2018/11/30

<告知>「2018.12 ACIMリトリート in 沖縄」参加者募集のお知らせ

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来たる12月17日(月)~19日(水)の日程で、
もりGさん、香港さん空禾さんを招き入れたACIM学習者の仲間たちで、
沖縄・Palm Church(糸満市)にて、3daysのACIMリトリートをすることになりました。

ぜひ一緒にリトリートしたい、参加したいという方は、
OACIM(オアシム)事務局までメールにてご連絡ください。

ちなみに、遠方からお越しの方は、
近隣の宿泊施設(COZYステイin糸満Mr.KINJO in SHIOZAKIなど)をご利用ください。

なお、3日間の参加は難しいという方でも、
 一日参加、半日参加、といった部分参加も可能ですので、遠慮なくお申し出ください。

以下が、「3days ACIMリトリート」の詳細です。

ご参加お待ちしております。

・・・・・・・・・・・・

【2018.12 3days ACIMリトリート in 沖縄】
日程:2018年12月17日(月)~19日(水)
会場:Palm Church(沖縄県糸満市)
   Palm Churchへの交通アクセスはこちら
内容:ACIM勉強会、ワーク、ACIMトーク、シェアなど
参加費:18,000円
参加者対象:コース(ACIM)を学んでいる方ならどなたでも

タイムスケジュール:
・一日目(17日)13時半開場、14時~17時
・二日目(18日)9時半開場、10時~13時、14時~17時
・三日目(19日)9時半開場、10時~12時、12時半リトリート終了

お申込み・お問合せ:
参加希望の方は、下記の必要事項を明記の上、OACIM事務局までメールください。

<必要事項>
①お名前(フルネーム、フリガナ)
②性別
③住所(都道府県ならびに市町村まで)
④携帯番号(当日連絡が取れる連絡先)
⑤ACIM学習歴やコースの進み具合などをご明記ください

 メールアドレス:okinawaacim@gmail.com   (OACIM事務局 森川ゆき)

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2018/11/29

兄弟姉妹について

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今の私の暮らしをみると、あまり人と関わることがないなと気づきます。

せいぜい人と関わるとすれば、
そのすべての人がコース学習者の方という状況であることに気づかされます。

あえて自ら望んでそうなったのではなく、
気づけば、いつの間にかそうなっていたということです。笑

で、そんな私(もりG)が言うのものなんですが、
コース(ACIM/奇跡講座)は自学自習の霊性の道ではあるものの、
コースというものは、人と関りながら、兄弟と関りながら実践していくものであると、
もっといえば、兄弟と関わることなしにこの道の歩みはあり得ないとあらためて思うのです。

やっぱり、兄弟の存在は欠かせないということです。

コースは、人から離れて、人と関わらないで、自己の内側へ向かっていくような
そういう道じゃないってことです。

聖霊の視点から兄弟をみていく。
兄弟を通して、赦しはなされる。

今の私にとって、兄弟姉妹とは、そういう存在です。

この世界を、この人生を、赦しのレッスンのための「教室」とするとき、
この自分と出会っていく彼らが聖霊の使者というふうにみえきます。

私は、兄弟との出会いも決まっているのだと思っています。

必要な時に、必要な兄弟姉妹と出会っていくだけなのだろうと思っているので、
それは、この自分がどうのこうのするものではないと思うわけです。

コースの「教師のためのマニュアル」では、
すべてが神聖なる出会いである、という言い方をします。

そこには偶発的な出会いなど一切ないということです。

兄弟姉妹について、ますますそんなふうに思える今日この頃です。

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2018/11/28

<告知> 12/9 ACIMウェブシェア会のお知らせ

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昨年の12月に「第1回 ACIMウェブシェア会」を開催してから丸一年を迎えました。
気づけば、こんどの12月9日の「ACIMウェブシェア会」で第15回になるんですね。

はじめた当初はままならなかったこのウェブシェア会ですが、
参加してくださる皆さんのおかげでといいましょうか、
参加してくださった兄弟みんなで歩んできた会だと感じています。

ご参加くださったみなさまに心から感謝します。
そして、これからも共に歩んでいけたらうれしいかぎりです。

それで、このたび、ご報告です。
今回(第15回)から新たに香港さんをレギュラーメンバーとして招き入れて、
「ACIMウェブシェア会」を開催していくこととなりました。

シフトチェンジした 新たな「ACIMウェブシェア会」を乞うご期待!です。

ということで、
みなさまとウェブシェア会でお会いできるのを楽しみにしております。


【12/9 もりGさん香港さんといっしょ! 第15回 ACIMウェブシェア会】
 ■日時: 2018年12月9日(日) 10:00~ (90分~120分程度)
 ■開催形態: スカイプ(原則的にビデオ通話)にて行います。
 ■参加費: 無料
 ■参加対象者:ACIMを学んでいる方、これから学ぼうと思っている方
 ■お申込み・お問合せ:詳細は、主催者(空禾さん)のブログ記事をご覧ください。

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2018/11/27

怖れを悟る

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この世界にいるわたしたちは、本当のところ神を怖れています。

神に罰せられるのを怖れていると言ってもいいと思います。

わたしたちがこの世界にいるということは、
つまりは、それを怖れて、隠れていたいからだと言っても過言ではありません。

それでもって、わたしたち(探究者たち)は神のもとへ帰ろうと試みているということです。

その自己矛盾に気づくことなく、神のもとへ帰ろうとしているのですから、
そりゃ無理でしょ、ということです。

ゆえに、そのことを自覚することは、なによりも重要なことだといえます。

つまるところ、もっとも重要なその部分を自覚することなくして、
はたして神のもとに帰ることがあり得るのでしょうか?ということです。

もし、そうだとしたなら、わたしたちはもうとっくに神のもとへ帰っているはずです。

そして、そうではないからこそ、
わたしたちは、コース(ACIM/奇跡講座)を学んでいるということができます。

そう、わたしたちは、本当のところ神を怖れている、ということ。

神を怖れている、それだけではありません。
もっといえば、神のもとへは絶対に帰りたくない!帰らない!と決めている自分がいるのです。

そんな自分がいるからこそ、その自分を直視して(取り消して)いくために、
だからこそ、コースを学ぶ必要があるのであり、そして学んでいるのだと言うことができます。

コースを学んでいくならば、神への怖れは誤った決断によるものだということがわかりますし、
コースには、その怖れとどう向き合っていけばいいのか、が示されています。

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神を怖れているということがピンと来ないならば、
わたしたちは、自分(自我)が消滅してしまうことを怖れています、
と、言い換えるとしっくりくるかもしれません。

自分だと想っているこの(偽りの)<わたし>が消えるのですから、
そりゃ、怖くないわけがありません。

「時間と空間の中で、この身体が自分である」と知覚しているうちは、
そのことに正直にならねばなりません。

自分は怖れているのだということに正直になるということ。

この世界は、その怖れを隠す(紛らわす)ためにあるのだということ。

その怖れはどこから来ているのか?というなら、
じつのところ、自分は(神から分離して)怖れていたいと決めたのだということです。

自分が誤った決断をしたがゆえの幻想だとわかるならば、
怖れる対象がなくなってしまうわけで、この世界がその意味をなくすことになります。

わたしたちは、じつは、それを一番怖れているのです。

怖れとは、ただたんに真実を誤って知覚しているだけのことだということ。
そして、わざとそのように誤った知覚をするように自分で決めているのだということ。

もし、怖れが湧き起こってきたなら、どうぞそのことを思い出してください。

もう逃げない、もう騙されない、自分を欺く幻想ゲームはもうウンザリだと。

そして、聖霊とともにその怖れを直視してみてください。

聖霊とともに直視していくならば、
それは、平安を選んだということであり、平安からみることができます。

それが赦しであり、
それなしで、怖れから自由になる(解き放たれる)こともあり得ないということです。

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2018/11/24

「選択」について

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先日の記事「自らが願望したのだ」のつづきになってしまいますが、
「選択し直す」「決断し直す」ということについて、
さらにもう一歩踏み込んで書いてみたいと思います。

コース(ACIM/奇跡講座)の中にも、
選び直す、決断し直す、といったことばがたしかに書かれてあります。

これはあくまでも私自身が赦しを実践しながら感じていることなのですが、
本当のところ、この自分には選択などできないのだということに気づかされます。

選択できない、というよりも、じつは、選択すらもあり得ないのだと。

正しい心(聖霊)は、そのことを知っています。
「自分は誤った心(自我)を選択をしたつもりでも、本当は、選択すらしてないんだよ!」
って。笑

神から分離するという選択などあり得なかったのだということです。

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ならば、選択し直すとはどういうこと?

ということになりますが、
だからこそ、わたしたちは聖霊を必要とし、聖霊に明け渡せねばならないといえます。

「この自分が誤っていました」と認めることで、
その真実を知っている聖霊に自分の誤りを訂正してもらうのです。

自分は、選択し直すどころか、選択すらしていなかったのだ、ということです。

「聖霊よ。(わたしの中の正しい心よ。)
わたしは誤っていました。
わたしは神から離れるという選択ができるのだと信じ込んでいました。
わたしには選択などできるわけでもなく、
選択した(と信じていた)ことそれそのものがなかったのだと、訂正してください。
そして、このいまも神と一つであり、神の子であることを思い出させてください。」と。

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つまり、この自分は選択などできないということになるわけですが、
それがどういうことを意味するのかというと、
自分は、この人生でもそのような生き方になっていくということです。

選択することすら、自分がしているのではないというふうに、です。

それを、悟りや非二元のスピリチュアリティのことばで言うなら、
ただ起きることが起こっている、、、という言い方になるでしょうか。

コース(ACIM/奇跡講座)的に言えば、
この自分すらも、聖霊にただ動かされているだけ、、、ということです。

起きるままに、起こるがままに、
なすがままに、なるがままに、
ありのままに、あるがままに、、、

それは、形態レベルにかぎったことではなく、
自分の内側に湧き起って来る思考や感情においてもそうだということです。

ようやく、そのことが腑に落ちてきて、その実践がはじまったという感じです。

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2018/11/22

自らが願望したのだ

本当は神の子でありながらその真実をひた隠しにして、
あたかも卑小で脆弱な存在として自分自身を欺いている。

それが、わたしたちです。

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ようするに、わたしたちは、
自らが自分自身を騙して、そして騙されて、ということをしている状態なわけです。

そして、うまく騙し切るために、騙され続けていくために、
あたかもそのことが本当であるかのように信じ込ませるために、
いくつもの証拠を並べ立てたのがこの世界です。

そのために幻想の世界を作り出したのであり、
その世界こそ、今わたしたちが認識しているこの時間と空間の世界だということです。

そういうことをわかっていながらも、
このいまも自分は、やっぱり騙され続けることを選択しているといえます。

というのも、自分は、この世界が実在している(リアルだ)と知覚していますし、
その世界の中でこの肉体、この身体として自分は生きていると信じ切っているからです。

自分は、この世界のあらゆるものを駆使して妄想(幻想)をでっち上げているわけですが、
もっとも気づかれたくない大きな自己欺瞞があることを見落としてはいけません。

むしろ、それこそが肝心かなめのところであり、
それをひた隠しにすることでこの幻想世界の夢を見続けている、
と言っても過言ではありません。

そうなんです。
そのもっとも自分自身に秘密にしておきたいこと、もっとも隠しておきたいこととは、
騙されることを自らが願望した(選択した/決断した)のだということです。

ようするに、あえて「騙されてみたい!」と望んだ、
つまり、自らが自発的に騙されにいったのだ、ということです。

コース(ACIM/奇跡講座)では、それを「誤った願望」という言い方で表現しています。

そのことをしっかりと自覚するならば、もしくは、そのことを全面的に認めるならば、
それを自覚した(認めた)自分は、自らのパワー(決断の力)を取り戻したことになります。

なんだぁ、自分であえて自我を選択(願望)したんだぁ!って。

ならば自分で選択し直すことができるじゃん、ってことです。

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選択し直す。決断し直す。

それは、その心の場所(決断の主体)でしか、選択(決断)し直すことはできないということ。

つまり、その肝心なことを自覚した心、認めた心からならば、それができるということです。

自らが誤った願望を抱いたのだということ、
そして、その願望を妄想することをあえて選択したのだということです。
(しかも、そうしたことを自らあえて忘れたのです!!)

そこが、この世界から目覚めていく転換点(ターニングポイント)になると、
コースの中のイエスは言います。

自分で妄想(幻想)を見たい(体験したい)と望んで、
そして、その妄想の目的のために作られたこの世界(夢)を体験しているのだということです。

以上のことをふまえて、コースの赦しを実践していくならば、
赦しは、もっともっとシンプルなものになっていくことでしょう。

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2018/11/21

神の子から自我に陥ったプロセスを自覚する

自分は、なぜここにいるのか?
どこから来て、どこに行こうとしているのか?

この世界は、どのようにして作られたのか?
なんのためにこの世界は存在するのか?

自分とは何なのか?
この世界が幻想とはどういうことなのか?

そういった人生における根本的命題に答えを求めている方々にとって、
おススメなのが、この小冊子『思考の逆転』です。⇩

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思考の逆転』加藤三代子(著)/JACIM Books

そもそもは一なる神(の子)であったはずなのに、
いったいどのようにしてこの分離の世界を作り出し、
そして、どのようにして自分はこの世界にいるようになったのか?

そのプロセスがこの『思考の逆転』の小冊子の中で神話として表現されています。

この小冊子は、
神のもとに帰ろうとする人にとって、
真理を思い出そうとする人にとって、
わが家に帰ろうとする人にとって、
わが家に帰るための手段である「赦し」について、
ケネス・ワプニック博士の解説するコース(ACIM/奇跡講座)の形而上学に基づいて、
わかりやすく説明されたものであるということができます。

どのようにして自分はわが家を離れたのか?
そして、どのようにしてわが家(への帰り道)を見失ってしまったのか?

そのプロセス(過程)を自覚することなく、
わが家へ帰り着くということは、絶対にあり得ないということです。

むしろ、二元性の世界に陥っていってしまったその一つ一つのプロセスを自覚していくならば、
わたしたちは確実にわが家へ帰れるのだということです。

もっといえば、
わが家に帰るには、そのプロセスの逆を辿っていくほかに道はないということです。

まずは、二元性であるこの世界に陥ってしまったそのプロセスをしっかりと理解すること。
その理解によって、そのプロセスを逆に遡っていくことが可能になるのだということ。

その理解から、わが家へ帰るための実践的な(心の)訓練がはじまるのであり、
その理解なしに訓練(赦しの実践)などあり得ないのだということです。

ただ、この小冊子には、その我が家への帰り方(実践方法)も、
「赦し」ということばを使って(3つの赦しのステップとして)書かれてありますが、
たぶん、この二元性世界(自我)の思考システムに馴染んできたわたしたちにとっては、
なかなか難解なものに捉えられてしまいがちだと思います。

ですので、そういった方々に向けて、
神の子から自我に陥ったそのプロセス(過程)をしっかりと理解するというコンセプトで、
来たる12月2日(日)に1Dayオンライン講座を開催することにしました。

そこでは小冊子『思考の逆転』を参考資料に、
実際に、第1分裂~第4分裂のプロセスを逆に遡っていく具体的な(赦しの)やり方も、
心理学の視点から説明を加えてお伝えするつもりでいます。

それによって(真の)赦しというものがどういうものか?がわかってきますし、
それに加えて、テキストやワークブックに書かれてあることが、
自分で読んでも、もっともっと理解できるようになるでしょう。


12/2(日)の1Dayオンライン講座の詳細につきましては、下記の記事をご覧ください。

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2018/11/19

香港さんといっしょにパームチャーチにて

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きのうは、香港さんも交えて、パームチャーチにて「沖縄ACIM勉強会」を開催しました。

ちなみに、香港さんを知ったのは、今年の8月頃だったか、9月頃だったか、
コースを一緒に学んでいる方から「こんな人がいるよ」と教えてもらったのがきっかけでした。

実際に彼のブログを読んでみたら、とても興味深かったといいましょうか、
心のプロセスにおいてまるでこの自分とシンクロ(同調)している気がしたといいましょうか、
彼の書く記事を読むたびにインスピレーションがもたらされる感覚があって、
それから私も香港さんのブログ「香港さんといっしょ!」を愛読するようになったのでした。

その2、3か月後には、こうしてここ沖縄パームチャーチに香港さんがいらして、
沖縄ACIM勉強会で一緒に学んでいることが、しかもそれが当たり前のような感じがして、
なんだか不思議な感覚でした。

勉強会の前日は、私(もりG)としても珍しいのですが、
香港さんとカミさん(妻)と3人でビールとワインで、いろいろと語り合っていたら、
気づけば深夜2時になっていたほどでした。

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きのうの沖縄ACIM勉強会では、
香港さん以外にも、今年の3月にお会いした以来だったKさんのご参加があり、
そのお二方にそれぞれの体験をシェアしていただいて、
コースの形而上学の深いところのお話が聞けたりなんかして、
なかなかの内容の濃いACIM勉強会で、私自身にも学びがあり本当に楽しいひとときでした。
それは、まるで神の教師たちの勉強会のようにも思えました。

そして、こういうのをもっともっと欲している自分にも気づきました。

そう、私が想ったのは、
兄弟たちと接していくというのは、やっぱり、この自分にとっても大きな学びがあるなぁって。

というのも、今年7月に沖縄に引っ越して来てからというもの、
ここ数カ月のあいだ、この私の暮らしというものは、まるで隠居のような状態で、(笑)
あまり兄弟と接することの少ない日々を過ごしていたわけで、
そんな暮らしの中でいくらコース漬けの日々といったところで、
やっぱりそれだけではなかなか学びは進まないなと気づくのです。

むしろ、コースはそういうものではないと。(そういう時期が必要なときもありますが)

コースというものは、兄弟との関りの中で、兄弟を通して学んでいく道だと思うのです。

兄弟なしでは、やっぱりこの道はあり得ないと、そんなことに気づくのです。

もっともっと学びを進めていきたい、、、
そういうことであれば、もっともっと多くの兄弟たちに出会っていきたい、、、
という欲望(願望)が自分の内側から静かに湧き起って来るのでした。

ご縁ある兄弟たちへ。
これから出会うであろう兄弟たちへ。
わたしであるあなたへ。
このパームチャーチでお会いできるときを楽しみしています。
ぜひ、このパームチャーチにお越しいただけたらと思います。

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2018/11/17

自我からの出発

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先日の記事でも申しましたように、
「コース(ACIM)を学んでいる自分は、自我である」ということを知っておくことは、
コースを学んでいく上でとても大事かなと思います。

コースを学んでいる自分は自我であるということは、
その自分は幻想(夢の中の登場人物)でしかない、実在していない、ということです。

それがなにを意味するかと言いますと、
コースを学んでいるこの自分が目覚める(神に帰る)のではないということです。

この夢から目覚めるのは、夢をみている真の自己(神の子)が目覚めるのだということ。

そう、自我である自分をいくらより良い自分へと高めていっても、
その自我は実在しているわけでもなければ、けっして神にもなり得ないということ。

つまりは、この自分をより良い自分へと高めていくようなものではないということです。

崇高な自分へと高めることをしていったとしても、
まったくの無意味、無価値、無駄なことだと言うことができます。

 むしろ、コース(ACIM/奇跡講座)は、
その自我に気づいて、そして赦していく道であると言えます。

だからこそ、それまで自分だと信じていたアイデンティティーを
聖霊(正しい心)へと明け渡していくということなのです。

自分(自我)をより良き自分へと自分で変えようとする必要がないということ。

裁くことなく、咎めることなく、ただ聖霊とともに眺めていく。
そして、聖霊に明け渡していくだけでいいのだということ。

真理を求める者にとっては、
つい、自分は変わらなきゃ、自分を高めていかなきゃ、とやってしまいがちです。

この自分が目覚める、この自分が神になると勘違いしてしまいがちです。
そこがわたしたちが一番陥りやすいところだといえます。

実際のところ、わたしたちは、
まだこの自分が実在していると思っていますし、この世界が実在していると信じ込んでいます。

コースを学んでいるこの自分こそ、自我であり、ホントはこの自分なんて実在していないのだ、
この自分は幻想(夢の中の登場人物)にしかすぎないのだ、
ということが、学べば学ぶほど腑に落ちていく、、、

コース(ACIM/奇跡講座)とは、そういう道だったのだと今の私は実感している次第です。

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2018/11/16

まったく別の考え方の道

IMG_2739.jpg先日、関根勤さんとカンニング竹山さんがロケをしているところに遭遇しました

(ちなみに、おとといは、近所の海岸を散歩しているときに野性爆弾くっきーさんとガリットチュウ福島さんにも遭遇しました、笑)



前回の記事で「洗脳」という言葉が出てきたのですが、

そのことについてもう少し書いてみたいと思います。


たしかに、普通一般的にいえば、

「洗脳」という言葉はあまり好ましくない言葉として捉えがちです。


ただ、そこに良い、良くないといった価値判断をなくして、

先入観をなくしたところからありのままにみるならば、

たしかに、コース(ACIM/奇跡講座)は、

ある一つの考え方(思考体系)であると捉えることができます。



それは、「これまでの(従来の)考え方とはまったく別の考え方である」ということ。


つまり、そのまったく別の考え方(思考体系)を示したものが、

コース(ACIM/奇跡講座)だということです。


コースのその考え方(思考体系)へとシフトしていくならば、

これまで自分がみていたのは、まったくあべこべにみていたのだなぁ、

ということがわかってきます。


そうなんです。

コースは、これまでとは別の考え方をしていくようにカリキュラムされた道だといえます。

そのカリキュラムに沿って自分で自分自身を洗脳させていく道なのだと捉えることができます。

まさに洗脳なのです。笑


しかも、それは、悟り、真理、非二元の知覚へと導いてくれるものであり、

「幸福になりますよ」というようなものではない究極の洗脳の道だといえると思います。


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ちなみに、「洗脳」について、

今日の午前中、パームチャーチにて沖縄のACIMの仲間たちと勉強会をしたのですが、

そこでもその話題になり、もりGのブログを愛読していただいているみっちゃんが、

洗脳についてこのようにコメントされたのでした。


「洗脳(せんのう)という漢字は、脳を洗う、と書くのだから、

コースを学ぶことは、やっぱり”洗脳””ですよね。

脳を染めていく(染脳/せんのう)のではなくて、脳を洗っていくわけですから」


そんなコメントをしていただき、なるほどぉ、と思わず納得してしまいました。

その通りだと思います。


別の考え方があるはず。別の道があるはず。


コースというものは、そもそもがそこを原点として口述されたものであります。


コースの中にも書かれてありますように、

自らの考え(思考)を疑うことから、その道ははじまります。

むしろ、自分の考え方が正しいと思っているあいだは、その道を歩みだすことは出来ません。


自分はどうやったら幸せになれるのか?自分にはわからないのだということを認めて、

これまでとはまったく別の考え方をしていきたいと望むことからそれははじまります。


それは、これまで自分が学んできたものを、自分自身に教え込んできたものを、

誤って自分自身に洗脳してきたものを聖霊に明け渡していく道なのだということ。


そして、その具体的な道が、コース(ACIM/奇跡講座)には示されているということです。


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