2018/10/13

特別な教師

このスピリチュアル・ジャーニー(霊性の道)において、

もうこの今となっては、自分の外側に教師は必要ないと感じています。


そんなふうに感じる今だからこそ思うのですが、

(矛盾した言い方になりますが、)

自分の外側に教師を必要としなくなるまでは、やっぱり教師は必要である、

ということは否定できません。


なので、自分の外側に教師を求めるなかれ、とはけっして言えないどころか、

自分にとって必要な教師は必要なときに与えられているわけで、

教師を求めることについて、それはそれでいいのだと思ったりします。


これまでもそうだったように、これからも次から次へと

いろいろなスピリチュアル・ティーチャーやノンデュアリティ・ティーチャー、

ACIMティーチャーといった教師たちがこの幻想世界に登場してくるのだと思います。


ただ、この自分は、もう自分の外側に教師を必要しなくなった、というそれだけのことです。


もっと正確な言い方をするなら、

「この自分は、この幻想世界に特定の(特別な)教師を作り出す必要がなくなった」

と言い換えることができます。


それは、「もう教師は必要ない」と言いながらも、

出会う人(兄弟)だれもがこの自分にとっての教師であるとも言い換えられます。


教師とは、どこにでもだれでもがそうだと。


そこにはたった一人の教師(聖霊)がいるのであり、

そしてたった一人の教師で十分なのだということを深く理解する次第です。


この自分にとって、この残りの旅路は、

兄弟たちと出会って関わっていくということ自体が、そのようなものになっていくのでしょう。


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