2016/02/26

三週目「21日間フルーツプチ断食」

不食への道。不食へ向けた実践生活体験記。

「21日間フルーツプチ断食」の三週間が終了しました。
とはいえ、おまけとしまして、さらにもう一週間、この「フルーツプチ断食」を続行しようと思いまして、今現在、四週目に突入したところです。

「21日間フルーツプチ断食」三週目の食事のメニューを書くと、おおまか以下の通りです。

朝:野菜フルーツジュースをグラス一杯
昼:チャイ(生姜のミルク紅茶)をティカップ一杯
夕:リンゴ(半個)、バナナ(1本)、キウイ(半個)、八朔(オレンジ、柑橘系フルーツ、半個)、生大根(2cm厚カット)、塩漬け白菜、コーヒー

二週目までとのちがいはといいますと、三週目の終盤には、夕食に塩漬け白菜が加わったりしました。ときには、アボガドもオリーブ油と塩をかけて食べました。コーヒーも嗜好しはじめました。

ということで、「21日間フルーツプチ断食」の三週目の経過報告です。

一週間に一度の好きなものを食べるという日は、野菜鍋をポン酢で、そしてフランスパンにマーガリンやオリーブ油をたっぷりつけて食べました。本当に美味いと感じました。フルーツだけの食事であるがゆえに、からだがよほど油脂分を欲していたように思えます。
しかし、想ったのは、思いっ切りいろんなものを食べようと週に一度のその日を心待ちにしていましたが、いざ食べると意外とそれほど食べれないものでした。気付けば、胃そのものが小さくなってきているのかもしれません。

そして、「フルーツプチ断食」の三週目がはじまりました。
次の週の好きなものが食べられる日まで、また一週間。
そこからまたはじまったわけですが、三週目になると「慣れ」もあるのでしょうか。フルーツ食といえど、数種類のフルーツが、普通の食事に思えている自分がいました。
そして、前日にお腹一杯に食べたせいもあり、胃に負担を感じていたので、フルーツ食でちょうどいいとさえ思えました。

さて、さすがに、「21日間フルーツプチ断食」の三週間目です。それに、「煮小豆プチ断食」から数えると、実質、三週間、まともなカロリーの食事をしていないことになります。
そのせいもあって、からだにその影響を感じ始めたのは事実です。
力が入らない。
体力がない。
ひとつひとつの動作が、きつい。
立ちくらみやフラフラもします。
自分でも、筋力が落ちているのがわかります。
自転車さえ漕ぐのにその体力、筋力がついてこないのがわかります。
空腹感といいましょうか、栄養が足りない、、、からだがそう感じていました。
それによって、気持ちまでもが、なんだかみじめになります。
貧しい気持ちになります。
からだが栄養を欲しているのがわかります。
栄養に、エネルギーに枯渇しているのがわかります。
からだがなかなか温まらず、寒い、冷える。
あまりもの空腹感なのか、イメージでホットケーキのバターの味さえ口の中に広がるを楽しんでいる自分がいました。
もう、気力さえなくなって、ただ生きている、ただ必要な日常の動作をしている、そんな感じになりました。

三週目の前半は、まるで、そんな感じで精神的にも体力的にもかなりきつかったです。
なにせ、次の好きなものを食べる日がまだまだ遠い先の日のように思えて、それすら期待することが凹む要因になるので、極力、そのことを考えることをストップして過ごしました。
三週目の半ばには、イライラもしました。でも、その感情的なこともデトックス(毒出し、解放)だとわかっていました。

そして、いよいよ三週目の後半。「21日間フルーツプチ断食」も18日目を過ぎた頃からでしょうか。まるっきり、それまでの状態が一変しました。
エネルギーが、波動が、気分が変容したといった方が正しいかもしれません。
幸福感を感じ始めてきたのです。思わず、「幸せ」ということばが、口からこぼれるようになったのです。
19日目には、さらに、幸福感が、内側から湧き出てくるようになりました。その日の夕食、塩もみの白菜を食べたときには、さらに、幸福感が倍増しました。
「フルーツプチ断食」20日目には、朝からハイテンションで、四六時中、至福と幸福感の中にいました。
21日目には、睡眠も要らないほど頭だけでなくからだが冴えていました。ほぼ眠っていない状態でも、疲れていない状態です。
意識も軽いし、身体も軽い。
全身の細胞が開いているのがわかりました。
細胞が開くとは、こういうことか。
身体が開くとは、まさに、これだとわかりました。
もう、自分の身体とこの世界との境界線がありません。
自分と宇宙が一体です。
見た目には、身体の境界線がありますが、感覚としては、身体の境界線がありません。
見た目には、身体がありますが、感覚としては、もはや身体がありません。
もう身体は透き通っていて、澄んでいて、何も引っかりませんし、引っかかるものすらありません。
制限がない。
制限するものがない。
自分は空っぽ。
何も無い。空(くう)。
パッカーンと開いている状態。
意識の覚醒、身体の覚醒、細胞の覚醒を体感的に一日中感じていました。

それは、これまでしたことのない感覚の体験でした。
もちろん、それまで、意識においては様々な体験をしたことがありましたが、なにせ、身体感覚を伴ってのそういう体験はしたことがありませんでした。
それほど、とても素晴らしい感覚を体験することが出来ました。
断食もしたことがありましたが、それも2、3日くらいのもので、どちらかといえば「我慢してどうにか耐えた」という記憶しかありません。
それに比べ、無理をしない「フルーツ断食」は、私にとってとても最適でふさわしものだったといえます。

でも、本当の意味で素晴らしかった、やって良かったといえるのは、それではありません。
ことばでは言えないほどの「フルーツプチ断食」の恩恵があったことをここに伝えておきたいと思います。

それは、これから私を通して、表現されていくことでしょう。

至福。
歓び。
気づき。
感謝。
もう、言葉では言えぬ歓喜が、いまここにあります。


ところで、これまでも何度も苦労してきた、排便、ですが、今回は、まったく便を催す気配がない間も、「もう便が出ようが出まいが、自然の排便に任せるしかない。すべてゆだねよう。からだにまかせよう。自分の身体を信頼していよう、、、」と、三週目の私は、そんな心構えでいました。さほど、思い悩まされた感はありませんでした。
そして、20日目の夜に、丸々9日間ぶりに便通がありました。9日ぶりとはいえ、便秘のような固い便ではなく、普通の固さ、大きさ、つや、形の便でした。臭いは、たしかに多少ドブのようなクサいものでしたが。笑
21日目の朝にも健康的な便通があり、結局は、無事、難なく素晴らしいかたちで、「21日間フルーツ断食」の三週間を終えることができたということです。


以上、ここまでが、「フルーツプチ断食」の三週目の経過報告でした。


ただ、今もなお、最終仕上げとして、「フルーツプチ断食」は続いております。
四週目に入った今の私にとって、さらに新たな領域の気づきと解放が起きていることを報告しておきます。
もう、私自身がどうなっていくのか?
もうこの私にもわかりません。
ただただワクワクするばかりです。

この先の領域については、果たして、文章で、ことばで、表現できるのかな!?

という想いもあるのですが、もし、文字にして表現できたならば、また報告したいと思います。
そうでなくとも、それは、必ずや、これからの私の活動のなかで表現されていくことに間違いはありません。

今後の私を一番に期待して楽しみにしているのは、この私自身です。

ということで、ここまでお読みいただきありがとうございます。


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