2016/09/08

天国と地獄

人は死んだ後どこへゆくのか?


小さい頃の私は、心がきれいな人は天国へ、そして、心が汚れた人は地獄に行くのだと、

そう教えられていました。

そして、そう信じていたときの自分は、

あぁ、自分はきっと地獄に行くんだろうなって想っていたの覚えています。

自分は汚れた心の持ち主だというふうに想っていたのです。

(キリスト教的に言えば、それを罪意識と呼ぶのでしょう。)


自分の中に「心」というものを自覚しはじめた頃のことも覚えています。

(それが自我意識のはじまりだと言えます。)

そのときの私にとって、人には口に出しては言えないことを、

心の中だけで想うことが出来るようになったことが大発見でした。

自分が何を考えているのか?

だれにも口に出して言わなければバレない、と気づいた私は、

あれこれ人には言えないようなことを考えはじめたのでした。

そうやって「こんなことを考えている自分の心は人にはみせられない汚らわしいもの」

と思うようなったのです。

ゆえに、そんな自分が死んだ後は、それが閻魔様(閻魔大王)に見抜かれて裁かれて、

きっと地獄に送られるのだと、そう思っていました。


そんな私は、自分と比べて鳥や犬といった生き物たちは心に汚れがなくていいなぁと

うらやましくも思ったものです。

彼らは、この自分みたいによこしまなことを考えたりしないから、いいなって。

何も考えずに生きている彼らの心はなんて無垢なのだろうと。

だから、彼らは裁かれることはないのだろうなと思ったものです。


それから私は成長して大人になっていくうちに、

天国や地獄といったものは、自分の心にあるのだということを直感的に理解しました。

あの世に閻魔様(閻魔大王)なんていないのだ、と。

結局、閻魔大王とは自分であって、自分を裁くのはこの自分自身なのだと。


そしてあるとき、私は、真我が開く内的体験によって、

自分の本当の心は純粋で美しいものだということも悟り(知り)ました。

そう、だれもの心の中のずっと奥には純粋で美しくて素晴らしいものが隠されていて、

そのことをみんな忘れているだけなのだということを知ったのです。


わたしたちは、自分の見たい世界を見ています。

みんなが自分の見たい世界で個人的な現実をそれぞれ体験しているのが、この世界です。

ちなみに、「個人的な現実」という言い方をしますが、

真実はそういったものはなく、本当はすべてはただ一つの心が経験しているだけです。

この肉体を離れた後、時間を超えたところから自分の生きてきた人生を顧みたとき、

すべての真実を悟ることになるのだと思います。


すべては自分だったと。

そして、この世界を作りだしていたのも自分だったと。


裁くのも自分です。 それによって裁かれるのも自分です。


自分を裁くことのないように。

自分を責めることがないように。

自分のみている世界に登場する人たち、そして起こる現実のすべてをゆるせるように。

ちょうど植物や動物をみるように、裁きのない純粋な心で目の前のすべてをみてくこと。


ゆるしていくのは自分です。

それによってゆるされるのも自分です。


天国は、そんなふうにすべてをゆるした純粋なる心に開かれるのだと思うのです。


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