻想)でしかないのだということが
より腑に落ちてきたといいましょうか。

さらにも増して世界がそんなふうにみえはじめています。

自分自身、ホント、変わってきたなと。

ただ、ここではっきりと言えるのは、
その自分がいくら変化したとして、その自分とは自我であり、
その自分がどこまで変化していっても、自我でしかない、ということを忘れてはなりません。

変化するということ自体が幻想の証であり、
変化する「自分」というものは、つまるところ実在しないもの(幻想)だということです。

つまり、変化しているその「自分」とは、自我、であるということ。

一方、変わることなくずっと在り続けているものがあり、
ソレこそが、本当の自分(真の自己)なのだといえます。

ソレは、この世界の影響も受けることもなければ、
ソレは、この世界とは一切関係がありません。

変わることなくこのいまも在り続けているソレだけが、唯一実在するものだと。

私は、ソレを神と呼んだり、実相と呼んだりしています。

そして、ソレ以外はすべて幻想(夢)、つまり、無、でしかないのだということです。

ようするに、実在か?幻想か?ということであって、
ゆえに、変化していると思っているこの「自分」とは、幻想(自我)なのだということです。

そのどちらかでしかなく、その中間みたいなものはないということ。

この自分がソレ(神)になるのではありません。
この自分は、自らの本性を偽っているからこそ自分(自我/偽我)でいられるのですから。

聖霊は、その自我を使って神へと導いてくれています。

つまりは、知覚がいくら聖霊の視点に近づこうと、
分離を知覚しているかぎり、自分がしていくのはただ「赦し」なのだと気づきます。

「赦し」こそが、この自分の役割(機能)であり、
それ以外にこの世界での自分の役割(機能)などないのだと。

ただそれだけなのだと、あらためて強く自覚する今日この頃です。

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