2016/08/10

非二元と悟り

非二元や悟りといったものについて、

最近は、多くの方々によってさまざまなことばで発信されるようになってきています。


正直に申しますと、一時期、私は、そういったものを目にすると、

なんともいいようのない違和感のようなものを感じてなりませんでした。

でも、最近では、それぞれにそれぞれのスピリチュアルの探究の道あり、

その人にはその人の表現があるのだとそう思えてきています。


たしかに、非二元、悟りとは何か?について知識として知ることは大事だといえます。

なぜなら、かつての私も、たくさんの本を読んではその知識を学んできたからです。

そして、その体験をしたとき、それらの知識が役に立ったからです。

ただ、体験的に学ぶまでは、私はそれらの知識によって頭ばっかりで生きていたのも事実です。

現実がともなわっていない、地に足がついていないスピリチュアリズムといいましょうか、

苦しみを感じているのに、それと向き合おうとしないで、

そういった本を読んでは、そういう知識やことばで一時的に癒されたような気持ちになって、

自分の感じている感覚、感情をごまかしていた、紛らわせていたようにも思うのです。


そういう経験をしてきたがゆえ、非二元、悟りとは何か?について知識で知ることよりも、

自分の内面(ハート)で感じていることに敏感になって感じていくことの方が、

より大事だということを身に染みて思うわけです。

とはいえ、それは私のプロセスにおいての経験であるゆえ、

非二元や悟りといった言葉としての知識を必要とすることもそれもそれでいいのだと思います。


結局は、私はその自分の経験を活かして、

私なりのことばで発信をしていけばいいのことです。


私は、正直、非二元だとか、悟りだとか、そういうものにもうウンザリしています。

むしろ、そういったものを私は手放したいと思っています。


非二元や悟りというものが、

自分のアイデンティティ(自我)を支えている可能性があるということです。

だとしたなら、そんなものは要らないということです。


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