2018/10/16

コース(ACIM)じゃなくてもいいじゃん

一年前の自分と言えば、
デイビッド・ホフマイスターカースティンそしてフランシスといった彼らのサイトや動画で、
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学んでいたわけですが、
やっぱりその当時の自分にとってはそのような教師が必要だったのだといえます。

そして今、あらためて想うのは、(それは当時としては当然のことなのですが、)
彼らを教師として特別な存在として見ていた、ということに気づかされます。

というのも、最近、彼らの動画を見ていて気づいたのが、
もう彼らをそのようには(教師としては)見ていない自分に気づかされるのです。

今となっては、教師というよりも同じ道を歩む近しい仲間に思えてきます。
自分と何ら変わらない同じ存在として見えてくるとともに、
より身近な兄弟として見えてくるのでした。
(とくに、フランシスに関してはより親近感を覚えて、
ひょっとしたら近いうちに会うことになっているのかな!?とさえ感じられます、笑)

以前は、彼らのことを自分よりもずっと前を歩いている教師だと思っていたわけですが、
そういうことではないのだと深く理解するのです。
そんなことは関係なくその本質は同じなのだと。

と同時に、そのまた逆も言えまして、
コースを学びはじめたばかりで、自分よりも後を歩んでいると思える兄弟たちに対しても、
自分と同じなのだ、と見えてきているということです。
彼らもこの自分と同じであり、その本質はキリストでしかないのだと気づくのです。

さらにもっと言うと、
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)を学んでいようがいまいが、
スピリチュアルであろうがなかろうが、どんな兄弟であろうが、
そういったことはホントは関係ないのだ、同じなのだ、と思えてきているのを自覚します。

コースじゃなくてもいいじゃん、って。笑

この自分は、コース学習者としてその実践をしていくだけなのですが、
むしろ、コースへのこだわりがなくなっていっている気がするのです。

コースって、不思議なものです。

コースを深く学べば学ぶほど、コースへのこだわりがなくなっていくのですから。笑

自分の外側に教師を必要としなくなった今、
聖霊だけを教師とするとはこういうことなのか、と気づく次第です。

それは、この自分の学びが進んている証拠だと捉えていいのだと思います。

それでも、この自分はこれからもただひたすら赦しをしていくことに変わりはありません。

そういうことでいえば、コース学習者の一人としてこれからも学びを進めていくだけですが、
そんなこの道の歩みにおいてどんな兄弟たちと出会って関わっていくのか?
(所詮、形態レベルのことではありますが、)ちょっとだけワクワクする今日この頃です。

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