2018/09/11

夢の外側にいる聖霊のところへ

神の子であることを忘れてしまった、ということは、
絶対なる平安の土台を失ってしまったということです。

そういうものがないとなれば、
そりゃあ、この自分でなんとかしなきゃ、自分で自分を護っていかなきゃ、
という想いにかられていまうのは当然のことです。

わたしたちは、それゆえこの世界でそれを体験しているというわけです。

ホントは、いまこの瞬間も、神に愛されその恩寵の中にいるというのに、です。笑

とはいえ、そんなこの世界の夢をみているのは、この自分であり、
もっといえば、そんな夢をみたいと願望したから、その夢をみているのだということ.

自分以外のだれかに強制されて、この世界の夢をみさせられているのではないのです。

夢をみることが出来るのは、夢見る者自身が自分でその夢をみているのだということ。

つまりは、夢(幻想)をみたいと、自らが願望したのだということです。

言葉を換えて言うならば、
神から離れて(神不在の世界をみて)みたい、と願望した結果が、この世界だということ。

さらに言えば、
自分の心の中の一部に「神から分離することなどあり得ない」と知っている自分がいるのに、
その(正しい心の)自分を無視したということです。

とはいえ、どんなに自分に嘘をついても、本当のことを覚えている自分がいます。

その正しい心(の部分の自分)を、コースでは「聖霊」というふうに呼んでいます。

神から離れた、と信じ込んでいるだけ。

そういうことがあり得ると信じ込んだだけ。

そういうことがあり得てほしいと妄想して、そしてその夢をみているだけ。

聖霊は、そのことをわかっていて、
わたしたちのかたわら(夢の外側)で、やさしくそのことを伝えてくれています。
そして、そのことに気づいてくれるのを待っています。

訂正は、聖霊がいるそこ(夢の外側)でしかできないのです。

そう、聖霊のところまでその自らの妄想(幻想)を持っていくことが、
わたしたちのすべきことだということです。

そして、それが「赦し」というものだといえます。

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