2019/02/18

忘却のベールを超えて「心」に戻る

「赦しの3つのステップ」の第2ステップの部分における実践プロセスついて、

私なりにざっとですが書いてみたいと思います。


あくまでも。それは『思考の逆転』(加藤三代子著)の理論に則って、

私がしている赦しの実践のやり方であり、

個人セッションにおいてもコース(ACIM)学習者の方には、下記のプロセスで、

心に戻って、原因へと遡って、<決断の主体>へと戻っていくことをしています。


興味のある方は、どうぞご覧ください。


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まず、不快な感情を感じるとき、ネガティブな感情を感じるとき、

そのときこそが赦しの実践のチャンスだと言うことが出来ます。


その不快な感覚、ネガティブな感情がなければ、赦しができないからです。

(そうでなければ、そもそもが赦しの必要性にかられることがありません)


赦しは、その不快な感覚、ネガティブな感情へと入っていって

原因のレベル(心のレベル)へと戻っていくことが求められます。


いわゆる、忘却のベールを超えて「心に戻る」ということをしていくわけです。


わたしたちは、この世界を知覚していること自体が、

すでに「心から出てしまっている」といえます。

(ちなみに、ここでいう「心」は、自覚していない心のことで、

ふだんわたしたちが想っている心とはちがうレベルのものです)


「心に戻る」とは、

不快な感覚、ネガティブな感覚を感じるその原因がこの世界にあるのではなく、

自分の心の中にもともとあったものである、という認識のもとに、

内側の感覚の中に入っていくことを言います。


内側に入っていくならば、そこにはさまざまな思考や記憶、

あるいは、その記憶に付随する感情、さらには、自分で決め込んだ信念など、

いろいろな想念が浮かんできますが、

そのすべてが、罪(罪悪感)の想念がいろいろなかたちに現れたものだと言うことができます。


そして、そういった想念こそが、

神の愛を押しのけている障壁(愛を阻む障壁)だと言うことができます。


「あなたの為すべきことは、愛を探し求めることではなく、ただ自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことだけである。」

ー『奇跡講座』テキスト16章 IV.6:1 よりー


ゆえに、わたしたちは、内側の感覚に注意深くなっていく必要があります。

しかも、それは、「聖霊と共に」というのがポイントです。

なぜなら、咎めずにみる、ということが重要だからです。

(裁いたり咎めたりするなら、それらを実在させることに加担することになるからです)


なにを想っているのか?

どう感じているのか?

どんな感じがするのか?

どんな想いがするのか?


どんな想い(感情、想念、記憶、信念、願望)が隠れているのか?


それらを一つ一つ聖霊と共に明らかにしていくということです。


わたしたちの内側で感じるその感覚を頼りに、

心の中の原因のレベルへと立ち戻っていく(辿っていく)ということです。


幻想(自我)を直視する、とは、そういうことだと言うことができます。


そのプロセスにおいて、癒しが起きるとともにさまざまな気づきや洞察、

心眼(ヴィジョン)による知覚の訂正も起きていくでしょう。


そして、それらの障壁(幻想)の向こう側に、

自らがあえて望んで神から離れたと信じたのだ、と腑に落ちる瞬間をみつけることでしょう。


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