2018/09/14

聖霊とともに戦場の上から眺める

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不動の心。

それは、この世のものに一切揺るがされることのない心のことをいいます。

真理探究の道を歩みはじめた当初は、
「不動の心」というとき、弱い心を克服したり鍛錬していくことで、
心が強くなっていってそうなるものだと思い込んでたなぁって気づきます。

でも、そういうことじゃなかったんだって、今ではわかります。

心を強くしていくようなものでななくて、そういうこととは一切関係がないんだってこと。

変化する自分(動揺する自分)とはまったく別に、
変わることなくただ在り続けている本当の自分がいるのだということ。

たとえ、この自分は心揺るがされて影響を受けたとしても、
その自分(だと想っている自分)こそが本当は実在なんかしていなくて、
真の自己(神)は一切影響を受けていないのだということ。

そして、そっちが本当の自分だってことを思い出すだけでいいのだということです。

ようするに、心動かされてる自分は、「本当の自分」じゃないのだから、
つまり、その自分(自我)をどうのこうのしようとする必要はないってことです。

むしろ、その自分を変えよう(より良き自分になろう)とすること自体が、
自我の幻想(トリック)に付き合っているということであり、
それによって自我をリアルに(実在するものと)してしまっているということです。

そう、自分の内には、その真実を知っている聖霊がいます。

聖霊とは、神の記憶を覚えている「正しい心」の部分だといえます。

自我に気づいていくこと、そして聖霊と共にその自我を直視していくこと。
それが、わたしたちがしていくことだといえます。

コース(ACIM/奇跡講座)の中のイエスはこう言います。

赦しは、静かにじっとしていて、何もしない。
、、、ただ見て、待つのみであり、判断はしない。
ー「ワークブック 赦しとはなにか」よりー

あらためてこのことばが深く腑に落ちます。

そして、ワプニック博士のこのことばにも頷かされます。

「赦しが何をするかと言えば、この「戦場を超えたところ」に戻ってくるだけで、、、
あとは何もしないのです。
なぜなら、存在してもいないものについて為すべきことなど何もないからです。」

不動の心とは?
そして、赦しとはなにか?

今になって、そのことがよーくよくわかる今日この頃です。



http://www.jacim.com/jcm/?p=3495